第42話 君は何者

 湿布も取り替えて、服も脱ぎ着しやすいゆったりとした物に着替えさせてもらったロジオンは、満足そうに寝台に落ち着く。

 アデラは気疲れでぐったりしていた。


 そんなアデラにロジオンが「おいで」とアデラに手招きをする。

「──えっ?」

 アデラが急沸騰した。


 考えてみたらここは寝室。

 しかも、今は二人っきり。

 感謝祭で使用人などは出払っていし、呼ばなきゃ来ない。


(こ、これは、あ、朝チュン設定じゃないのー!)


 アデラは真っ赤になった顔をブンブンと振りながら、

「ロ、ロロロロロロジオン様! け、結構ですから! その! お怪我を治すことに専念して頂いて──」

と後ずさる。

「え……? 良いの?」

「良いんです、結構です! 」

「……でも、髪の毛……ほつれているよ」

 ──そのままでいるの?

と、困惑気味のロジオンを見て、アデラは改めて自分の姿を鏡で確認する。

 結わいてある髪が、一束解れてしまっていた。

「──あ……」

 包帯を巻く時に、引っ掛かった感じがこれだったのだと納得した。


「櫛、持ってきて。結わいてあげる」

「へっ……?」

ぽ かんとしているアデラにロジオンは、目を細め、あの大人びた笑顔を見せた。



 髪留めが外される。

 捻って留めていた髪が音もなく肩に落ちた。

 ロジオンは後ろから、髪に付いている整髪料を梳りながら絹糸のようなアデラの髪をほどいていく。


「あの、ロジオン様」

「何?」

 アデラは寝台の端に座って大人しく髪を梳られているが、忙しく指を動かしていた。

「自分で出来ますから……」

「やらせてよ」

 普通なら、従の自分が主であるロジオンにするべきことではないか──。

 でも、と渋るアデラにロジオンは、

「久しぶりなんだ……こう言うの。だから……」

と、懇願するように話す。

 こうねだるように言われると、アデラは何も言えなくなってしまう。


「コンラート様にも、こうやって?」

 ヘアクリームを手に擦り付け、アデラの髪を編み込んでいく様は手慣れていた。

「うん……。師匠のはもっと……時間がかかったな」

 懐かしそうに喋るロジオンの顔を、手鏡越しに覗く。


 コンラートを浄化した後、暫く空を見上げたまま動かなかった主は、置いてきぼりをされた子供のような顔をしていた。

 今は何の憂いもない、穏やかな顔で、落ち着いた瞳で自分の髪を編んでいる。

(良かった……)

 アデラは、鏡に映る優しげな少年に向けて微笑んだ。


 両脇の髪を耳の上から編み込んでいき、後ろは高く上げて結び、四つほどに分け三つ編みにしていく。

 両脇の編み込みと四つに分けた三つ編みを、高く結んだ根本にくるくると巻いていった。

 時々、ピンを使い押さえ、最後に髪留めでしっかりと押さえた。


「……お上手ですね」

 浮いたり編み忘れの部分もなく、専門の美容師にやってもらったような出来映えだ。

 自分で風呂場を造ったりと、ロジオンの手先の器用さには本当に感心してしまう。

「どう?」

「はい、素敵です。ありがとうございました」

 アデラの素直な感想に、ロジオンは満足そうに微笑んだ。


「でも、勿体無いなあ。そんなに綺麗な髪をしているのに……下ろしとけば良いのに」

「中途半端な長さで邪魔なんです。仕事中は特に」

「仕事が休みの時は、下ろしているんだ?」

「はい」


 ふーん、と呟く主にアデラはフィンガーボールと水差しを持ってきて、整髪クリームの付いたロジオンの手を洗う。

「自分で出来るよ」

「お礼です」

 照れ臭そうにしながらも、まんざらじゃないロジオンは結局、なすがままにされた。


 すぐ側にアデラの顔がある。

 意思の強そうな眉

 髪の色より色味の濃い睫毛。

 通った鼻筋に、形良い小鼻。

 ふっくらした唇は艶々として血色が良い。

 正統派美人の類のアデラだ。

 どうやら自分は、こう言うタイプが好みだと分かってきた。


「……?」

 誰かの顔とぶれる。

 一時目を閉じて瞼の裏の向こうにいる、女性を思い浮かべる。

 今と違う風の流れ、空気の色。

 その中に立つ美しい銀の髪の君は僕の一人が愛した女性。


 ああ、そうか──と目を開けた。

「ロジオン様?」

 じっと一点を見つめて動かない主にアデラは首を傾ける。

 ゆっくりと顔を扉に向け、ロジオンは口を開いた。


「……何、盗み聞きしてんの……?」

 入ってきなよ、とロジオンが促し入ってきたのは、にやけ顔のエマとハインだった。



◇◇◇◇


「いやあ、良い雰囲気なので、お邪魔かなと思いまして」

「だあってねえ? 『やらせてよ』『久しぶりなんだ』ってロジオンは言ってるしい。アデラちゃんは『お上手なんですね』なんて言ってるの聞いたら……」


 ──ねえ? と見合わせ相づちを打つ二人を見て、誤解された意味を知りアデラは顔を赤くし、ロジオンは呆れた。

「自分達が良い雰囲気だから……周りもそうだと思わないで欲しいよ。頭の中……それで一杯なんじゃないの?」

「やあん! ロジオンったら! おませなんだからあ!」

 勢い良く背中を叩かれたロジオンは、

「か……完治が延びた……」

と、痛さに震えながら寝台に踞った。




「そんでねえ、ハインが~言ってくれたの! 『女体化が終わるまでに貴女に相応しい男になります』って! もおおう、カッコいいでしょ?!」

 キャラキャラと黄色い声を出しながら、ロジオンの打撲した腹をバンバン叩くエマに──。

 その横で、

「いやあ……! 本当にそう思ったんで、思いを打ち明けただけですよ~」

と、しまりの無い顔を見せるハイン。


「もう……昨日から何度も聞いてるよ」

 うんざりしながら冷めた視線を送るロジオンに、苦笑いのアデラ。

 コンラートの件が済み、包み隠さずに自分の気持ちを伝えようとしたエマより先に、ハインの方が実行に移したのだ。


 バンバン──エマはロジオンの打撲した腹を叩く。

「『エマさんは、そのままでも充分ですが、エマさんがきちんと女性になりたいと言うなら、全力で応援します。でも、女性化が完成したら今よりもっとモテますよね……それは嫌ですね』──だって! もおおおお! 可愛くない!?」

「だって、そうじゃないですか。今だって大変お美しいんですよ? 完全に女性になったら不安ですよ。──私的にはこのままでも……」

「いやあん、ハインったらあ! 目移りなんかしないわよお! や・く・そ・く!」

 エマとハイン二人で、指切りげんまんをする。

「エマさん……」

「エマと呼んで……ハイン……」

 小指を絡めたまま二人見つめ合う視線が熱い。


 絡んだ小指に、ロジオンの鋭い手刀が入った。

「治療に来たのか、いちゃつきに来たのか……どっちなの!」

「「──どっちも」」

 二人揃った返事にロジオンはむすりとした。

 今回で、幸せな結果になったのはこの二人だけだ──ロジオンはそう思った。


「だってえ、誰も聞いてくれないし~。ドレイクとルーカスなんかあ、リシェル連れてさっさと帰っちゃったしい」

「用件が済むとさっさと帰るところは……昔からじゃない。ルーカスは肋にヒビ入ってて……早く魔導術統率協会に戻って治癒師の手当てが必要だし」


 ドレイクは予定より早く事が解決したので、魔導術統率協会の方の感謝祭準備の参加の為に今日の朝、帰ってしまった。

 その際に、孤児となったリシェルを連れていったのだ。

『魔力を持ち、魔法も教わっていますからね。魔導術統率協会こちらの所属している者に預けます』

 サマンサかカーリナ──どちらの力を受け継いでいるか、観察し様子を見るとのことだろう。


「治癒の力は、サマンサから受け継いだものだったのでしょうか?」

 ハインが誰ともなく尋ねた。

 同じ宮廷で働いていた同僚が悪女と名高いカーリナで、サマンサと言う治癒系魔導師の身体を乗っとり、子まで産んでいた──今だ、にわかに信じられない様子だ。


 魔力は、身体ではなく魂に宿ると言われている。

 しかも──治癒系は『聖』と同様に特殊な魔法に入り、魂に宿る能力によって使えない者もいるのだ。

 大抵は皆、使える治癒は微力で、専門の治癒系の者に任せる。


 残念ながら『治癒』の魔力を持つ者はそういない。

 使える者、その潜在能力を持つ者は稀少である為、どこの国でも雇いたがるのだ。ドレイクがリシェルを連れていったのには、そのような背景がある。

 リシェルに治癒能力が備わっていれば、魔導術統率協会でも貴重な戦力となる。


「僕はカーリナのことはよく知らないんだ。師匠の口からも、彼女の名が出た記憶がないし」

 エマは知らないの? ──そう振られ、口を開く。

「コンラートを追っかけ回していた時代の時は知ってるわよ~。治癒は持っていたけどお、私くらいなもんよ~」

 微力ながらもエマも治癒が使える。

 それで暫く滞在してロジオンの治癒にあたれと、ドレイクに命じられたのだ。

 ──ちなみにハインは、エマにくっついてきただけである。


「サマンサとして働いていた時は、素晴らしい治癒能力でした。やはりサマンサの魔力だったのでしょうか? ──そうだとしたら、魔力は魂に宿ると言う理論が成り立たなくなります」

「……それは、あくまでも魔法の構造を理論的に説明した時の理論。魔力だって、どう発動して魔法が施行されるか……はっきり説明出来ないんだから」

「そうよね~。この理論って、確か魔力の持たない者達に説明を求められて、創立者・マルティンが話したものなはず~」

「他の人物の身体に自分の魂を入れて、それで何かしら変化が生まれてもおかしくない、と結論付けても良いんじゃないかな……?  非道な行為だから禁行にした、と言うのも間違ってないし。へたをすれば身体と魂に、おかしな変化が起きるから……との意味もあるのかも」

「ケースバイケースってねえ」


 ──今日はここまでえ──エマの治癒が終了した。


「……これじゃあ時間掛かるね……やっぱ」

「しょうがないでしょ~。感謝祭が済むまで私で我慢しなさいよお」

 エマがぶーたれた。


 宮廷の魔法管轄処に在籍している魔法使いや魔導師達も、非常事態が起きない限り感謝祭を楽しんでいる最中だ。

 王子権限で命じることは出来るだろうが、生死に関わる怪我じゃないし──。

 それにオープニングのバルコニーにてのお披露目に間に合うよう、殴られた顔の腫れは治癒してくれたのだ──我が儘は言えない。


「ドレイクに……感謝祭が終わったら魔導術統率協会そっちに来るように言われてるからな……」

「魔導術統率協会の感謝祭は三日後だからあ、それ以降でしょう? ゆっくりで良いわよお。魔承師様も謁見ばかりで疲れてると思うし~」







『私の、貴方に対する見解が間違っているかも知れません』

 ドレイクは僕にそう言った。

『……何の?』

 問いにドレイクは、人差し指を僕の胸に当てる。


『今回で目覚めた……それは、分かりますね? 聞いているはず、欠片達に』

『……』


 聞いたと言うより聞こえた、の方が正しい──僕はそう思った。


『しかし、肝心の方が目覚めない……いつも、いつの代の時も目覚める事は無かった……』

『誰が……?』

『目覚めが必要なのです。この世界の為に、あの御方のためにも──だから、ずっと追い掛けて来た』

『……そうして、道を誤ってきた、目覚める事が無かった前世の僕を殺めてきた……』

 

 ドレイクは、僕の視線から逃れるように瞳を閉じた。


『目覚めている欠片は……ドレイク、君を恨んではいないようだよ……あのエクティレスは別として』

 あの御方のためだと──欠片達は知っている。


 世界のためというより、その人のために生きていることを。

 ドレイクも、繰り返す行為に苦しむ悔悛者だと言うことを。

 前世の僕達も、様々な形でその御方を愛していた。


 ──癖のない、銀髪の髪の君を。

 

 今の自分では、助けることが出来ないと悟ったからドレイクの手に下ったのだ。


 ドレイクは再び瞳を開き、竜の血を受け継ぐ紅い眼を僕に向けた。

 驚いたのは、彼が僕に今まで見せたことが無い、愛惜の眼差しで僕を見つめたことだ。

 くしゃり──僕の髪を擦るように搔き雑ぜる。


『ロジオン、貴方が一番似ている……。そして、一番分からない』



 ──だから、来なさい。

 ──アデラも連れて。

 ──あの娘も、私には分からない。


 あの御方に視てもらうのが、一番早いでしょう──魔承師様に。



 思い出す。昨日の彼との会話。





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