第12話 二人 (2)

 のんびりとした動作が多いこの主。

 しかし昨夜といい今日といい普通の少年のそれと変わらない、しっかりとした歩調が続く。

 ──いや、普通より早足だろう。

 普段、背筋を伸ばしてキビキビと歩くアデラにとっては、この歩調の方がうっかり主の足を踏まなくて良いのだが。


 陣の場所から、青く光る液体を辿って歩いていく。

「時間がたてばたつほどに輝きが消えていくからね……早いとこ居場所を突き止めないと……」

 口調は相変わらず緩慢だが、焦りの音が聞き取れる。

 そうだろう。

 コンラートの居場所は近いのか、それとも遥かに遠いのか見当がつかないのだから──

 居場所まで、コンラートをぐるぐるに巻きつけたこの青い液体の量がもったのかどうかも分からない。


 ──これは賭けだ──


 ロジオンの予想だと、魂のみで形を作って動き回るコンラートには、肉体のように魂を入れておく形代が無い。

 その場合、昼間の輝きは耐え切れないのだという。

 

 だとしたら

 昼間はどこか暗い場所に潜んでいるか。

 最悪、誰かの肉体を形代に使っているか だと言う。


「師匠は僕の身体を欲しがって、その欲望のままにいるから、誰かの肉体に乗り移っている可能性は少ないけどね」

「では……どこかに寝所があると」

 ロジオンが頷く。


「居場所を見つけて、できるなら観察して師匠を見極めたい。安らかに眠らせることが出来るのか否かを……。まだ僕は力不足だから、後者だろうけど……」

 最後の方は聞き取るのが困難なほど、小さい声だった。


 少年の主の背中を、アデラは見つめながらついていく。

 成長過程の身体は、上背などを見ると筋肉が薄いようで頼りなげに見える。

(まだ、十六なのだよな……)


 王子と言う身分の重圧

 高名な魔導師の弟子という職種の重圧

 そして、化け物化した師匠の魔導師をどうにかしたいが、力不足の自分に対する憤り。


 アデラ自身、祖母からアサシンとしての能力を見込まれ、教えられ、結局祖母の期待に応えられなかった経験がある。


『……アデラ、貴女には──が足りない。』


 項垂れる祖母。

 蚊の飛ぶ音より弱々しいその声は、失望で項垂れる祖母の姿に衝撃を受けている中、少女で経験不足のアデラに届く声ではなかった。


 今こうして従者としてロジオンの後ろに付いているのは、何かの巡り合わせなのだろうか?

 

 ──あの時の少女だった自分。

 自分に対する憤り

 空しさ


 悲しみでどうして良いか分からず、唇から血が滲むほど噛み締め、地面に這いつくばって泣いた。


(王子は……私と同じような思いをしている……?)



「──!?」

 ロジオンは、後ろから自分を抱きしめる柔らかくて温かい、良い匂いがする女の体躯に驚いて身を強張らせた。

「……アデラ……?」

 それは自分の従者だと分かってるだけに、「どうしてこんなことをするんだ」と怪訝そうに顔だけ後ろに傾ける。

 自分の方が若干背が低いが、大して差が無いのですぐ側にアデラの頬が自分の唇を掠めたので、慌てて顔を背ける。


 アデラは気付いているのかいないのか、いつもは恥ずかしがってすぐに離れるのに、まるで子を抱きしめる母のように自分を抱き、髪を撫でた。

「……誘う場所には適した森だけど、アデラ……今はその気になってる場合じゃないし、君から誘ってくれるのは有り難いけどね……」

 気恥ずかしくなってきて冗談ではぐらかそうとしたが、アデラは自分から離れず更にきつく抱きしめた。

「花火……私にも手伝わせて下さい」

と、アデラは耳元で囁く。


「……ぁあ、聞いてたね……」

 アデラの態度に納得したのか、ロジオンはいつものようにのんびりと言った。

「いやらしいなあ、盗み聞きなんて」

と言いながらも特に嫌悪の声でもなく、淡々と喋る。

「聞こえたのです。サム爺は声が大きいですからね」

「内緒話には向かない人だよね」

 もう離して、とアデラの腕をつかんで押し戻す。


「すみません……やりすぎでした」

 しゅんと肩を落とすアデラにロジオンは、

「こんな時じゃあなかったら、押し倒すところだよ。僕は大人じゃあないからね」

と悪戯っぽく笑いかけ、アデラの手を握って言った。


「暫く手を握って歩いて良いかな?」

「……はい。」

 アデラは気恥ずかしげに頷くと主の硬く、しっかりとした感触の手を握り返した。




◇◇◇◇


 青く光る液体が紆余曲折に続いているその跡を辿る二人。

 雑木林や森の中をあの速さでぶつからず、上手に飛び回っているらしく、折れている枝や幹などは見付からないし、荒れている雑草や背の低い木々も無い。

「この液体が無かったら、分からなかった」

 ロジオンはアデラに話す。


 宮廷の敷地内だが限りなく広いので、宮廷からかなり離れたこの場所まで来ると時々、鹿や狐に出くわすくらいで人と言えば王子であり魔法使いである ロジオンとその従者であるアデラだけだった。


 横一列に二人並んで手をつないで歩く。

 後ろに歩かれると繋ぎにくいと、ロジオンが物言いをつけたためだ。

 ここまで来ればこの様子を見て在らぬ噂も立つことも無かろうと、アデラも言うがままに隣に並び、手を繋ぐ。


「僕は、二年前に師匠と共にこのエルズバーグに来るまで、自分がこの国の王子だなんて知らなかったんだ」

「──えっ?!」

 この告白には、驚かずにはいられなかった。

「コンラート様に自分の出生のこと、聞かされなかったのですか?」

「あの人ね、そういう俗世間に繋がる様なことをあまり話さない人だったんだ」

「だからと言って……ご自分で聞いたことは無かったのです?」

「あるよ、何度か。『僕のお父さんとお母さんはどうしたの?』って感じで、そしたら……」

「そしたら?」


 ロジオンは、人差し指を空に向けて言った。

「『あの、空の向こう』って師匠が……。何度か聞いてもそう答えてさ……あの頃まだ僕は幼かったから『ああ、この世にいないんだ』って思って、師匠も話すのが辛いのか? と一人納得して聞くのを止めたんだ。この国は平和だけど外に出たら国と国の間では戦は絶えずあるし、国に入っても平和に見えても内紛や、領主内の紛争、飢饉、病……安心した暮らしが出来る国は僅かだ。親を亡くして、寄り添って生きている子供達を沢山見てきた。僕もその内の一人なんだと思っていたんだ。運よく師匠に才を見出されて、弟子にしてくれたんだって……」

「……」

「──二人であちらこちら貴族のパトロンになったり、国の食客になったり、師匠は1つの処に留まるのが苦手な人でね。……まあ、性格もあるけど、手も早かったからね……」

「手が早い?」

「お・ん・な」

 ロジオンはアデラの顔を覗きながら、目を細めて、人差し指を自分の口にあてる。


「えーーーーーーー?!」

 この告白にアデラは更に驚く。

「……いつも、凛とした風情でぇ……落ち着いた眼差しと口調でぇ……高名な魔導師でぇ……。──でも……女性関係は俗まみれ……ねぇ……」

 少々放心気味のアデラを、引っ張るように青い液体を辿るロジオンは、苦笑いをしながら、話を続ける。


「師匠の言葉を借りれば、『女性は神秘の宝庫、探求し続けても分からない事が増えてくる』だって。今、思えば女性と縁を切る為の言い訳だよねぇ……」

「──本当ですよ!! 全く!!」

 放心から覚めたアデラは、生前のコンラートに過大評価があったと憤慨する。


「……で、その師匠が、『もう放浪生活は終わりにしよう』と入った国がこの、エルズバーグだったんだ。……入って驚いた……何か街の中、吃驚箱……」

 その表現に間違いはないな、とアデラは笑った。

 異国の商品が惜しげもなく並び、異民族の衣装を肌の色が様々な国民達が好きな風に着込んで、異国訛りの言葉が街を飛び交う『商人と職人』の国。

 街を造る建物も市や地域によってその風情が変わる。

 概観もあるのでその辺はまとめる様に指導があったのだろが、観光に来た者達には、1つ市を股いだら、別世界で肝を潰したなんて話もよく聞く。


「宮廷に通されて、この王の下に仕えるのか何て考えて謁見したら、突然『ロジオン、この方達がお前の両親だ』なんて師匠が言うんだもの……」

「……さぞ、驚かれたでしょうね……」

「驚いたも何も……」

 その時のことを思い出したのか、ロジオンは大きく肩を揺らし溜息を付く。


「父上と母上は師匠が宮廷を訪ねて、謁見した時点で僕が何者なのか分かったらしいけど……」

 アデラはそうだろうと頷く。

 ロジオンは青みのかかった銀髪にブルーグレイの瞳、そしてその端整な顔立ちは、第二王妃のそれとよく似てる。

 王妃の若かり日──そのままだったのだろう。


「師匠が王の子の証だという、産まれた時に贈られる、植物や虫が入った琥珀のブローチを見せてさ……、そんなの持っていたのか師匠? って眩暈がしたよ」

「……そうでしょうね……」

 その様子を想像してアデラは苦笑する。


「よく思い出したら、師匠が指さしていた方角はエルズバーグの方向なんだよね……。ぁあ、もっと追求すれば良かったなんて、つらつら思っていたら両親には泣きつかれるし、あれやこれやと王子らしい格好をと着飾らされるし、いきなり兄妹ができて、ずっと一緒に過ごして来た様に振舞うし、帝王学だの貴族の作法だの毎日目まぐるしくて」

「……」

「───こちらは、今だに自分が王子ということに実感が持てないのに……。王子らしく振舞えとか、王子としての仕事をこなせとか───僕は王子である前に魔法使いとして育ったんだ、今更どうすれば良いんだ!」


 激しい口調になった自分にロジオンはハッとして口を塞ぎ、すまないと、アデラに謝る。

 いつの間にか、つないでいた手が離れていた……。


 相変わらず、先を急ごうと歩く早い足捌きの後ろをアデラは付いていく。


「目まぐるい毎日を過ごしていたら、師匠の異変に気付くのに遅くなってしまった……」

「……不治の病だと聞いています。早く気付いても、同じだったのでは……と……」

「……師匠は当に気付いていたのだろう。……だから、この国に留まって、異国から流れてくる沢山の薬品を研究して、治す薬を……僕が早く気付けば、手伝えた……間に合ったかも知れない」


 長い沈黙が二人を包む。

 地を踏みしめる音と、時々響く鳥の鳴き声が耳に入るだけの静けさ……。

 そんな寂しい情景の中、ロジオンの押し殺したような声だけが淡々とアデラの耳に届く。


「例え間に合わなくても……自分の身体からこぼれるていく消える命の灯火を、一人で耐えて行かなくてはならない恐ろしさを……軽くできたかも知れない……。僕が僕のことだけに精一杯だった為に、ずっと側にいてくれた師匠を狂わせた……」




 泣いているのだろうか……?

 先程よりずっと、歩き方が早い。

 まるで、追いつくな、僕の顔を見るな、と言ってるかのように……。



「ロジオン様は私の足が俊足なことをお忘れなようだ」

 アデラは微笑んで、そう呟くと、再び主の手を掴み握る。

「触らないでよ……」

 手を払おうとするロジオンの手の甲を、アデラは握り締める。


「──だったら、私は間に合ったのですね……」


「? ……」


 ロジオンは立ち止まり充血した瞳を瞬かせながら、不思議そうに自分の従者を見つめた。

「貴方様が師の事で後悔し、悩み、悲しみ、この世の者ではなくなった師を一人で何とかしないとならない恐ろしさで、壊れる前に……」


 ロジオンの瞳が大きく開き、湖畔のさざ波のように大きく揺れた。


「私は、ロジオン様のお役に立てますよね? ──ううん、役立たせてください。一人より二人の方が、きっと、道が開けます……ねっ……」


 返事の代わりに、主の抱擁がアデラを包んだ。

「……王子と呼ばないで」

「はい、ロジオン様で良いですか?」

「『様』も貴族みたいで……嫌だな……」

「ロジオン様は貴族ではなく、王族ですよ」

「──意地悪だな……」

 ちょっと拗ねた風に喋るロジオンに、思わず吹き出す。


 ──今まで自分がやってきた事が、全て非難されてるようで嫌気が差していたのだろう──


「そのままで良いですよ……魔法使いのロジオン様で。無理矢理こなすと捻じ曲がりますもの。ゆっくり、溶けるように馴染んで行けば……。御両親様にも、御兄妹様にも、宮廷に仕える者達のにも自分の出生にも……。私がいつもお側にお仕え致します。……コンラート様のようにはいかないかも知れませんが、私は私なりに誠心誠意を持って貴方様にお仕え致しますから……」

「……そう言うこと言うとアデラのこと、絶対に手放せなくなるよ……? 知らないよ……?」


 相変わらずのんびりだが拗ねたような風で喋り、抱擁するこの主がアデラは愛おしくて、癖のある銀の髪を優しく撫でた。

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