第10話 策 (3)

 深夜の林の中、遠くで梟の鳴き声が微かに届く。 

 此処に佇んでからそんなに時間は過ぎていないが、どうしてか今夜は途方もない長い時間に思える。

 

 ここにいるように主の魔法使いに言われ、アデラは不安な表情を見せた。

「大丈夫。君を酷い目には合わせないから……」

 一人でコンラートの襲撃を待つのが怖いのと思ったのか、ロジオンは珍しく優しい口調で諭す。

 そう言われても、これから今まで経験したことのないことを始めるのだ。

 しかも対象はかなり危険な奴──果たして計画通りに随行できるのか?

「アデラなら出来る。僕はそう感じたから君に頼むんだ」

 主であるロジオンの自信のある言葉に触発されて、アデラの身体から不安が消えた。

 ここまで期待されては随行するより他ない。

 自分はどうも単純でしょうがないとは思うも、昔から褒められたりすると伸びる子だから仕方ない。

「はい、お任せください」

 アデラがしっかりと返事をすると、ロジオンもようやく安堵した笑みを見せた。


◇◇◇◇


 コンラートを待つのはきっと、そんなに長い時間ではないだろう、ここまで来たまでの忙しさをアデラは思い出す。

 祖母から聞いた術の説明を聞いて忙しく準備を始め、ほとんど駆け足でこの場所まで来たのだから……。


「アデラ──!!」

 自分の呼ぶ声が木霊し、主が手にしていたカンテラが左右に揺れている。

 刹那、アデラはそのカンテラに向けて全速力で走り出した。

「来てる──!」

 

 黒い影のコンラートの速さは化け物と呼ぶに相応しい。

 前のように大分前にロジオンが感づいても、ぎりぎりだった。

 ロジオンの場所までほんの数メートルのはずだが、後ろから闇より濃い闇が迫ってきていて、背中に走る電流のような悪寒にあっと言う間に距離が縮まっているのが分かる。


 ──早く、早く!

 ロジオンの焦る声がアデラの耳につんざく。


「──!!」

 自分の後ろ毛が、逆立つのが分かった。


 つ か ま る


 ロジオンが居るその陣まで間に合わない──!


 手が届かないのを承知に思わず、主のロジオンに向けアデラは手を伸ばした。

 髪の毛を捕まれた──そんな感触を感じた瞬間。


「──?!」


 アデラは自分の身体が光っているのに驚く。

 いや、まだ光り続けている。

 それと同時、自分の走る速度が急速に上がった気がする。


「アデラ! 飛べ!」

 ロジオンが両手をアデラに向け、広げている。

 アデラは力強く地を蹴り上げた。

「──ぅわ?!」

 自分でも思いもしない程の跳躍にアデラは、声を上げた。

 そしてまさしく、飛び込むようにロジオンの腕の中に。

 ロジオンは倒れながらも彼女をしっかりと受け止め、強く抱きしめた。


 二人、言葉を掛け合う暇も無く、抱きあいながら闇からの来訪者を向かい入れた。


 そう、 陣の中に──



◇◇◇◇



 闇より暗い漆黒の衣のような身体に、陶磁器のように生気の無い顔色。

 しかし、表情は虫を追う幼児のように楽しげで……。


『身体から抜けて自由になった魂で、道徳も良心も理想も無く』


 アデラはロジオンの言葉を思い出す。

 老いと病で思うように身動きできない身体から抜け、その身軽さを満喫するかのように。

 風のように自分の弟子に襲い掛かろうとしたその時──。

「伏せて!!」

 ロジオンはアデラの上に覆い被さる様に屈む。

 輪を作る様にぶら下げていた用紙から、青い光線が放たれた。

 アデラは怖々顔を上げると、息を呑んだ。




『この羊皮紙に青い目を描くんです。』


 アデラは不思議そうに覗くロジオンの前で、筆に青いインクを付け、用紙に1つ目を描く。

『《邪眼》……というそうです。元々、悪しき者を呼び寄せるまじないだったそうですが今は、悪しき者で悪しき者を追い払うお守りみたいな物だ……と、祖母が話していました』

『ふーん』

 アデラが見本で描いた紙を手に取り、食い入るように見つめる。

『……確かにまじないみたいな感じがする。信仰心に左右される類のものかな? お祖母様は亡くなるまで、亡国の宗教を信仰していた?』

 アデラはちょっと考え、そうですね、よく、太陽に向かって祈りを奉げていましたから、と答えた。

『……使えないですかね……』

 アデラはそろそろと、主である魔法使いの王子に尋ねた。


『……いや……亡国の……使えるね……』

 ロジオンは含みのある笑いを浮かべ、アデラを見つめる。

『信仰を、魔法に組み替える』

 そう言うと、薬品棚から小瓶を1つ取り出し、蓋を開ける。

『こちらの青い塗料を使おう……』

『──これは……?』

 アデラは小瓶を手に取り、覗き込んだ。

 ランプの光に反射して、微かにキラキラと光っているように見える。

『どう使おうか、考えていたものだ……これなら有効に使えそうだよ……』


 ──女従者に対する予見……


(久しぶりに当たりそうだ)

 策をアデラに説明しながら、そう、思ったロジオンだった。



 青い目を描いた用紙をなるだけびっちりと輪になるように囲み、なるだけ中央に誘った。

 ──コンラートは見事はまり、あらかじめ呪文を詠唱をし待機していた所に発動。

 青い目から一斉に青い光線が、コンラートを捕らえた。

 まるで蛇のように黒いコンラートの身体に巻きついていく。

 コンラートは甲高い声を上げて、次々と巻きついていく青い光線から、激しく身体をくねらせ、逃れようといている。


「──ロジオン様、捕らえる事ができそうですね!」

 アデラは嬉しそうに顔を綻ばせながら、ロジオンに話しかける。

「……いや、これは無理だね」

「えっ……?」

 ゆっくりとした口調で、じっとコンラートを見ながらロジオンは呟いた。

「これは、ね、捕らえる為の魔法じゃあ無いから……」

「──!?」

 驚いたアデラは、ロジオンと同じ方向に顔を向ける。


 瞬間、火花が飛び散るような激しい炸裂音が響いた。

 アデラは一瞬身体を強張らせ、顔を背ける。

 光線が弾けるように千切れたのだ。



 ひぃぃぃぃぃぃぃやぁぁぁぁぁぁぁぁぁ



 泣き声のような、呻き声のような声を一声、上げたかと思うとコンラートは、すぐ側に居るロジオンとアデラに見向きもしないで、疾風のように何処かへ去っていった。


◇◇◇◇


「……アデラ……? 平気?」

 光線が消えカンテラのつたない灯りしかない森の中ロジオンは、呆然と自分にしがみ付いているアデラの背中を擦る。

「捕らえる為の……仕掛けではなかったのですか……?」

 ようやく口を訊いたかと思えば、不満事であった。


 彼はチョコンと首を傾け、アデラの顔を覗くように答えた。

「捕らえるんじゃ意味が無いんだ。それにこれは、付け焼刃みたいな術だからね」

「──それじゃあ、一体何の為にこんな……?」

「いつも不思議だったんだ……。あの師匠は、一体どこからやってくるんだろうって」


 見て、と、ロジオンは指をさす。

「──あっ」

 コンラートを縛りつけた青い光線が、元の液体に戻り光を放ちながら点々と地面にこぼれ、化け物の道筋をつけていた。

「昼間、日が昇っているうちは出てこないのは分かってる。その間に、師匠の隠れ場を見つけたい」

「それで……?」

「それから考えるよ。師匠がどういう質の物に変化しているのか、はっきり見極めないと」

「……では、何か別な策なり、術なりを見つけておいた方が良いのですね?」

「お祖母様の人脈をあてにしたい。……アデラに頼んで良いかな?」

 アデラはしっかりと頷く。


「──とにかく、朝から行動だ……一旦離れ屋に戻って仮眠を取ろう」

「そう言えば……。捕まるかと思った途端に急に駆ける自分の足が速くなって──何かしたんですか?」

「ちょっとした支援をね……」

 謎かけをするロジオンの顔をまともに見ると、もの凄い近い距離にあるのを知り、アデラは慌てて彼から離れた。

 自分は今の今まで主であるロジオンの胸の中にいたことにようやく気付き、顔を赤らめる。


「──申し訳ありません!!」

 しゃがみながら、後ずさり主に頭を垂らす。

 ロジオンはゆっくりと立ち上がると、服に付いた土を払いながらアデラを見つめた。

 口角が上がっているのが、カンテラの儚い灯りでも分かる。

 そして、

「……君の胸、硬いね。……筋肉?」

と問いかけた。

「──防具服です!!」

「冗談だよ……」


 くすくす笑いながら、取り合えず紙を取っちゃおうと言うロジオンを沸騰した顔で睨みつけるアデラは、

(また、遊ばれてた……)

と、火照った顔を両の手で冷ましながら撤去作業に取り掛かった。




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