ダイアログ・イン・ザ・ダーク

 外界と隔てられた、小さな暗闇に温度が灯る。

 鉄錆、汗、それにわずかな血臭。

 闇に溶けた二人の男が言葉を交わす。


「もう随分長い時間が経ったような気がするよ」

「あなたが私をここへ押し込めたのはついさっき、数分前のことです」

「君の指を折ったね」

「ええ、薬指と親指を」

「痛むかい?」

「もちろん、でも幾分か和らいでます」

「結婚指輪はしていたのかな」

「いいえ、独身です」

「悪魔の中指、名前ほど恐ろしくはないな。子供の頃、気に入ってた樹の洞を思い出すよ。とても落ち着くんだ」

「ねえ、私をここから出してくれませんか。仲間が戦っているんです」

「外には恐ろしい化け物がいる」

「いつだって外には恐ろしいものがいます」

「――暗がりにいると、自分の輪郭がわからなくなる。仕切りが消えてしまうんだ」

「それは……どうでしょうか」

「どちらの口がどちらの言葉を話しているのか、確かなことが言えるかい?」

「わたしの声はわたしの口から出ています。震えているのはわたしの声帯です」

「そうか。ならいい」

「総督代理。どうしてベイリー様を? ゼロッドだって苦しんだはずです」

「どうして? それは理由や動機のことか? それとも成り行きのことか? どちらにしろ同じだよね。僕にはわからない。絶対にわからないんだ」

「ああ、また痛み出した。鎮痛剤を飲んでいいですか。この中のことなら、真っ暗でも手探りでわかる。鎮痛剤がそっちの網棚の薬箱に……」

「動くなクラリック」

「では、せめてランプを」

「僕の鳩たちは?」

「鳩舎は後部車両にあったんです。ガラッド・ボーエン。彼に切り離されて……それっきりです」


 その時、外界からの振動が、煮凝った闇を揺らした。

 装甲車内部への浸水は途絶えることはない。低く耳障りな水音がする。


「ほら、外は恐ろしい。ついさっき世界が滅びたかもしれないぞ」

「少し様子を見てみませんか? きっとメリサたちが追っ払ったんですよ」

「だとしたら、次の標的は僕だ。君や君の仲間に八つ裂きにされる」

「かもしれません」

「君はそこにいるかい? クラリック」

「ええ、あなたは相変わらずわたしの首筋に刃物を押し当ててます」

「どうかな。実は立場は逆かもしれない」

「あなたはわたしの頸動脈を握ってる。わたしを産んだばかりの母よりも近い場所にいる!」


 長い沈黙。窮屈な息遣い。

 幻聴を待ち焦がれて耳をそばだてる。


「――僕たちはこうして言葉を交わしている。でも、こう考えたことはないかい? 二人の対話と見えていたものは僕の独り言で、一人二役の芝居だって。ルードウィンはクラリックをとっくに殺している。そして自分の心の中のクラリックと話しているんだ」

「わたしは生きています」

「では、君かもしれないな。君がたったひとりで声色を使い分けて喋り続けているのかもしれない」

「あなたは狂ってる」

「と言うのも僕だ」

「いい加減にしてください!」

「それもまた僕の叫びだとしたら?」

「耐えられない」

「どこかの時点で君は死んだのかも。君が独身だと告げた時か、ランプを灯そうと提案した時か。そこからは僕のひとり芝居だったかも……いや、違うな。君だ。君が僕からナイフを奪って僕の心臓に突き立てたのかもしれない。さっきから聴こえる水音は僕の心臓から流れ出る血の音かもしれない」

「限界だ」

「とっくにね」

 

 ――静寂。


 息遣いも身悶えもなく。真空でさえ崩壊するほどの永い時を経て――それとも時間は流れていないのか――鋼鉄の手触りが蘇る。


 底冷えする沈黙。


 鈍痛が点滅する。

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