第14話 魔導術統率協会からの派遣者(2)

「──何者!」


 アデラは反射的に飛び距離を取り、相手を見つめる。

 剣の柄を掴み、臨戦態勢に入った。

「凄い跳躍ですね。まるで猫のようだ、驚きました」

 男はそう言うが、口調といい表情といい、驚いているように見えない。


(この男……只者じゃない)

 アデラは瞬時に悟った。

 生前のコンラートに似ている雰囲気はあるが、油断できない何かを持っている。

 じりじりと迫る男の間合いを取るため剣を抜き、横に反れる。


「ぁあ、その剣の構え方、中東から東の方ですね。でも、短いか細い剣向きの持ち方ですよ。──緊張が極度になると、一番馴れた形を人は取りたがりますからね、気持ちは分かりますが」

「もう一度聞く。何者だ?」

 男の瞳が細くなる。

 僅かに口角が上がった所を見ると、アデラに向かって微笑んだらしい。

 そのまま男はアデラの問いが聞こえなかったかのように、詠唱を続けているロジオンの方に視線を向けた。

 そしてロジオンのいつもの口調に似た、ゆったりとした平坦な口調で

「駄目だな……あれでは水の王は招かれん」

と呟いた。



 男は黒いマントを翻し、ロジオンに近付いていく。

 先程と打って代わり、マントの留め金の部分がカチャカチャと音をたてる。

「止まれ! これ以上主に近付くな」

 アデラは横から抜いた剣を、男の喉元に突きつける。

 かなり背の高い男だ。

 アデラもエルズバーグの女性の平均より高めの方だが、その彼女が顎を上げるほどだ。

 男と目が合う。


 ──瞬間、珍しい紅玉色の瞳がアデラの視線を釘付けにし、目が離せなくなってしまった。


「──!?」

 意思とは関係なく手から剣が離れ、落葉した枯葉敷き詰める地へと落ちる。

 青年は僅かに口角を上げアデラに笑って見せ、彼女の腰に手を回した。


(動けない!) 


 自分の意思など無関係に青年の腕の中に包まれ、自ら寄り添った。

(なっ……! 私に何を!)

 青年の瞳から目をそらせないことに、アデラは恐怖を覚えた。

「魔法を使う相手の目を、真っ直ぐに見てはいけませんよ。教えてもらわなかったのですか?」

 自分の頬を撫でる男の手に、背筋がぞわりとする。

 整った顔立ちの青年のこの男の手のしぐさが、見かけの年齢に見合っていないように思えて、余計に恐ろしい。


 ──なのに、身体も視線も男から離れることを拒絶している──


「僕の従者をからかうの、止めてくれない?」



◇◇◇◇



 ロジオンの声に紅玉色の瞳の青年は振り向き、自分より背の低いまだ少年の彼を見つめた。

「おや? 水の王を呼び出すのは止めたのですか?」

「これでは呼び出せないと、貴方が言ったのが聞こえましたから。無駄な魔力は使いません。貴方のことだから、もう事前に水の王から話は聞いてるでしょう?」

「聞きたい?」

 男の意地悪な声音にロジオンはいつもの調子を崩すことなく、彼の腕の中で硬直しているアデラの目の前で紋様を描くように指を動かす。


「──はあっ!」

 身体に更迭の糸を巻き付けられていたような感覚が抜け、アデラは息を吐いた。

 そして魔法を扱う者達への注意事項を忘れて、それにまんまと掛かってしまったことに、憤りと恐ろしさを同時に味わった。


『敵の魔法使い及び魔導師と、目を合わせてはいけない』


 ──魔力の強い者になると身体だけではなく、心まで縛られ、生きる人形となる。


(こう言うことなんだ)

 まるで海の底に沈められたような冷たい感覚に、アデラは呆然とした。

 ふいに背中を擦る温かい感触に気付き、それが自分の主の手だと分かり彼を見た。

「大丈夫? 彼の意識支配は強烈だから……」

 長めの前髪から心配そうに自分を見つめるロジオンの瞳は、冴えたブルーグレイの色でもこの背の高い、血を思わせる色の瞳よりも温かだ。

「申し訳ありません。油断しておりました」

「緘口令を引いてる今、同業者が来るとは思わないしね……」


 そうだ緘口令──


 はっとアデラは背の高い男を見上げる。

 宮廷内でしか、コンラートの死は知られていない。

 宮廷内にいる魔導師や魔法使いには、見かけない顔だ。

 

 なのに、何故宮廷の直轄地に魔法を使える者が──?


 そんな疑問が、アデラの顔に出ていたのだろう。

 ロジオンが坦々と、それでいてさもやる気なさそうに男を紹介した。


「魔導術統率協会から派遣された魔導師ドレイク……さん。魔承師の補佐をしている人……」



◇◇◇◇



「この場所から離れることの無いように、結界を張りましょう」

 

 魔導術統率協会派遣されてきた者は──

 魔導師で魔承師補佐の地位にいるドレイク。

 そして本部直属の魔導師で『地』の称号を持つルーカス。

 魔法使いのエマの三人であった。


 話しぶりからしてこの三人はロジオンとは昔からの知り合いのようで、魔法使いであるエマなどは

「きゃ~! ロジオン! おっきくなったわ~!」

 と女性特有の黄色い声を出し、その大きく実った胸をロジオンの顔に押し付け抱き締めていた。

 アデラにはムッとする場面であったが、抱き締められたロジオン本人が、迷惑そうに顔をそらしていたので、機嫌を取り戻し従者らしく彼の後ろに控えた。


「ドレイクさん、私の属性を使って結界を張っときますか?」

 ルーカスという魔導師が、池を指しながらドレイクに尋ねる。

「『地』を使って結界を張ると、周囲の生態系に影響が出る可能性がある。『聖光』を使いましょう。──エマ」

 ドレイクの呼び掛けにエマは「はい」と歯切れ良く返事を返し、指示された位置に着く。

「結界印は表音でいきます。──良いですね、ロジオン」

「それが師匠には一番破りにくいでしょうね……」

 ロジオンも同意する。




 ドレイクが詠唱を始めた。


 先程のロジオンが両手を前に出し平を合わせるような形とは、少し違う形で。

 右手を下に上を左手に合わせて。

 間からロジオンの時とは比較にならない強い光が、光線のように周囲を照らす。

 眩しさにアデラは目を細めた。

「あれが、聖光結界の土台だよ」

 ロジオンは慣れているのか、平然とその様子を眺めていた。

「あれが……」

 息を飲む。

「その土台に、ルーカスが結界紋様を描く」

 ドレイクの手の平から放たれた光が、池の中に入り全体が光出す。

 刹那、ルーカスがドレイクと違う語音で唱えていた詠唱のせいかなのか、池を輝かせていた光が輪に形作られていく。

 輪の中に文字らしき紋様が、規則正しく並べられていく。

「下級や普通の冥府の者なら土台だけで十分なんだけど、相手は師匠だからね。何人かの魔法で重ねた方が複雑化するし、解きにくくなる」

 ロジオンの説明が終わる丁度、エマの詠唱が止まる。

 同時、何かの意味を表す巨大な文字が水面に浮かんだと思ったら、先に刻まれた紋様に溶けていった。


 全てが済んだ後の池はさざ波さえも起こらず、以前と変わらない見事な透明度を保ったままそこにあった。




 ──凄い。


 宮廷にいる魔導師や魔法使い達と比較しようがない。

 この結界の魔法だけを見るにも、エマという魔法使いさえ魔導師と名乗っても、おかしくはない腕前ではないか?

 事の成り行きをただ呆然と見ているしかなかったアデラだったが、はたと主であるロジオンのことが気になり、そうっと彼の顔を見る。


 ロジオンはこの結界を張ることに参加出来なかった。

『僕の魔法は、全て師匠から教わったもの』

 ロジオンから聞かされていた話を思い起こせば、無理らしからぬこと。

 ここで参加してしまえば、ロジオンが施行した魔法から結界が崩れてしまう可能性が高い。

 魔法に縁が無いアデラにも、そのくらいは理解できた。

 ロジオンは最初に出会った頃のように表情が全く無く、ただずっと池の様子を見続けていた。



◇◇◇◇


「ロジオン」

 ドレイクが、すれ違い様にロジオンの肩を叩く。

「君には失望しましたよ。一年にも経とうというのに、一時的に封じ込めることも出来ない上に、ここに来てようやく居場所を掴めるだけだなんてね」

「すいません」

──ロジオンの口に含んだ謝罪の言葉が、アデラの胸に痛く響く。


 謝罪の言葉にドレイクは振り返り薄笑いを浮かべ、ロジオンに告げた。

「途中、小さな城があったでしょう? 私達は今、そこを寝座ねぐらとしてエルズバーグ国王陛下からお借りしています。貴方もしばらくはそこで暮らしなさい」

 ドレイクはそう言うと、さっさと行ってしまった。


「ロジオン、行くわよ。聞きたいこと沢山あるんでしょ?」

 エマという魔法使いが、微動だにしなかったロジオンの腕を掴み、引っ張っていく。

「僕等も聞きたいことがあるんだ。えっと……君ぃは?」

 ルーカスと呼ばれていた男が、アデラの方を向く。

「アデラと申します。ロジオン様の従者を任されております」

 恭しく頭を垂らす。

「あー」と、ルーカスは今さら気付いたように糸のように細い目を広げて頷いた。

「そうだった。一国の王子だったんだよな、ロジオンは。付き人がいて当たり前だった。忘れてたよ」

 どう返答して良いやら──アデラは苦笑いをする。


 その時、

「彼女も化け物化した師匠に狙われている。部外者じゃ無いから」

と、ロジオンが答えた。

「そっか……。側に仕えた故に飛んだとばっちりだな」

「そんなことは──」

 とばっちりだなんて思っていない。


 アデラは首を横に振り、ルーカスの台詞を撤回してもらおうとしたが、

「彼女も来て頂きなさい」

 ドレイクの有無言わせない言葉にかき消されてしまい、アデラは何も言えず彼等の後に付いていった。



◇◇◇◇



「何年ぶりですかね、ロジオン? こうやって君と顔を合わすのは……」

「二年ぶりです……エルズバーグに着く前だったから」

 

 マントを脱いで椅子に座るロジオンは、心持ち緊張しているようにアデラは見えた。

 のんびりな口調は相変わらずだが表情は引き続き無いままで、室内に入ったせいもあるだろうが、顔色も悪く見える。

 いつもだらしなく座る主が、背筋を伸ばしてしゃんとしている姿もアデラは初めて見た。


「男の子は、これから一番変わる時期ね~。ロジオンは王妃様に似てるから将来は美男子に決定! 楽しみ~」

「……お前、それは王が酷い顔と言ってるようなもんだぞ……」

 お茶を注ぎながらはしゃいでいるエマが漏らした台詞に、焦るルーカス。

 エマとルーカスは何気に、この雰囲気を和ませようと気を使っているのだろう。


 それほどロジオンは張り詰めた。


 扉の側で控えていたアデラは、そんな様子の主の横顔を眉を下げて見守っていた。

 従者の自分にも、茶をいれ持ってきてくれたエマに礼を言いながら受けとる。


「──やんなっちゃうな~、ドレイク」

 ぼそりと言ったエマの言葉が気になった。



 喉を潤し、一息付いたドレイクは背もたれに身体を預け、足を組んでロジオンを見つめながら話しかける。

「今回、張った結界はまあ感謝祭後まで保つでしょう。それから滅する方向でいくつもりです」

 ロジオンの瞼が閉じた。

 うすうす彼の決断を分かっていたかのような、ロジオンの反応であった。

「──でないと、取り込まれた精霊が自由になれません。分かりますね? ロジオン」

「いつから師匠は、あの池の精霊に?」

「三ヶ月ほど前だそうです。水の王が何をしても応えなくなった頃だそうで、正確だと思いますね」

「僕の召喚に応えてくれたことはないから、分からなかった……」

「当たり前でしょう。君の創る召喚陣は全てコンラートが創り君に教えたもの。精霊は得てして疑り深い。君の魔力で発動されてもコンラートの息がかかった召喚魔法じゃ、疑心暗鬼して現れるわけがない」

 ロジオンの瞳がうっすらと開き、じっと冷めた紅茶をとらえていた。


「このことが意味するのは……? ロジオン」

「相手に知恵が付いてきている……」


「そう、この世のどれにも属さない物に生まれ変わったコンラートは、本当の意味で赤子同然だった。本能のままに君の身体だけを欲した。すぐに滅するか封するか出来たら話は早かった。──でも、君は一人でやると承諾をしてしまいました。その時点で間違いを犯してしまったんですよ」

 ロジオンの隣に座っていたルーカスが、

「ロジオン、我々は君一人では無理だと最初から分かっていた。待っていたんだ、君から手を貸して欲しいと言ってくるまで」

 優しく口を挟む。


「すみません……緘口令が頭に引っ掛かっていて。……宮廷内で事を済ませないととずっとそう考えていました……」

「そうだとしても、宮廷に仕える魔導師や魔法使いから助力を貰えたはずですよ? 宮廷筆頭魔導師のハインに話は通してありますからね」


 何故、助けを求めなかった? ドレイクの厳しい口調の詰問が続く。

 自分一人でやれると言う、ロジオンの自惚れだと思っている呆れと怒りの混じった声音であるのは、誰の耳にも明らかであった。


「──却下されました」


 ロジオンの以外な言葉に、ドレイク・ルーカス・エマ三人とも顔を見合わせる。

 その視線は一斉にアデラに向けられる。

 驚いたアデラではあったが「そう伺っております」と努めて平静に答えた。


 ドレイクは再びロジオンに向き直す。

「それはいつの話です?」

「半年程前です。『私達が動くと陛下が知ることになります。それはお嫌でしょう?』と。……それはその通りだったから」


 ロジオンの言葉に暫し、沈黙が続いた。


 その間、魔導術統率協会の派遣者達は眉を潜め見つめ合い

 ロジオンは無表情のままに、冷めた紅茶を見つめ


 アデラは、そんなロジオンの横顔を見つめていた。






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