第32話 取引
萌葉に似た薄い飛膜の可愛らしい翼は、太い骨格を持つ立派な大きな翼に。
小さな鱗で覆われた身体は、鎧を付けたかのように見ただけで固く丈夫そうな身体に。
怯えた情けを乞う紅玉の瞳は、その意思が全く見えない空の輝きを持つ大きな瞳に。
爪が出ているかいないか分からないほどの小さな鳥のような足は、荒々しい長い爪を持つ大きな足に。
成竜と見紛う姿に形を変えた幼竜は、黒竜の気性を表すように落雷に似た咆哮を轟かす。
ビリビリと身体中が痺れる感覚に耐えながら、ロジオンはドレイクに尋ねた。
「竜は一気に成長するものなの?」
「身体の成長を司る器官を狂わせたのでしょう……脳のある部分に魔力を注入して急成長させた。これはもう……」
助からない──
ドレイクの呟きが表情と裏腹で冷淡なのが、ロジオンには胸が痛むものだった。
腕の中に収まるほどの小さな幼竜が、見上げるほどに大きく急成長をした。
これが人なら急激に成長した身体に、内蔵はもちろん、骨や皮膚諸々追い付くはずがない。
身体の急成長に皮膚は裂け、骨はスカスカになり、急に肥大した内蔵は支障をきたすだろう──最悪、歩き出そうと足を上げた途端、身体は悲鳴を上げ崩れ果てる。
果たして竜はどうなのか?
ロジオン自身、竜の姿を見るのは初めてで、目を見張る大きさに呆然としていた。
──嘘付ケ──
「……えっ?」
何処からとなく聞こえてきた声に、ロジオンは周囲を見回す。
余計な人物がいる気配は無い。
──魂ガ覚エテイルハズ──
──研ギ澄マセ──
周囲から聞こえる声じゃない。
ロジオンは自分の頭を押さえた。
「──なっ……!?」
身体憑依でもない。
意識支配でもない。
頭の中から問いかけてくる声。
──過去二──
──遠イ魂ノ記憶──
「ぁあ……!」
頭の中に流れていく映像には、多くの竜。
自由に空を飛ぶ姿を見る誰かの目。
竜だけではなく、今や書物の中でしか見ることの無い飛来動物達。
知ってる。
僕は知ってる。
書物の中ではない映像。
──どうして知ってる?
「魂の……記憶……?」
「ロジオン! 避けなさい!」
危険を案ずるドレイクの声と押された衝撃に、ロジオンは今の危機的状況の現実に我に返った。
「キャハハハ!」
少女の甲高い笑い声の意味する事──
ロジオンを庇ったドレイクが、代わりに急成長を遂げた竜に捕らえられ、握りしめられていた──
力の加減なんて無いのは見て明らかだった。
握られたドレイクの身体の部分が、雑巾のように絞られている。
「ぐぅぅぅ!」
それでもドレイクは、内側から必死に抵抗しているようだった。
「ドレイク!」
自分が、ぼんやりしていたからだ。
ロジオンは起き上がり、走り寄ろうとしたがエマに止められた。
「よく見て!」
エマが竜を指差す。
ぼんやりと掛かる黄緑色のシールド。
「『時間差施行』が張られてる。何の魔法の施行だか分からないようにしてあるんだよ! カーリナの最も得意なやり方なんだ!」
「覚えていてくれて嬉しいよ、エイルマー」
「『トラップ』のカーリナだったね」
カーリナは自分の称号を言われ、ご満悦のようであった。
「形勢逆転ね。ルーカスも倒れたままだし、こちらには人質。ドレイクとこの竜を引き換えよ? コンラートを解放して、彼の魔法日記を渡しなさい」
「私一人じゃ無理って知ってて言うかなあ?」
「ああ、あんた性転換の為に魔力費やしてんのよねえ……やっぱり、予定通りに行きましょう。新しい竜の血が手に入ったことだし、手元にあった竜はここで使いきるわ」
「カーリナ、あんたドレイクを手に入れたつもり?」
片眉を上げて馬鹿にした様子のエマに向け、カーリナは隠し持っていたネックレスを見せた。
それは小さな紅玉が付いていて、ゆらゆらと揺れる。
「……『竜の王』の印しるし?」
ロジオンが呟く。
「流石コンラートの愛弟子ね、ロジオン。──古代に存在していたと言われている、竜の王の心臓と言われているもの。王が亡くなる時、自分の後継の竜に授けたのよ──人と竜との抗争の時、争いを生むものとして破壊された──でも、破片でも、持つものには竜達は無条件で従うわ」
「……それ、本物?」
ロジオンの問いに、カーリナは微笑みを更に深いものとした。
「この子で立証済みよ。確実に従わせるために『意識支配』も施行してるけどね──これさえあればドレイクだとて私に従うでしょう?」
ちらり、とカーリナは竜に握りしめられているドレイクを見る。
「ドレイク……美しく逞しい、まさに竜の誉。ロジオンよりコンラートの形代に相応しい」
長い時を生き、知力も魔力もある『万物の長』とも称される竜は、古き時代、小さき生き物である人間にとって、恐れ・敬う存在であった。
しかし、共存していくうちに人間達は気付いてしまったのだ。
──大きな体躯に反し大体の竜は大人しく、どんな生き物に対しても傷付けることを良しとしない、優しい性質だと言うことに──
『竜の血肉は不老不死・万病を直す特効薬』
という空言を真に受けたと事も要因だが、人間達は今までの鬱憤を晴らすかのように次々と竜を襲った。
──器用に人の姿に化する竜まで──
逃げ、また大人しく殺されていく竜達だったが、一種類だけ獰猛な性質を持つ竜がいた。
それが、ドレイクの本来の姿──黒竜。
元々は、穏やかな性質の他の竜達を守る、所謂『騎士』の役目を担う竜だと言われている。
守り戦いながら過ぎていく時の中、穏やかな種類の竜は滅亡を遂げ、『騎士』の役割の黒竜もいつのまにか姿を消した。
ドレイクが竜だと知る者達は、大体が魔力を持つ者達──ある程度力を持つ魔法使いや魔導師達である。
今や希少となってしまった竜族の為にも、皆、騒ぎ立てるような真似はしなかったし──何より、長いこと魔承師に絶大に信頼されており、魔法を駆使する力は随一だと認めていた。
──魔法を扱う者達は、何より魔力と魔法を扱う強さが何より。
そこで見てなさい──カーリナの右手が振り落とされようとした時──
「待て! ここに魔法日記はあるぞ!」
魔法日記を片手に高らかに声を上げる者──アデラがいた。
◇◇◇◇
アデラが掲げる見事な刺繍の装丁の本は、確かにコンラートの魔法日記である。
「サマンサ! ──いや、カーリナ! ドレイク殿と竜を解放しろ! そうしたら魔法日記を引き渡す!」
「ア、アデラ! 勝手に──」
「今はドレイク殿と竜を助けるのが先です! ここは大人しく引き渡しましょう!」
有無言わさないアデラの気迫にロジオンは、言葉を飲み込んでしまった。
確かにこのままではドレイクは助けられない、コンラートは復活するで、こちらに有益になることが一つもない。
「こちらへ投げなさい。それから竜ごとドレイクを引き渡しましょう」
したり顔で要求するカーリナにアデラは、
「竜とドレイク殿が先だ!」
と返す。
「こちらが立場が上だと分かってないようね」
「そう言うが、貴様の『トラップ』が施行されている。そこに投げても跳ね返されるか、トラップが発動されるだけだろう! 」
「……では、そこに置きなさい」
どうしても自分が有利に立ちたいカーリナは、そう命令した。
この状況で、自分が一番有利だと分かっている。これを覆すわけにはいかない。
「言っただろう。竜とドレイク殿の解放が先だと」
カーリナは威風堂々と交渉を続ける、アデラと言われた女を睨み付けた。
──ただの人間だ。魔力の持たない。
小麦色の肌に金髪と、珍しい容姿の持ち主に違いないが。
──ただ、それだけだ。
(なのに、この女の気迫に押されている……)
──ただの人間ごときに!
「うるさいね! こちらの言う通りでないのなら、コンラートを解放して痛い目に合わせるよ!」
ドレイクを握りしめている竜を指し、アデラに怒鳴るカーリナにアデラは精悍な表情を崩さず告げる。
「それをやるなら、魔法日記を燃やす所存だ」
すると──後ろの闇から赤々と燃ゆる炎の光が出現した。
フラスコの中で燃ゆる炎を手にハインと、サマンサの姿のリシェルが立っていた。
◇◇◇◇
「あはははは! 魔法のど素人の人間の考えることね」
カーリナの馬鹿にした笑いが耳をつんざく。
「何がおかしい?」
そう聞いてきたアデラの表情は余裕で、焦りは全くなかった。
「知らないようね? 魔法日記はね、魔力でコーティングされているから、燃えやしないのよ。しかも、そんな小さな炎で燃やそうだなんて──貴女、それでロジオンの従者? なあんにも分かってないのねえ?」
「当たり前じゃないか。従者になってから……まだ日がたってないし……教えてもない」
そうロジオンが反論したが、当の本人は涼しい顔で、
「──やってみないと分からないじゃないか」
と、手にしていたコンラートの日記の刺繍の装丁の部分を、ほんの少し千切る。
「──ぇえ!?」
ギョッとした声を出したロジオンをよそに、アデラは千切った刺繍の部分をフラスコに入れる。
フラスコの中の炎に触れると、あっという間に燃え塵と化した。
「……燃えた? 嘘!?」
エマが叫ぶ。
「偽物を担いできたな!」
怒りだしたカーリナに、アデラは微笑みながら首を横に振った。
「正真正銘の本物だ。ドレイク殿の部屋から探し出すのに苦労した。本のサークルの一つに紛れていたのだ」
「ア……デラ……な」
ドレイクも驚いているようだが、圧迫されて息が途切れ、声が出ないようだった。
「カーリナ!」
フラスコの炎を持つハインが、カーリナに向けて口を開く。
「この国は『職人と商人の国』! 我々魔法を扱う者達でも目を疑う品が流れてくるんだ! これは『フラスコの住人』と呼ばれた珍品を、魔法管轄処の者達が手を加えたもの。──信じがたい品だとてあることを、その目で見るが良い!」
「そんなものがあるなんて、魔法管轄処に居た頃に聞いたことなどないよ!」
「そうだろう。魔法管轄の研究室に保管されていたものだからな。──私も、くだらない玩具しか造ってないし、しょっちゅう爆発事故起こすから滅多に近づかないし」
あまり褒められた内容ではないことを、ハインは胸を張って答えた。
「これも、ろくでもない品物として記憶にあったのを、使えるかもと急いで持ってきたのさ」
「そんなことしたら、ロジオンやドレイクは! 折角のコンラートの遺産なのだ! 覚えることなく抹消させる気か!」
「もう……覚えてるよ。全部」
事も無げに告げたロジオンの台詞に、カーリナが驚いたのは言うまでもない。
コンラートは魔法を扱う者としては短い人生だったが、魔力もさながら、その創りだした魔法に、異世界から呼び出す召喚の多さは、長く生きている魔導師よりも遥かに多い。
魔法日記に記した魔法全てを覚えたとは、考えられないことだった。
「ドレイクだってもう幾つか覚えただろうけど……僕が教えれば良いことだし……アデラ!」
「はい!」
「こちらの意見が受け入れないようなら……燃やして!」
「はい!」
快活なアデラの返事にカーリナは慌てて条件を受け入れた。
「解放すれば良いんでしょ! 1、2、3で『トラップ』施行解除するから、その時に日記を投げな! 解除すれば、そいつはドレイクが何とかするでしょう!」
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