第17話 あくまでも謂われ

 この人苦手だ……。


 目の前で手持ちぶたさなのか、ペラペラと本を捲る男──ドレイクの返事を待つ。

 アデラ自身、化け物と化したコンラートの標的となっている立場だ。

 それを考えれば、いくら結界を作り動きを制限したからと言っても、目の届くところにいてくれた方が守りやすいのは理解できる。


『感謝祭に家族と過ごせそうもないので、今のうちに帰省したい』

と彼に告げた。


(実家に戻るのは嘘じゃないし)

 アデラの要望を受け入れるべきか、考え込んでいるようだ。

 意味もなく本を捲っては、パラパラと流す。

 その様子は受け入れられない要望で不機嫌に見れるが、眉一つ動かさない無表情さで、アデラには見当がつかなかった。


 何気に本を捲る彼の指を見つめる。

 長く形良い指先だ。

 だが首の太さや繋がる肩、上着から見える鎖骨のラインを見るに、ひ弱な体格ではないと見て取れた。

 黒で統一された服に沿うように、梳いた黒髪が肩にかかっている。

 顔の造形も非の打ち所がない。


 ──何より


 その珍しき紅い瞳──


 俯き加減でいる彼の、黒い睫毛に見え隠れするその瞳は、闇に生る紅い果実のようだ。

 こんな男が宮廷に仕えたら、さぞかし女達が色めき立つだろう。

(どうにも自分は苦手だが)


 平坦な口調に、あまり変化の無い冷たい表情。

 主である、以前のロジオンのそれとよく似かよっているが……。

 意識支配された時に頬に触れた手。生理的に受けつけなかった。


 何か、奇妙な違和感があった。


(状況が普通じゃなかったから、そう感じたのか?)


 でも──ロジオン様の方が絶対、可愛い!──


 本人が前にいたら、茹で蛸に変わってしまう思いだ。



 パタンと本を閉じる音に、アデラはドレイクの顔に視線を向けた──視線は瞳をずらして。

「良いでしょう。ただし、明日の日が隠れるまでにこちらに戻るように」

「ありがとうございます」


 ドレイクに礼を述べ頭を下げるアデラだが、内心は困った。

 頼まれた魔法日記は帰りに取りに行くとして、ここからまず宮廷に向かうにしても、徒歩だと結構時間がかかる。

 取り合えず夜中に宮廷の自分の寄宿舎に戻り、朝早く城を出るつもりでいた。

 宮廷から自分の実家までも、なかなかの距離で徒歩だと一刻ほどかかる。

 それから伝を辿り、祖母の縁の者を訪ねて……。

 (一日じゃ無理!)

 自然、冷や汗が出る。


(取り合えず、まだ親交のある人達を時間ギリギリまで訪ねて……)

 アデラが一人脳内で日程を練っている時、ドレイクから声をかけられた。

 見ると、あの黒いマントコートを羽織り、金具を止めている。

「お送りしますよ」


 

 意外な申し出に、アデラは面食らった。

「──いえ! そこまでして貰わなくても私は平気ですので。どうぞ構わずに」

「いくら王家直轄領域だとしても夜は危険です。狼や熊が出るやも知れません。特に熊は冬眠前に満腹になろうと、昼夜構わずに餌を求めていますから」

「回避のすべは持ち合わせておりますから。ご心配には及びません」


 アデラはエルズバーグでは既に成人である。

 仕官として働き、社会人として働いても結構長い。

 当然、社会に関わり対人関係を円滑に進めるべく『大人のかかわり合い』も身に付いている。

 ここは紳士的な行動のドレイクの申し出を受けるべきなのだが、彼に苦手意識を持ってしまったアデラは、

(気まずいから! 絶対、気まずい雰囲気が流れる!)

と言う本音が、つい漏出してしまう。


「早く実家に戻りたいのでしょう?  ──だから送りますよ、と申しているんです」

「……送ると言うのは実家に……ですか?」

 訝しげに尋ねるアデラにドレイクは、

「そうです」

と、涼しげに答えた。



◇◇◇◇



『無理ですよ! 王家直轄領は夜間と遠園地には結界を張るんです。もし破ったら王宮の魔導師や魔法使い達が兵を率いてやってきます』

 ドレイクはそう諭すアデラの肩を抱いて、

『結界にも人によって癖があります。抜け道は分かりますよ、ご心配無く』

 彼は怱々とそう答えると、アデラの左手を握る。

『二人で〈跳ぶ〉には貴女の気も必要です。〈負〉の気の左手をお借りしますよ』





(跳ぶ──って、空間移動のことなのか!)

 

 足が地につく度に移り変わる景色が目まぐるしく、軽い錯乱が起こる。

 足が着く地には魔法陣が光り、中に描かれた矢印が時計のように向かう方角を瞬時に示す。

 空間移動──又は方陣移動と言われる高度な魔法だ。

 高い魔力が無いと施行できない、この移動方法。


 事前に自分が陣を作り、いざという時にそこへ移動できるようにしておく。

 自分が移動するためにあらかじめそこへ出向き、陣を作らなくてはならないデメリットがある。

 ──だが高名な魔導師となると、他人が作った陣に介入できるという──


(さすがに魔承師の補佐を務めるだけある──というわけか)


 この方陣移動も、慣れてくると面白い。

 足が地に着いた瞬間に方向を示した方陣が現れ、離れたと同時に闇の草地と同化する。

 アデラはこの苦手な魔導師に貴婦人並みの扱いで抱き寄せられ、身体が密着している状態でいることも忘れ、次々に出てくる方陣の振り子のような矢印に魅入っていた。


「面白いですか?」

「はい! 地に着いた瞬間に矢印が行く方向に向いて──」

 

 顔を上げてアデラは、すぐ側にドレイクの顔があることに驚いて彼の瞳を見つめてしまう。

 横に主であるロジオンがいるかと錯覚してしまい、つい、いつものように応対してしまった。


 ──しかも、禁為の魔法を扱う者の瞳を見つめて。


『好きに悪戯されちゃうよ?』

 ロジオンの言葉を思いだし、咄嗟にドレイクから顔を逸らし彼の身体を押し出そうとしたが、身体を戻された。


 屈強な兵士並みの力だ──。

 華奢な体躯では無いが鍛えているように見えない彼の、どこにそんな力があるのか。


「魔法の施行中に戯れは止めてください。今、私から離れると何処に飛ばされるか分かりませんよ?」

「も、申し訳ない……」


 良かった──自分の意思で喋れる。

 アデラはひやりとした。


「ご心配無く。やたらと意識支配などしませんよ。あの時は大変失礼をしました」

 淡々としているが謝罪しているらしい。


「貴女が大変珍しい姿を持つので、近くで見たくなったのですよ」

「──珍しい? 私が?」



 ドレイクの歩む足が止まった。

 彼がアデラから離れる。


 回りを見渡すと、そこは実家の歩きなれた路地であった。

 街灯に群れる虫。

 細い路地に、迫るように建てられた住宅。

 そこから空を仰げば、隣接された家同士から張られた洗濯物を干すための紐……。


 二・三歩足を出すが、地に着く度にもう光る方陣は現れることはなかった。


「魔法と言うのは便利なものなんですね……」

 感嘆の息を漏らす。

「魔法と言うものは万人のためのものですから。この移動も、そもそもが移動が辛い老人のためや遠方で暮らす離れた家族に会うため、人では運べない物資を送るためのものでしてね」

 成程な──とアデラ。

 

 ドレイクを見てアデラは先程の彼の台詞を思いだし、改めて聞き直した。

「私の姿が珍しいとおっしゃったが……この褐色の肌のことですか?」

「褐色の肌に金の髪が大変珍しい──ということです。染めてはいらっしゃらないでしょう?」

「自毛ですが……。そんなに珍しいものですか? エルズバーグは多民族国家ですから、私のような毛等は少なからずいるものかと……」

「人の成りというものは、体内に組み込まれている法則の情報で決まるのです」

「法則……薬師がよく言う化け学というものですか? 」

「似てますが違います。私どもは遺伝子と呼んでいます」


 ──遺伝子


 以前に私の走りで驚いてロジオンが呟いていた。

「そう言えば、ロジオン様が何やら一人心地におっしゃっていたのを聞いたこと

があります」

「ロジオン……あの子も貴女と同じ、他の者達と成りが違いますから──彼の場合は第二王妃の一族が持つ『白変種』を受け継いでいます」

「耳にしたことがあります。第二王妃様のご実家は一族でそのようなお姿が多いと聞いておりますが、ご凋落され種族存続のために、現陛下に申し出て嫁いできたと伺っております。確か白種族、青銀種族とも言われていると……。しかし、ロジオン様も、ロジオン様のご兄弟も母君である王妃様も皆、他国ではそんなに珍しい姿なのですか?」


「国から出たことがない貴女には分からないことでしょうが、そうそういません。貴女も含めて。ロジオンは髪や瞳に青みがかかり更に輪をかけて珍しい。しかも──」

ドレイクの手が、アデラの金糸のような髪をやんわりと一掴みする。

「皆、人を虜にする美しい姿だ」


「お褒めを頂戴して光栄だが私は、エルズバークでは残念ながら美女定義には外れています」

 ドレイクの手をやんわりと退け、アデラは礼を述べた。


「つれないな」

 ドレイクは肩を竦めた。

「では、明日の夕刻に」

 

 立ち去ろうとするアデラにドレイクは徐に告げた。

「稀な何かを持つ者は、稀な宿命を背負う──と云われがあります」


「──えっ?」

 怪訝に眉を寄せるアデラにドレイクは、僅かに口角を上げた。

「貴女もロジオンも、そして……私も。──稀な姿を持つ故に、その宿命を引き寄せるかも知れません」

「……貴方が? 稀な姿……?」

 失礼とは思ったがアデラは、ドレイクの姿を上から下までマジマジと見つめる。

 確かに珍しい紅い瞳をもっているし、どこか老成とした雰囲気だが他は眉目秀麗の青年にしか見えない。


「──あくまでも云われですけどね」


 そう告げ、ドレイクの姿は闇に溶けていった。

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