第46話 マルティンの魔法

「イゾルテ様のドレスの裾を直すのではないのですか?」

「申し訳ありません。イゾルテ様がロジオンと二人きりで話したいことがあると申されたので、このような虚言を使いました」


 はあ、とアデラは気の抜けた言葉を返した。

 ──別に回りくどいことしなくても、言ってくれれば席を外すのに。


「今まで楽しく話していたのに、いきなり席を外してくれなんて言えば、お気を悪くなさるかと」

 それに、とドレイクは言いながらアデラを更にバルコニーへ誘導する。

「急に深刻な……ロジオンに関わる話に切り替わるのに、タイミングが欲しかった──というのもあります」

 アデラの足が止まった。


 明らかに、その場から外されたことに傷付いている。

「……成程、貴女がアサシンに向いていない理由の一つですね」

 何がおかしいのかドレイクは、口の片側だけ上げた。

「ロジオン様からお聞きしたのですか?」

 意地の悪い笑い方をするドレイクを睨みながらアデラは尋ねた。

「エルズバーグ国王陛下からです。長を務める家系だそうで、今は妹君が継いでいる」

「妹の方が才があっただけのことです」

「アサシンとしてはそうでしょうな」


「……私には才が無い、言われなくても分かっています! だから、だからこそアサシンとして磨いた技術だけは役に立てたい。ロジオン様にお仕えしてあの方の役に立ちたいのです!」

「その決意は本物ですか?」

「本物です」

「ロジオンが何者か知っても?」

「コンラート師の件で、ロジオン様が得体の知れない何かを抱えていると知りました。──それでもお仕えする気持ちは変わりません」

「貴女はロジオンといることで、諦めなければいけないことが出てきます──その決意が決まらないうちに聞かせるには酷だと判断したから、あの場所から貴女を外しました」

「……諦める?」

 ──そうです、とドレイクはバルコニーの縁に座る。


「貴女の能力は計り知れない、だが、只人です。止まることなく老いが進み、短い寿命を終える……」

「あ……」

「ロジオンは恐らく、私くらいで絶頂期を迎えそこで成長が止まる。それから、只人から見たら長い時を生きていきます。貴女は、一生を彼に忠誠を誓い、従者として生きていくつもりではないでしょう? あと何年かしたら結婚をし、子を産み、自分達の血を残していく作業がある」

「……」

「ロジオンに付いていくのには、結婚と出産を諦めるだけではありません」

 言葉もなくドレイクを見つめるアデラに話を続ける。


「今までの日常の中で捨てなくてはならないことや、あえて拾わなくてはならないことも出てくるでしょう──波乱にとんだ毎日を、死ぬまで送らなければならなくなるかも知れません」


 ──貴女には何の得もない。

 ──それでも貴女はロジオンの傍にいますか?



◇◇◇◇


 彼女と二人きりになっても、居心地が悪いとは思わない。

 溶け込むように自然と自分は受け入れている。


 ──分かってる。


 魂の記憶が僕の生に干渉しているからだ。

 何度もこういう場面があったことも教えてくれた。


 彼女が僕に向かい微笑む。

 僕と同じ銀の髪は、柔らかで淋しさを含む秋の風が揺らす。

 海に似た色が生まれ、その様子を僕は眺めて胸を焦がす。

 このチリチリと痛む胸は、誰が──なんだろう?


 ──君は僕、僕は君──


 だからと言って、僕の目に写る彼女を僕は思うほど恋していないようなんだ。




 じっとイゾルテはロジオンを見ていた。

『見ている』んではなくて『視ている』んだと、ロジオンには分かった。

 こんなにあからさまなのは、判断しづらい何かがあるのだろう。


「……成程。ドレイクでも視えない理由が分かります」

 イゾルテはそう呟き、目を伏せた。

「僕の中の人のことですか……?」

「自分の魂の呼び掛けは経験していると、ドレイクから聞いています」

 混乱したでしょう? ──イゾルテは同情するように眉尻を下げた。

「はい……でも大丈夫。自己主張してきたのは、師匠相手の最後の時でしたし……後は似た場面に遭遇すると、頭に過去の映像か出てくるくらいです」

「何とかしてあげたいのだけれど、私では無理で……ごめんなさい」

「中にいる人達が言ってました……最初の人が無理矢理、輪廻に加わろうとしたからだと……」

「……そこから、ドレイクも私も見解を間違っていました。輪廻という輪の中で、溶け込めなかった記憶が、人格まで支配するようになったのだと──」


「これは……?」

 ロジオンが何の躊躇いも無く尋ねてくるのが、イゾルテには心苦しいようで瞳を伏せた。

「……僕もある程度は予想もして……それなりに覚悟しています」

「何故……このような魔法を……」

 独り言を呟くイゾルテの美眉は歪んでいた。

 躊躇っていたが、意を決したようにロジオンに顔を向け、口を開いた。


「ロジオン。貴方は……初代の魔承師であり、私の兄でもある──マルティンの……創った魔法で間違いないでしょう」


 長い沈黙があった。

 視線を落とし、膝につけた自分の握り拳をロジオンは見つめる。


 ……僕は創られた……?

 

 何か足元から崩れた気がし、止めどもない、やるせない感情がロジオンを襲った。

 ぐるぐると目が回っている気がする。

 足が震え、力が入らない。

 落ち着かないと。そう思っても、どう心を静めてきたのかさえ思い出せない。

 自分の考えていたことと違う。

 見当違いがショックで、こうなってるんじゃない。


 だけど──どこかで期待していた部分


「魔法を創りあげた……原初の魔承師・マルティンが関わっているのだと感じていた!……マルティンの魂の輪廻の先が……自分じゃないかと思っていた!」

 言葉として吐き出される。

 

 ──僕は人ではないの?

 ──育つ人形なの?

 僕は何の為に創られたの?──


 がたりと椅子から膝から落ちた。

 円卓の上に置かれた皿も茶も何もかも床に落ち、音を立て割れた……。


「ロジオン!」

 泣きながら震えているロジオンの姿は異常で、イゾルテは自分の告げた事がどれだけ言葉が足りなかったか知り、呆然と目の前の少年を見つめる。


 ロジオンは──誰かに揺さぶられているように左右前後に揺れ、子供に遊ばれている操り人形のように見えた。



◇◇◇◇



「──!? イゾルテ様?  ──ロジオン!」


 ドレイクが顔色を変え、中央の塔がある方向を見据えた。

「──ロジオン様に、何かあったのですか?」

「『あった』んじゃなくて『してる』んです!」


 貴女はここにいなさい──ドレイクはそうアデラに告げたが、彼女はがっしりとドレイクの腕を掴んで離さなかった。

「私も行きます!」

 仕方ないとでも言わんばかりの表情でドレイクは頷くと、ロジオンとイゾルテのいるバルコニーへと跳んだ。



◇◇◇◇



 跳んだ先が謁見場で、二人が真っ先に見たものは──見上げる程高い窓のステンドグラスがすべて粉々に飛び散り、破片が床に散らばっていたことだった。


 二人言葉を出す余裕もなく、バルコニーに駆け寄って愕然とした。

 椅子と円卓、食器は全て粉砕され、石造りのバルコニーの柵までもが形を無くしていた。

 床は亀裂が走り、塊と化したバルコニーの一部が大量に跳び跳ねしている。


「ドレイク!」

 イゾルテは、この界隈だけに被害を抑えるために結界魔法を施行していたが、至る場所でバチバチと火花が飛び交い、ドレイクは危険な状態だと悟った。


「いかん! 今の状態のイゾルテ様にはロジオンは止められん!」

「私が……私が悪いのです! ああ、もっと言葉を選んでいれば……!」

 ドレイクの怒りがロジオンに向かう──危険を感じたイゾルテは阻止を含めてそう言ったが、彼の黒竜としての使命が感情を支配した。

「ロジオン……! 貴様!」

「いけない! ドレイク殿、よく見てくれ!」

 彼の左手から目映い光が生まれたのをアデラが制した。


 ロジオンは背中を丸めて踞っていた。

 銀の髪を乱し、顔を床に突っ伏し震えていた。

 微かに耳に届く喘ぎは、泣きじゃくっている声と似ている。


「イゾルテ様……これは?」

「真実の一つをお話したのです……彼にはまだ早すぎました……受け止められなかった」

 アデラの視線から逃げるようにイゾルテは目を伏せた。同時、涙が溢れ頬を伝う。

「まだ話は途中でしょう? それでこうなるとは未熟すぎる──何にせよ止めないと」

 どきなさい、とドレイクはアデラを押し退けようとしたが、アデラはますます立ちはだかる。

「アデラど──」

「しばし時間を下さい」

 強い口調と眼差しにドレイクは一瞬怯んだ。


 アデラは踵を返すとロジオンに向かう。

「ロジオン様! アデラです! どうされたのです!」

 途中破片が、アデラの肩や足に当たったが気にしている場合ではない。

 こんな姿の主は初めてみた。余程にショッキングな内容だったのだろう。

 コンラート師の時も泣いていたが、必死に悲しみを堪えていた。彼は立ち向かえる力を持っている。未熟とかそんなんじゃない。


 彼自身の、これから生きる為の根本から崩す何か──。


 震え泣く主に近付く。

 彼はまだ少年だ。まだ十五じゃないか。

 本来なら一国の王子として、人の好い父王や母妃の元で兄弟に囲まれて、なに不自由無く暮らしているはずなのだ。

 それなのに、人より高い魔力があるというだけで親から離れ、辛い現状を見て育ち、魔法使いと言う道を選ばされた。

 本人は、何も恨んでも悲しんでもいないと話したのに──。

 ここまで主を混乱させ、嘆かせる真実の一つ。あと幾つの真実が彼をこうさせるのか──。


 ああ──


 瞼をぎゅっと閉じた。

 もう、いい。捨てよう──

 私は離れられない、このままでは。

 主が、彼が、笑ってくれれば、それで……。



「ロジオン様!」

 何度目かの呼び掛けで、ロジオンはようやく顔を上げた。

 同時、破かれる寸前だった結界の亀裂音がなくなり、ドレイクは自分の主人であるイゾルテを抱き寄せた。


 ロジオンは──涙で頬と掛かる前髪は濡れ、澄んでいたブルーグレーの瞳は充血していた。

「ア……デラ?」

 視点が定まらない瞳は、ぼんやりとした表情を強調させる。

 彼女が誰かだったか思い出したように「アデラ」と名を繰り返した。

 ロジオンの瞳に、すがり付くような鈍い光が生まれた。

 震える手が怯えるようにアデラに向けられる。


「アデラは……僕が何者でも……いてくれるよね? ……僕が……人じゃなくても……側にいてくれるよね……?」

 床にへばりつくように座り込むロジオンの手を握ると、アデラは彼を抱き締めた。

「当たり前です! アデラはロジオン様の従者です。何処へでもお供致します!」

「……絶対だよ……? 嘘つかないでよ……?」

「嘘は申しません」


 ──私は、何があっても貴方様の味方です──


 だから

 安心して──

 私の好きな人……。




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