第33話 閉幕への喝采

「1、2……3!」


 カーリナが掛け声と同時『トラップ』を施行解除し

「それ!」

 アデラも同時に魔法日記を投げた。


 ──空高く


「高すぎだ! ノーコン!」

 距離は良かったがカーリナの身長より、ずっと高い所まで投げたアデラに彼女は叱咤した。

「それで良いんです」

 アデラが日記を見上げながら満足そうに言った。



 突如、闇の中から現れた蔓に日記は絡め取られてしまう。


 絡め取られた魔法日記は、そのままルーカスの手に渡った──。

「ナイスコントロール、アデラ」

 ルーカスが細い目を更に細くし、笑って見せる。

 だが胸を押さえているところを見ると、肋がやられたらしい。


「ルーカス! それを寄越すのよ!」

 険しい顔で近付いてくるカーリナにルーカスは、痛みで荒くなる息を整えながら言った。

「……こっち魔法日記ばかりに気を取られている場合じゃあないだろう?」

「──!」


 背筋が一瞬にして凍りつく眼差し。

 難解な言語で詠まれる呪文。


 ──来る。大きな魔法が──


 カーリナは振り返り様、対魔法防御を施行した時──

 ドレイクの紅い瞳が、薄闇に煌めいたのが見えた。

 割れる音が空に響く。

 カーリナの施行した魔法が、ドレイクの魔法に負けた事を意味した。



 ドン!



と、一度だけ大きな縦揺れが起き、静寂となった。

 それは虫の声一つ聞かない静寂で、何かが起きる前触れだと、そこにいる誰もが感じ取っていた。


 感じる圧迫感。

 それは物凄い勢いで四方から迫り来る。

 カーリナは感じていた。


 ──これは自分に向かって迫ってくる──


「……何……何が……!」

 方陣で移動しようとするが足が地にピッタリ吸い付き、動けない。



「古代からの尊き血を受け継ぎながら、魔力を持たぬ『只人』と同様の腐り果てた真似を……容赦せぬ」

 ドレイクの冷えた声が冴え冴えと辺りに響く。



「聴かせてやろう。コンラートと同類の闇の喜びの声を──」



 ──ヒィィィィゥオオオオオオオオオオオ


 ──ホホォォォァァァァァァァァオオオオオ




 迫る大勢の低い呻き声は、地を張る。

 それが物凄い勢いで自分に向かっているのが分かり、カーリナの身は凍え震えた。


 ──それは周囲も同じ反応だった。


 アデラは、サマンサの身体のリシェルをしっかりと抱き締め、それ以外の者は魔法を扱える為、自然と防御の右手を構えていた。

 ドレイクが施行したのだ──並大抵の魔法防御では、先程のカーリナの魔法のように負ける。


「……ちょっと……こっちには寄越さないでよ」

 エマがドレイクに肩肘張るが冷や汗が流れる。

 ミスは犯さない思うが、万が一を考えての構えだ。


 そんなヘマはしない──そう言いたげにドレイクの口角が片方だけ上がった。



「ᛏᛟᚱᛋᛁᛟᚾᚫᛚ ᛋᛏᚱᚨᛁᛅ ᚺᛁᛗᛋᛖᛐᚠ ᛏᛟ 丯(歪な歓喜に身を捩れ)『閉幕への喝采』」



 ドレイクが試行した召喚魔法の名を上げた刹那──それはやってきた。


 闇の向こうから、身体とも言えない身体を宙に飛ばして。

 足は溶けた蝋燭のように形はなく、伸びた先は闇のまた向こう。

 顔は皆、同じ顔──いや、顔がない。皆のっぺらで唯一口らしきところにポッカリと穴が開いているだけだった。

 同じところと言えば、皆一様に骨で作ったカンテラを片手に握りしめて、喝采を送るべき相手を取り囲んだ。


 ──カーリナを──



◇◇◇◇



 ファァアアアアアアアア


 カーリナを取り囲み、一斉に声を上げる。


 それは木々を震わせ、周囲の耳をつんざき、押さえても意味がないほどであった。

 取り囲まれたカーリナは特に堪えている。

 ビリビリと身体が──魂が──振動する。

 身体に力が入らない。


 魂が


 吸いとられる




「『地底の観賞者』だ」


 あんなに沢山呼んじゃって、と胸を押さえ痛みをこらえる様子でアデラ達と合流したルーカスが言った。


『地底の観賞者』


 普段は幽暗な地底にて罪人として落ちた者達をカンテラで照らし、その者の生前の生き様を見るという。

 罪深き者だと喜び、喝采を送り魂を吸う。


「初めて見ましたよ……流石ですね、ドレイク様。土台詠唱さえ長いはずなのに短かったし、更に高い召喚魔法に造り上げていて……」

「これならカーリナの魂を吸ってリシェルの身体を……」

 アデラの台詞にサマンサの手が強く握られた。


 辛そうに俯いている彼女の中身は、母に裏切られた子──リシェルなのだ。

 しかし、裏切られたとは言え母は母。

 どんな母でも子は慕い続ける──極たまに見せる『母』の思いやりに。

 それに、母がこのまま『地底の観賞人』達に魂を吸いとられていくのを見ているのは辛いことだ。

「リシェル」

 見せないようアデラは彼女を抱き締めた。


「ただの『入魂』なら、俺たちでも出来るからね」

と、ルーカスは喝采を浴びているカーリナを見ながら告げた。

「ただ、カーリナはしぶといからなあ……魔力も魔法も。このままうまくいくかなあ……」





「いゃあああああ!」


 自分の叫びが観賞者の喜びの喝采に打ち消される。

 耳障りな声が身体を突き抜ける度に力が抜けていく。


 魂が

 命が

 吸いとられる。


 ──嫌よ!


 コンラートに認めてもらうのよ

 彼の恋人になるのよ


「──いや!」

 観賞者を睨み付けようと顔を上げ、恐ろしさに目を見開いた。

 観賞者の顔が──よく知る顔に形を変えていく。


「カーリナだ……」

 エマがポカンと口を開けた。

「そりゃあ魂の記憶だもの……本来の彼女の顔が写し出されるよ……」

 ロジオンの言葉にエマは「そうだわねえ」と頷いた。


 これに一番衝撃を受けたのは、本人──カーリナだった。

 本当に吸われてる。

 魂が抜かれてる。

 いやいやいやいや!!


「いゃゃゃゃあああああ! 絶対に嫌! こんなのがコンラートと同類? ふざけるんじゃないわよ! コンラートはこんなんじゃない! もっと理性的で理智的で素晴らしい男よ! 彼になら魂を吸われようが食われようが好きにされても構わない! ──ロジオン!」

「?」

「あんたのせいよ! あんたが大人しく身体を明け渡さないからこうなったんだよ! 師弟関係なら病に倒れた師の代わりに身体の交換位してやるのが当たり前なんだよ! あんたがしないからコンラートは化け物って言われて、私がこんな目に遭うんだ!」

「身勝手な言い分ですね」

ドレイクの台詞に皆頷いた。


 ──ロジオン以外は。



◇◇◇◇



「ぁぁぁあああああ!」

 カーリナの断末魔に近い叫びに、リシェルは耳を塞いだ。

 アデラは彼女の頭を撫で、強く抱き締める。

 小城で彼女から聞いた話を思いだしアデラは胸を痛めた。


 カーリナの魂替の犠牲となった女性も、今や初老の姿となり──新たな犠牲となったリシェルの新たな魂の寄代であった。

 魔力を扱う者は、魔力を持たない者に比べ生きる長さが違う。

 個人によるが病死や事故死、戦死等々により亡くなった者達を除けば魔力を持たない者達より遥かに長い時を生きる。


 ──しかし、魔力を扱う者達にも、分からないことがある。


 ──何時、成長が止まるか──だ。


 精神・魔力共々、最も高く、充実している時期に止まる。

 それが体力的に最高潮の時に止まるのか、最も成熟した身体の時に止まるのか、分からないのだ。


 幼い時に止まってしまった者もいれば、歳を取ってから止まった者もいる。

 ルーカスやエマのように、身体が成熟した時期に止まった者もいる。

 大抵は皆、すんなりとその事実を受け入れるが、稀に受け入れることの出来ない者が出てきた──カーリナのように。


 カーリナは魔法使いとして修行している時期にコンラートと出会い、熱烈なアプローチを続けた。

 しかし──何年たっても、自分の思いを受け止めて貰えない。

 カーリナの本来の身体は四十代で止まり、コンラートは若い女性にばかり熱を上げる。


 ──この身体では駄目。



 カーリナは友でもあった魔導師サマンサを拐かし、撤廃の一つ『魂替』を行った。

 その内容は卑劣で許しがたい。

 騙されたサマンサは、自分の命と引替えに『呪い』を施行した。


 かつて自分の肉体であった身体の『若さ』が、魔力を扱えない普通の人間達より、若干早く歳を取っていくという呪いを施行したのだ。

 喜びに浮かれていたカーリナの落胆と無念は言うまでもない。


 そこで考えたのが、まだ子供が産めるうちに子を産み、その子と肉体を交換することであった。


 産まれてくる子の造形を考え、美男を選び子を産んだ。

 サマンサの容姿自体が美女の定義に入っていたお陰が、すんなりと相手を見つけることが出来たのは良かった。


 サマンサの身体で身籠り、産んだ子は思惑通りの女の子──リシェルであった。


 カーリナは夫となった男性とリシェルを捨て、姿を晦ます。

 ここで彼女が巧妙だったのは、捜して来るよう手掛かりを残していったことだ。

 母の温もりさえ覚えていない子が、恋しさで手掛かりを便りに会いに来る──カーリナには確信があった。

 元夫は薄命の相を持っていたし、身内もいない。


 国内が荒れ始めていた時期に姿を晦ましたから、元夫が亡くなったら厳しい国の情勢の中、己の食いぶちを減らしてまで他所の子の面倒を見ようなどと人の良い家庭など、ざらに無いだろう。

 豊かで保安のしっかりとした大国エルズバーグで宮廷に仕える為に家を出た──という話と証になるものを娘に手渡していれば──―元夫の死後、きっと訪ねにやって来る。


 ──かくて思惑通りに事が動いた──


 必死に会いに来た娘を抱き締め、労り、可愛がり、手料理でもてなした。


『会いたくても宮廷で働くようになった自分は、忙しくて会いに行けなかった』

『結婚し子供がいることは誰も知らない。知られたらここには居られなくなるから“知り合いの娘”としておいて欲しい』

 そう説き伏せた。


 リシェルにとっても、暖かい住居と安定した生活──何より、ようやく会えた母親から離れたくない。

 素直に頷いた。


 そうして師匠と弟子の関係で、周囲を誤魔化し生活していた。

 魔法管轄処にいるのは、周囲に興味の無い同業者達──特に怪しむ者もいない。


 師匠と弟子の関係でも、リシェルは幸せだった。

 会いたかった母は優しい。

 魔導師として自分に魔法を教えてくれるだけでなく、普通の母親のように一緒に料理をしたり編み物や刺繍もしたり、自分が思い描いていた母親像そのままだからだ。


 ──ただ、気になるのは普通の母親より老けていること。


 遅い結婚だったと聞いていたが、今の母を見てどうしても五十代位に見える。

 父から母の年齢を聞いていて、そこから計算してもおかしい。


 そんな疑問がいつも頭にこびりついていた頃、母から、

『呪いにかかり、早く歳を取っていく』

と涙ながらに告げられた。


 驚きショックを受けるリシェルに、

『研究して呪いを解く方法を見つけた。その為には、一度身体を取り替えないと解けない』

と話した。


『この魔法は私しか知らないの……リシェルにはまだ無理だし……自分が見つけた魔法を他の同業者に知られては名折れだし……リシェル、私の可愛い娘……貴女なら分かってくれるわね?』


 乞われ、母を慕うリシェルに拒否など出来なかった。


 呪いが解ければ元の身体に戻れるし、母が昔の若く美しい姿に戻れるというなら──だから。


 それなのに──


 身体は老婦人だが、子供の泣き方そのままに泣くリシェルが痛々しかった。




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