第6話 卑下と白パン (1)

 王宮に一旦戻ったアデラのことを知っている周囲の目は、やはり何処かからかいと驚きと──時々、刺す様な嫉妬と憐れみの視線の集中砲火であった。


『自室で仮眠を取っておいでよ。……それから日が沈む前にまた離れ屋に来て』


 コンラート師は夜に動き出すのでこの一年、ロジオンも昼夜逆転の生活を送っていたという。

(だから昼に訪問すると機嫌が悪かったわけだ)

 アデラは一人納得する。


 さっとシャワーを浴びて別棟の仕官用宿舎の自室に戻ろうと、渡り廊下を歩いていると仕官仲間に声をかけられ、あっという間に囲まれた。

「噂になってるわよ~アデラ!」

「──で? どうなの? あの『悪臭王子』と関係しちゃったの?」

 その方が動きやすい──という主人の言葉にアデラは否定する言葉を飲み込む。

 主人の意見に逆らうわけにもいかないし、此処で事実無根だと騒いでもどこか、この状況を楽しんでいる仲間達には信じてもらえそうにも無い。


(しかも「変わり者王子」から「悪臭王子」に異名が変わっているし……)

 

「……さっ、さあ……」

 取り合えずはぐらかして場から逃ようとするが、がっちり囲まれて真偽を答えるまで離さない勢いだ。

「一晩二人っきりでいて、何もないなんて無しよぉ~。」

(どうしても、何かあったと言わせたいらしい……)

「そうそう! 女性と二人っきりで、臭くても男で王子よ! そこで、手ェ出さずにいたなんてあり得ないわよォ──無いと『女に興味無い』なんて貴族や王族にとっては不名誉な評価がつくし、手ェ出さない方が失礼になるもんよ」

「当然、自分の名誉の為にも……ねえ?」

 アデラの答えを聞くまでもなく、勝手に話を進められている。


(なるほど……こうやって話が飛び火していくんだな)

 噂好きは女の性だと言うが……。同性とは言え、苦笑いするしかない。


「すまないけどまた、夕方に出掛けないとならないから」

「──王子の所に行くのね?!」


 キャー!! と、黄色い声を出す仕官仲間から剥がれるように自室へ飛び込む。


(……これは、何も無かったと説明する方が難しい)


 冷や汗を拭いながら溜息を付くと、肌着を取り替え寝台に横になった。

 仮眠を取っておけと言われたが、いきなり昼夜逆転の生活を強いられても急に寝れるわけが無い。


 昨日からの出来事を、つらつら思い出しながら目をつむる。

 臭い王子を捕獲して、気絶して(後で聞いたら、シャツに染み込んだ薬品の作用との事だ)驚くほど端整だった主の顔、そして可愛らしい面も小憎たらしい面もあるということ。


『夜伽の件はいつでも受け付けるから』


 思い出し、また顔を熱くする。

 まだ少年の彼の顔立ちには、その時期特有の不安定さがあるとアデラは思う。 時に、子供のようで、時には、大人のようで……。


 ──あの言葉を告げた時の顔はもう一人前の大人の顔だった。

 その時の挨拶代わりのキスも、耳元への囁きも、女性の心を掴んで離さない類のだ。


(あ~もう! ますます眠れなくなったじゃないか!!)


 ばかばかばかばか!! と羊を数える代わりにばかを数えるアデラだった……。



◇◇◇◇


「──寝過ごしたわりには、色々持って来たんだね」


 ロジオンは相変わらずの口調で遅刻したアデラに話しかけながら、バスケットの中の食べ物を物色する。

「……申し訳ありません……」

 仕官となってからの初めての遅刻に、アデラは素直に反省の意を示す。


 いつに間にか寝ていたアデラをベルが夕飯の時刻だと起こしに来てくれて、寝台から跳ね起きた。

 制服に着替えながら窓の外を見ると、もう日が沈みかけ東の空には星が瞬いていた。

(まずい!!)

 焦る気持ちを抑えながら、制服のボタンをかけ終え部屋から飛び出ると── 夕飯の良い匂いが廊下いっぱいに立ち込めていた。

 朝に焼き菓子を少し口に入れただけで何も食べていない事に気付き、途端に腹が鳴る……。

 王子もろくな物を食べていないことは、朝に台所を漁ってみて分かっていた。

 ──だったら、遅れたついでだ……と、食堂を管理している者に事情を話して仕官用の食事と食材を分けてもらったのだ。


「……暫くは、君に食べ物を持ってきてもらうか……」

 王子が食すると言うことで、気を利かせたのか滅多に食べられない白パンが入っていた。ロジオンはそれを真っ先にかぶり付きながら、葡萄酒の栓を開けながら、台所に食材を置いてきて、戻ってきたアデラに言った。

「今度から遅れないで。もし城の中や此方に向かっている途中で襲われたら、どんなに僕が急いでも間に合わない」

 ゆっくりながら厳しい口調で小麦色の肌の、この女従者を諌める。

「──はい、心に留めておきます」

 凛とした態度で頭を下げるアデラに、ロジオンは食事を取るようにと葡萄酒をグラスに注いで差し出す。

 仕官にあてがわれる葡萄酒は質が悪い。そのままに飲めるものは、大変少なく貴重で、殆どは貴族に寄与されてしまう。

 今回は残念だが、葡萄酒までは手が回らなかったのだろう。

 備え付けの蜂蜜を葡萄酒に入れながら、神妙な趣で主を見つめ、問う。


「……王子、今夜は現れるのでしょうか?」

 長い放浪生活でそんな葡萄酒にも慣れているらしい王子は、文句も言わずそれに口を付けながら、

「分からない……、気配を感じたら君にすぐ教えるよ」

といつもの、のんびりとした口調で答えた。


 対してアデラに、今日の朝のようなどこか穏やかな雰囲気は無い。

 これから来るかも知れない恐怖に対抗すべく、心身共に引き締めている。

 彼女の場合は昨夜が初体験な故に緊張も一際なようで、開戦前の兵士のように瞳に闘志の光を宿していた。


「アデラ、君、何処の生まれ?」

 場を和ませようとしているのか、ロジオンが徐に話を切り出す。

「私ですか? ──もちろん、このエルズバーグ国ですが……」

「……先祖代々ずっと?」

「あっ……、いえ、祖母の代に此処に……」

 アデラは、少し言葉を濁らせた。

 途端、闘志の光が鈍る。


 自由貿易を奨励しているこのエルズバーグは、『商人と職人の国』と評価される程、多くの国から商売や事業を行う為に人が入ってくる。

 そして、商売を促進する為に人種など関係なく才能があれば取り立て、職人を募り育てていく。

 故に、職業や文化、風習、その他に言葉や宗教も入り混じり、多種多様の多国籍国家である。


「お祖母様は、何処から来たかは知ってる?」

「……中東の方からとしか。既に亡くなりましたからよくは分かりませんが……もう、無い国だとしか聞いておりませぬ」

 そう言うアデラの食事をする手が止まっている。

「……尋問じゃないよ。──ただ、君のその身体能力の事をきちんと知りたいだけ。それに、君のお祖母様には先々代もこの国も大変お世話になっている。感謝すればこそで、中傷する気はない」

「その事は……陛下から?」

「晩餐会で聞いた」

「……あんな場で……」

 アデラは深く溜息を付き、手で顔を覆う。

「さすがにそうっとだよ……自分の従者の履歴を知るのは、主人として当然じゃない?」

「王子はそれを聞いてどう思われたのです?」

「……良いと思ったから…従者として受け入れた──じゃあ、いや?」

 小首を傾げて、自分に尋ねる主人の表情は、どこか楽しげである。

「朝、私にお話下さった理由と全く違います!」

「そうだっけ?」と悪びれた様子も無く、ロジオンは完全に気分を害しているアデラに気を遣うこともしないで話を続けた。


 「アサシンだったお祖母様からは、何も教わらなかった……? わけじゃ無いよね……?」


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