第13話 魔導術統率協会からの派遣者(1)
「……? この先は、王家の領地と違うのかい?」
ロジオンが訝しげにアデラに尋ねた。
「いえ、王家の領地ですが……それが何か?」
「見て」
ロジオンが指差した先。
コンラートを巻きつけた光る青の液体が、弧を描くように半回転している。
「……どう言うことでしょうか?」
「此処から向こう側には、強力な結界が張られてるってこと」
「結界が? 宮廷の魔導師が張ったのでしょうか?」
「こんな巧妙な結界を張れる魔導師……宮廷にいる? かな? 半回転している液体を見て注意深く探らないと、僕でも気付かなかったかもしれないほどだ」
「そうなんですか……」
宮廷に所属している魔導師や魔法使いとは、アデラは親しくしていない。
箝口令のことさえも頭から抜けているくらいに、接点がないのだ。
彼らの実力など知る由もない。
しかし──ロジオンの口ぶりだと「自分を超える優秀な者はいない」と暗に言っているようなものだ。
(ということは、宮廷に仕える魔法の使い手以外の者がこの結界を張った……ということか?)
「この先の領地には何があるの?」
問われ、アデラは先程の考えはまず頭の端に置いておくことにして答える。
「実はこの先に、王領伯のお屋敷があったんですよね……。お世継ぎに恵まれなく、伯が没後、王家に返還された土地なんです」
「……まだ、当時の屋敷は残ってるの?」
「はい、そのはずです」
「そこに誰か住んでるって、有り得る? ──よね? 誰か管理してるわけじゃないんでしょ?」
「普段は扉や窓は厳重に鎖を掛けますから……普通は無理でしょう」
「普通はね……」
そうロジオンは言うと、意を決したかのようにゆっくり結界の向こうに片足を入れた。
何か弾ける様な音が結界に踏み入れたロジオンの足の方から聞こえ、アデラは仰天する。
「ロジオン様!?」
「……あ……うう……」
ロジオンは自分の足に纏わり付くように走る、雷のような痛みに耐えながら何か呪文を唱えていた。
「Lähteä(去れ)」
呼応するように響くロジオンの声に、アデラは固まった。
大気に反響させ、幅広い地域に魔法効果を行き渡らせる『音波魔法』
身体の芯に響く声の
突然、緊張の糸が切れたかのように止まり、詠唱が終わったのだと彼女はほっと安堵した。
「気持ち悪かった?」
ロジオンが苦笑いを浮かべアデラに尋ねる。
「……申し訳ございません。初めて聞いたものですから」
「
もう大丈夫と彼は、ずかずかと結界が解けた先を進む。
──少なくても──
(ボンクラじゃない。 魔法に関しては)
アデラはロジオンの後姿を追いながら、そう呟いた。
◇◇◇◇
「ロジオン様。コンラート様は追わないのですか?」
「追うよ」
「しかし……」
進んでいく先は、方向から言って今は亡き王領伯の屋敷。
コンラートが付けた青い光は、ぐるっと迂回して違う方角に付けていた。
「誰か、その屋敷に住んでるんじゃないかな?」
「聞いたことはありませんが……王家の所有になってる屋敷ですから、許可無くても使えそうな王家筋の方が利用しているかも知れませんね」
けれどそれが何か気になるのか? 疑問詞が浮かんでいるアデラに、ロジオンは、
「あれだけ強力な結界を張っていたことを考えれば、僕と同等か、それ以上に師匠の襲撃を受けていた者がいる可能性が高い。勿論、ただの用心かも知れないけど。師匠を跳ね返す結界を張れるんだ──誰なのか知りたいと思わない?」
なんて、悪戯な瞳を見せる。
ブルーグレーの瞳を輝かせて同意を求められては、アデラは何も言えない。
それに──
上手くその者に出会え、交渉次第では助力を得られるかも知れない。
感謝祭も近い。早いところ何とかしないとならない。
のんびりとした風情のロジオンだが、やはり気が急いてるのだろう。
「……へえ……」
手入れの行き届いていない雑木林を抜けると、急に視界が開けた。
そこには短く刈った芝に、深まる秋の光景に彩りを乗せる草花達と、白い石を切り揃えて、配列させ、積み上げて完成させた背の低い小さな古城。
やはり使われているようで、窓や扉には鎖が掛かっていなかった。
「御伽噺に出てきそう」
ロジオンは、楽しそうにアデラに同意を求めた。
「ええ、本当に。女性が好むような造りですね」
「いるのは女性かな? 美人だと良いなあ、アデラみたいな」
「──ロ、ロジオン様、そ、そんな私は! びっ美人と言う風貌ではありません!」
突然、口説くような台詞をさらりと言ってくるのにアデラは顔を赤らめ必死に否定した。
「本当にそう思うのに~」
アデラの慌てぶりに、ロジオンは軽口を叩き笑いながら屋敷の玄関に向かう。
「こんにちは」
事も無げに扉のカリヨンを鳴らし、中の住人が出てくるのを待つ。
暫く待ってみたが、何の応答も無い。
「いないみたいですね……」
アデラも何回か鳴らしてみるが、一向に出る気配が無い。
「使用人くらい出てきても良いのに……無断で利用していて出て来れないのでしょうか?」
じいっと城を見ていたロジオンは、首をちょこんと傾け目を伏せていたがアデラに戻ろう、と促し元の道を引き返す。
小走りで主人の後を付いて行ったアデラは近付き、
「宮廷に戻ったら、この今の城の住人に付いて尋ねてみます」
と話した。
「うん……でも、僕が直接聞いたほうが良いかな……」
「──? 何故ですか?」
尋ねるも、そう告げた本人もどうやら釈然としない様子だ。
「……何かこう……僕の……知り合いみたいな感じが……」
「そうなんですか?」
「それがよく分からない……」
う~んと唸りながらよそに神経が集中しているせいか、途中、石につまづくロジオンを見てアデラはやっぱりボンクラかも、と思った。
◇◇◇◇
元の道に引き返した二人は、青い液体の跡を追う。
──すると、大きな池にまで辿り着いた。
池の周りは、吸い込まれるように木々や草花達が集まる。当然、木々や草花になる実や、蜜を頼りに鳥や虫達が寄ってくる。
止めどなく湧き出る泉は冷たく透き通っていて、水の中に生息している水草達が流れに乗って絶え間なく揺れていた。
飲料に使える水は、透度があり過ぎて微生物が住めない──当然、それを主食にする魚は住めない。
その透明度は、長い時間歩いてきた二人の喉の渇きを潤すよう、誘っているように見える。
しかしロジオンは首を横に振り、アデラが背負って来た皮袋から瓶に入れてきた水を飲むようにアデラに告げる。
代わる代わる瓶の中の水を飲む二人。
「……まさか、この池の中に居るのではないですよね……?」
そう言ってアデラは池を覗き込む。しかし、見えるのは水草のみで気持ちよさそうに揺れているだけだった。
「居ない事を祈るよ……さすがにこの季節に水浴びは避けたいもの……」
おとぼけて言うが、顔は至極真剣だ。
──近い──
この湖の周囲に居る……。
懐かしくも恐ろしいこの気配。
青く光る液体は既に底をついて、池の手前で終わっていた。
此処まで来れば気配で探れると、ロジオンは神経を研ぎ澄ませて周囲を散策する。
アデラはその後ろを黙って付いていく。
暫く歩くと、湧き水の出所にたどり着いた。
「池の中から湧いている訳じゃないんだ……」
一人心地に呟き、身体を目の前の岩山に目を向ける。
草木が岩から生え出ていて、一見こんもりした小さな山をつくっていた。
水はこの岩山の底から湧いているようで、かがんでよく確認してみればやはり幾つもある小さな切れ目から水が流れ出ている。
無言で岩山の周辺を歩くロジオンの顔が段々と険しくなっていくのに、アデラは不安を感じ始めていた。
何かある
何か問題が発生している──
「ロジオン様……?」
「これほど澄み切った池なのに精霊の応答が無い……。念頭すべきだった……」
ロジオンの無念に満ちた呻きに答えるように、水面が揺れた。
「もしや、コンラート師がこの池の精霊を襲ったと……?」
「取り代わった……と言うべきかな。『水』の精霊王に戦いを挑み、認められた師匠だもの……。知能は落ちても力はそのまま。関与しやすい上に普通の水の属性の精霊じゃあ……敵うわけが無い……」
「──では、コンラート師は!」
「……うん、実質、この池の精霊……。すぐにとは無いけど、この池の姿もゆっくりと変わっていくだろう。支配する精霊に見合った形に……」
命の保護を求めるように池の周辺に寄せ集まる草木が、今は暗い物に見えた。
◇◇◇◇
「いかがしますか?」
「聞いてみたいな……水の精霊王に……」
さらりと言うロジオンに、アデラはあんぐりと口を開けて見つめた。
「そんなに驚くこと?」
と、笑いながら相変わらずの平坦な口調で首を傾ける。
「そ、そんな簡単に会ってくれるものなんですか?」
「んー。師匠が存命の時には、ちょくちょく会ってたけど……あの禁令から何度か呼んだんだけど姿を表してくれてないよ。力不足なんだよね、ようするに。『あんたにゃ十年早い』なんて暗に言われてるようなものだよ」
ロジオンは力が抜けそうな溜息をすると、肩を落としながら自分の荷物を下ろす。
「──でもさ、そう言うわけにも行かないでしょ? 是が非でも聞かないと……」
ロジオンの唇がきつく閉じられ、じっと池を見つめる。
より一層の焦りの色が見て取れ、アデラはただ黙って頷くしかなかった。
当たり前だ。
コンラート師は、弟子のロジオンの身体に執着して乗っ取ろうとしていた──その赤子並みに落ちた思考で。
だから、他の人間に乗っ取ろうなんて思わないだろうと──そう考えていたのに……。
精霊を乗っ取るなんて──
「では……」
ロジオンは徐に誘うように両手を軽く前にかがけ、詠唱を始めた。
凄まじい『気』──ビリビリと身体に響くのにアデラは驚いて、自分で自分の身体を抱き締めた。
ロジオンを見ると、彼の足元が明るく光だし円を描き徐々に広がっていく。
下から柔らかく風が靡いているのだろうか──ロジオンの長めの前髪と、丈の短いマントが上に向かってはためいていた。
「ロジオン様……」
反響する場所ではないのに、響く声。
光と風に包まれているような中にいる自分の主が、そもそも召喚されてきた者に思える。
別の世界の住人の様に神々しい……。
綺麗だ──
アデラの率直な感想だ。
アデラ自身魔法は使えない。それに宮廷の魔法の使い手達と個人的に親しくしていないが、定期的に行われる実演訓練で仕えている魔法使いや魔導師達と共に参加する。
魔法使いや魔導師達も二手に別れ攻撃・防御・支援を行うので実際見たことはあるが、召喚系はこの目で見たのは初めてだった。
ただ、呆然と魅入っているアデラの後ろから肩を叩くものが居て、ギョッと振り向く。
そこには、怜悧な眼差しをアデラに向ける背の高い男がいた──。
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