女王への謁見、または歴史の授業
リムジンに乗り込んで、まずはじめに眼に飛び込んできたのは、白い革のシートと酒の並んだ豪奢なカウンターだった。
ラトナはエンジンごと剣を放り出し、するりと車内に潜り込むと、意気揚々とソファに陣取った。レイゼルは物怖じせずに白ワインを開封し、そのままラッパ飲みだ。
ウェスとスタンは、茫然自失のトライロキヤをどうするか思案したが、補助後肢を外さなければ乗車は難しいと判断した。
「いやだ、ボクも乗るぞ」
駄々をこねるようにトライロキヤは首を振った。
「おっさん、後ろ脚は脱着可能なの?」
「もちろんだとも。用を足す時は外している。肛門まで後ろに移動するわけじゃないからな」
言うが早いか、ガシャンと機械の後ろ脚が外れた。
「ん?」ウェスとスタンは頭の上にクエッションマークを浮かべた。
足が弱かったから、後ろ脚を装着していると聞いたのだが、別段、二本の脚でも支障があるとも見えなかった。
「足だけでなく心までも萎えてしまった。ああ、クローデル」
「いや、足は萎えてねーよ」
とウェスが言えば、
「昔はフランケル山脈をお散歩気分で駆け巡ったものだ。垂直の壁だって片足けんけんで登れたし、熊も踵でぺしゃんこにできた。いまじゃ三日三晩全力疾走しただけでちょっと汗が出る。げに恐ろきは老いというものだな」
などとトライロキヤはうそぶくのだった。
つまりもともと人並み外れて頑健なところに、気まぐれにあんなものを装着したに違いない。見れば、生身の足だってそれこそ馬のように逞しく張りがある。ウェスは試しにローキックを放つがビクともしない……どころか蹴ったウェスが悲鳴を上げて転げ回るはめになった。
「……おっさん、それボクでも着けれんのか?」
外れた補助後肢は、脱ぎ捨てたシュミーズよろしく、不思議な哀感を漂わせた。
「フリーサイズだ。問題ない、と言いたいところだが、いかんせん君はチビ過ぎる。態度はデカいが」
「スタン、こんな屈辱はじめてだ。泣いていいか?!」
喚くウェスと傷心にかこつけて言い放題のトライロキヤの応酬は放っておけばいつまでも続きそうだった。
「いいから、乗れよ。アーカイヴっての覗くんだろ」スタンが痺れを切らす。
(遺伝子がどうって恐ろしい改造をされて泣きたいのはこっちだぜ)
ボンネットが空っぽになったリムジンに、ようやく全員が乗り込んだ。
『ドライヴ・シアターへようこそ。ここではお望みの情報に視聴覚を介してアクセスできます。スタン・キュラム様におかれましては、無制限のアクセス権を行使できます』
「なんでも答えてくれんのか?」
『初回時には、女王への謁見が推奨されております』
「なんだよそれ」
おそるおそるスタンは訊ねた。軽々しく宮殿を弄っては何が起こるか知れたものではない。得体の知れない仕掛けがふんだんに詰まったカラクリ細工に手を突っ込むのは、いつも清々しい気分というわけにはいかなかった。
『不在にして偏在の女王。惑星意識から投射されるナビゲーターです』
「だから、なんだよそれ――」と繰り返す間もなく、空中にざらつく色と影が蠢いた。
「胡乱な」レイゼルは身構えた。
すでにクローデルだった頃の残り香はすっかり消え失せていた。似合わぬドレスをまとった北の女戦士が殺気を漲らせて、しだいに形を成しつつあるものに対し臨戦態勢を整えつつあった。
『はじめまして愛しき臣民よ』
それが女王陛下の開口一番の呼びかけだった。
優雅さと威厳がその姿には満ちていた。それでいながら、最初のナビゲーション・ヴォイスとどこか通底する声色でもあった。
『当然です。ロドニーのシステムはすべてをわたくしの一部なのですから』
ウェスたちの心中を察したようにそう説いた女王は、鳥の仮面の内側から柔らかな眼光を注ぐ。ホログラムによって投影された、その奇妙な幻像は、ラトナーカルのみならず、ウェスやスタンを興奮させる。ラトナは無礼にも女王の姿に手で触れようとしてみるが、その手応えのなさに困惑する。手がすり抜けてしまうのが納得できず、何度も試すが結果は変わらない。
「やめとけラトナ」
智慧ある猿とて、まだまだ人で言えば幼児を脱したほどの自意識しかない。大自然の中では出会えない不可思議に戸惑っているのだ。
『わたくしには本来性別も年齢もありません。人間がこの惑星を女性形で理解するのを好むためにわたしはこの姿、このペルソナを取るのです』
「地母神ゴーヌはもっと恐ろしい姿をしてるぜ」
スタンは地元の祠にある土着宗教の女神について言及した。すると、女王の姿はみるみるうちに黒く険しい相貌をまとって見せた。吊り上がった眼と複雑な
『いかなる姿であっても本質はひとつ、差異はぬしらの内にあるのだ』
口ぶりまでもが恐ろしくなったので、
「もういい。おっかねえ」
と姿を戻してもらった。
――あらためて仰ぎ見る、それは、ロドニーを統べる不在にして偏在の女王。
灰銀色のロングボブに、蔓草のモチーフをあしらった王冠が乗っている。歳の頃は三十路に届くかどうかといったほどで、身体のラインを強調した伸縮性のある素材のドレスがよく似合っている。
「女王とは言うが、つまりは案内人というわけだな」レイゼルは淡々と言う。「もしくは図書館の司書か」
『あるいはたんなる召使でもあります。王とは、最もよく仕える者のことでなければなりません。さらにはこの惑星の管理人であり
「それで何を見せてくれる?」
『そこのお猿さんが、少々この装置を破壊してしまいましたので十全なサービスを提供することはできませんが、それでも出来得る限りのことをしましょう。あなたがたの望むものは?』
「最優先はもちろん
スタンが要望を伝えきる前に窓の外の風景が変化した。
『御覧ください』
驚きに全員が硬直する。レイゼルでさえ、クローデルに一瞬戻ったかのように「キャッ」と身をすくめ、トライロキヤの腕にしがみつく。
――ザザザザザッ!
おびただしい数の古代機械が群れをなして走っていく。ジャックスが言ったことは、まぎれもない真実だったのだ。アレは過去、何万とこの大地の駆け巡っていたのだ。まるでこの車が古代機械の奔流の中をかき分けて進んでいるような臨場感。
鏡の部屋は消えうせ、外界には、多脚の機械がワシャワシャと目まぐるしく動き回る舗装道路と山脈よりも高くそびえる塔が見える。
「平滑道路みたいな道だ」
『ええ、
「こいつらは何の目的で造られた?」
それには歴史背景から説明しなければなりません、と女王は言った。
『災害・疫病・飢餓を完全に克服したこの時代の人々は、数度の危うい全面戦争を経て、やがて黄金時代を生きることになりました。人々は寿命を限りなく伸ばすことができ、生は芸術と科学とを融合させたものとなりました。限りない余暇のごとき人生を多くの人々は真理の究明に捧げることになります。その至上の意志は、生命と宇宙の謎を論理的に解き明かすことです。脳の演算能力を超える計算機たちが産み落とされ、それは生物を凌駕する速度で進化していきました』
「つまりこれってさ、疾走することで計算する機械なのか?」
ウェスだけが女王の解説についていけた。ただ、他のメンバーも映像として示される情報を大づかみで咀嚼していた。
『この頃になると、科学は惑星の
窓の外の風景にわけのわからない方程式がオーヴァーラップで表示されたが、ウェスですらその意味も価値もわからなかった。
「でも、ありとあらゆるものを解き明かしたわけじゃないんだな?」
『はい。この物理次元と重なり合う多層次元を含む全現象を説明できる究極の定理にして最終命題、いわゆる
蜘蛛たちは駆け巡り、見えない糸を吐き出し続ける。窓に顔を寄せてスタンは感嘆の声を幾度となく放つ。蜘蛛たちの糸は絡み合い、交差し、複雑怪奇な不可視のタペストリーを三次元空間に折り重ねていく。ロドニーが直面していた諸問題に、それは倦むことなく解答を与えてくれたが、とうとう最後のドアを開くことは叶わなかった。
「これほどの文明を築いたロドニーはなぜ滅んだのだ?」
切り込んだのはレイゼルだった。
『正しくは移行したのです。滅んではいません。ええ、存在の葛藤に論理的解決を見出せなかったロドニーの民は精神の飛躍にその代替を見出しました。どれだけ長持ちしても所詮は有限である肉体――つまり時間的無限を得ても空間的には有限である器――を放棄して惑星意識と同化することにを選んだのです。そしてさらには宇宙全域へと意識を充填させることを目指したのです』
次に切り替わった映像に皆は息を呑んだ。
「こいつは――!」
深紅の果てなき墓石。
それは赤いモノリスでできた共同墓地と見えた。
「玉座だ!」
ウェスたちが知っている玉座よりもはるかに巨大な一枚岩がそこにはあった。おそらくは地下であろうそこには無数の人間たちが横たわり、息絶えているとしか見えない生気のなさで折り重なっていた。紛れもなくそれは玉座と同じ素材でできたものだった。
『あなたがたが追っている玉座は、この一部を削り出したものです』
「なんだこれは?」
『変成器。肉体を捨てて意識をより大きなものへと同化させる機構です。それは蛹であり門』
「自殺機械というわけか」レイゼルは冷ややかな口ぶりで言った。「しかも集団自殺装置だ。偉大な文明が最後に作り出したのは、自分たちを始末する道具だとは、お笑いだな」
『ある観点からは確かにそうです。ただし、こうして、あなたと話しているわたくしはロドニーの民を取り込んだ惑星意識の外在化であると言えます。これは死でしょうか。死者と話しているように陰気で湿っぽいというなら、次回までには、社交的で快活な笑顔というやつを練習しておきますが』
「それには及ばぬ。詫びよう。女王よ、あなたは十分に人間らしい」
人間らしさなるものが、女王にって誉め言葉にも慰めにもならぬことをレイゼルは承知していた。肉体を捨てることが無に帰すことでないことも学びつつある。
女王はやんわりと首を振った。
『ふふ、その必要はありませんよ。肉体の内に生きることもまた大いなる恩寵のひとつです。その閉じられた領域からでしか見えぬものもあります』
「そうかもしれぬ。ただ、人が人であることをやめる装置を作るとは……」
『いいえ、残念ながら、変成器はロドニーの所産ではありませんでした』
「というと?」ウェスが身を乗り出す。
『ギズムントの高次方程式の解を手に入れたその時、それは突如出現したのです。天より降ってきたのでもなければ、地から湧いて出たのでもない。ある瞬間、ある場所に、それは突如として在ったのです』
【50°50’35”N,0°7’53”W】
次に浮かび上がったのは、数字と記号。これについては、皆の疑問を察したウェスが簡潔に解説を施した。
「座標さ。そこに現れたのか。
海の巨獣ウィースガムの腸より取り出されたのが玉座だという伝説はある意味正しいことになる。伝説では、海底よりウィースガムが現れた場所こそが千年海岸だとされていた。
『星間文明がある水準に達した文明に贈るプレゼントだと考える者もいました。異なる次元からの侵略だという見方もありましたが、いまだ答えは出ていません。ピークに達したロドニーの科学力でもそれを自分たちの手で再現することはできませんでしたし、仕組みすらよくわかっていないのです。ただそれは知的生命に新たな存在形態を与えてくれる機構だとははっきりしていました』
「使い方はわかるが、仕組みのわからないものに身を委ねたのか、ロドニーのやつらは」
『ためらいの期間はおよそ300年続きましたが、慎重で思慮深いロドニーの民としては素早い決断だったと言えましょう』
どこか皮肉をにじませた口調で女王は告げた。
「栄華を極めたロドニーですら理解できぬ、さらなる高みに達した知的存在がこの宇宙には居るというのだな」
ようやっとトライロキヤが言葉を発した。クローデルのことはいったん忘れたらしい。
『そうなります。そしてロドニーの民が去った後、流出した変成器の一部とそれを巡る冒険、さらには謀略が繰り返されました。ロドニーより分かれ、地上に留まったナドアの民は自らの出自を忘れていき、祈りの言葉の中にかつての叡知を埋もれさせていったのです』
「古代機械に興味あったんだけど、玉座もやべーな、どうせ
なにやら物騒な独り言を続けるウェスに女王がクスクスと上品に笑う。
『ロドニーの危険な遺物をすべて休止させた初代王ハゼムでしたが、何の気まぐれか変成器の欠片と
「うーん、そのあたりは研究の余地がありありだけど、とりあえずさ、古代機械の止め方教えてくんない?」
『ああ、そうでしたね。脇道にそれるのはわたくしの悪い癖なのです』
「いや、道草こそが旅の醍醐味」
『古代機械の止め方はシンプルです。
「へえ、磁気かぁ」
『地磁気を収斂する半永久的なシステムですので、これからあと数千年と保ちます』
フリーエネルギーよる鉄道網を構想していたウェスの算段を知っていたかのごとく女王はにっこりとほほ笑んだ。
『わたくしからもお願いします。どうかアレを止めてやってください。たったひとりで孤独にもアレは大いなる謎に挑み続けているのです。何万という仲間たちとでも歯が立たなかった冷厳な真理に。宇宙の冷気にさらされながらアレは駆け巡り、か細い糸を紡いで壮大なタペストリーを描こうとする、なんという憐れな存在でしょう』
女王たっての懇願とあっては、やらないわけにはいかないな、とスタンが小さく両手を挙げて降参の身振りをする。
(もともとそのつもりだったさ)
「ちょっといいかな。女王陛下。あなたの風貌はどこかボクの記憶に触れる。とくにその仮面」
むっつりと黙り込んでいたトライロキヤがそんなことを言い出した。
『あなたの親しい人間がもしかしたらロドニーの民と同じように惑星意識に達したのかもしれません。変成の器なくしても厳しい修行の果てにそこに辿り着く者もあると聞きます。もし、あなた自身のことを本当に知りたいのならば、それを知ることも可能です。ただし、それはあなた自身が忘れたがっていたことに、あなたをもう一度直面させることになるかもしれません』
「――やめとこう」
逡巡の末、トライロキヤは結論を出した。
『人の身で何百年も生き続けるのはロドニーの科学力でなければ、残る可能性はひとつしかありませんが、それも言わぬが花でしょう。個であることは触れられたくない秘密を抱えるといういじらしいメリットがあります。これもレイゼル、あなたの言う人間であることの有限の美かもしれませんね』
「ああ、だとすると竜紋とやらで繋がったわたしたちは、もう幾分かは人であることをはみ出してしまったのかもしれぬな。わたしに至ってはこの機械の腕だ」
自嘲気味にそう呟いたレイゼルは、機械の片腕を滑らかに動かしてみせる。
「待て、そんなこと言うならこちとら、でぃー・えぬ・えいってのを弄られたんだぞ!」
『健康被害はありませんのでご心配なく。ただ……』
――とウェスが何かに気付いた。
「あ、スタン、眼の色が!」
皆がスタンに顔を寄せてきた。
「
見る見るうちにスタンの瞳が青みがかってくる。湖水地方の人種は黒髪・鳶色の眼の持主が多いのだが、いまやスタンの眼はちょうどレイゼルのような碧眼に落ち着いた。
「鏡なら、あっち」
と皆があちこち別の方向を指差す。
「そうだろうともよ」
スタンはレイゼルの手から白ワインのボトルを奪って、残りを一気に呷った。
「自分からだけは逃げられねえ」
一度、車から降りれば、鏡には事欠かない。どこを眺めても自分の姿が投じられていない壁はなかった。スタンは磨き抜かれた鏡面に新たな自分の顔を発見する。
「マジだ、碧い」
『その瞳は、
「もう結構です、女王陛下。俺には何のことだかチンプンカンプンなんで」
たまらずスタンは訴えた。クールな女王の口ぶりがどこか熱を帯びて感じられたのは気のせいだろうか。
竜紋で繋がったレイゼルでさえ、あくまで我関せずの構えを崩さない。お気の毒に、といった面持ちで、全員がこみ上げる笑いを堪えているのがわかる。
「おまえら他人事だと思いやがって」
剣が刺さったまま転がるエンジンに足を掛け、力任せに今度こそ〈
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