第39話 アデラ豹変

 次に目を開けた時はもう、この世界の住人では無いだろう──アデラもエマもハインもそう思った。

 瞼を閉じても通して裏側まで入ってくる白い光が落ち着き、三人は恐る恐る目を開けた。


「──!!」


 目の前には視界を黒く染める程の大きな、鱗を持つ動物が三人を守るように立ちはだかっていた。

 大きな動物だ。顔を見ようとも見上げても、見えない高い樹のてっぺんのように。

 黒光りする鱗、一つ一つも大きく、鋼鉄のように見える。


 様々な文字が羅列された円周が幾重とつらなり、唖然と見ているアデラ達の身体を通り抜け、鱗を持つ動物の中へ入っていった。

 その魔法陣らしき円周は、かなり広範囲に渡っているらしく、目の良いアデラには遥か遠くから滑るようにやってくるのが見えた。


「──!」

 大きな黒い動物の姿が陽炎のように揺れる。

 透明になった動物に重なる人の姿──。

 人の姿の方が色濃くなり、誰なのかはっきりと分かった。


「ドレイク殿!」


 アデラは叫び近付いたが、人の姿になった彼を見てぎゃっと叫んで仰け反った。


 ──全身、何も着けていなかったからだ。


 先程の鱗の付いた黒い大きな動物はドレイクの真の姿で、黒竜であることにアデラは気付き──全裸なのは、本来の姿に戻った時に服が破け飛んだのだろう。


「いやん、ドレイクったらあん」

 エマが緊迫した場に合わない声を出し手で目を塞ぐが、お決まりで指の間から眺める。


 アデラが慌ててハインからローブをひっぺがした。

「私のブランド品……」

 ハインが憮然とした様子で呟いたが、ドレイクの身体を隠すには他に無い。


 ドレイクは膝を地に付けたまま立ち上がろうとも、声を上げようともしない。

 顔には疲労の色が濃かった。


「さっすが! ドレイクだ。あんたが魔法防御張らなきゃ、宮廷の近くまで焼け野原だったな! ──だけど」

「──!」

 ヒュッと空を切る音が、アデラの前を通りドレイクに当たる。

 エクティレスの蹴りがドレイクの左頬に当たり、吹っ飛んだ。

「魔力を使い果たしちゃったね。暫くは立つことも出来ないんじゃん?」


「……く……」

 ドレイクは悔しさに歯軋りをするも、それさえも力が入らないようだった。


 その姿を見てエクティレスは、暗い笑みをドレイクに見せる。

「……でも、俺はまだまだいけるぜ。このシミっ垂れた国を吹き飛ばせるくらいな」

「お前が、使っている……その少年の、生まれたく……にだ! 生まれ変わりの、者の……国にまで……手を……!」


 途切れ途切れながらも、止めさせようと説得するドレイクに、エクティレスは言い捨てた。

「俺はこいつ。こいつは俺。身体の共有は当然の如し──」




「ふざけるな! この悪ガキ」

 ロジオンの上半が捻り、身体が吹っ飛んだ。


 誰かに殴られた、それは分かった。

 しかし、誰に殴られたのか?


 ザッと、地を踏みつける勇ましい足音。

「貴様は死んだのだ。さっさとロジオン様を戻せ!」

 両足を広げ背筋を伸ばし、ぐっと拳を上げ畏怖堂々と立つ乙女──アデラだった。


「アデラちゃん……」


 ここで出てくるのか──スゴい! エマの素直な感想だ。

 自分もハインも、エクティレスの波動に身体が硬直して動けない。

 だが、アデラに至っては、全くいつも通りに動けているようだった。


 ──魔力を持つ人じゃないからかしらん?


 それにしたって、あの破壊力の魔法を目の当たりにして、びびったり泣き出したりしないところも凄い。

(その、おっかない本人を悪ガキ扱いして殴るところがまたスゴい)


 ──漢おとこだわ。


「……素敵」

「──え?」

 エマの反応にエクティレスに硬直していたハインの身体は、瞬時に解けた。



 驚いたのは二人だけではない。

 ドレイクもそうだが──


 半捻りで地に倒れたエクティレスが、一番衝撃だった。

 ジンジンと左頬が痛む。

 口の中が錆びた鉄の味がする。口を切ったんだと知った。


 ──何だ?

 何だ? この女?


 だが、混乱したのは一瞬だけ。

 エクティレスは怒りを露にし、すぐに立ち上がるとアデラに掴みかかったが、

「グフッ!」

瞬時に腹に拳を入れられた。


「──てめ……!」

 間髪入れずに、前屈みになって隙だらけの背中に肘鉄が入る。

 痛い。特に殴られた腹の方が。胃の内容物が口から出そうだ。

 こんなことをされたことが無いエクティレスは混乱していた。


 ──何でだ?

 こいつ魔力を持たない只の人間じゃないか?

 何で俺、そんな奴にやられてるんだ?


 怒りじゃない違う感情が沸き上がる。


 ぐい、と両肩を掴まれ上半身を起こされた。

 すぐ目の前に女の顔があり、エクティレスは息を飲んだ。

 ガツン、と拳で両側のこめかみ部分をグリグリされ、脳まで抉られそうな痛みに叫ぶ。


「この! クソ女、止めろ! よくも俺にこんなことを!」

「悪ガキに罰を下すのが何が悪い! 」

「何だと! ババア! 俺に罰を下すだと? 笑わせんな!」

「笑わせとらん! 私をババアと言うが、お前は幾つで亡くなったんだ!」

「四十だ!」


 ──ギリギリと、こめかみから音が鳴った気がした。


「……お前の方が歳くっとるだろ……! それで人をババア呼ばわりか!」

「いだだだだだだだだだだだだだ!!」

 振り払おうとすれど、アデラの拳は接着剤でも付いているかのように離れない。

 それどころか、ますます痛みが強くなっていく。


「何でだ……? 魔法が使えない、ただの人間の女に俺が……?」

 罰として身体に苦痛を与えられている事実より、魔力の持たない女にこの様なことをされ、全く抵抗できない──恐怖を感じていた。


 青ざめていくエクティレスにアデラは、つり上がった瞳で彼を睨みながら答えた。

「お前の身体はロジオン様の身体。ロジオン様はな、グウタラな生活を続けていたせいで、著しく体力が落ちているのだ!」

「魔力が大事なのに、体力なんか関係──」

「ある! ドレイク殿を見てみろ! 起き上がれなくなると言うのは、体力も共に消耗しているのだ! お前は先程、まだ強い魔法が施行できると豪語したが、こうやって『ただ』の人間の私に振り回されていると言うことは、ロジオン様自体の身体の体力は、限界に近いということだ!」


「──ぇえ……!」


 エクティレスは驚き、改めて身体の調子を確認する。

 確かに、足腰に力が入らない気がする。

 いきなり経験の無い大きな魔法を施行したせいで、身体が慣れなかったのだと思っていたが……。


「……ヘタレ過ぎる」

 雷が貫いたような衝撃だった──エクティレスには。

 どんだけひ弱で怠惰な生活してたんだ、こいつロジオン。


 くたりと座り込んでしまったエクティレスの肩を、アデラは優しく叩く。

「ロジオン様を出すのだ。ヘタレだろうと、今の姿がこれなのだ。諦めろ」

 慰めているのだろうが、内容的に情けないことを言っていて、余計に哀愁が漂っている。


 諦めるだろうか? ──期待した。

 だが、含み笑いが彼の口から漏れてきたことで、まだ諦めていないことが分かった。


「──!?」

 襟首を掴まれ、持ち上げられアデラは呻いた。

「馬鹿か。今まで大人しく猫被って、この機会を待ち望んでいたんだぜ?  誰が渡すかよ」


 せせら笑うロジオンの顔は、悪意に満ちた凶悪な人相であった。

「体力なんぞこれから付ければ良いだけだろ。コンラートとか言う、こいつの師のせいで中々出てこれなかったんだ」

 ちらり、と小さく、弱々しく横たわるコンラートの成の果てを見ながら尚も笑った。

「──待ってろ、ゆっくりなぶり殺してやるよ」


 その前に──と、宙に浮いた状態で呻いているアデラと視線を合わせる。

「女、大したもんだぜ。この俺に拳を叩きつけるとはな。褒美として、可愛がって、ズタズタにしてやるよ」

「……な、ふざ……け!」

ロジオンこのの身体で可愛がってやる、ってんだ。本望だろ? お互いに。──まあ、最後にゃ肉の塊になる運命だけど」


 腕がアデラの胸に伸びてきた。

「──!」


 弾けた音にアデラは一瞬目を閉じた。擦られたようなヒリヒリした痛みが走り、まさか──と瞳を開けた。

 防具服が弾け飛び、自分の胸が露になっていた。


「見んな!」

 直ぐに反応したのはエマで、当たり前のようにハインの目を塞ぐ。

 この中で一番、煩悩を持つ男と判断された故だ。  

 その判断に異議の無いハインは、大人しく目を塞がれた。


「歴史史上、最悪の魔法使いの情婦になれる栄誉だ──ありがたく受け取りな」

 力加減無しで胸を鷲掴みされた。


 ──いやだ!


 アデラがそう思った刹那──。



《止めろ!》


 

 


 木霊する声に、皆、一斉にエクティレス──ロジオンの方を向いた。





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