第26話 魔法日記
サマンサがロジオンの魔法痛の治療を施し、身体が少々楽になったところでコンラートの魔法日記を開帳することになった。
「他の気が入った魔力では、日記が開かない可能性がありますからね」
「だったら朝の時点で、サマンサがいることを教えてくれれば良いのに」
―─ロジオンの物言いはスルーされ、治療が終了した。
部屋には、この小城にいる全ての人間が集合していた。
皆の興味の的は、ロジオンが手にしているコンラートの魔法日記―─
「『水』の称号を持つだけあって、魔力もあったし新しい魔法もどんどん創ったもんね~。魔法を施行している時の姿は、イケてたわ~」
エマがその様子を思いだし、うっとりとしながら腰を振る。
「エマ様は、コンラート様の魔法施行を見たことがお有りなんですか! いやあ、羨ましい!」
その隣をしっかり陣取っているハイン。
「俺も一応『地』の称号を持つ魔導師なんだけど……」
言うにも皆、丸っと無視であり、影の薄い魔導師であることを一人再確認したルーカスである。
「ハイン殿は、エマさんしか見えていないようですから……」
アデラがルーカスに励ますように言った。
兎に角ハインは、朝からエマにご機嫌を取ったり褒め称えたりと忙しいらしい。
その成果か、エマとはすっかり仲が良いらしいが「家事は手抜き」と、アデラはその件では少々ご機嫌斜めであった。
結局、増えた人数分忙しくなったのだ。
昨夜に陛下のお供に来た宮廷の料理人が気を利かせて、保存がきいて簡単に作れる食材を置いていってくれたが、得てして魔法を扱う者達は、魔法以外のことは面倒臭がりやが多いと聞く。
興味対象外のものは人でも何でも目に入らないようで、横にも縦にもしない。
そんなんだから、大抵の個別部屋は散らかり放題で足の踏み場がないと言う。
──勿論、皆が皆、そうではないが。
サマンサは身の回りは神経質なほどに理路整然とされているらしいし、ロジオンにいたっては、自分の身だしなみには気を付けないが、室内は綺麗に掃除され整頓されていた。
(一人一人見れば違うのだと思うけど……)
アデラは溜息をつく。
ドレイクは部屋中、至る場所に本のサークルが出来ており、移動前には何処に居たのか予想が付くような部屋だ。
エマはクローゼットと寝る場所以外は、まさしく足の踏み場がない。クローゼット内と化粧台はきちんと整頓されていた……。
ルーカスに至っては片付けようとすると「その場所から動かさないで。分からなくなる」と注意を受ける始末。
(もう、個々の部屋は各自で掃除をしてもらおう)
こめかみを押さえながら思い出してイライラしているアデラの耳に、ロジオンの詠唱が入ってきた。
瞳を開け主を見ると、その光景に思わず、
「―─あっ……!」
と声を上げてしまい隣にいたハインにシーッと人差し指を立てられ、慌てて手で口を塞いだ。
刺繍の装丁の見事なコンラートの日記帳が、ロジオンの掲げられた両手に挟まれた形で宙に浮き、ぼんやりとした光を放ちながらクルクルと回転していた。
手帳ほどの大きさのコンラートの日記が、その大きさと姿を変えていく。
手帳から辞典の大きさになり、それから図鑑並みの大きさに。
厚みなどほとんど無かった物が、彼の人生の長さを証明するかのような厚さに。
本来の形に戻ったのか、日記は宙に浮いたまま回転を止めた。
「所持者の書き換えを……」
ロジオンに促されドレイクは頷き、彼の隣に立つ。
「背表紙へ」
ロジオンが日記に命じると、日記は意思を持つかのように自ら背表紙を開けた。
「あの日記、生きているみたいだ……」
アデラは不思議な光景に、目が見開きっぱなしだった。
「軍事訓練には日記は開きませんからね。魔法を扱い、その道で生きる人は皆、持っています」
ハインが答え、アデラに至極優しく説明を始めた。
―─恐らく隣のエマに、良い印象を与えたいために。
「日記には魔力を自然に取り込める、特殊な羊皮紙を使います。それを使い書くことで、自然に己の魔力を日記に注ぎ、自分だけの日記にすることが出来ます」
アデラは、わざとらしいほどの優しい声のハインを気味悪く思いながら説明を聞いていた。
「では、今やっている『所持者の書き換え』と言うのは?」
「初めて日記を作った時に、何らかの形で署名をするんです。そのまま名前を書いても良いし、指紋や手形でも何でも良いんですが、大抵は―─」
ほら、とハインはロジオンとドレイクを指す。
ドレイクが、自分の指にナイフの先を突き立てていた。
「血文字で署名がほとんどですね。特に今回のように譲渡する場合、以前の所持者の名前も消さなければなりません。自分の血で以前の所持者の名も塗りつぶせるので、手っとり早いんです。―─血は心の臓を流れ続け、その人の人生と共に流れます。自分の血で塗りつぶすことは、以前の所持者の人生を受けとるとも意味するからなんです」
「―─血で乗っ取る、潰す―─とも言うのよね~……あんま好きな表現じゃないけど~」
ロジオンとドレイクの様子を見ながら、エマがポソリと呟いた。
「私も好きじゃありませんよ」
ハインが嬉しそうに同意した。
―─ホントかよ
アデラと同じくルーカスも、そんな顔をしてハインを見た。
「そうすると、魔法日記は所持者以外は見ることが出来ない―─ということになるの~。うっかり落としたりして、他の魔法を扱う者達に見られたら大変でしょ~?」
「見たらどうなるですか?」
「所持者の魔力によってだけどぉ、ただじゃあ済まないわね~。何せ一枚一枚に魔力を込めてるんだし~」
エマの台詞を聞いてアデラは仰天した。
「ロジオン様は何故、平気でコンラート師の日記を?」
ああ、と、黙ってみていたルーカスが口を開く。
「ロジオンも保持者として署名をしているんだよ、きっと。師弟同士で親密だったり、師が余命が幾許も無いとね、よくやるんだよ」
「そうなんですか……良かった……」
心底ホッとしている様子のアデラを見て、エマは意味ありげな笑いを見せた。
「アデラちゃんったら! 彼氏を心配する彼女みたい~。妬けるなぁ!」
「な、何言ってるんですか! 主人を心配するのは従者として、あ、当たり前で……!」
顔を真っ赤にし、全力で否定するアデラの声が大きくて再びハインと、今度はルーカスまで「シッ」と指を立てた。
「すいません……」
シュンとアデラは肩を縮めた。
一方、ロジオンとドレイクの二人は、外野の会話など全く耳に入っていなかった。
ドレイクは指にナイフの先を突き立て、指先から溢れる血でコンラートの署名を塗り潰していき、そして、背表紙の空白の部分に自分の名を書いていく。
はたと気付き、ロジオンはドレイクに尋ねた。
「僕の名前は……消さないの?」
「消す必要は無いでしょう。常に所持するのは私でも、所持者が複数いた方が都合が良いときもあるのです。くだらない者の手に渡るのはロジオン、貴方だって意に沿わないでしょう?」
「うん……ドレイク」
「何でしょう?」
「……ありがとう」
フッ、とドレイクが微かに笑った声を出した。
刹那、宙に浮いていた魔法日記が風に当てられ、紙が唸るように音を立て、次々と捲れていく。
そのページ数は驚く程多い。
新しい主人を確認するように捲れていく日記を見ながら、ドレイクは、
「コンラートは魔力を扱う者としては短い人生でした。――短かった故に数多くの魔法や魔薬、召喚を創れ、その魔力が高かったのやも知れません……」
そう言った。
最後の一ページが捲れると、日記は新しい保持者に満足したのか、ゆっくりと自らの光を閉じていき、元の日記の姿に戻った。
「Sov bedrägeri(欺き眠れ)」
ドレイクはロジオンから教わった呪文を日記に告げると―─
日記は回転を繰り返し、再び手帳ほどの大きさになった。
「では、頂いていきますよ」
「どうぞ……約束は守ってよ」
「勿論ですよ。師弟の関係になるのですから」
コンラートの日記を胸元のポケットにしまい込みながら目を細めた。
―─何かやりそうな顔だよね―─
そう思ったのはロジオンだけではなく、エマやルーカスや、付き合いの短いアデラさえも嫌な予感で思わず口元を歪めた。
気付かないで二人の様子を瞳を輝かせて感動しているのは、宮廷魔導師二人―─サマンサにハインだった。
そしてリシェルは―─どこか大人の笑みを浮かべていた。
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