決着

 ヴェローナの左利きは生来のものではない。


 ナドアの十二支族の傍流に生まれた彼女は、殺手として育てられた。

 彼女の部族はナドアの中でも特別な位置を占めており、異言を操る女たちを育む文化の代わりに癒し手と殺し手の双方を輩出する体系を持っていた。


 右側を生、左側を死の象徴とみなす彼らは、生まれつきの利き手をもってその資質と適性を占った。右利きの者は薬草の知識、マッサージの手技などを含むヒーリングの技術を叩き込まれることになる。左利きの者はその逆だと思えば、想像に難くない。


 左利きの者を、右使いに矯正し、癒し手にすることは不可能ではないが、生来の右利きの者に及ぶことはないとされている。それは生まれ持った天性に抗うことであり、宇宙に流れる“そうなろうとする万有意志”すなわち摂化力ゾーナムに逆行することであった。


 ただ、何事にも例外が存在する。


 それが逆摂者リゾーナドたちだった。


 数百人にひとりといった割合で、利き腕をスイッチすることで、特別な力を得る者がいる。癒しの力に恵まれていた者があえて左使いになることでおぞましい殺し手が誕生することがあるのだ。ヴェローナはここ数十年のうちに生まれた唯一の殺しの逆摂者リゾーナドであり、あまりの暴戻ぶりに部族を追放された寄る辺なき者であった。


 そんなヴェローナがまたひとつ弾を込める。

 砂漠の灯台は、古くより砂漠の旅人にオアシスの位置を知らせる導き手だったが、この夜においては、殺意を放射する死の塔と化していた。強力な毀傷きしょうの念を込めたヴェローナの銃弾は、通常の狙撃とは反対に、対象との距離が大きければ大きいほど威力を増すのだ。


「裸足の乙女、恥じらう週末、気になる彼との待ち合わせ。ララララ~ 邪魔するやつはお仕置きよ。高鳴る鼓動を持ち余し、濡れた裸足で駆けてゆく。ルッルル~」


 アップテンポな鼻歌が途切れた瞬間、引き金が引かれた。


 灯台は新市街の東にある。旧市街の端、城壁前の処刑の庭からゆうに半ヒスローの距離があった。灯台守のいない殺風景な石造りの部屋に彼女は寝そべり、レゾル石で作られたスコープをのぞき込む。編み込んだひと房の髪だけが鮮やかな紫色、残りの部分は灰色だった。高所の風になびく髪が眼にかかったが、ヴェローナの集中を乱すことはない。


「邪魔するやつはお仕置きよ~恋路の邪魔は許さない~八つ裂き、細切れ、寸刻み」

 さらに引き金が引かれる。


 十七という歳のわりに小柄な、まだ少女といってもいい未成熟な身体のどこに人を殺せるだけの筋肉と覚悟が備わっているのか一瞥しただけは判じかねた。銃の反動を受け止める皮の肩当てを装着しているほかは砂漠の民と変わらぬ衣装をまとっているが、その佇まいにはどこかアンバランスで不穏なものが立ち込めていた。


「――ヒット」

 少女は唇を歪めた。その表情はどこか不満げだ。


「なんだよ。硬いなぁ、あの車。今夜はまだひとりも死んでくれてないや」


 ――残弾はあと一発。


 退屈そうに唇を尖らせながら、ヴェローナはスコープを覗く眼を眇める。


「仕留めるならベイリー・ラドフォード……が、無理ならもう誰でもいっか」



×  ×  ×



「やったぞ、ベイリー・ラドフォードを仕留めた!」

 マイルストームは小躍りせんばかりに歓喜する。


 ガラッドが悪魔の中指を分断させ、その機動力のほとんどを奪ったのを確認したからであった。これで勝敗は決した。マイルストームはそう信じて疑わなかったし、誰に眼にもそれは明らかだった。


「よし、これでまた一歩近づいたぞ。王の座にな。やつらの悪魔の中指を頂いたら、王都へ攻め上るか、それとも玉座を求めて遠征するか。どっちにしろ、このチンケな街とはもうオサラバだ」

「さすがマイルストーム様。お見事でした」


 杞憂に終わったマイルストームの敗北にネイロパもほっと胸をなでおろした。


「このような結果になるのは見えておったわ。竜紋サーペインを持つ者はこんなところで死すべき定めにはない」

「いかにも、やはりあなたは王になる人」


 浮かれたマイルストームにネイロパも調子よく合わせるのだったが、どうもこの城の薄気味悪さが勝利のめでたさにそぐわない気がする。この場にいる部下たちも盃を掲げ、勝利の杯を飲み干すものの、どこかじめじめとした湿っぽさが拭えない。


「娼館の姫にも連絡してやれ、憎きベイリー・ラドフォードは、この砂漠の街を終焉の地とするとな」

「これで彼女の積年の思いも果たされたことになります。彼女の後ろ盾もますます強固なものとなりましょう。権力を掠め取ったベイリーを打倒したいま、もはやあなたを妨げるものはない。王に必要な三つのうち二つはマイルストーム様の手中に。こうなればもやは逃げ回る玉座など不要かと」

「だな。よし、ベイリーを引っ立ててこい。まだ殺すなよ」

 マイルストームは命じた。

「ガラッドも労ってやらんとな。この度の戦いの功労者はやつだ」


 ――勝利を確信した、もっとも心浮かれるその時に、ソレは来る。


 魔が差す、とは文字通り、悪魔が油断と弛緩のうちに付け込んでくることであるなら、マイルストームはその瞬間、無防備で隙だらけの背中を悪魔の中指に触れられたに違いない。


「誰がこの砂漠を終焉の地とすると?」

 城に住まう亡霊にしては、凛とした声だった。


 聞きなれぬ声に振り向いたマイルストームの部下たちは、扉から銃口をのぞかせた二丁の短銃によってハチの巣になった。テーブルは乱れ、皿と果実と酒杯が砕け散る。一瞬で多くの屍が生まれた。そして屍を踏み越えてベイリーが進み出る。続いてゼロッドが跳び出してくる。


「おまえはベイリー! どうしてここに?」

 さしものマイルストームもいきなり城内に出現したベイリーに驚愕を隠せない。


「どうして? 異なことを。貴様が酒宴に招待したのだろう? 遅れてしまったが、ともかく参上した」

「だって、おまえは下でボロボロになって……」

 ネイロパはうわごとのように呟く。


 ベイリーはそれを鼻で笑う。

「間違いない。おまえらによって悪魔の中指は破壊された。徒党を組んだゴロツキ集団にしてはよくやったと褒めてやろう」


 ネイロパはゼロッドに拘束された。隙のない所作でベイリーは銃をマイルストームに突き付け、ゼロッドでさえ見たことのない哄笑を浴びせかける。


「勝ち誇っていたのだろう? このベイリー・ラドフォードを打ち負かしたのだとな」

「なぜ、どうやって……?」

 ネイロパはあんぐりと口を開け、茫然自失の体である。


「種明かしはおまえが生きている間に聞かせてやるさ」

 とベイリーは頷いて、テーブルの上のプラムを一粒もいで口に放り込む。


「久しぶりの食事はいいな。ゼロッド。力が沸いてくる」


「……そうですか」ゼロッドの眼にいぶかしげな光が灯った。


「ともかくレヴァヌの攻防戦はこれで詰みだ。街の治安を乱し、市民を恐怖に陥れた首謀者マイルストームをシェストラ王国臨時政府総督ベイリー・ラドフォードの権限においてこの場で処刑する」


 亡霊じみた凄愴な表情でベイリーは告げた。


 マイルストームは混じり合った虚脱と諦念を必死にねじ伏せ、それでも往生際悪く歯ぎしりをする。


「おまえなどに殺されてなどなるものか。俺は王となるもの。これだ、この竜に授かりし紋様を見ろ。運命は俺をこんな場所で滅ぼすはずがない」

「哀れだな。己をまがい物と知らずに神輿に乗せられ、分不相応な野心を抱いたあげく死ぬ羽目になるとはな」

「違う俺は……」

「おまえたちをこの破滅のレールに乗せたのは誰だ? 糸を引いているのは?」

 マイルストームは嘲るように唇をめくる。

 たとえ殺されたとしてもマイルストームは黙秘を貫くだろう。


「構わん。この似非預言者が教えてくれるだろう」

 マイルストームは苛烈な憎悪のまなざしをベイリーにぶつけてくる。ベイリーは腰のサーベルを抜いた。


「最後に力を試すか。来い」

「やめてください。ベイリーさん、あなたの身体は毒と栄養不良でそんな場合じゃ……」

 ゼロッドが言うがはやいか、マイルストームが掴みかかってきた。


 痩身のベイリーがその突進をがっしりと受け止めたのは奇跡のような光景だった。闇雲に暴れるマイルストームにベイリーの上着が引きちぎられる。痩せさらばえた裸身は見るに忍びないものだ。


「マイルストーム。おまえの言う竜紋サーペインとはこれか?」

 マイルストームを断崖の際まで突き飛ばして、ベイリーは背中を向けた。


 そこに薄っすら微光を帯びて浮かび上がるのは――。


「それは……おまえ」

 眼を丸くしてマイルストームが絶句した。


 ようやく、マイルストームとネイロパは真の竜紋サーペインがいかなるものかを知ったのだ。幾何学的なだまし絵に似た紋様。これに比べれば、マイルストームの刺青などお粗末な落書きにしか見えない。


「おまえが……そうか。俺は……まがい物だったんだ、な」

「そんなものがなければおまえは、ひとりの勇ましい砂漠の男として生き、そして死ねたものを」


 言い終わると、ベイリーはひと思いにマイルストームの首を刎ねた。剣閃が走るとマイルストームの頭から下の胴体だけが、破壊されたバルコニーの端から落下した。神業と言えそうな手際だった。ベイリーが髪ごとわしづかみにしていたマイルストーム頭部は、身体が失われてもその場に留まり、まるで己の死を知らぬかのように敵を睨みつけている。


「不敵な瞳は死んでも変わらぬか。見事」


 こうしてマイルストームとネイロパの奇妙な夢は断たれた。広大な砂の海で溺れかけていたネイロパがついにたどり着いた岸辺がマイルストームだった。


 ネイロパはふるふると首を振って聞くに耐えない命乞いを繰り返す。

「わたしは……死ぬのはいやだ。母ちゃん、ごめんよ」

「おまえは殺さぬ。生きて償え」

 サーベルを一振りし、マイルストームの血を振り払ったベイリーは、それを鞘に納めた。


 脱力したネイロパに半分千切れた壁のタペストリーが覆いかぶさる。王の居室だった部屋には、本当にふさわしい者が帰ってきたかに見えた。そこに描かれた、リアム王が率いたとされる騎士団の忠誠心は、臣下の鑑としていまも語り継がれていた。


「これで終わりましたね」

 ゼロッドが言った。


「レヴァヌは解放される。これで終わりだ」

 興奮に頬を染めてゼロッドが繰り返した。


 ベイリーは首を振った。

「いいやまだだ。ゼロッド。おまえはわたしに用があるはずだ。ここをおいて他に、二人きりになれる機会はない」

「ベイリー様。いったい何を……」

 困惑するゼロッドに取り合わず、ベイリーは続けた。


「先ほどおまえは“毒と栄養失調で”と口走ったな。わたしの衰弱が毒のせいだとなぜ知れる?」


 ゼロッドの瞳の奥で何かが凍りついた。


×  ×  ×


 悪魔の中指を取り囲んだガラッドは、何かがおかしいと感じた。

 呼びかけても抵抗の素振りも降伏の合図もない。油を流し込んで火を放つぞと脅しても出てこない。あまりの反応のなさに中で自害を遂げているのかと勘繰った。


「どうしますか? 後部車両のやつらは引きずり出されたみたいですが」

「降伏するくらいなら死ね、と言い含められてるわけじゃなさそうだな」


 完全に有利に立ったと思ったのに、どこかで何かを間違えているような――やってきた道の途中に脇道があり、そっちが目的地に通じていたのに見過ごしてしまった――そんな違和感がある。それはガラッドを常に生き残らせてきた非情な直観でもある。


「本当にやつらはこの中にいるのか?」

「だって手品じゃあるまいし、どこから……もしかしたら?」

 ジヴの視線は装甲車ではなく、それが乗り上げた涸れ井戸に向く。


「井戸か。偶然乗り上げたわけじゃないってことか」


 何かを察したガラッドは手の余った団員に大きな丸太を持ってこさせる。それを使って梃の原理で装甲車を動かそうとする。はじめの丸太は折れてしまったが、次の丸太は功を奏した。装甲車の底には人ひとりが通り抜けられる四角い穴があり、それは人気のない不気味な内部をのぞかせていた。


「やっぱりだ。底にこんな仕掛けが。そしてやつらはこの涸れ井戸の中へ逃れた」

 ガラッドの予想は的中した。


「こいつはも抜けの殻ってことだ。クソっ!」

 ブーツの底で鉄の装甲を蹴りつける。踵に鈍痛が響く。大きく陥没した装甲をジヴは眺め、これだけの装甲を穿つヴェローナの銃弾の威力のすさまじさに口の中が乾くような恐怖を覚えるが、いまはそれどころではない。


「でもどこへ?」

「わからねえのかジヴ? こいつはな城砦の中へ通じてるんだろうよ。もとはと言えば城からの抜け道だったものだろう。ベイリーはな、いくつもの勝利のパターンを構想してやがったのさ。ひとつがダメなら次のパターンってな具合に無数の次善策をな」

 ガラッドは手短に説明した。


 マイルストームが白旗を上げて降伏すること。これが最も望ましい結果だが、それは期待値が低い。十中八九戦闘になる。次なる可能性は、砲撃で城壁を粉砕して拠点をつぶすこと。


「と同時に、この方法で城砦内へ人員を送り込むことを考えていたはずだ。破壊された城砦からどの時点でマイルストームが逃げ出すのかはわからねえが、頃合いを見計い、混乱に乗じて忍び込めば奴を殺ることができるだろう。血盟団なんてたって名簿で人員を登録してるわけじゃねえ、所詮は烏合の衆。団員を区別するのは腕章だけだ。あんなもん似た色の布切れ巻き付けときゃわかりゃしねえ。城に見知らぬ顔が紛れ込んだって誰何するやつぁいねえ」

「あの八時間でこの段取りをすべて?」


 そうだ、やつらにとってもギリギリの時間だったはずだ、涸れ井戸の行き先を確認し、大事な走行車の底に穴をあけておく。他にも使われなかったプランがあるなら、そちらの準備も忙しかったに違いない。


「ああ、うちらの大将が女のケツを撫でてる間にな」

 ガラッドは口惜しそうに吐き捨てたが、やがて、くぐもった笑い声を漏らした。


「くっくく、そうじゃなきゃな。思えば、とんとん拍子過ぎた。騙されたよ、マイルストームがまさかの勝利を掴むんじゃないかと俺ですら考えたね。でもそれは違った。でっちあげた王の徴じゃ……本物にゃ敵わないってことだ」

「マイルストームは?」

「請け負うぜ。とっくに死んでる」


 きっぱりとその場にいた団員たちにも聞こえるようにガラッドは言った。あれでもマイルストームには求心力があった。やつに心酔している者も少なくはない。死んだ首領に義理立てして特攻する団員がいないとも限らない。ガラッドはそんな無駄な犠牲を減らそうとしたのだった。


「おれたちのボスは死んだ。おれとジヴはここを離れる。おまえらも好きにしな!」


 団員たちはどよめいた。

 ガラッドほど的確に趨勢を見極められず、一度掴んだと思った勝利にしがみつこうと必死だ。それは、そうだ、無理もない、とジヴは思った。


(悪魔の中指は破壊され、搭乗員の二人は捕えた。これでどうして負けると思う?)


「なぁ、おまえらと過ごせて、楽しかったぜ。食い詰めたらガラッド商会に来い! おまえたちのようなクズでも何か仕事をくれてやる!」


 すっかり戦う気をなくしたガラッドが高らかに言い放つと団員は未練がましくブツクサ言っていたが、やがてぞろぞろとその場を離れた。


「で、どうします?」

「決まってるだろ? 娼館に向かうぞ。血盟団の支援者だとベイリーに知れたら、あの二人も無事じゃ済まない。逃がしてやるんだ。これは直観だがな、やつらには恩を売っておくべきだ。べらぼうな金、いやそれ以上のものが背後にある」

「ちぇっ、早くこんな面倒な場所、ずらかりたいですけどね」


 ジヴの泣き言にガラッドは皮肉っぽい笑みを返した。

「待ってろ、すぐにまた玉座との追いかけっこに戻れる。おまえをボコったレイゼルとも感動的に再会させてやる」


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