第47話 イル・マギア(1)

 感情のままに魔力を使い精も根も尽き果てたらしいロジオンは、アデラに抱き締められたまま眠ってしまった。

 揺さぶって起こしてみて、うっすらと瞼を開けるが、

「眠い……」

と言って、また眠ってしまう。


 魔力を持ち自分で全く制御出来ない赤ん坊や、癇癪を起こした子供がよくこうなると、ドレイクがアデラに話す。

「魔力が高いだけに迷惑な結果になりましたが」

 溜息を付き、野外で待つハインに知らせに行った。今宵はこちらに泊まると、宮廷に言伝を頼みに行ったのだ。



◇◇◇◇



 与えられた部屋の寝台で安らかな寝息をたて眠るロジオンを見て、アデラもようやく安堵した。

 自分に手を広げてきた時の主は、明らかにおかしかった。

 顔は死人かと思うほど白く、目は窪み見開き──狂ったのかと一瞬血の気が引いた。

 だけど、ここで怖じ気付く訳にはいかない。

 この手を、彼を、抱き締めなければ。

 コンラート師がいない今、精神共に身体を預ける相手は自分しかいない。求める相手が自分しかいないのだ──主は。


 扉を叩く音にアデラは振り向く。

 ドレイクが食事を運んできてくれた。


「ロジオンは起きませんか?」

 側に設置されたテーブルに食事を置きながら、アデラに尋ねる。

「はい。でも、安らかな顔でほっとしています」

「そうですか」

 ドレイクは手短に言うと、お腹が空いたらどうぞと蓋付きの皿をさした。

「ありがとうございます」

 アデラは礼を言って再び視線をロジオンに戻す。


 では、と部屋を出ようと扉のノブに手を掛けたがドレイクだが、思い直したようで扉のすぐ横の壁に背を付けた。

「……?」

 不思議に思い、アデラは顔を上げ彼に視線を向ける。

 彼は腕を組み、アデラを見て言った。


「決意は……本物ですか?」

 決意とは、ロジオンに言ったことだろう。

「今、離れることはロジオン様には良くない……考えてみてください、最も信頼していた師が亡くなり、十数年ぶりに再開した家族にも慣れていない。心身を預ける場所が無い。ロジオン様には信頼でき、何かあった時に共に前へ進める相手が必要です」

「ロジオンが家族と一線を置く理由は、コンラートの件だけではないと知ったでしょう? 離ればなれで暮らしてきただけが理由では無いことを……」

「はい」

「それはアデラ、貴女にも当てはまる。家族や貴女は只人だ。歳を取り、私達より早く死ぬ。取り残される悲しみをロジオンに味わせることになる──ロジオンは潜在的に悲しみを回避しているんですよ」

「私は、死ぬその時までロジオン様の側にいるつもりではありません」

「……?」


 アデラは真っ直ぐな瞳でドレイクを見つめ、微笑む。

「これからロジオン様にも、色々な出会いがあるでしょう? きっと、魔法使いに魔導師が多いでしょうか? 同じ年代の、自分と同じ方達と共感をして、長い時を有意義に過ごせる友と呼べる方達が出来て……そうしたら、私はもうロジオン様の側にいる必要はありません」

「それまで、ですか……」

「それまで、です」


 真っ直ぐにこちらを見つめる常緑色の瞳は、躊躇いの一切も感じられない。

 ──ドレイクは思い出し瞼を閉じる。


 もう記憶も朧気な遠い昔に、このような瞳を持つ仲間達を誇らしく眺め、自分も一員となる日を夢見た──。


 只人は嫌いだ。嫌悪している。

 だが彼女のような、同族を思い出す強い決意をもつ瞳を持つ只人は嫌いではない。

 魔力を持つ尊き人や自分のような他種族に持つ、特別な力など無いのに、己の限界を越えてまで相手に尽くすのは尊敬に値する。


「貴女の意思の強さは、私の種族のとよく似てる」

「『黒竜』の……?」

 すぐ戻ります──ドレイクはアデラにそう告げ部屋を出て、今度は手に何かを持って入ってきた。


「貴女に、これを……お譲りしましょう」

 卓上に置かれたのは二対のマインゴーシュと、ヘッドドレスだった。

 マインゴーシュは柄と刃が繋ぎ目が無く、見たことがない光沢を放っている。

 ヘッドドレスは装い用のではなく、冑の簡易型だと分かった。

 磨かれた材質も、これまた見たことがない。


「……これは何で出来ているのでしょうか?」

「私の爪と骨、それとカーリナに利用されて命を落とした同族の骨です」

 そういえばコンラートの事件が終わったすぐ後に、落ちた自分の指と幼竜の亡骸を拾っていた。


 取れたドレイクの指は、本来の姿の──鋭い爪を持つ固い竜の指に戻っていた。

『このまま放置して、只人に見つかれば騒ぎになりますから』

 そう言いながら自分の爪と一緒に、大事そうに腕に抱いていた黒竜の幼体。

 幼竜は、原型を止めていない姿で息絶えていた。


 今でも時々、竜の特殊な能力を利用する輩がいると──ロジオンは言った。

 彼は竜の血をひきながら、不遇な境遇にいる者達の探索と保護もしているのだとも聞いた。

 彼はどんな気持ちで変わり果てた同胞を抱き上げたのか──彼の瞳に憐憫の光りが微かにあり、皆声をかけずそっとしておくしか無かった。


 ──その遺骨で作られた……。


 遠い過去に、竜の身体の一部を使った防具や武器が出回っていたと話には聞いていた。

 それらしき古い防具に武器も残っているが、事実はまことしやかである。


「手に持ってみてください」

 促され、恐縮しながらマインゴーシュを手に取る。握る感触も重さも自分にあつらえたようにぴったりだ。

 振ってみても違和感が全く出ない。使い手の次の手を感じているように馴染む。


「ヘッドドレスの方は、調節が出来るようになっています」

 着けてみると自然、頭の形に独りでに密着する。しかも軽い。

「軽くても強度は最高を誇るでしょう」

 竜の骨ですから──と、ドレイクは付け加えた。


「これを頂けるのはありがたいが……宜しいのですか? ドレイク殿の同族の形見では……」

「言ったでしょう? 貴女の意思は黒竜の意思に似ていると──主人に対しての意思の強さ・思い……それはロジオンを支える時の助けとなることを望むでしょう」


 ありがたくお受け取りします──アデラはドレイクから貰った剣を両手に持ち、ゆるりとお辞儀をした。それは彼に敬意を払った意味の厳かな礼の意味でもあった。

 アデラのその礼は、ドレイクに僅かながらに、只人に対する溜飲が下げるものであった。




◇◇◇◇




 ああ、ここは夢だ──ロジオンはそう思った。

 身体を起こし胡座をかく。周りは真白の世界──全く現実感が無い。


(夢だ夢だと唱えてれば目が覚めるか?)

 そう思い、ぼんやりと遠くを見つめる。


(──?)

 視線の先から、こちらへと向かって歩く人影が見えた。

 距離感の無い夢の中で、人影はあっという間に距離が縮まる。姿形がはっきりした所で、ロジオンは息を飲む。

(魔承師……?)

 長く伸ばした銀髪は腰まで届き、そよぐ。

 それは昔見た、南の海の波打つ色と似ていた。

 自分もよくそう例えられるが、彼女の方がずっと近い。


 美しい人──彼女にその形容が一番相応しい。


 イゾルテがロジオンの前で止まり、笑いかけてきた。

 立ち上がり、彼女を見つめる。

「良かった。心の中はとても静かで……落ち着いたのですね」

「……ご迷惑をお掛けしました」


 そうか──ここは意識の中だ。そこに彼女が入ってきたのかと、ロジオンは悟った。

「僕……周りに気をかける余裕がなくて……貴女にお怪我は?」

「大丈夫です」

 そう、にこりと彼女は笑う。

「すいません……壊した箇所の修理代は僕がもちます」

「それは良いのよ……それに、謝らなければならないのは私の方です……」

「……いえ」


 自分が魔法によって創られた人間というのは、落ち着いた今でも受け入れがたい。

 そのロジオンの心情を読み取ったのか、

「違うのよ」

と彼女は言った。


「兄・マルティンが創ったと言うのは『魂』と言うもの。それも自らの手で、自らの『魂』を創り上げたのです……」

「……?」

 ロジオンは首を傾げる。

『魂』と言うのは、魔法定義として形が定まらない、そもそも形として存在していると言う位置付けがないものだ。

 そのせいか『魂』=『霊魂』と言う聖職の定義が世間では一般的となっている。


 では──

「前・魔承師は……自分の霊魂を創ったと言うことでしょうか?……そもそも何故……?」

「話が長くなりますが……。ロジオン、どうか心乱さずに聞いて欲しいのです」

 イゾルテは深く長い溜息を吐いた。





 太古、この世界には生まれながらに理を知り、万物を自由に操作する者達だけの世界でした。

 様々な姿を持つ多種多様な種族が息づく世界──。


 ──それは、突然でした──


 足を出す先さえも分からない眩い光が、辺りを包みました。

 その光がようやく収まった後に、その中心と思われる場所から、新しい人種が出現したのです。

 ──この行は聞いたことがあるでしょう?

 クレサレッド教会の聖書で……。


 新しい人種は、特殊した能力を何ら持ち合わせておらず、環境に順応できず、自ら命を絶つ者、狂う者、呆然としたままに他人種の僕となる者、襲われ食用となる者……。

 力弱き出現者達を、姿形が似ていると言う親近感から私達の一族が保護し、この世界に馴染み生活の基盤を作らせたのです。

 彼らと肩を並べて生活してみれば特殊した能力は無いものの、特化した才を持っていました。

 順応の早さと、既にある道具を更に高性能にする技術──私達は力がありました。生活するのに最低限の道具で良かった。

 彼らは私達より短い寿命の中で、年老い弱っていく身体を持っていた。

 だからこそ、短い人生を有意義に暮らそうと自分の知識と技術を駆使し、欲求を満たそうとする意力が湧いてくるのでしょう。


 その者達から口々に言われた言葉がありました。

『魔力』『魔法』


 そして私達を

『魔法使い』『魔導師』などと呼んでおりました。


 力に何の名前を付けなかった私達は、面白がった。

 特に兄・マルティンは好奇心からも、色々と話を聞き出していました。


 マルティンは私達一族の長であり、他の種族からも一目置かれた存在で、彼の意見は他種族でも受け入れられるほどでした。

 マルティンは彼らから話を聞き、多くの情報を得て、また、彼らの疑問にも、彼らの分かりやすい言葉で説明していきました。

 新しい者達は、私達が接触をしたことがない異世界の住民で、『魔法』『魔力』等が無い代わり『科学』『情報』『機械』『医療』と言うものが発達した世界だったと言いました。


 そして、それらに頼るあまりに最大の過ちを犯したと……。


 ──世界規模の戦を起こし、『科学』の力で世界が滅んだだろう──彼らの一人がそう告げ、同じように皆が頷いていたのを覚えています。

 私達の世界まで巻き込んだあの強い光は、『核兵器』と言う、人工で作られた恐ろしい武器だと──

 その破壊力で空間に歪みができ、何人かは分かりませんが、こちらの世界に飛ばされた──そう私達は判断しました。


 マルティンはその話を聞いた後、更に彼らに傾倒していき、時々、一人考え込むようになりました。

 と言うのも、異世界からの住人がこちらにきて数十年の時が経ち、元からいた人との間に『新しい世代』が次々に生まれていたから……。


『新しい世代』は私達より力もなく、また、成長が止まる時期はまばらで寿命が遥かに短かった。

 

 一番私達が困惑したのは『死』を迎える時でした。

 私達は死を迎える前に、著しく力が落ちる。

 そして『塵』となり、この世界に融け一部となる。

 新しい世代を含む異世界の者達は、死しても形が残った。

 そして祈りを捧げ、再び会えることを願う。


『輪廻』


『転生』


 を願うのです──。

















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