第5話 予見
「どうして、まだ君が此処にいるの?」
朝、起きて開口一番に魔法使いの王子がアデラにはなった言葉──。
「昨夜、あんな事が起きた後で、とても貴方様を残して帰るわけには行かないでしょう?」
勝手に使わせてもらいましたと、アデラは台所から茶とチーズ、カチカチのパン、そして、おそらく昨夜の晩餐会で出た焼き菓子が台所に置いてあったので、それをまだ寝起きでボンヤリしているロジオンの前に出した。
「食材が無さ過ぎです。まだ育ち盛りなのですから、きちんと栄養のある物を召し上がって下さい」
口煩い女仕官に、渋い顔をしながらもロジオンは黙々と茶を飲む。
「……師はね、一度襲えば暫くは襲ってこないよ。不定間隔だけど。 ──その辺の能力は、何も知らない赤ん坊並みに落ちてるようだ」
それよりアデラ、とカチカチのパンを茶に浸しながら、座って一緒に食事を取るように勧める。
主の言葉に甘えアデラは、自分の分の茶を入れ王女が作ったという焼き菓子をかじる。
「アデラは従者になったのは、僕が初めて?」
ロジオンが、ゆっくりとした感情の籠もらない口調でアデラに話しかけてきた。
どうやら、今まで意図的にこんな口調で彼女に話しかけていたわけではなく元々、こういう喋り方らしい。
「はい」
「君の周りで、従者になった人は?」
「おりません」
「……だからか……でも……な、仕官の間で話題には上がるだろうしなぁ?」
ぶつぶつと、平坦な口調で独り言ののように呟くその王子の表情には、困惑の色が見られた。
「……何か……私、まずい事を仕出かしましたか……?」
キョトンとした表情をして、こちらの様子を窺っているアデラが可笑しかったのか、ロジオンは目を細めクスクス笑い出した。
そして、
「主人を部屋まで送り届けて、そのまま帰って来なかった──それで、戻ってきたのは次の日の朝か昼か……。周囲は送るついで、夜伽の相手もしてきたのだろうと、口さがなく言うだろうよ」
と、分かりましたか? と、首をちょこんと傾げる仕草を取り、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
アデラの口に菓子を運ぶ手が止まった。
「……」
「……」
思いっきり長い沈黙の後、アデラはようやく今の状況を理解したのか、みるみる小麦色の肌が夕日のように赤くなった。
「ひゃああああああああああ!!」
ガタンと激しい音がし、椅子から立ち上がって頭を両の手で押さえ叫ぶアデラは、かなり動揺しているようで菓子を手に持っていることさえ忘れているようだ。
「そっ、そっ、そっ、そんな!! 私、何も──どっどっどうして! よよよよよよよとぎ……なんて!!」
「従者が異性だとね、よくあるらしいよ? 一晩一緒に居て何もなかったなんて……周りは誰も思わないね」
王子の言葉にアデラは力が抜けたようで、へなへなと、しゃがみ込んでしまった。
顔から湯気が出ているのでは?と、思うほど顔はますます燃え上がり、目が潤んでいる所を見ると、半泣き状態のようだ。
頬の赤味を冷ます様に手の平をあて、しゃがみ込んでいるアデラの前に、のろのろとやって来て同じくしゃがみ込むロジオンに
「……申し……訳……ありません」
と蚊の鳴くような声で、アデラはロジオンに謝まる。
「ん?」
「私の浅はかな行動で……王子の評判を更に落として……しまいました……!」
「……更にね……」
ロジオンは、自分の評価がどれ程のものだったのか? 聞きたい気がしたが、自分を追い込む気がしたのであえて聞くのは止めにした。
じーっと、顔を伏せて嘆いているアデルを黙って見つめる。
可愛いな と思う
初めて自分を訪ねて来た時、綺麗な人だとは思ったけど、男性的なイメージの方が強くてそれ以上の感情は湧かなかった。
彼女と親密になった昨日(殴られた上に、臭いと怒られ、仕舞いには気絶して、仕方ないからおんぶして王宮まで送って、化物になった師匠に目を付けられて)
それで、ほんの少し彼女の人柄を知って
──もっと話してみたい──
と思ったのだ。
こうして伽の事で顔を赤らめ、半泣き状態で何も知らない純朴な様子を見ると、とても自分より年上には見えない。
(まあ、僕が耳年増なだけだけど)
自分も年頃の男だし、異性の身体に興味が無いわけじゃなかったけど、いつも師匠か魔法の勉強優先の生活だった。
恥ずかしさで顔を覆っている手の甲が、彼女の真っ直ぐ流れる金髪から透けるように見え隠れしてまるで宝箱の宝石を、勿体なさげに自分に見せているようで。
……衝動的に抱きしめたくなる……。
ロジオンは、ゆっくり彼女の右手を掴む。
まだ菓子を指に摘んでいて、既に彼女の一部のように引っ付いていた。
余りの動揺に、指が硬直して離れないようだ。
それをぱくりとアデラの指ごと口に含んだ。
「──!!」
今度はロジオンの行動に呆気に取られまた更に熱が上がり、アデラはボンヤリしてきてるようだ。
そんなアデラに、
「あのね、貴族や王族なんてそんなこと通常的でね。だから、僕のことは気にすることはない。ただ、君に恋人がいると、喧嘩の元になる……」
と、困ったような顔をアデラに向け、平気?と尋ねる。
「──いえ、私には、そんな男性はまだ……」
アデラは慌てて首を振る。
「……いないの? 意外だなぁ……」
どうして? ロジオンは不思議そうに尋ね、アデラの顔を覗く。
「──どうしてっと言われましても……言葉に詰まります」
火照った顔を懸命に冷ますアデラは必要以上に顔を近づけ見つめる主の、端整で涼やかな顔立ちに動悸を抑えつつ答えた。
記憶が甦る──
仕官仲間に「お前、隙が無いよな」とぼやかれ、間髪入れずに、
『女は少々ボンヤリしてた方が良い』
など、しみじみ言い出した馬鹿たれがいた。
(兵士の私がぼやっとしてたら、死ぬだろうが)
何ほざいているんだと、心の中で叱咤した事を思い出した。
ようするに異性にとっては付け入る隙が無く、可愛げの無い女なのだろう──
つらつら思い出しているうちに、ロジオンはのろのろと起き上がり、テーブルを背に手を付く。
「──だったら良いか……。そう言う噂が立った方が、動きやすい」
さらりと他人事の用に言う。
「昨夜のことで、君は師のなれの果てに狙われる一人になったのはまず間違いが無いからね……。『夜伽』と称して、夜は此方に来て貰った方が良い。」
「──しっ、しかし! ……第一、何故貴方様が私が標的にされただのと見解を出したのか分かりません……」
『よとぎ』の三文字に、どうしても抵抗を感じ、アデラはごねる。
「君の幻影ごと、連れ去ったのを見たでしょ? そう言うことを避ける為にも人の接触、特に夜は必要以上しなかったんだけど……。やはり僕の側に居るものは、全て奪い取るつもりだなあってしみじみ思ったよ。」
「……せめて陛下には真実を話された方が……」
王子は「駄目」と厳しい口調で告げる。
「あの人のことだ、やはり赤子だった僕を頑として預ける事を拒否してればと……悩むだろう?」
確かにあの、人の良い好々爺の王は悩み、後悔の涙を流すだろう。
「……それに、どんな経緯でも僕は師から魔法を習った事は感謝してる。出来るだけ、安らかな道を逝けるようにしてやりたい……」
ゆっくりと自分の言葉を噛み締めるように話しながら、ロジオンは真っ直ぐとアデラの緑の瞳を見つめる。
(この方は、この意思は決して曲げないだろう)
萎えていたら、この一年の間にとっくに父である殿下に相談しているだろうし、味方を得ていただろう。
アデラは一つ大きな深呼吸をし、同じように真っ直ぐにロジオンのブルーグレーの瞳を見つめ返す。
「分かりました。私も覚悟を決めます……ただ……」
「ただ?」
「一つ……お尋ねしたいことが……」
アデラは悩ましげな表情をロジオンに見せた。
「……何?」
「昨夜、お送りしますと私も強引に付いて参りましたが、今までの貴方様なら私をもっと強く追い返されてました。でも、昨夜は直ぐに受け入れましたよね? ──それは何故なのです?」
投げ出された疑問にロジオンは「ぁあ」と顎をさすり
「あの時、もの凄く疲れていてね……もう君とやり合う気力が無かったんだ。」
何のことは無いと、飄々と応えた。
「……そうですか。」
自分が期待した答えでは無く、アデラはがっかりした。
あの化け物になったコンラート師を打破すべく、従者としてパートナーとして自分が最適だと判断されたのかと思ったのだが……。
そんなアデラの心の動揺を悟るかのようにロジオンは、にやりと意地の悪い笑みを浮かべた。
「それとも噂で、陰口叩かれるの癪なら事実にする? ──夜伽の件」
「──なっ! 何をおっしゃいます!!」
せっかく冷めたアデラの顔が、また再沸騰した。
「何か、がっかりしてるようだったから」
「がっかりなんかしてません!!」
立ち上がりむきになって否定するアデラが可笑しくて、ロジオンは腹を抱え込み肩を震わせ笑いだした。
「面白いよねっ、君! 思っていること素直に顔に出て。」
「ぅう……普段はもっと冷静に対処しております。」
「ぁあ? ……本当に? へぇ……?」
自分を小馬鹿にしている態度の年下の主に、ますます顔を赤らめる。
──ほんっとに調子が狂う──
構わず笑い続ける主人を、アデラはどつくことができない恨みがましさで睨みつけた。
ヒィヒィと、目頭に溜まった涙を指で拭いながらロジオンは、自分の年上の従者に
「よろしく、アデラ。」
と、話しかけ、手を差し伸べる。
主人が友好の印として握手を求めていることに悪い気はしない。
「こちらこそ、護衛など初めてで頼りないと思いますが誠心誠意尽くして参ります」
そう返し、ロジオンの手を握り返す。
「そうそう、夜伽の件はいつでも受けるから……遠慮なく」
と、ロジオンはアデラに余計な一言を付け加えた。
もちろんアデラは「結構です!」と怒りと羞恥で全身真っ赤にし答えた。
──昨夜は、もちろん疲れていたけど……。
彼女を追い返そうと思えばできたことだった。 それをあえてしないで巻き込んだのは悪かったな……と、ロジオンは思う。
それをしなかったのは自分のは微々たる能力だが、この女仕官が今の状況を打破する何かを持っていると予見したのだ。
(まあ、僕の予見はあてにならないことが多いが)
正直な気持ち、この年上の従者をもう少し側に置いといて、人としてのなりを見たいと思った。
──独占欲に駆られたのだ。
自分以外の生命を守らなくてはならなくなったのに、大変だと落ち込むどころか気持ちが弾むように軽くなったような感覚。
恋愛事に縁の無い人生を送ってきた、この魔法使いであり王子でもあるロジオン。
これが恋をする、と言う事なのか? と、今までに味わったことの無い自分の感情にアデラとは違って素直に受け入れ、楽しむことにした彼は、まだ顔を赤く染め、自分にきつい眼差しを送っている従者を見、目を細めるのであった。
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