悪魔祓いの作法
レヴァヌの街は旧市街と新市街に二分される。
シェストラ王国中興の祖、
マイルストームと灼熱の血盟団が根城にしているズールド城砦もリアムによって築かれた城だった。リアムはこの城を拠点にして、名だたる戦を駆け巡った。周辺の蛮族を帰順させ、住みよいオアシスに平等に住まわせたのも彼だった。
マイルストームは己をリアム王になぞらえているに違いなかった。
リアム王もまた、ハゼム王と同じく、
「おい、いい加減にしやがれネイロパ。どんだけビクついてやがる。そんなにベイリーが怖いってのか」
「いえ、そ、そうではありません」
ネイロパは汗を伏せた顔をわずかに上げる。
彼の脳中には、ナドアの民に歓呼されたスタン・キュラムの姿がしっかりと焼き付いて消えない。
石造りの居室には、大きなタペストリーがかけられている。リアムの物語に基づく流星群と騎士団の図案だった。
「てめえ、ナドアの野営地より帰ってからおかしいぞ。ジヴのやつも半殺しになって戻ってきやがったしな。妙なことばかりだ」
「ジヴがやられたのは白狼レイゼルに、です。先般からの遺恨の清算でしょう」
ガラッドは椅子に座ったままテーブルに足をかけ、ぶっきらぼうに言う。
「レイゼル? ああ北の。俺の砂漠で好き放題か。お仕置きしてやらんなきゃなぁ」
マイルストームは舌なめずりでうそぶくが、ネイロパはいつものように追従しようという気にはならなかった。
あの彫り師の男の話もある。もしかしたらマイルストームの
「故郷に兵を求めに行ったと思ったら、すっかり意気消沈して帰ってくるとは……ほら、シャキッとしろ」
マイルストームが、ペチペチとネイロパの頬を叩く。
「ジヴの持ち帰った情報によると……」とガラッド。「悪魔の中指の攻略法なら耳に届いてる。おまえ、やれるか?」
「任せてください。まさか降伏するなんて言わないでしょうね?」
「当たり前だ。ここでやつらをコテンパンにしてやる。んで、レイゼルってのを叩いたら、この街にゃ用はねえよ、悪魔の中指を手に入れて、いよいよマイルストーム様の進軍が始まる」
ネイロパが「ダメだ」と呟く。「……もう後戻りはできない。私たちはもう」
「ぶつぶつ言ってんな。里心でついたのか? ナドアの野営地はたった四ヒスローしか離れてないんだろ。終わったら、ゆっくりママのとこに帰してやる。それよか、あと数時間で楽しい戦の始まりだぜ、なぁ、夢にまで見た、おまえと俺の特等席じゃねえか」
この部屋はレヴァヌを一望できるバルコニーに面していた。レヴァヌの街は闇に沈みつつあり、そこかしこに明かりが灯る。夜戦がはじまるのだ。
マイルストームは部下たちと盃を交わしながら、髭をしごいた。
「装甲車があるとはいえ、たかが数人で何ができる。バカが」
マイルストームの部下たちは賛同する。が、それは違う、とガラッドは密かに考える。ベイリー・ラドフォードとルードウィン・ザナックはさらなる圧倒的不利を覆しイルムーサ巣食う王都を取り戻したのだ。ルードウィンのものとされる鬼謀のいくつかは、じっさいにはベイリーの発案だとされている。
「八時間、みすみすと待つべきではないかも」
ガラッドは慎重に申し出た。
どうもベイリーの持ちかけた提案には違和感が残る。猶予が二十四時間であれば、せっかちなマイルストームは待ち切れなかったろう。逆に二時間であれば即断を迫られたと憤慨し、その場で開戦していたかもしれない。
(八時間、いやもう七時間を切っているか)
「なぁに、せっかくだ。急くほどのことはあるまい」
マイルストームは取り合わない。
(言っても無駄だな。ま、いいさ。後先考えないバカの強みってのもある)
ガラッドは軽く頷いて退室しかける。そこへ包帯だらけのジヴが現れ、部屋の外に誘った。
「
砂漠の違ってここには大喰いの餌が豊富にあった。
「おまえもう平気か?」
「かすり傷です」気丈にジヴは言うが、言葉ほど軽傷ではないことにガラッドは気付いていた。「レイゼルはそんなに?」
「ええ、強かったです。女に負けたのははじめてです。たぶん、犬をけしかけられなくとも負けてました」
ジヴは冷静に分析する。あの女は強靭だ。相当な修羅場を潜り抜けてきているはずだ。
「ベイリーにレイゼル。危険な面子に割り込もうとしてんだな、俺たち」
ガラッドはジヴに酒瓶を手渡しながら言う。
本当に手ごわいのは……と言いかけてジヴは口ごもる。ウェスとスタン、あのガキどもだ。あいつらには底知れない何かがある。だが、アレを……野営地のあの光景を見ていないガラッドに説明するのは難しい。
「もう、やめましょうか。地元に帰って商売に精を出しましょう。それで安泰でしょう」
酒を大きく煽るとジヴは真面目に顔つきで言った。あながち冗談ではない。
「バカ言うな」とガラッドは首を振る。「これからだぜ、俺たちは」
作戦会議室とは名ばかりの宴会場からマイルストームたちのバカ騒ぎが聴こえる。卑猥な冗談と悪罵の応酬。幹部たちは、ここから高見の見物を気取るつもりのようだ。楽しいショーを眺めるように。
悪魔の中指がやってくるなら、城砦の裏手の平地だろう。あそこなら旧市街から上がって来れるし、砲撃が城に届く場所でもある。つまり血盟団が迎え討つのもそことなる。ガラッドなら、そこに何かしらの罠をしかけておくところだが、もう時間がないし、マイルストームはその手の小細工を嫌う。
(まずは力比べだな)
ガラッドの体温が湿った城の冷気に溶けていく。
城砦の暗い廊下には心もとないほどの松明がかかっているだけだ。亡霊が徘徊するにぴったりの雰囲気。ズールドの城砦には数えきれないほどのその手の話がある。
「薄気味悪い城だなしかし」
「八百年以上も、ここじゃ、あれこれありましたからね」
「そっち系だけは苦手なんだ俺は。首の後ろの毛が逆立つ気がするぜ」
どうやらガラッドはこの城が居心地悪いようだった。
「早くここをおん出て外の世界を
「整ってます」
「娼館はどうなってる?」
「かなりの人数があそこの警備に割かれました」
娼館は新市街の裏手にあるが、戦火が拡大すれば巻き込まれないとは限らない。
「あちらさんに形勢が傾いたら、もう一度アプローチするぞ。やつらには何かある。ただの没落貴族なんかじゃない。俺の勘だ」
「では悪魔退治と行きますか」
ジヴは低く昇った月を見やった。満ちることなくわずかに欠けた月。
ベイリーが定めた刻限まで、残り六時間と三九分。
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