第28話 初恋、失恋、恋敵(1)

 世界各国、その国それぞれの習慣がある。


 エルズバーグは多国籍国家として名が知れているだけでなく、人口も然り。

『職人と商人の国』と言う別名があるだけに人口の流れがあり読みにくいが、推定として十万人はエルズバーグで生活をしているという。


 それだけ大きければ宮廷で全ての地域を執政ことは不可能で、東西南北に分け、そこから更に細かく分け行政を行っている。


 そして──やはり、と言うか、習慣なども大きく四つに分かれていた。


 その分かれた習慣の一つに『風呂』がある。




「エルズバーグは、朝にお風呂に入るのね~」

「エマさんの育った国は違うんですか?」

「うちはね~夕方から夜が多いわねえ。でもぉ、一日何回も入る人、結構いるわよ~」

「綺麗好きな方が多いんですね。エマさんを見れば分かります」

「きゃー! やだぁ~! 恥ずかしいけどぉ……嬉しい~!」


 ポッと顔を赤らめ、恥じらうエマの隣に並び歩くハインは──

 そのすれていない初々しい彼女の姿に

 湯上がりの、ほのかに香る女の匂いに


 鼻の下が伸びそうになるのを顔の全筋肉を使い阻止し、爽やかな好青年を必死に演じていた。

(いい香りだ~ぁあ……)

 抱き締めたいと悶えて震える手足を押さえ込み、エマの横にいる。


 ハインは、魔法を扱う者の中では珍しいタイプだ。

 言えば、生前のコンラート師のような……。

 英雄色を好むと言うどこかの国の謂れを信じ、そのままに実行にうつして、女性経験値は魔法実践経験値より遥かに上回っていた。


 ──しかし


(この気持ちは、何なんだろうか?)

 彼女を初めて見た時から続いているこの、胸の奥のくすぐったさ。

 彼女とこうして他愛の無い会話をしているだけなのに、魔法の呪文を口ずさむより弾む気持ち。

 彼女の行動・言動・仕草の全てを見ていたい。

 触れたいのに──触れてしまったばかりに嫌われはしないか? という自信の無い不安。


 いつでも彼女を目で追っていたい。

 自分の視界から消えるのが怖くて仕方ない。

 閉じ込めて自分のものにしたい。


 ──でも、欲望のままにしたらきっと嫌われる。


 今までに経験したことの無い、不安と期待に入り交じった気持ち。

 でも、何故だろう?

 ちっとも不快じゃあない。

 初めてだ。こんな感情。


(これが恋)


 これが── 

 恋──


 生まれて初めて女性を好きになったハインであった。



◇◇◇◇



「いけません! お入りになって下さい!」

 逃げようとするロジオンの襟首をひっ掴まえ、問答無用に引きずり風呂場へ向かうアデラ。


「一日二日位、入らなくても大丈夫なのに……」

「昨日、運動して汗をかかれたでしょう! 本当はすぐに汗を流すべきなんです!」

「そんなの……濡らしたタオルで身体拭けば良いじゃない」

「それすらもされておりませんよね?」


 アデラはキッと、自分が首根っこをひっ掴んでいる主を振り替え様に睨んだが──ルーカスだった。

「ひゃあああ! ルーカス殿!?」

 慌てて手を離した途端、ロジオンの姿に戻り唖然とするアデラだ。


「えっ? えっ? 何? 一体何が?」

「『成りすまし』って言う幻術だよ……」

 じゃあ! とアデラの手が離れたことを良いことに、ロジオンは駆け足で逃げていったが


「マッサージ! 今夜はやりませんよー! 臭すぎて倒れるのはごめんですから―!」


 と、アデラが駆け足で去っていく主に大声で呼び掛けたら──


「やだ」

 速攻で戻ってきた……。



◇◇◇◇



 ロジオンを風呂に突っ込んだ後、アデラはサマンサと流しで皿を洗っていた。

 サマンサは重ねた皿を大きな盆の上に乗せ、二人で流しまで持っていく。


 自分ができる労力は魔法に頼らない──魔法を扱う者達の生活基準である。


「手伝って貰って助かりました。ありがとうございます」

 アデラはサマンサに礼を言う。

「いいえ、押し掛け同然で滞在しているのですから、このくらい当然です。遠慮無く申し付けください」

 サマンサはゆるりとアデラに微笑みながら言葉を返した。


 物静かでおっとりな魔導師の老婦人と言う印象のサマンサであったが、意外にも家事は手際が良い。

 ただ老体のせいか、動きは緩慢だ。

 それでも、小城にいる他の魔法の使い手達よりずっと家事に慣れているようだ。


「歳を取ると、思うように動けませんね……」

 サマンサが困ったように呟いた。

 その様子がどこかぎこちなく、身体に慣れていないようにも見える。


「サマンサ殿、お疲れでしたら後は私がやっておくのでお休みなってはいかがでしょう?」

「いいえ、大丈夫。……でも、そうですね……」

 ブンブンと首を横に振るサマンサの動作がどこか子供じみている。


 そんなサマンサを見てアデラは首を傾げていると、玄関の呼び鈴の音が響いた。




「来客……?」

 アデラとサマンサは顔を見合わせた。


 一昨日の前夜祭のイベント扱いされたロジオンとハインの一騎討ちの後、ロジオンの父である陛下に頼み、この辺り一帯は出入り禁止にしてもらっていたのだ。


 ──そのはずなのに何故


 揉め事の予感にアデラの胸中は大いにざわめいた。

 こう言う予感はよく当たる──。


 玄関に出向いたアデラは、その来客の姿を見て頭を抱えた。

「……やっぱり……。どうして嫌な予感は当たるのか……」


 忌々しそうに呟いた先にはアデラの顔を見つめ、神妙な顔付きで立っているエイルマーがいた。



「お前……一体、何の用なんだ?」

 鬱陶しいのがやって来た──アデラは、そんな様子を隠さずにエイルマーに応対した。


 当のエイルマーには、そのような意思は目下伝わっていない。

 それどころか小さな瞳を潤ませてアデラに迫り、距離を縮めてきた。


「良いんだ、アデラ……君の気持ちは分かっているよ。何も心配はいらないよ。全てを承知で俺はこうして迎えにきてやったんだ……」

「──やったんだぁ? いや、その前に私の気持ち? 分かっている? 何を分かっているんだ?」

 妄想が入っていると思われる目線上の台詞に、アデラは頭を抱えた。


「自分の身の上に危険が及んでいるのを知ったから、俺を冷たい態度で遠ざけたんだろう? ぁあ! 俺は何て罪作りな男だったんだ! 君の気持ちに気付かずに苦しみの渦中に放り込んでしまった! 太陽の光を受けて輝く砂漠の砂のような君、このような薄暗い陰気な城に閉じ込める悪い魔法使いから救いに来たんだよ!」

「……色々間違いすぎてどこから突っ込んだら良いやら……」


 酔いしれているエイルマーは、かなり質が悪い。

 騎士としての腕と素質は筋金入りなのに、女性に対する思い込みの勘違いも筋金入りなのだ。


 頭を抱えているアデラの腕を掴み、エイルマーが切り出した。

「危険をかえりみず君のために迎えに来たのだ! さあ! もう本心を隠す必要など無い! 私の胸に飛び込むんだ! そして共に帰ろう!」

「主を置いて帰るわけがなかろう! 妄想ではっちゃけおって! 帰るなら一人で帰れ!」


 アデラは掴まれた手を払いエイルマーに怒鳴ったが、彼は呆れながら大きな溜息を付き首を横に振る。

「はあ……君はどうしてこうも素直じゃないんだ? それともロジオン王子に惑わされたままなのか?」

「貴様の頭の中が煩悩だらけなのだ!」


「アデラ……私は君が王子の欲望に純潔が王子に散らされていても構わないのだよ? 心身共々ボロボロになった君を癒してやれるのは私だけだ……さあ! アデラ、私の胸に飛び込んでおいで!」

 高ぶった感情そのままに両手を広げ、エイルマーはアデラを誘う。


 ──今度はアデラが溜息を吐きながら、首を横に振る番だった。

(どうしてこう言葉が通じないんだ……)


 どうしよう。

 追っ払って早々に宮廷に戻って欲しいが、こいつは一筋縄では行かないのはよく知っている。


(エイルマーより、がたいの良い奴数人に連れていって貰えれば良いんだが……)

 残念なことに小城には、該当する人物はいない。

 ドレイクが見かけによらなそうだが、こんな面倒なことに協力してくれそうもない。



「この面白そうな人、誰?」

 異邦人より酷い相手をどう追い返そうか思案を巡らせているアデラに、後ろから声をかけてきた人物──ロジオンだった。



「ロジオン様──ぶっふ」

 アデラが無様な声を出したのは仕方ない。

 エイルマーがアデラを押し退けた際に、彼の腕が彼女の顔に当たったのだ。

 庇う姿勢を取ったらしいが、顔面強打では庇われた方は迷惑である──特にこの場合では庇われたくない男に庇われているのだし。


 しかし、庇った方の男──エイルマーは自信満々・英雄気取りで胸を張り堂々とロジオンに物申していた。

「ロジオン王子! 立場を利用し相思相愛の男女を切り裂くことは、神をも許されぬ行為ですぞ! 」

「アデラは……以前、付き合っている人はいない……と僕に話していたけど? って言うか、君どちら様?」

「しかも! 主従関係と言う逆らうことの出来ぬ者に、なんと言う不埒なことを!」

「……だから君誰なの?」

「人として恥を知らぬのですか!」

「だから……君名前は? どこの所属?」

「今、心を入れ替えればきっと神もお許しになりましょう! そして私もアデラだって貴方様の行為を許します!」

「だーかーら! 君誰!」

「聞いているんですか!」

「それはこっちの台詞だよ!」


 エイルマーは肩が揺れるほど、大きな溜息を吐いて言った。

「なんと言うこと……。話し合いどころか会話も成り立たぬとは」


「「それはお前だ!」」


 ロジオンとアデラ、二人声が揃った。



 この騒ぎにエマとハインが顔を出してきて、新しい顔に首を傾けた。

「ロジオ~ン、今この辺りは出入り禁止でしょ~。どうして知らない顔がいるのぉ?」

 腰を振りながら軽やかな足取りでロジオンに近付くエマの姿を見て、後ろで癒されているハインであったが──。


「──私は貴女を待っていました! 貴女こそ私の花! 生きる理由! 生涯の伴侶!」


 ほんの先程までロジオンとアデラと口論していたエイルマーがそう言いながら、瞳を輝かせエマの手を握りしめたのを見た瞬間、あり得ない早さで間を詰めた。

「──おい! お前!」

 しっかりと握りしめた手の握力はさすがで、ハインの腕力では離すことが出来ない。

 エイルマーはハインなどその場にいるのに見えていないようで、相変わらず瞳を輝かせエマを見つめ、手を握られた当のエマは、目を見開いたまま固まっていた。


「アデラ」

 ポカンと口を開けたまま、事の成り行きを見ていたアデラにエイルマーは顔を向けると、申し訳ない様子で口を開いた。

「アデラ……すまない。私は真実の人に出会ってしまった……。君の気持ちは嬉しいが、受け取ることは出来ない……。女性達を惹き付けて止めない私を許してくれ」

「「──はあ?」」

 アデラとエマ、二人揃って疑問詞の台詞を吐いたが、疑問詞の内容が違うのは見てとれた。


(いつあんたと付き合った? つーか、私があんたに惚れている設定になっているのは何故だ?)

 と、アデラ。

(どうして私があんたと付き合うことになってんのぉ?)

 と、エマ。

 脳に口があったなら、是非エイルマーに聞かせたい言葉である。


 ──ただし聞こえても、彼の脳に入っていくかどうかだが──




「ちょっと!離しなさいよ!」

 エマが手を揺さぶり逃れようとするが、エイルマーの手はますます固く握られていく。


「いっ──たいじゃないの!」

「恥ずかしがらなくても良い……私には分かっている、お互い目が合った瞬間に恋に落ちたことを……」

「……あんた、頭の病気?」

「恋の病と言えよう……」

 

 エイルマーは自身の台詞にうっとりとしながら、エマを引き寄せた。

「ぎゃっ! 気持ちワル~! 筋肉系好みじゃな~い!」

「またそのように……何て可愛い子猫ちゃんだろう」

「エマ殿を離すのだ! 勘違いもいい加減にしろ!」


 どうにかして、エイルマーからエマをひっぺがそうとするハインとアデラ。

 その様子を、途中から離脱したロジオンがやや離れて眺めていた。


 カオスだ──と。


 確かにエマは可愛い。

 そう思うが、昔の姿を知っているロジオンには、恋心も嫉妬心も沸き上がらない。


 今思うのは──

(エマの過去を隠し続けるのは、いけないんじゃ……いや……でも)

 焦りに躊躇い、この場を収拾しなくてはならない思いである。


「ちょっ……ちょっとみんな落ち着いてよ……」

 声をかけ止めに入るが皆、興奮状態でロジオンの声など耳に入っていなかった。


「私はぁ、筋肉だけの頭空っぽな奴が一番嫌いなのぉー!」

「その通りだぞ! 離したまえ! 力で女性を屈せようなど!」

「いい加減にしろ! 団長に報告するぞ!」


 その時──



「手を離せ―って何度言えば分かるんだよ? おい」



 ドスのきいた低く野太い声が響き、皆、凍りついたように固まった。

 ──それもそうだろう。


 その声はエイルマーの目の前──エマから聞こえたのだから。


「その薄汚ねえ手を離しやがれ、頭のイカれた筋肉野郎!」

 エイルマーに向けられたエマの視線は、眼力が逞しい。


「──ヒッ!」

 雰囲気のあまりの変わり様に息を飲み込んだエイルマーは、そのがたいからは想像できない高い声を上げ──そのまま身体が跳ね上がり、尻餅を付いた。


「エイルマー?」

 アデラは何が起きたのか分からず、前屈みで尻餅を付いたエイルマーを見る。


「エイルマーだぁ? エイルマーっつーんか? この脳内筋肉」

 エマの低い声音に慄きながらも「そうですが」とアデラは返事した。


「俺の名前と同じかよ! かぁー! ムカつくぅぅぅぅ!」



「「「―えっ……?」」」



 アデラ、ハイン、エイルマー。

 三人、野太い声に固まっていたが、新たな事実に完全に凍りついてしまった……。




「……自分から言っちゃったよ……」


 あ~あ、と少し離れた場所でロジオンは頭を押さえた。









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