第30話 呼ぶ声
鬱蒼とした木々の中、囲むように円形の闇がある。
その場所は日のある時間帯なら地下から滾々と湧き出でる水を受け止める池であるが、夜を迎えたこの時間になると性質を変えたように暗く黒く染まる。
生い茂る草木の仕業もあるだろうが、異物を取り込んでしまった故もあるだろう。
人の身体と言う箱から自由になった、我欲に忠実な魂──コンラート=オーケルベリを──
その深い闇に向かい歩いていく足音。
踏まれた草の音は小さい。
それに比例し、身体も細く小さかった。
闇と同化した泉の前まで来ると止まり、胸元に手を当て囁いた。
囁きは何かの呪文のようだ。
囁き終わると、胸元に合わせた小さな手をゆっくりと離す。
──離した手に吸い付くように胸元から小さな球体が出てきた。
ぼんやりと光るその球体は、小さな手のひらに包まれるくらいに更に小さく、中に何かが入っているようだった。
うっすらと闇を照らす光は、小さな訪問者の顔を照らす。
緩やかなウェーブの髪と健康そうに紅に染まる頬。
小さな身体に見合った顔立ちは幼い少女であったが、あどけなさが全く無く、薄暗く映し出された周囲の草木と同じように、どこかゾッとする雰囲気がある。
「──情けで私の身体の中でお前を生かしておいたのだ。今こそ役にお立ち、私とコンラートのために……」
球体にそう命じるとそれは自分の意思があるように、ゆっくりと少女の手から離れ池の中央に向かって飛んでいった。
◇◇◇◇
ドレイクの紅い眼が大きく見開く。
「──この気……!」
跳ねるように椅子から立ち、マントを羽織った。
自分の心の臓が騒ぎ立てる。
血の流れが急げとせっつく。
怒りで全身の毛が逆立つ。
分かる。
『気』だけじゃない。
『匂い』『同種族の血脈』
『助け』『乞う』『絶望』『悲しみ』『同族のみに届くメッセージ』
──『血』──
ドレイクの紅い瞳が滾った。
「おのれ!! 我が同族を贄として封を破る気か!!」
叫びと同時、ドレイクの身体は泉へと跳んだ。
◇◇◇◇
「──!! ドレイク?」
ドレイクが空間移動を施行したのに気付いたロジオンとルーカスにエマは、合わせたように部屋から飛び出した。
従者らしく部屋の角に控えていたアデラも血相を抱えて、飛び出した主に慌てて付いていく。
「ルーカス! エマ!」
「ロジオン!」
四人は玄関の踊り場で顔を合わせた。
「ドレイクが小城に張り巡らせた結界を破ってまで瞬間移動していった! こりゃあ大事だぞ!」
「池の結界しかないわよねえ……破れたの?」
ロジオンが首を横に振る。
「いや、それなら僕にだって分かる。だけど―泉に異変があるのは確実」
「──行くぞ!」
ルーカスの言葉にロジオンとエマが頷く。
すぐにルーカスとエマが池へと跳んだ。
ロジオンも向かおうとした刹那──手を掴まれた。
アデラだ。
「ロジオン様、私も行きます!」
「君はここに残って! 宮廷に非常事態信号を送って。それからハインとサマンサに小城に防御結界を張り直すように伝えて! ──頼んだよ」
「私は貴方の従者です!」
「言うこと聞かないとクビにするよ!」
ロジオンの怒鳴り声を初めて聞いた──アデラは、その迫力に言葉が出なくなってしまった。
戦だ。戦に向かう人の姿勢だ。
そう感じた。
過去にアサシンとして訓練を積んでいた頃、このような姿勢の現役者を幾人か見てきた。
本人を取り巻く張りつめた空気──集中し、今、自分の持てる力を最大限まで引き出そうとしている。
「……ドレイクは称号を持ってないけど間違いなく実力があって、冷静沈着で強い魔導師なんだ。魔力を扱う者を統べる『魔承師』より強いんじゃないかって噂される位……。そのドレイクが自ら張った結界を解除施行しないで無理矢理破って泉に向かった。──それほど急を要する何かが起きたってことなんだよ」
「……分かりました。ロジオン様のお言い付け通りに役目を果たします」
ほっとした様子の主は「頼むね」と一言告げ空間移動し、アデラの目の前から消えた。
溜息が出た。
「役立たずだ……私」
自分がアサシンとしていきていれば、もっと役に立てただろうか?
──落ち込んでいる時ではない。
アデラは気を取り直して、ハインとサマンサの部屋に向かった。
◇◇◇◇
ハインは流石、魔導師を名乗るだけあって既に状況は把握していた。
「たった今、魔法で宮廷に信号を出しておきましたよ」
「後、小城の結界を張り直して欲しいとのことです」
「分かりました──と、言いたい所なんですが……」
ハインがばつ悪そうに笑う。
「どうしたんです?」
「ドレイク様が張った結界の形跡があちこちに残っていて、まずそれを消滅させなければならないんですが……私ひとりでは難しいのです」
「よく分かりませんが……サマンサ殿にも手伝って貰えば何とかなるのでは? ──ロジオン様はそうおっしゃっておりましたが……」
「それなんですが、先程サマンサの部屋の扉を叩いてみたものの、何の応答もないんです」
「──えっ?」
サマンサとリシェルが使っている部屋の前に、アデラとハイン二人立つ。
「気配はあります。だが全く返事もしない、扉も施錠されているで」
眉を潜めて話すハイン。
「中で倒れているのでは?」
「分かりません」
首を横に振るハインをよそにアデラは扉を叩いた。
やはり反応はない。
「魔法の施錠ですか?」
「──あ! ……てっきりそうだと……」
「どうです? 魔法?」
ハインを扉の前に引き寄せ、確認させる。
「いえ。普通の施錠でした……」
笑って誤魔化しているハインに、アデラは至極真面目に言った。
「魔法じゃなかったら私にも破れます──下がっていて」
「破るって……扉を壊すつもりですか!?」
「中に人の気配があるのでしょう? 私もそれは感じます。でも、うんともすんとも言わない──倒れているか何かあったかも知れないじゃないですか?」
「……う」
下がって──アデラはもう一度ハインに言うと腰を落とし構えた。
「一度や二度で無理だったら、鉈を持ってきましょう」
「あ、あのアデラ殿……そんなことしなくても魔法で──」
アデラの腹の底から沸き立つ気合いと声にハインは冷や汗をかきながら、他の案を推してみたが──彼女の耳に全く入ることはなく次の瞬間、彼女の切れの良い足蹴りが扉をひしゃげ、切れ目を入れた。
「一度では駄目だったか。鈍っているな」
舌打ちすると再び構えに入るアデラに、ハインはビビって肩を縮めた。
何せ、物に対して身体を使い破壊を施行したことが無い彼は、近距離でその様子を見たのは初めてだったのだ。
振り子原理を使った回し蹴りは、随分と迫力あるもので、しばらく夢に出てきそうだ。
「もう一度──」
「ア、アデラ殿、言う通りに鉈、持ってき──」
「……開けます。開けますから」
部屋の中から、掠れた声が聞こえた。声音からしてサマンサのようだ。
アデラもハインも、倒れていなかったことにほっと胸を撫で下ろした。
「何かあったのですか? 今、由々しき問題が起きたらしいのです」
「知っています……ごめんなさい……」
「?」
──なぜ謝るのか?
アデラとハイン、顔を見合わせた。
「私が知ってること……全てお話しします。……だから……」
扉が開く。
ゆっくりと恐る恐る──。
そこには、サマンサが怯えた様子で二人の前にたたずんでいた。
二人の顔を交互に見つめ、今にも泣きそうな顔で言った。
「……お願いします! お母さんを止めてください!」
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