第29話 初恋、失恋、恋敵(2)
「エマは東のリ二シュの国の出でね……向こうの言語で書くと『EIRUMA』なんだ」
ロジオンは三人の前で、羊皮紙にスペルを書いて見せた。
「それで頭文字の『E』は『エ』。後ろの『MA』は『マ』と呼ぶわけ。そこの国独自の名前のスペルだからまあ、今の本人見ても思い付かないよね……」
EとMAに丸を付けられた羊皮紙を見て呆然とするハインとエイルマーは、すっかり気の抜けた炭酸水のようだった。
「……それは分かりましたが、ロジオン様。エマ……いゃ、エイルマー殿は何故──」
「『エマ』で良いよと、言うよりそう呼ばないと……男女問わず恐ろしい目に……」
「……あったんですね……ロジオン様は……」
真っ青な顔で頷くロジオンは過去の経験を生かした助言だと、はた目でも分かった。
共に頷くルーカスも同様であった。
アデラは一つ咳払いをして、話を続ける。
「エマ殿はそのぉ、いつから……なんでしょう? あのように女装を?」
「女装じゃないんだ。今、女性化している最中なんだよ」
と、ルーカス。
「女性化?」
アデラの再問いかけにルーカスは頷くと、説明を始めた。
「手っ取り早いのは薬を引用したり、まあ、身体に手を加えたり──なんだけど、薬だと定期的に服用しなければいけないし、身体に傷を付けてだと後々に後遺症が残るかもしれない……だから、自分の魔力を使って自身を変化させるんだよ」
「そんなことまで可能なのですか……魔法と言うものは万能なのですね」
感心しているアデラに、
「いや……可能だけど、実際施行するとしたら……大変だよ」
とロジオン。
「うん、そう。身体の造りは勿論、骨格やら皮膚やら筋肉量や脂肪にホルモン等々──変えていかなきゃいけないからね。一日二日で出来るものじゃない。時間を掛けてゆっくり変化をさせないと狂いが生じる」
「では──エマ殿はいったい何時から……」
「僕がエルズバーグに向かう前に一度会った時は、今のエマになっていた……」
「吃驚したろう……? その前はまだ男の成りだったし……」
ルーカスの言葉にロジオンはゆっくりと首を振る。
「いや……その時より、数年会っていなくて、その後の方が……。筋肉質の体育会系の姿のまま女物の服を着て現れた時の……あの……」
「ああ……それな……色々我慢の限界がきて……それで欲望が抑えきれなくなったらしい……」
思い出したのか二人、脂汗を掻きながら紅茶を飲んだ。
「それを聞くと、随分長い時間が掛かるようですね……」
「僕が生まれる前からやっていたらしいからね」
「俺が気付いたのは、もう少し前──魔法を施行する力が弱くなって『終わりの時』が近付いてきているのかと思って尋ねてみたら──って訳でね……成人した身体を形成し直すからなあ、少しずつとは言え相当量魔力を消費するもんなんだな、と」
「じゃあ……エマは今よりずっと、魔力があるわけなんだ?」
ロジオンが驚いたようにルーカスに聞いたが、いつものゆっくりとした口調が少々早くなっただけで、あまり驚いたようには見えない。
「『結界』の魔導師と成りうる人材だったんだ」
「『結界』……? 称号でしょうか?」
「ああ、そうだよ」
「称号は四大元素の『火』『水』『土』『風』しかないかと思ってました」
アデラの言葉にルーカスは首を横に振った。
「それは『元祖』とも言われているもので一般的に有名なものでね。実際は地上にある、有りとあらゆるものの物質に対して、それぞれ得意としている者達がいるんだ」
納得したように頷くアデラに、ルーカスは話を続ける。
「本当なら今頃は魔導師なはずなんだ。『結界』の称号まで付いている魔導師になっていただろうに──それより『女』になることを優先してしまったんだよな……」
眉間に眉を寄せ喋るルーカスは怒りと言うより、憤懣やる方ないような表情に見えた。
話が一区切り付き、ふらり──と、エイルマーは立ち上がり、よたよたとした足取りで小城から去っていった。
「お騒がせな人だね……」
ロジオンの言葉にアデラは同意した。
「またすぐに新たな恋に出会って立ち直りましょうから」
「そう言うもの……?」
「あやつは、そう言う奴なのです」
「ふ~ん……で、 アデラ……君は彼を追わないの?」
「何故です?」
「何故って……付き合っていて、君が心配だから追いかけてきたんじゃないの? 彼?」
アデラの首が思いっきり横に振られる。
「何をおっしゃいますか! 私と奴の間に、そのような事実はありません! ただの同僚です!」
「ふ~ん……。でも彼は、そう見てなかったようだよ?」
「いつも宮廷城の誰かに勝手に惚れて、脳内で付き合っていると言う設定にされてしまうのです。──これで何回目なのか知りませんが……」
「……思わせ振りな事をしたんじゃないの?」
「い、いいえ! 決してそんなことはありません!」
この時、主の様子が違うことにアデラはようやく気付いた。
周囲の雰囲気を察することに長けているハインは早々に部屋から退出しており、無頓着なルーカスは暢気に茶のお代わりをしていた。
一年前、初めて顔を合わせた時と同じ、平坦で冷たい口調。
硬い、何の感情も見れない表情。
「どうなの……? アデラ」
「そ、それは……」
ロジオンはじっとアデラを見つめ
アデラは、ロジオンの視線を避けるように俯く。
よろしくない雰囲気の中、空気を読まないルーカスは一人茶をすする。
「アデラ、何か食べるもの無いかな?」
茶だけ飲んでいて胃が刺激されたのか、ルーカスが徐に尋ねた。
はっと顔を上げたアデラにロジオンは、
「菓子でも出してあげて……」
そう言って立ち上がると、先に扉に向かって歩いて行ってしまった。
「ロジオン様、どちらへ?」
「ドレイクの訓練の続き……もう時間だから」
しばらく邪魔しないで──そう言うと、振り向きもしないで部屋から出てってしまった。
「ロジオン様……」
呆然とするアデラに、
「ついでにこの紅茶、渋くなってるから湯を足してくれると嬉しいんだけど。後、お菓子は栗が良いなあ。出来れば焼き栗じゃなく甘く煮たもの」
と、またもやルーカスは空気を読まない発言を繰り返した。
◇◇◇◇
洗濯物のシーツが風にそよぐ。
エルズバーグは秋から冬にかけ乾燥する。
天気が良い時は、朝早く干せば夕方前にはよく乾いた。
アデラは乾いたシーツの前でずっと立ち尽くしていた。
仕事は山ほどあるのに頭が働かない。
思い出すのは──ロジオンの硬化した態度。
平坦な冷めた口調。
ここ数日で一気に親しくなり、比例してロジオンの口調も柔らかくなり、年相応の態度や表情も見せてくれるようになった。
信頼されてきた──。
「……そう思ってきたのに」
弱音が吐き出される。
「この人なら私の真実を知っても気にしないでくれるかもっ……て」
「うん……そうね……」
「私の変体が終わるまで待ってくれるかなって……」
「うん……?」
自分が吐いた台詞じゃない。
一体、自分は誰に相槌を打っているんだ?
靡くシーツを避けロープに掛けられた洗濯物達の間を潜ると、茂みにしゃがみこんで俯いているエマがいた。
「──エマ殿!」
ここでずっと泣いていたのか、エマの瞳と鼻先は真っ赤でヒャックリを上げていた。
「アデラちゃん……」
すんすんと鼻を啜りながら、ゆっくりとこちらを見上げるエマ。
大きな瞳から瞬く間に涙が溢れ、すべらかな頬を伝い落ちる。
時々噛み締めたのだろう。唇は赤みを帯びていた。
涙でぐちゃぐちゃな顔なのに──
(か、可愛い……)
元から女の性を持つ自分より可愛い。
(信じられないわ、ああ言われても)
「……聞いたんでしょぉ? 私のこと。ロジオンとルーカスから」
「……はい」
「ハインは? どうしてたぁ?」
「ハイン殿は……しばらく放心状態でしたが、場の雰囲気を察して──え? ハイン殿? え? え?」
かああああとエマの頬が赤くなり、流石のアデラも唖然と口が開きっぱなしになってしまった。
「エエエエ、エマ殿? 落ち着いてくださいね? あの男、性格に問題ありませんか? 確かにお洒落ですし、容姿もなかなかですが、でも、でもですね──」
「アデラちゃんこそ落ち着いてよ。……良いじゃない。下心があって優しくてもさ。私に好かれようと一生懸命で、後に付いてくる姿がシロイワヤギみたいなんだもん」
「白いわ山羊?」
「シロイワヤギ。全身白い毛皮で覆われていてね~、断ペキの崖に住み着いてるの~。可愛いんだぁ……それに似ているの、彼……」
「……もう少し、メジャーな動物に例えてくだされば想像しやすいのですが……」
人の好みは一概に言えないとは言え、エマの好みはシロイワヤギを知らないアデラにとっては首を傾けざる得ない。
「ハインなら……今の私でも受け入れてくれ……る……かもって……でも、でも……駄目なのかなぁ」
「エマ殿……」
エマの瞳から絶え間なく流れる涙を、アデラは一番側に干してあった拭い布で拭いてやる。
「アデラちゃ~ん……!」
こつん、とアデラの胸にエマの額があたる。
「うっ、うっ、うぇ、うぇえええ!」
絞り出すように泣くエマの背中をアデラは、ひたすら擦ってやる。
「泣いたら良いですよ、気が済むまで……」
◇◇◇◇
「私、物心ついた頃から自分の身体に違和感を感じてたの……。男の子の遊びより、女の子達と女の子の遊びをする方がずっと好きでね……。小さい頃はそれで良かったけど、成長するにしたがって周囲も“おかしい”と騒ぎだしてきたの……言われても仕方なかったけどね、女の子達と混じって髪結ったり紅引いたりしたから……。親にも怒られて……変なことなんだって思って、髪切って必要以上に筋肉付けて……」
「……」
アデラとエマ二人、横並びに座り風に揺れる洗濯物をぼんやりと見つめながら座り込んで、黙ってエマの話を聞いていた。
「強力な結界を張れる魔法使いとして名が知れるようになって、協会に呼ばれて次の『結界』の称号を持つことになるだろうって告げられても……ちっとも嬉しくなかった。だって本当になりたくて、したくて今の姿になったわけじゃないもの……。そりゃあ、魔法なんて魔力がなければ使えない、私はその点で恵まれていた。魔法を使い万人の為に役立てようと言う気持ちはあるわ。──でも、自分のために使ってはいけないの?って思い始めたの……」
「それで性交代を……」
「ロジオン達から聞いた?」
「ルーカス殿が残念がっておりました。今ごろ、当に魔導師になって『結界』の称号を持てただろうにと」
「あいつらしいなぁ。確かに称号を持てることは名誉なことなんだろうって思うけど──決心していなければ私、今頃狂ってるか自分で命絶ってたわ」
「今は……そう思いますか?」
アデラの問いにかけにエマははっと目を見開き、しばらく一点を見つめて考えに耽った。
「フフ……」
そう自嘲するように低く笑う。
「思わないわぁ。苦しくて悲しいけど死にたいとは思わない。──何か分かっちゃた」
悟ったのか、思う存分泣いたせいか、エマの顔は先程よりずっと晴れやかだ。
そして立ち上がり、たっぷりフレアの入ったスカートに付いた塵をはたく。
「私が、女として生きたい気持ちを理解してもらえないのが悲しかったんだわあ」
「エマ殿」
「でも、それってぇ、その事をきちんと話していなかった私も悪いんだよね」
「……」
「話すわぁ、ちゃんと。ハインだけじゃなくて──ルーカスやロジオン、ドレイク……そして魔承師様にも。自分が自分らしく生きたいから女の性を選んだことを。否定されるか認めてもらえるか分からないけどぉ」
そうアデラに微笑むエマの姿は、今までと違い意思を持つ一人の女性だった。
「素敵です、エマ殿」
アデラも立ち上がり、エマの手力強くを握った。
「アデラちゃんも~、仲直りした方が良いんじゃなあい?」
「──えっ? わ、私はロジオン様とは何もないですよ?」
「私、ロジオンとは言ってないけど~?」
したり顔のエマに、アデラはグッと言葉が詰まる。
「あの子、普通の男の子と同じように接した方が良いと思うの~」
「い、いや……第二王妃様には姉のように接してくれと言われて、私はそのように接しているだけで……それで良い関係でいられそうだったのが……私が……エイルマーとのいざこざを黙っていたばかりに……すっかり信頼が……」
話が進むに連れ声が弱々しくなり、元気無く肩をがっくりと落としたアデラにエマは「うんうん」と彼女の頭を叩いた。
「ロジオンは勘が鋭いし、コンラートの恋愛沙汰を見て育ってるからぁ、同年代の子達よりぃ理解してるわよ~」
「──いや! 本当に奴とは何もないのですよ! 」
「見りゃぁ分かるわよ~。あいつ自分の理想を目の前にいた女に見てるだけじゃな~い」
「……見抜いてらっしゃいますね」
ウフフと、笑うとエマはアデラの耳元で話し出した。
「微妙なお年頃なのよ~、ロジオンはぁ。側にいてくれる女の人が自分以外の男との悶着に相談もしてくれない=自分は頼りにされてない・弟扱い的なのは、嫌なんじゃな~い?」
アデラはますます消沈していった。
「男なんてさ~、ギュッ!して“ごめんね”すれば、すぐに機嫌が直るわよぉ──元・男の助言!」
今も男入ってるけど~と、キャラキャラ笑うエマに分からないようにアデラは、そっと溜息を吐いた。
──そんな風に割りきれないのよね……。
恋愛に関して不器用な事は、自分自身よく理解している。
しかも色仕掛けなどもっての他。
アサシンとしての修行の中に『色仕掛けで情報を仕入れる』と言うものがあったが
『……何でそんなに下手なの?』
と周囲に呆れられたほどだ。
(抱き締めてごめんなさいなんて……)
想像しただけで動悸と目眩がしてくる。
──それに
自分の中で主には好意を持っているが、果たしてそれが“好き”と言う感情なのか?
──分からない。
それが、本当に異性としての感情だったら、先には辛いことしか起きてこない。
──彼は王子で
──私は彼の従者
これ以上の関係は無いのだ……。
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