第25話 魔法痛
「ロジオン様、失礼致します」
アデラはロジオンが私室として宛がわれている部屋の扉を叩く。
朝食の支度が整っているというのに、一向に起きてこないからだ。
──それはロジオンに限ったことではないが。
ドレイクもルーカスもエマも起きてこない。
ようするに、この小城で起きているのはアデラ一人である。
昨日、色々と大変だったと言うことは聞いているが、
『この時間にロジオンを起こしてください』
とドレイクに言付かれたアデラとしては、言ったドレイク本人も起きてこないことに少々ムッとしていた。
「ロジオン様、入りますよ」
前のように魔法で鍵を掛けているかも知れない。
一声かけて扉の取っ手を回してみれば、簡単に開いた。
恐る恐る扉を開け顔を覗かせてみたら、奥の方からロジオンの呻き声がしてアデラに緊張が走った。
「ロジオン様!」
帯剣の鞘を抜き、奥の寝室に飛び込む。
ロジオンは、寝台に俯せになって呻いていた。
「アッ……アデラ……」
しかめた顔をアデラに向ける──蒼白である。
「どうなされたのです! しっかりなさって下さい」
剣を鞘に戻し、慌ててロジオンに近付く。
「魔法……」
「魔法? 誰かに魔法をかけられたのですか!」
「いや……そうじゃなくて……」
「魔法痛でしょう」
アデラの後ろで無表情ながら、どこか呆れた雰囲気を漂わせているドレイクがいた。
◇◇◇◇
「魔法痛と言うのは、魔法を使ったことの経験の無い者や久しぶりに一定量を越えた魔力を使った者、相手の魔力を取り込んだ者に症状が出るのです。──筋肉痛と似たようなものです」
「……はぁ、つまり、ロジオン様は、久しぶりに相応量の魔力を使ったと?」
「使ってるよ! ……ただ……使う属性が片寄ってたから……」
アイタタ、と言いながら起き上がるロジオンの動きは、酷くぎこちない。
「それだけじゃありません。マントからハインの魔力をその身に取り込んだでしょう? ──魔法痛だけで済んだことを幸運だと思うんですね」
「今までは平気だったんだよ」
「それだけ魔力を駆使していない、と言うことです」
ロジオンとドレイクの言い合いを横で黙って聞いていたアデラだったが、ブーツを穿くのにも苦労している自分の主に、今日から始めると言う魔法の訓練に不安を覚えた。
「ドレイク殿、この魔法痛なるものは、どうしたら治まるものなのでしょう?」
二人の間に割り込み、アデラは尋ねてみる。
「筋肉痛と同じようなものですから、直に治まりますよ」
「そうでしたか。では、マッサージとかも有効で?」
「それは──」
「すごく有効!」
ロジオンの明るい返答に、アデラは面食らった。
何せ、今までに聞いたことがない程の弾んだ声だ。
ぱぁぁぁと、ロジオンの周りだけ明るいように見える。
「筋肉痛と同じようなものだからね! うん! さすがアデラ! 気が利くな~! 特に 肩から腕にかけて、もう痛くて痛くて!」
揉んで~と、寝台にゴロンと腹這いになったロジオンを見て、
「──揉むより、同じ程度の魔力を送った方が早いでしょう……」
と、がっつりロジオンの肩を掴んだのはドレイクだった。
白塗りの可愛らしい小城に似つかわしくない、悲痛で恐怖に満ちた叫び声が響き渡った……。
◇◇◇◇
「注ぎすぎ。身体がピリピリする。」
「先程よりかは身体の自由が利くでしょう?」
淡々と言い、さっさと前を歩くドレイクにロジオンは、また一つ文句を言った。
「……何で、この人がいるの?」
ロジオンが指を示した先にはハインがいた。
「はい! 昨日の王子の戦いぶりと経験したお話を伺い、大変感銘を受けまして! これからは王子に付いて、色々学んでいきたいと思ったのです!」
昨日の傲慢な態度と打って変わった、従順な明るい様子にロジオンは顔をしかめる。
──いや、態度なんのかのの問題ではない。
「……って、言うか、ドレイク。今……関係の無い人を、この場所に置いたら危険じゃ無かった?」
「そうなんですがね」
さして興味がなさそうにハインを見ると、彼は、
「事情は存じております! だからこそ私をご利用して頂きたくドレイク様にお願い申し上げたのです! 魔と化したコンラート師を滅するための魔法を会得するのに、どうぞ私めの身体を使ってください!」
そう、瞳を輝かせながらロジオンに迫った。
「……誤解を生むような言い方、止めてよ……」
ぎょっとしながら後退りするロジオンにドレイクは、
「犬より使えるようになります、と言い切ったのでね。家事全般をアデラ殿一人でこなすのは大変だと考えて了承したのです」
と、付け加えた。
「えっ? 家事?」
と、驚くハインに
「成る程」
と納得して頷くロジオン。
「犬は家事が出来ませんから」
ドレイクは悠然と答えると、またロジオンが驚く台詞を述べた。
「何せ、サマンサさんとその弟子も暫く滞在するのでね」
「―─ええ! ちょっ……! それって、また何で?」
「治療専門ですから。治癒関係の知識は深いお方ですし『お役に立てるかと』と申し出てきたのです。……それに……」
―─まあ、自分の身は自分で守ってもらう条件なので構わないでしょう―─
ドレイクはそう言って、途中まで述べた言葉を飲み込んだ。
◇◇◇◇
朝はランニングと柔軟、それと筋力鍛練。
それだけでロジオンはヘトヘトになり、朝食の後眠り込んでいた。
「ロジオン様、起きて下さい。こんなところで眠り込んでいたらお風邪を召されます」
朝食後、ハインを指導しながら家事に勤しんでいたアデラは、居間の長椅子で熟睡している主に声をかけた。
声をかけても目覚める様子はなく、うつ伏せのまま熟睡している。
自分の腕を枕にしても息苦しいのだろうか、顔を横にして寝入っていた。
微かに聞こえる寝息に反応する髪は、柔らかに頬に掛かって、部屋に入る僅かな日の光を取り込み銀の髪を更に神秘に輝かせていた。
(こうしてじっくり見ると、本当に端麗な顔立ちをしてらっしゃる)
第二王妃様がお産みになったお子は、ロジオン様を入れて五人。
その中で王妃の美貌をそのままに受け継いだと評判なのは、ロジオン様のすぐ下の王子ユリオン様だが。
(ロジオン様だって、王妃様とよく似てらっしゃる)
まあ、今までルンペン並みの姿で悪臭まで放っていたものだから皆、その印象が強いのだろうな。
つらつらと思い、良い機会だと言わんばかりにアデラは主を近くで見つめていた。
扉の開く音がし、食い入るように主を眺めていたアデラは縮み上がる。
「ロジオン様! 起きて下さい!」
身体を揺さぶり、懸命に起こしている振りをする。
「……何? 何かあったの?」
いつもの、のんびりとした口調と様子でロジオンは起きると、目を擦りながらアデラに尋ねてきた。
「い、いえ。寝るのでしたら御自分のお部屋で……と」
誤魔化したアデラにロジオンは大して不思議がる様子もなく、入ってきた小さな訪問者に笑顔を向けた。
サマンサの弟子・リシェルだった。
小走りに近付いてくる、ニコニコと笑みを浮かべながら緩やかに流れるウェーブの髪を靡かせる姿は、十歳前後の無邪気な少女らしさで溢れ、その可愛らしさにアデラも微笑む。
リシェルはロジオンの前で止まると、ペコリとお辞儀をした。
「ロジオン様、ドレイク様とサマンサ様がお呼びです。わたしがご案内を仰せつかまりました」
「分かった。ありがとう」
「ドレイク様から『魔法日記を持ってくるように』とお言付けがございます」
「……ああ、そうだね。渡さないと」
事の成り行きを教えてもらっていない、アデラの不思議そうな表情を見たロジオンは、
「アデラに言ってなかったね。行きながら話そうか……」
と、立ち上がったが「イタタ」と不格好に一歩一歩いつも以上にゆっくり歩く姿を見てアデラは慌てた。
「魔法痛がまだ痛みますか?」
そう尋ねるとロジオンは、
「いや……これは筋肉痛」
と、アデラに苦笑いを見せた。
◇◇◇◇
足の筋肉痛に堪えながら魔法日記を取りに行き、リシェルの案内で部屋へ向かう。
その間、アデラに昨日起きた事を話した。
「代償……ですか……。魔法を扱う者達は、違う価値観をお持ちなんですね」
ふ~んと小首を傾け、アデラは感想を述べる。
「魔法使いや魔導師は魔法が財産だからね。特に自分が生み出した魔法には執着が物凄いよ」
「私のように魔法が使えない者達が執着する、金や土地や―─そのような物と同じなのですね」
「そうだね……だから―─」
「違います」
ロジオンの台詞を遮ったのは、リシェルだった。
ずっと淑やかに前を歩き案内していたリシェルが聞いていたのだろう、立ち止まり後ろに振り向き二人と向き合った。
ふわりとした印象の少女が眉をつり上げ、上目使いで二人を見上げる。
怒りを露にしているのは、歪んだ口許と刺すような視線で分かった。
「魔法は金よりも、ずっと太古よりあるものです。法律という人と人の間に規律と束縛を定める物が出来るより以前、ずっと私達が律する為に守っていた―─だから『魔法』と呼ぶんです。魔法を扱う者達の間の高尚な取引を、汚い金との特価交換と一緒にしないで!」
リシェルの言い分に二人は立ち止まり、唖然と彼女を見つめた。
―─いや、言い分もそうだが、先程までの幼い少女そのままの愛くるしい様子が一変したことにも二人は驚いていた。
リシェルは二人の様子に構うこと無く、肩を怒らせたままに再び前を歩き部屋へと案内を始め、ロジオンとアデラの二人は気まずいままリシェルの後ろを追っていった。
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