第8話 策 (1)

 結局、その夜はコンラートは現れなかった──。




 馬上で何度も欠伸を噛み殺しながら、宿舎へと戻ったアデラはズルズルと足を引きずるようにして自室へ戻った。

 同僚達は朝の訓練で誰1人宿舎に残っておらず、黄色い声に囲まれずに済んでホッとした。

(取り合えず、一寝入りしてから身体を清める事にしよう……)

 いつもはきちんとクローゼットに掛ける上着さえも面倒で、椅子の背もたれに乱雑に置くと寝台に身を投げた。


(それから、王立図書館の閲覧禁止の書をそっと持ち出して……)


 ──出来るだろうか?

『魔法に関する古代文書があった筈なんだ。もの凄くぼろぼろだから、すぐに分かる。それを持ってきて。ぼろ過ぎて閲覧禁止になったやつだから、そんな怖いものじゃない』

 ロジオンの言葉を思い出す。


 とにもかくにも……寝よう……。

 重たい瞼を閉じるとアデラは、あっという間に眠りに入った。



◇◇◇◇


 ノックの音に目が覚める。


 日時計はまだ昼……また、噂好きの同僚だろうと居留守を使うことにした。

「アデラ、居るんだろ?」

 男の声に、まだよく覚醒しない頭でのっそりと寝台から身体を起こすと、閂を外す。


「──ロジオン王……!? ──エイルマー?」

 主かと思って開けたら、むすりとした顔を此方に向ける同僚の男性仕官のエイルマーが、顔と同じごつい身体付きを扉を塞ぐようにアデラに向けていた。

 偉丈夫の彼に目の前に立ち塞がられるようにされ圧迫感を感じながらも、同僚の気安さで夜着のままで構わず対応する。

「悪臭王子じゃなくて悪かったな」

 ふざけた言い方であるが、明らかに機嫌が悪そうだ。

「私の主だ。 私の前で他の同僚のように悪態をつかんでくれ」

 エイルマーの出現ですっかり目が覚めたアデラは、いつもの張りのある澄んだ声で厳しく諌める。

 どうして、こいつと自分の主の声と間違えたのか──面倒臭い相手だと知っているだけに己の失敗にアデラは舌を鳴らす。


「──何が主だか……従者ではなく愛人じゃないか」

(それを聞きに来たのか……)

「……エイルマー、悪いが疲れているんだ……。休ませてくれ」

 偉丈夫のエイルマーを外に追い出し、扉を閉めようとすると彼に止められた。

「お前、それで良いのか? 愛人なんか、そんなの仕官の仕事じゃないだろ?! しかも、剣や身体の鍛錬にも出てこないで……!!」

「この生活に慣れたら、仕官として鍛錬もきちんと行うつもりだ──とにかく眠いんだ……!!」


 怒鳴り、エイルマーの顔を見つめ睨んだ。こいつは悪い奴ではないのだが、どうも空気を読む事が出来ない。 

 女は少々ぼんやりしてる方が可愛いとか、女兵士の前で平気でほざくし。

 これだけ険悪な態度を出しても分かっておらず、仕官としての心構えを淡々と説いてるし。


「──聞いているのか? 」

 エイルマーの問いに、アデラはやけ気味に「ああ」と応える。

 本当は全く聞いていないのだが、聞く振りしてさっさと帰って貰おうと目論んでいた──が、

「そうか!! 俺の気持ちを受け入れてくれる決意をしてくれたか!!」

と、いきなり抱きつかれた。


 ──えっ?

 

 あせってエイルマーから身体を引き離そうと身を捩るが、「恥ずかしがるなよ」とますます強く抱きしめる。

「てっ手加減を知らないのか?! お前は!! 痛いだろが!!」

 本気で痛がるアデラにお構いなしのエイルマーはそのまま扉を閉めると、アデラをベットへ押し倒した。


 何が何だか分からぬまま、だが、貞操の危機だと本能で感じたアデラは枕元に隠してある短剣で鞘を外さぬまま、エイルマーの後頭部を殴打する。

 呻き声を出し後頭部を押さえた彼の隙を見てするりと離れると、投げといた仕官服を拾い自室から飛び出し、ベルの部屋へ逃げた。


 驚いたのはベルの方だ。

 乱れた夜着で血相を抱えて逃げ込むアデラ

 頭を押さえながら追いかけるエイルマー。

 焦りながらも素早く状況を察したベルは、エイルマーが部屋に入るぎりぎりで思いっきり扉を閉め、閂をかける。


 「なっ、何? 今度はアデラなの?? あの勘違い男?」

 叩き続け、しなる扉を押さえながらベルはアデラに聞く。


 エイルマーは仕官の中では有名な勘違い野郎だ。

 好かれていると勝手に思い妄想を広げ標的の女性を追い掛け回すという、コンラートとは別な意味での化け物野郎だった──。

 兵士としての実力があるだけに、空気の読めなさと女性に関する勘違いが、彼の出世を妨げてると評判であった。


 二人で必死に扉を押さえていると、この騒ぎに誰か王宮憲兵に通報してくれたのだろう。

「何だ?!貴様等!!」

「女子寮で騒ぐな!」

「取り合えず、話は向こうで聞くから!」

 扉の向こうの喧騒が聞こえる。

「アデラー!! 何故だーーーーーー!!」


 エイルマーの悲痛な叫びが廊下に木霊していた……。



 アデラとベルは、力尽きたようにその場に座り込む。

 脱力感が襲い二人、扉に背もたれボンヤリする。

「……何人目だっけ? あいつ……」

 長い沈黙の後、先に口を開いたのはベルだった。

「……知らないよ……。おかげで目が覚めたけど……」

 アデラはそう答えると、肌蹴た夜着を整えながら立ち上がった。

「ごめん、ベル。 迷惑かけちゃって」

「私に迷惑かけたのは、エイルマーだし」

 ベルは肩を竦め、笑ってアデラを見た。


「……あっ!!」

  自分を見つめるベルを見て、アデラはあることを思い出す。

「──ベル、確か貴女の恋人って……」



◇◇◇◇


「これが、王子所望の古文書だと思う」

 ベルの恋人の司書であるボリスが労わる様にアデラに渡した一冊の本は、酷い有様だった。

 羊皮紙が所々虫食いと色あせており、しかも、紐が腐食して今にも解けそうである。

「本を修復するか、新しく写し直すかまだ、修史官と相談中なんだ。内容を訳できる人もいないから、これがどれ程の価値のある書物なのか分からないので、放りっぱなしだったから。……ロジオン王子は訳できるのかい?」

「さあ……? 私はただ、持ってくるように言われただけだから……」

 歯切れの悪い返事を返すアデラは、今にも崩れそうな書物を至極大事に手に持ちながら、ボリスとベル礼を述べて図書館の裏口からそっと出た。


 勿論、この事は秘密にしてもらって……。



(持つべき友は、多い方が良い──ついでに口が堅い方が尚更良い)


 一人頷きながら、夕日を背に走るアデラだった。



◇◇◇◇



「──うん、これ……」

 アデラから受けとった書物を見て、ロジオンがはっきり「酷いな」と露骨に顔をしかめて言った。

「前に見た時より酷い……。ほっぽり投げてたって感じ?」

「ほっぽり投げていたと言うより、どうするか相談中でそのままだったそうです」

「相談中? そのまま? だった? ……そうです? ……持ってくるのに協力者がいたの?」

「──うっ……!」

 怪訝そうに眉を顰めるロジオンに、アデラはグッと喉を詰まらせる。


「……」


「……」


「……申し訳ありません」


 たっぷり沈黙の後、恐る恐る主に事の次第を告げた。

「……そっと持ってきてって言うのはね、内緒で持ってきてと言う意味だったんだけど?」

「はい……。たまたま知り合いが司書にいたものですから……つい……」


(私が一番口が軽いのかも……)


 王子にもベルにも彼女の恋人のボリスにも、心の中でたっぷり謝りながら呟くアデラだった。


 ロジオンは肩が揺れるくらいに大げさに溜息を付くと、作業台にそっと本を置いて慎重にページを開きながら、いつもの平坦な口調で尋ねた。

「その司書、僕が訳せるか? と聞いてこなかった?」

「そう言えば……聞いてましたね……」

「何て答えたの?」

「ただ、持って来るように言われただけだと……」

「……後で詰め寄られそう……」

 珍しく嫌悪の様子が分かる口調だった。

「訳せるから、持って来いと言ったのですよね?」

 ロジオンは黙って頷くとそのまま、本にのめり込んでしまった。


 時々、本棚にしまってある本を開いては読んで、たまにペンを持って自分のノートに写し取ったり。




 日はとっぷり暮れ、遠くで梟が鳴いている。


(今夜は現れるのだろうか?)

 ちらりと主であるロジオンを見る。

 彼は一心不乱に書物を読み解いていて、こちらの視線には気付いていない。

 

 そう言えばと──アデラは思い出したように奥の台所に入り、持ってきた夕飯を皿に盛り付けそっと、ロジオンの脇に置いた。

「お食事です」

「……」

 アデラに声を掛けられたことも、側に食事が置かれた事にも気付かないようだ。


 ──いや、気付いていても返事をする余裕が無いのかも知れない。その集中力に必死な気配が読みとれるようで、アデラは一抹の不安がよぎる。


(今夜辺り……来るのか……?)


 夜の住人ではないアデラは闇を恐れるよう、そっと窓から外を眺めた。


 外は漆黒の闇……。


 遠くにかすかな王宮の灯火が瞬くだけ。


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