第9話 策 (2)

 カタン……と、椅子を引く音がして、ハッとアデラは顔を上げる。うっかりうたた寝してしまった。

 こちらを見つめながら近寄るロジオンの表情は、芳しくない。

 アデラは主に長椅子を譲って、温めなおしたスープをカップに注ぎ彼に渡す。


「使えないね……あれ」

 ロジオンは独り言のようにポツリと呟く。

「羊皮紙の腐食が激しすぎ。シミで見えないわ虫食いで千切れているわ……何か使えそうな呪文があればと思ったけど」

 そう言うと、サイドテーブルに置かれた皿からパンを抜き取り、スープに浸しながら口に詰め出した。


「……今夜辺り、現れそうなのですか?」

「……来るかな。予感はするんだけど……」

 僕の予見は余り当てにならないからと、付け足す。

「もし来たら……?」

 ロジオンは忙しくスープを飲み干すと、次に骨付き肉にかぶりつきながらアデラが注いでくれたお茶を受け取り話を続ける。

「取り合えずその場で捕らえるか、何処か誘導するかなんだけど……」

「それを一年、ずっとお試しになったわけですね」

 ロジオンは両手でムシャムシャと肉をかじりながら、肩を窄める。アデラの言いたいことが分かる故の仕草だ。


「上手くいかなかったのは、承知の通り。……上手くいかなくて当たり前なんだ。僕の魔法は、全て師匠から教えてもらったもの。いくら師匠の思考が赤子並みに落ちていても、潜在意識の中に覚えているのだろう。……全て弾かれるか、消されるか、だもの」

「それで古代魔法……」

「古代魔法書なんてものは、その時代に生きてきた魔法使いの日記なんだよ。自分が開発した魔法を記しといたりするもんなんだ。大抵、弟子がいればその人に渡される。いなければ自分の命が尽きる前に処分するか、こんな風にどこかに紛れて発見されるか……」

 そう言ってロジオンは、肉の骨で作業台の上にある書を指し示す。

「これは魔法使いの日記だったのですか? 知りませんでした。それに皆が皆、同じ呪文で同じ魔法を唱えているのかと……」

 アデラは感服したようにロジオンを見つめ、大きく息を吐く。

「土台は一緒だよ、それは古代から変わらないんだ。問題は土台を習って、それからどう自分の魔法を作り上げていくか……。それができるか否かが魔法使いとして生きて、いずれ『魔導師』になれるかどうかの分かれ道になる……」


「ロジオン様は……?」

 アデラの問いにロジオンは答えず、指に付いたソース懸命に舐め取る事に集中していた。

 アデラは無言で台所からフィンガーボールを持ってきて、ロジオンの前に差し出す。

「こんなのいらないのに……」

 断るとアデラに睨まれ、渋々手を洗う。


 そうそう、さっきの話と、上着のチュニックで手を拭うロジオンをしかめ顔で見るアデラに話しかける。

「僕は取り合えず、一人立ち出来る位だ。まだ、自分で魔法なんか創れないよ。魔法日記は持ってるけど、普通に日誌代わりに使ってるだけ。だから、過去の産物に頼ろうかなっと思ったわけ」

 

 腹を満たした彼は、ゴロンと長椅子にだらしなく寝転がる。

 徒労に終わった翻訳で目が疲れたらしく、目を瞬きながら時々、目頭を指で押さえている。

「他の──例えば、コンラート様が懇意になさっていた同業者に、コンラート様の知らない術の指南をして頂くわけにはいかないのですか?」

「アデラの意見はもっともだと思う。……でも、できない」


 瞬間、彼は悲痛な表情を浮かべたが、変わったかどうか分からない程の一瞬で、すぐにいつもの緊迫感の無い顔に戻った。

 アデラはそれを見逃さなかった。

「何か不都合な事がおありですか?」

「……頭を痛める事が増える。」

「何故です? それが一番の近道ではないですか? 例えば『水』を吸収する『地』の称号を持つ方に協力を仰ぐとか」

「今はできない。……知らないの? アデラは宮廷仕官でしょ? 師匠が亡くなった時、緘口令を敷いたじゃない」

「──あっ! ……すいません、今まで魔法に縁が無い生活を送っていたので……」

 思わず口を塞ぐアデラに向けて、ロジオンは困ったように笑う。


 魔法の世界だけではなく一般的にも高名なコンラートが亡くなったことは、特に魔法を扱う同業者達に混乱を招く。

 しかも、戦いではなく病気で発狂した上に誤飲で亡くなったことは、亡き本人の恥を晒すだけではない。


 『水』の称号が宙に浮いた状態にあると言うこと。


 称号の跡目争いで、巻き込まれるのは 


 ──ロジオン王子──


「僕はおろか、このエルズバークの国全体が巻き込まれる恐れがあるからね……。魔導術統率協会に水の王からに直接連絡があって、宮廷内の秘密にするようにって僕と父上に伝達が来た。」

「魔導術統率協会から……」


『魔導術統率協会』

 ──魔法を扱う者達が世界中に増え、魔導師や魔法使いを語り犯罪や人を惑わす行いが激増した為、魔法の発案創世者マルティンが個人の財産を投げ打って作った組織である。

 マルティンの考えに同意し賛同した者達や、その子孫達が魔法を扱う者達に規律や戒律又、援助を行ってきた。

 魔承師と呼ばれる魔法の使い手を中心に、強力な魔法を使う魔導師が多く在籍しており、普段は世界各国に散らばっているが協会の指示が出ると動く。

 各国に仕えてはいるが、魔法を扱う者達は自分の大本の主は協会という観念を持っており各国の指導者達も協会に政治的介入はできない。

 魔法が世界中に浸透している今、何処の国も魔法を扱う者達の存在は必須だ。

 協会側からは国が魔法を扱う者達をどう使おうと、物言いは来ない。

 が、魔法に関すること、魔法を扱う者に何か重大な事柄が起きると、協会側から何かしらの形で介入があるのだ。

 しかし、それでさえ稀だ。


 ──同じ世界に存在しながら、別の世界の組織のよう──


 人々はそう囁く。


 そのせいか、アデラには協会の存在も、その内容に現実味が無くピンとこなかった。

 しかし、この後のロジオンの台詞に急に現実味を帯びて、沸々と怒りが湧いてきた。

「だからと言って宮廷内に勤めている者に口止めしたとは言え、風の噂で国中に伝わっているでしょう?」

「だから魔導術統率協会も水の王も…噂を流すおしゃべりな『風』の属性を持つ魔物や精霊にも緘口令を敷いたんだ……だから、宮廷の外や他国にいる高名な魔導師達には頼めない」

「……それは、王子一人で何とかしろということでしょうか?」

「……ってこと」

「何とかできなかったら……?」

「魔導術統率協会から派遣された同業者達が、師匠を何とかしにくる……」

 それまで僕の手で師匠を安らかに眠らせたいと思うんだけどねと、溜息を付く。


 そうしてアデラの視線をそらす様にじっと、天井を見つめ再び口を開いた。

「僕が師匠を光聖魔法で退けた後に、水の王が現れたんだ。魔導術統率協会から、僕に滅す又は封印を決行するよう指示があった。自分の師匠だから、弟子の僕が何とかするのは当たり前だと思ったから……」

「承諾なさったのですね」

「……でも、今の情況見れば分かると思うけど、なかなかね。緘口令を引いてるから、懇意だった他の元素の称号を持つ魔導師達に助言を請えないし……」

「話したら他の魔法を扱う者たちにあっという間に広がり、コンラート様以外の悩み事が増えるってことですか……」


 深く溜息を付いた。何が何でも王子一人の力でやらなければならない情況なんだ。


 ──待って?


「王子、宮廷に仕える魔法使い達にはお力を貸して頂けないのですか?」

「……無理だ」

 今度はロジオンが深く溜息を付く。

「僕は、同業者には嫌われているらしい……却下されました……」

 と、肩を竦めた。 


 ──あの噂は本当だったのか……。


 期待が大きかっただけに、本人を見たときの宮廷に仕える魔法使い達には落胆は大きかっただろうが、露骨に馬鹿にし、非難する者が居ると言うのだから、恐らく高みの見物と洒落込んでるつもりなのだろう。

「別に人が居れば居るほど良い、って言うわけじゃないからね。師匠相手じゃ、烏合の衆になる可能性のほうが高いもの」

 だからそれは気にしない。僕は元々期待はしていないしと即、答え、

「さしあたって今夜、襲撃に来たらどうしよう──ってことを考えよう」

と、話を逸らす。


  寂しくは無かったのか──? 

 この一年間、一人で難問と向き合うことに。

(まだ成年の儀を迎えない少年の王子一人に任せるとは……! 魔導術統率協会は一体何を考えているのだ! 宮廷に仕える魔法使い達も!!)

 怒りと共に、王子への慕情が募る。


 長椅子の前にしゃがみそっと、ロジオンの手を両手で包むように触れる。

「……アデラ?」

「王子……私は貴方様に忠誠を誓っております。何なりと言ってください。私は、何があろうと王子の味方です」

 強いアデラの口調とは別に、彼女の瞳は揺れていた。

 ジッとロジオンはそんなアデラの潤む緑の瞳を眺めた。

「何時、忠誠を誓ったの?」

「初めてコンラート様に襲われた夜です」

 ふーん、と、表情も変えず首を傾け、そして、

「……何なりと言って言いわけ? じゃ、夜伽……」

「──王子!!」

 顔を真っ赤にして離れるアデラに向かって「冗談だよ」と笑うロジオンを見て、またからかわれたとムッとしたが、

「ありがとう……。 君に言われると元気が出るよ……」

 落ち着いた微笑は少なくても自分の言葉が、ロジオンにはなかなかの栄養剤だったらしいとの証明で内心アデラはホッとした。


  ──ホッとしたついでだ。ある案を話してみることにした。


「それで……いかかでしょう? ロジオン様の術が効かぬと言うのなら、私の祖母から教えてもらった術を試してみてはと──」

「──術って……?!」

 だらしなく長椅子に寝転がっていた主が飛び起きた。

 まだ短い付き合いだがこんなに反応の早い彼を見るのは初めてで、かえってアデラの方がしどろもどろになる。

「あっ、あの……! どちらかと言えば、お守りに近い感じなのですが──」

「良いよ、教えて」

 間髪入れずにロジオンは答える。

「……はっ、はい……では」


 アデラはそう言うと、食事を入れていたバスケットの中から青い色のインクと筆、正方形に切りそろえられた用紙を取り出した。

「……?」

 その小道具を見てロジオンは、不思議そうに小首を傾げた。






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