第38話 残忍なエクティレス
リシェルの『入魂』が終了し、安堵している場合ではなかった。
激しい水音に池を見てみればドレイクどころか、ロジオンもアデラも──コンラートもいない。
「やだ! もしかして全員、池に引きずり込まれた音?」
三人青ざめて顔を合わせる。
「──エ、エマ! かっ……! つぅ──」
雑木林から飛び出したエマを止めようとしたルーカスだが、肋の痛みで踞ってしまった。
「ルーカスとハインは、リシェル連れて避難してえ! 怪我してんだからぁ!」
エマは走りながらルーカス達に言い、どんどん池に近付いていった。
池に引きずり込まれたなら、一刻も早く助けなければならない。
ドレイクとロジオンなら、水中で何かしらの魔法を施行するだろうが
(アデラちゃん……!)
アデラは魔力が無い。只人だ。
一番コンラートにつけ込まれやすい。
「エマ殿! 一人じゃ危ない!」
すぐ後ろからハインの声がして、エマは驚いて振り返った。
「私しかいないでしょ! 動けるのぉ!」
「私だって動けますよ!」
「詠唱してる間にやられちゃうって!」
「魔法以外の──エマ殿!」
池の中から飛沫をあげて飛び出してきた影が、エマに突っ込んできた。
「危ない!」
ハインがエマを押し倒し回避する。
「──ね? 魔法以外でも役に立てるでしょ?」
「……もう少し気を付けて避けてよね」
嬉しそうに話すハインに、エマは擦りむいた鼻を押さえた。
闇の中に蠢く闇にハインとエマは目を凝らす。
──コンラートだ。
二人身構えた。
だが、コンラートが子供並みの大きさで眉を潜める。
先程の少年の姿よりぐんと小さく、弱々しくなっているのだ。
何があったのか?
入魂に集中していたエマ達には把握が出来ない。
「──ひっ!?」
自分の後ろから来る、凍てつくような波動にエマは思わず声を出した。
声を出さなくとも、ハインも同じだった。
恐る恐るコンラートを見ると──その、のっぺりとした顔には昔の面影も見当たらなく、ようやく目鼻立ちが分かる程度なのに──怯えている。人目で分かった。
チャポン……
再び起きた水音に振り向く。
身体に、たなびく波紋は先程の凍てつくものと同じ。
だけど──
何故その波状が、ロジオンから出てるのか……?
◇◇◇◇
浮力の魔法施行で、ロジオンは水面に浮いていた。
片腕にアデラを抱き、地面に着地する。同時、ロジオンはアデラを手放した。
がくり、とアデラの膝が折れ、地に突っ伏す形で咳き込む。
「ぐ……ッ! ゲホッ! ゴボ!……」
「アデラちゃん!」
水を飲んで吐き出しているアデラの背中を、エマは懸命に擦った。
びしょ濡れで後ろに結わき止めていた髪が肩に落ち、びったり肌や首にまとわり付いている。
「防具服着てるんでしょ? なら上着とシャツ脱いで。風邪引いちゃう!」
エマは早口で捲し立てると、自分のマントをアデラに掛けた。
エマのマントは袖を通せる型の物なので、上着の役割として充分果たせる。
水を吐きながらもアデラは、
「ロジオン様……はっ?! ご無事か? 水の中で様子がおかしく……なられて……!」
と懸命に尋ねた。
「アデラちゃんを抱き抱えて、水から上がってきたわよお……ただ」
そう言うとエマはアデラの肩を抱いて、対物魔の結界を張った。
「中身がロジオンとは限らないかもねえ……」
◇◇◇◇
池に戻ってきてドレイクはその光景に愕然とし、また、恐れていたことが起きたことに改めて気を引き締める。
コンラートはもう逃げ出せないほどに弱々しく、更に透明感を増し、地べたに這いつくばっていた。
ロジオンは──
今の状況を楽しんでいるのか、自信ある笑みを始終絶やさずにいた。
師であるコンラートを滅することに、何の躊躇いも無いように。
新たな気配に気付き、ロジオンはドレイクの方に振り向いた。
彼はドレイクに涼やかな笑顔を向ける。
「やあ……ドレイク。久しぶりだね。息災で何よりだ」
声音はロジオンだが、口調が違う。
のんびりとし、平坦とした彼の口調ではなく、落ち着いた大人の男性のものだ。
その口調にドレイクは覚えがあった。
「消滅の呪文を手に入れてきたようだが骨折り損になってしまったね──もっと早く私が出てくれば良かったのだが……」
コンラートの方を見ながら話しかけるロジオンに、ドレイクは言った。
「マルティン様……?」
と。
◇◇◇◇
──マルティン
魔法を扱う者達が知らないことはない人物。
魔法の創立者であり、魔導術統率協会の創設者。
尊敬があまりにも深く、皆、子にその名を名付けるのを憚るほどに。
その名は魔力の持たない者達──アデラさえも知っている。
まさか──と、エマもハインもアデラも唖然と、ロジオンとドレイクのやり取りを聞いていた。
「私の魂を受け継いだ者が上手に攻撃魔法を使えないようだったから、指南のつもりで出てきたのだが……余計なお世話だっただろうか?」
「──いえ」
ロジオンは微笑みを深くする。
「表情が固いね、ドレイク。私が、今のこの身体を乗っ取るのではないか──と、疑ってはいまいか?」
「……マルティン様ならしないでしょう」
「──なら、久しぶりの再会だ。随喜の顔を見せて欲しいな。突然のことで驚くのは仕方ないが」
ふっ、とドレイクの顔が緩む。
普段、無表情に近い顔の彼が、このように柔らかく笑うのは珍しい。
本当にマルティンなのか?──
柔らかで清々しい笑みを浮かべるロジオンは、ずっと大人びて見え、いつもの、のんびりした口調ではないが。
この、身もよだつ恐ろしさは何なのか?
『地獄の鑑賞者』達が大勢やって来た時よりも恐ろしく感じる。
マルティンとは、このような人物だったのか? ──そこにいる全員が訝しげにロジオンとドレイクを見守っている。
それも仕方のないことだ。
マルティンを実際に見知っているのは、存命している中では魔承師補佐のドレイクと、魔承師であるイゾルテしかいない。
それだけ、この二人は長い時を生きている──
そんな中でロジオンに身体を支配して、突然現れた「マルティン」と名乗る者に特にアデラは混乱していた。
(どうして、ロジオン様に? ロジオン様はどうされたのだ? ロジオン様がマルティンの振りをしている?)
アデラの頭は混乱の渦の中、すがるようにロジオンを見つめる。
それに気付いたのか彼が、アデラの方を向いて微笑んだ。
「心配しなくて良い。君の主人は中にいる──眠ってもらっているがね」
と、自分の胸に手を当てアデラに言った。
アデラは返す言葉も浮かばず、ただ頷くだけだった。
話しかけられただけで手足が震える。
畏れ多いとか、畏敬の念で震えているのではないのだけは分かってる。
──ドレイクは何ともないのか?
──本当にマルティンなのか?
それは、隣にいるエマやハインも同じ気持ちであった。
しかし、自分達には遠い過去の存在であるマルティンが、どのような人物だったかなど知らない。
マルティンの時代から生きている、ドレイクしか知らないのだ。
黙って見守るしかなかった。
「イゾルテも変わりはないか?」
「はい。健やかに過ごしております」
「それが気掛かりだった。ずっと君が付いていてくれていたのだろう?」
「私を保護し、育ててくださったマルティン様の大事な妹君ですから……」
「ありがとう、ドレイク」
ロジオンの手がドレイクの、高さのある肩に触れようとする。
──が、ドレイクにかわされた。
瞬時、アデラ達に防壁結界が施行される。
「……マルティン様ではありませんね? よく似た口調をしてらっしゃるが、狂心がただ漏れですよ」
ロジオンは不貞腐れた表情をし、顔を下に向けた。長めの前髪が、たらんと下がる。
くく、と含みのある笑いが、俯く顔から漏れた。
「ふ……ははははははは!」
笑いと同時、顔を上げたロジオンは──歪んだ笑みを浮かべ、ドレイク達を見つめ返した。
「お互い猿芝居だったのかよ」
大口を開けて笑うロジオンの声は、酷く下品で耳障りだった。
「私を保護して、育ててくださったのはイゾルテ様──マルティン様は私に魔法は教えてくださいましたが、その他は一切関与しておりませんでした。今のようなことを私が言ったら間違いなく叱られます」
「かまかけたんだ。じゃあ、それなりに似た雰囲気だったってことだよな?」
さあ、どうでしょう?──ドレイクは先程のやりとりに、さほど興味を持たないようだ。
「死んでも尚、魂に溶けずに自己を保つか……往生際の悪い所は変わってませんね」
ぴたり、とロジオンの笑いが止まった。
好敵手と出会ったように瞳を輝かせ、口角は大きく上を向く。
ロジオンの今の姿は、挑みいく獣そのものだ。
「お前と決着を付けたかったのさ。それが心残りでさ──こいつと魂を繋ぐことが出来なかった。そうしたら!」
くっく、と肩を震わせつつ話を続ける。
「他にも繋ぐことが出来なくて、溶け込めない奴がいるじゃん! こいつ、すっげえ不完全なんな! こんな端切れだらけの魂で、よくまともにいられるよ」
「貴方も生前はそうでした」
「──だから、俺が生まれた、だろ?」
「違う、と言いましたよ。『生まれた』のではなく『作られた』と」
覚えていないのですか? とドレイクに問われたが、彼は初めて聞いたように大きく目を見開いた。
「エクティレス」
ドレイクが彼の名を呼ぶ。
「エクティレス」
再び名を呼ぶ。
「ああ……そうだ。思い出した」
彼は呟くと、歪んだ笑顔を見せた。
「狡猾な魔導師に育てられた。俺が『何者』か知っていたから。成長して、周りから言われた名前が『残忍な処刑人エクティレス』」
◇◇◇◇
「エ、エクティレス……!」
声を上げたハインに、エマは掌で彼の口を塞いだ。
エマもハインも、そしてアデラも、その名を知っていた。
──歴史上に残る、最も残虐な魔法使い──
魔力の持たない人間達を無差別に襲い、諌めようとした魔導師達をも死に至らしめた。
『数ある多くの血族を滅亡に導き、尚、我らの尊き血を濁す汚れた者達は、粛清されて当然』
──粛清
──粛清
一つの町を一瞬にして、躊躇うこと無く消滅させた。
魔法使いという地位でありながら、その魔力と魔法は巨大で強力であり──。
育てた魔導師同様に、狡猾で卑怯であった。
何人もの魔導師や魔法使いが挑みに行ったが、捕まらない──あげく殺される。
「負けなかった、誰にも。──だけど負けたんだ、あんたに。あと一刺しで殺れたのに……邪魔をしやがった。あの女──イゾルテの野郎が」
憎々しく目をつり上げ喋る顔は歪み、狂相がありありと晒け出される。
その、狂気の表情とオーラを身に纏い、彼はまた笑う。
「だが、今はいない──出てこれないんだろ? 絶好の機会じゃないか! はは! お前が俺に敵わないことはお前自身知ってること!」
エクティレスが言い終えた瞬間だった。
閃光が辺りを包んだ。
それはエクティレスが、ロジオンの身体を使い試行した、攻撃魔法だった。
強い閃光が辺りを白く、無に染める。
膨大なエネルギーを一気に放出したせいだ。
過去、一瞬にして町を荒野に変えた魔法攻撃『白鎌』だと分かった時には既に遅い──いや、気付けたとしても、防げる防御魔法を施行できるか──。
答えは否。
白い閃光に視界も頭の中も遮られた。
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