第18話 代償

 朝、喉の乾きに目覚めたロジオンは目を擦りながら、のそのそと厨房に向かっていた。

 厨房に近付くほどに臭う、焦げ臭さに一抹の不安を覚える。

「いや~ん、失敗しちゃったよ~ん!」

 この無駄に語尾を伸ばして喋る黄色い声……。


「エマ……何焦がしたの……?」

 厨房に入ってみれば、やはりそこには無駄にフリルの付いたエプロンを身に纏うエマの姿があり、黒い物体がこびりついてるフライパンを上下に振り回し落とそうとしていた。

「あっ、おはよ~。ロジオン、よく眠れた?」

「おはよう……。で、それ、何?」

「目玉焼き~。焦がしちゃった」

 しっぱ~い! と舌を出して朝から絶好調にキャピキャピしているエマを朝から見てると、無駄に疲れる──ロジオンは心の中でそう呟くと「貸して」とフライパンを受けとると、フライパン返しで焦げを削ぎ落とす。

「堅焼きにしたかったの~。わたし、半熟苦手だし~」

 上目遣いで首を傾げながらロジオンを見つめ、言い訳をするエマにロジオンは背筋の寒い思いをした。


(慣れないなあ……)

 以前のエマをよく知っているだけあって、どうも態度が硬化してしまう。

 それでもなるべく平静に接しようとロジオンは努力していた。


「フライパンをよく熱して、油を少し多目に引くの。最初の片面を長めに焼いて、しっかりしてきたら返しを使って卵をひっくり返して……」

 ほらっ──と、エマに見本を見せる。

「へぇ~。ロジオン相変わらず器用ね~。王子として生活しててもご飯は自作なの?」

「何言ってんの。生活全般の家事やらなすぎるんだよ。師匠もエマも含めて他の魔法使い達は」

 溜息を吐きながら、焼けた目玉焼きを皿に乗せる。


「腰振る暇あったらハムでも切ってて……そのくらい出来るよね?」

 色仕掛けなのかただの癖なのか、無駄に腰を振り続けるエマに淡々と告げると、ロジオンは次々に卵をフライパンに割り入れた。



◇◇◇◇



 朝食はドレイクも共に席に着いた。

 勿論ロジオンも。

 二人向き合う形で席に座る。


「これはエマが作ったのですか?」

 切り分けした目玉焼きをフォークに刺しながら、ドレイクは誰にとなく尋ねる。

「ロジオンよ~」


 エマの答えに、口に食べ物を運ぶドレイクの手が止まった。


 無言でフォークを置くドレイクにロジオンは、

「何も入れて無いよ。目玉焼きじゃあ入れようがないでしょ?」

と、無邪気に微笑む。

「昔、一服盛られたことを思い出しましたよ。まだ十にもならなかった君が『初めて一人で作ったオムレツなの』と、まあ、清純に瞳を輝かせて食べてくれと……。一口だけで即効で寝るって、一体どれだけの量を入れたんでしょうね? 睡眠薬を、貴方は」


「見かけと体積が相当違うと聞いていたもんだから……超大型動物用睡眠薬を……どの位だったかな? でも下剤や痺れ薬よりましだったでしょ?」

「只人だったら、そのまま目が覚めなかったんじゃないですかね」

「──ほら……それはドレイクだから、そこは安心」

 ドレイクの口角が上がる。

 本人的には微笑んでるらしかったが、エマとルーカス的には怖かった。


(目、笑ってないよ!)


 猛禽類のような厳しい視線の標的なのに構わずロジオンは、普通に食事を掻き込む。

 ドレイクの方も気にもしないロジオンの態度に慣れてるのか、黙ったまま作り置きのチャパティを食べ始めた。




「ね~、ドレイク。今日はどうするの~?」

 食休みの茶を飲みながらエマはドレイクに尋ねる。


 取り合えず感謝祭まで、池の中に閉じ込めておける結界は張った。

 次は完全にコンラートを封するか滅するか──。


「コンラートは滅する方向と決定している。その一番有効な方法を考えねばならないな」

 代わりにルーカスが答えた。

「取り込んだ水の精を傷付けずにコンラートだけを滅しなければなりません。それ相応の準備が必要ですね」

「やっぱ『聖光』?」

 エマの台詞にドレイクは、ようやく瞳を細める。

「切り離すために『餌』がここにいるのですよ」

「『餌』でーす」

 相変わらず呑気な口調でロジオンは手を上げた。


「本気で囮にするんですか?」

 ドレイクの隣に座っていたルーカスが、身を乗り出し問う。

「そうよ~。失敗したらロジオンがコンラートになっちゃうじゃな~い。嫌よ~エロ親父系ロジオンなんて~」

「エロ親父……」


 新たな異名が生まれそうだと、違うところで内心ビク付いたロジオンだった。



「やれやれ……」

 ドレイクは立ち上がると、呆れたように三人に向けて言い放った。

「何の為に私が出向いたと思ってるのでしょうね? 魔承師補佐の私が。貴方達で出来るんなら私がわざわざ出向く必要はありませんよ」

 そうして、

「ロジオン、一緒に来なさい」

と促すと、ロジオンを連れて、黙りこくるエマとルーカスを置いて部屋を出ていった。


「……むかつく」と野獣のように唸るエマに、

「声、戻ってるぞ」

と、ルーカス。

「あらっ、いっけな~い」

 エマは黄色い声で舌を出す。


「エマが腹立つのは分かるが、ドレイクの実力は確かだしな……長い時で培ってきた技も経験も、元からの魔力もさ」

「……魔力なら」

「うん?」

「ロジオンだって高いわよ」


 ぼつりと言ったエマの台詞にルーカスも「うん」と頷いた。

「だからさ、魔承師様も色々と考慮して我々も派遣したんだろう? 」

「それもドレイクは嫌なんだろな~。やんなっちゃう!」

 ブツクサ言いながらエマは窓の外を眺める。


 コートマントを羽織り、既に外を歩いているドレイクとロジオンがいた。



◇◇◇◇



「ドレイク、今夜、用で城を抜けたいんだけど……」

 キビキビと歩くドレイクの後をついていきながら、ロジオンは頼んでみる。

「花火の試し打ちでしょう? 」

「知ってるんだ……」

「駄目ですよ。当に理由も陛下を通し、伝達されているでしょうから心配いりません」

「……」

「夜は闇の力が増大します。万が一、コンラートが結界を破って襲ってきたら、庭師や花火師の者達に被害が及ぶのを、貴方は良しとするのですか?」

「……いや」

 ロジオンは首を横に振った。


「試作花火はここからでも見えましょう。コンラートの弔いも込めているなら、池の下にいる彼と共にここで観賞なさい」

「はい……」

 これでも、彼なりに気を利かせているのだろう。


 師匠のコンラートと話している彼は、好きではなかった。

 恐喝と嫌みが混じった話し方。

 殆どロジオンは外されて、コンラートとドレイク二人で話している姿を見ているだけで、話している内容は知らなかった。


 ── ただ一つだけ。彼が目の前に現れることは、今住んでいる地を離れることだけは理解していた。


(まあ、女性絡みもそうだけど)


 最後に会った二年前──ドレイクは師に、

『ようやく戻る気になったのですか。とことん自分勝手ですね、貴方は』

そう言った。


 ──ドレイクは知っていたんだ。


 師の病気も。

 この国に帰る理由も。


 引っ掛かっていた、ずっと。



 ──師匠


 聞きたくても聞けなかったこと、沢山ある。

 この人は知ってる。


 ──彼に尋ねても良いでしょうか?──




「ロジオン」

 ドレイクに呼ばれ、示した方向に目を向ける。

「私が張った結界を『壊した』のは君ですね?」

「ああ、ドレイクが張ったんだ。どうりで師匠が弾かれたわけだ」

「全く、無理に解いたから、あちこちに残ってるじゃないですか」

 右手を振り払うように小刻みに動かす。

「張り直しできる? 手伝うよ」

「結構です。君が張る結界だとコンラートが侵入してしまう」

「じゃあ……違う結界、教えてよ」


 ドレイクが無言でロジオンに顔を向けた。

 彼のあまり見られない驚いた表情に、ロジオンは苦笑する。


「そんなに驚くこと?」

「大いに驚きますね。貴方が私に教えを請うなんて。ただ……」

「ただ?」

「教えを請う態度じゃありません」

「きちんとした態度なら教えてくれるの?」

「どうしましょうかね」

 にやりとドレイクの口の片端が上がった。


「だと思った」

 ロジオンだとて、彼の性格を全く知らなくは無い。


 それに──

「一人の師と仰ぐ人から基礎から教えて貰い、もう一人立ち出来る貴方がまた、他の者から教えて貰うには『代償』が必要です」

とドレイク。


『代償』


 ──魔法を扱う者同士が、魔法の技を請う際に発生する取引。


 土台と言うべき基礎は共通であるが、そこから先は自分が『師』と崇める人物が築いた魔法を教わる。


 所謂──継承制。


 大抵は四大元素を代表にあらゆる魔法が施行出来るようになるまで、師の元で修行を積んでいくが、魔法を使う者だとて人―得意・不得意が生じる。

 自分の師が苦手で自分に身に付かなかった場合や、他の者達の魔法を見て会得したい。


 だが、教えを乞いに行くにも師の恩義もあるし、相手にも魔法を造り出したプライドがある。

 おいそれと簡単に伝授させるわけにはいかない。


 そこで、教える代わりに『代償』を相手から貰うのだ。


 最初に伝授する側がそれ相応だと思う『代償』を相手に掲示する。

 伝授して欲しい側がそれを聞いて、受け入れるかどうかを意思表示する。


 魔法の技術を広く進め、世に貢献する取引なのだから『昇華』と呼ぶべきだと唱えるものもいる。


 ──が


 それが通貨であったり、品物であったりする時もあるが、他の、例えば労働であったり魔法技術の交換であったり、形あるものだけに限らない。

 世俗に興味がないのが多い為か、道徳観や道理から離れた者もいる。

 逆に欲にまみれた者もしかり。

 恩師の命や、教えを乞いに来た者の身体や魂を要求する者もいる。


 遥か昔に一国を築いた魔導師が、新しい魔法に惹かれ他所から来た魔導師に教えを乞いたら、国を引き換えにされたという記述も残る。


 教えを乞う側が身体・精神に痛みを伴う場合が多いことから、今だ『代償』と言われていた。


 ──とは言え、そこまで酷い取引は滅多に無い。


 教えを乞う側もそれに対し拒否も可能であるし、代わりを掲示できるからだ。

 大体のやり取りを交わし、お互い納得済みで『代償』が決まる。



(……と言うんだけどね……)

 ドレイク《このひと》このひとは何を掲示するか──。


 でも、自分で魔法を創り出すのにヒントが欲しい。

 師匠を滅する方向じゃない魔法。


『ドレイクの知識と経験は底知れない』と師匠が話してくれた、その魔法──知りたい。




「ドレイク。『代償』の掲示を」



◇◇◇◇


「そうですね……」


 ドレイクは顎に手をやり、ロジオンを見つめた。

 何か思い付いたのか、僅かに口角を上げ顎に付けていた手を下ろす。


「土下座して私の靴下を舐める──は?」


 ──何それ──


 ロジオンは無言で首を横に振った。


「コンラートがいる池に放尿」

「……取り込まれてる水の精に失礼です……」


「感謝祭に城のバルコニーで腹躍り」

「僕的には良いんだけど、あれは腹に贅肉付いてないとウケないから、やり損」


「ビヤ樽、腰に付けてエルズバーグ一周」

「ど根性は柄に合わない」



「……教えを乞う側なのに我儘ですねえ」

ドレイクが呆れたように深~い溜息をついた。

「羞恥プレイばっかじゃん……」

「今までの鬱憤が溜まっているのでね」

ドレイクはそう、ロジオンに影のある笑いを見せる。


 ──今までのこと、かなり根を持ってる──


(……この人やっぱり暗い……)

 自分がドレイクにやらかしたことは忘れ、ルーカスに頼めば良かったとロジオンは思った。




「──あ……、じゃあ、こんなのはどう?」

「何です?」

 良い『代償』を思き、ロジオンの方からドレイクに掲示する。


「王宮に仕えている美女百人に囲まれた、ハーレムな生活」

「……過去にコンラートが掲示した『代償』が、男性全てに当てはまる願望だと思わないように」


「ええ! そうなの? 僕は結構嬉しいけど。でも百人は相手にできないな……う~ん。頑張ってせいぜい五十人? う~ん」

「……コンラートもそうでしたが、貴方も異性に興味があるところは他の魔法の使い手達と違っている」

 ──あの師匠にこの弟子あり──

 ドレイクは深く長い溜息を付く。


「ドレイクは、女の人に興味が無い訳?」

「只人の女性には関心が無いだけです」

「……じゃあ、やっぱり……」

「──何です?」

 ロジオンの自分を奇妙なものを見る眼差しが、ドレイクは気になった。

 以前からコンラートから、何か吹き込まれているのではないかいう目で自分を見ていたが。


「人の女性の好みにケチは付けたくはないけど……。爬虫類の雌を好んでも、僕は用意ができないんだけと」

「……ロジオン」

「ん?」

「この件が済んだら、じっくり腰を据えて話し合う必要があるようです」



◇◇◇◇


「ドレイク。もう真面目に『代償』を掲示してくれないかな?」

「最初の方は大分真面目でしたが……」

「……真面目だったんだ……あれ……」


 冗談かと思って返してたよ……ロジオンはブツブツ呟く。

「そうですね。本音を言わせてもらえば、コンラートの魔法日記を所望したい」

「魔法日記……か」


 魔法日記──魔法を駆使する者達の命と言われる位、魔法を使う者には同等に扱われる。

 アキレス腱だ。

 ──故に、自分以外分からない場所か、見られても平気なように自分しか分からない暗号で書かれる。

 過去の先人達の魔法日記が手に入った場合、これ幸いと皆、必死に解読し、自分の魔法とするのだ。


 ──それ程、自分の『魔法を創る行為』は難しい。


「良いよ。魔法日記」

 あまりにあっさりと承諾したロジオンに、ドレイクの赤い瞳が見開く。

「見越して、今日アデラに持ってきてくれるよう頼んであるから。来たら渡す」

「形見だと言える魔法日記に、随分と執着の無い……」

「日記に記された魔法は全部、覚えたから」


「──何だって?」


さらりと言ったロジオンの言葉に、ドレイクは信じられないというように言葉を返した。

「コンラートの今までの魔法の記録を全て? 攻撃も? 他の属性の魔法も全て? ゆうに五十年分はあるものですよ?」

「うん。出来るかどうかも試してみたし……。僕にとっては覚えやすいんだ……師匠の魔法」


 生きて十六年目に入ろうとする少年が、約五十年分の師の創り上げた魔法を全て理解し、施行出来ると言うのか。


 そら恐ろしい──


「ただ……」

「?」

 ロジオンが片眉を上げて、困ったようにその眉尻を掻く。

「攻撃魔法、かなり威力弱くて……。強い威力のやつも、ちゃんと施行してるのに何でなんだか……」

「仕方ないでしょうね」

「? 何が仕方ないの?」

 さらりと答えたドレイクに、ロジオンは少々ムッとする。


「コンラートがそう仕向けたからです」

「……師匠が……?」


 どういうこと? ──訝しげな視線を投げつけるロジオンから、ドレイクは顔ごと違う方向に向き、じっとそちらを見ながら言った。

「丁度良い。演習材が向こうからやってきましまよ。試してどこが悪いのか確認してみたら宜しいでしょう」

ドレイクの視線の後を追うと、そこには中規模隊位の人の数がこちらに向かってきていた。


「……えっ……!」


 先頭で一際立派な馬に乗るのは──


「──父上……!」


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