第12話 宝塚記念

 天高く、と言うのは些か大袈裟かもしれないが、まあそれなりに高くそびえ立つ鉄塔の足元で、美女と美少女が対峙している。

 風がそよぎ、美女の長い黒髪と、美少女が来ている服のフリルが微かに揺れる。


 早朝の静謐の中にあっても、この街にこびりついた濁りのようなものは除去されることはない。

 辺りを見渡すと、カラスがゴミ袋を漁っていたり、駐輪スペースで数台の自転車がドミノ倒しになっていたり、シャッターの降りた串カツ屋の前で酔漢が大いびきをかいていたり。

 この光景と淀んだ空気に眉をひそめるか、懐かしさのようなものを感じるか、人によってまちまちではあろうが、どちらにせよ今は情景に心をとられている場合ではなかった。


 かれこれ15分ほどはお互いを睨み合っている氷の美女・澤多莉さわたりさんと炎の美少女・護志田もりしたさん。目には見えない覇気と覇気とがぶつかり合っている。

 緊張が極限まで張りつめる。あとは蟻の一噛みでもあれば、すぐさま破裂するだろう。

 傍観者に過ぎない僕ですら、ともすれば呼吸を忘れそうだった。


 視界の片隅に、串カツ屋の前の酔漢が寝返りをうとうとしているのが見えた。

 身体がまともにシャッターにぶつかり、けたたましい音を立てる。


「!」


 二人の足が同時に地を蹴り、一瞬で間が縮まった。


 バキィッ!!


 発生した音は二つの筈であるが、僕の耳には一つに聞こえた。

 澤多莉さんの打ち下ろしストレートが護志田さんの顔面を、護志田さんのハイキックが澤多莉さんの顔面をそれぞれとらえ、二人はともに数歩よろける。


 お互いにカウンターが決まった形で、ノックアウトしてもおかしくないほどのダメージを受けた筈だが、態勢を立て直したのもまた同時。

 両者、真っ向から突きのラッシュを繰り出す。そのスピードの凄まじさたるや、腕が何本、何十本にも見えるほどだった。


「オラオラオラオラオラオラオラ!!」

「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄!!」


 ガキィ!!


 拳と拳がぶつかり合う。

 体格に勝る澤多莉さんの方が重く強いパンチを持っていたか、護志田さんがわずかに顔をしかめ、後ずさる。

 間をとるべく後方に跳躍する護志田さんを追うように、澤多莉さんは飛びかかっていく。


「!!」


 唖然とした表情を浮かべる護志田さんの脳天から、澤多莉さんの手刀が打ち下ろされる。文字通り刀のような鋭さを有したその一撃は、護志田さんの身体を真っ二つに切り裂いた。

 勝利を確信した澤多莉さんの口角が邪悪に歪む。


 だが。


 マサカリチョップで身体が引き裂かれた筈の護志田さんは、いつの間にか澤多莉さんの肩の上に座っていた。

 ふんわりした髪が、心なしか鋭く逆立っているように見える。


「残像だ」

「はい?」


 かませ犬のザコキャラのような間抜けな声をあげる澤多莉さんだったが、すぐにまた闘気が目に宿る。

 一瞬で身体を反転させ、スカートを履いているのもお構いなしで放ったサマーソルトキックはガードされたものの、そのまま白く長い足がプロペラのように高速で回り、護志田さんの身体や顔を何発かとらえる。


 吹き飛ばされた護志田さんは何とか態勢を立て直し、上空で静止した。

 口元を拭った手の甲に血が付いていることを見てとり、怒りに震えている。

 髪の毛は更に逆立ち、心なしか額がMの字になっているようにも見える。


 怒りのあまり理性を失ったか、地球もろとも撃ち砕くほどのエネルギー波を澤多莉さんに向けて放った。

 僕は情けないことに、こんなことで死ぬのなら昨日の夜に初めて食べた551蓬莱の豚まんをもっとたくさん食べておけば良かったなんて思いがよぎってしまう。


「波ーーーっ‼︎‼︎」


 地上の澤多莉さんも巨大なエネルギー波で応酬する。


「なっ、なにいっ‼︎⁉︎ オ、オレのゲリクソ砲とそっくりだ……‼︎‼︎!」


 驚愕する護志田さん。

 巨大なエネルギー波同士がぶつかり合い、空と大地が激しく震える。


「ぎぎぎぎ………‼︎‼︎」

「ぐぬぬぬ………‼︎‼︎」

「ぐっぐぐぐぐぐ…っ‼︎‼︎」

「うっおっおおおお……っ‼︎‼︎」

「4倍だぁーーーっ‼︎‼︎」


 澤多莉さんが叫ぶと同時に、更に巨大になったエネルギー波が護志田さんのそれを押し返す。

 その小柄な身体ごと宇宙へと吹き飛ばされそうになるが、かろうじて身をかわした少女は地上へと降りてくる。


 シャッター前の酔漢は、この数秒で起きたことなど知る由もなく、呑気にいびきをかき、鼻ちょうちんを膨らませている。


 再び対峙する黒髪ストレートの美女と、ふんわりブラウンヘアの美少女。

 お互いに消耗している筈なのだが、それを表情には一切出さず、余裕の笑みすらたたえている。


「ふふ……ウォーミングアップはこれぐらいでいいかしら」

「奇遇ですね。私もそう思っていたところです」

「じゃあ本番といこうかしら」

「望むところです」


 そう言うと。


 護志田さんはポケットからスマートフォンを、澤多莉さんは懐から競馬新聞を取り出した。

 かくして、二人は決着を付けるべく、宝塚記念の検討を始めるのだった。



 × × ×



「いやいやいや!! 何さっきの? 何さっきの本格バトル!? 幻覚? 幻覚を見ていたのかな僕は!?」

「うるさいわね。いつまで過ぎたことを言ってるのよ。勝負の邪魔をするならどこかに行ってくれる?」


 紙面から顔も上げずに冷たく言う澤多莉さん。護志田さんもスマホの画面をじっと眺めており、こちらを見向きもしてくれない。

 どうやらこの件についてはいくら尋ねても答えは帰ってこないと悟り、僕は別の疑問を投げることにした。


「ところで、なんで我々はこんな時間に、こんなところに来ているんだろう?」


 そびえ立つ鉄塔を見上げる。

 今は点灯していないが、スポンサー企業が社会に貢献する旨アピールしているネオンサインが目に入る。


「何おかしなこと言ってるのよ。今日は上半期最後の大一番・宝塚記念なのよ。ここ通天閣以外に決戦の地に相応しい場所があるというなら教えてほしいものね」

「阪神競馬場だと思うけど……」


 至極真っ当な指摘をした僕に、何故か睨みつけるような目を向ける澤多莉さん。


「アホンダラ」

「何で?」

「いてもうたろかワレ」

「だから何で!?」


 関西のヤカラと化した澤多莉さんと、困惑する僕の姿を見て、護志田さんはクックッと笑い声を洩らした。


「何わろとんねん」

「フフッ、随分と余裕がないようですね。自分では気がついてないようですけど、言葉が関西弁になっていますよ」

「何やて! ……ハッ!?」


 慌てて口を押さえる澤多莉さん。信じがたいことに、本当に無意識のうちに関西弁になってしまっていたらしい。


「どうやらダービーでの無様な負けがよほどこたえているようですね。この上ここでまた負けたらもう後がない、蒸発して顔と名前を変えてひっそりと生きていくしかないですね」

「うっ……」


 満面笑みを浮かべて詰め寄ってくる護志田さんに気圧される澤多莉さんという珍しい構図が繰り広げられる。


「な、何を言っちゃってるのかしらお嬢ちゃんときたら、戯れが過ぎるんじゃないかしらでんねんまんねん」


 動揺しつつも何とか持ち直し、引きつりながらではあるが口角を上げてみせる澤多莉さん。

 護志田さんは首をかしげる。


「戯れ?」

「ホラあれよ、わ、私もロジャーバローズが勝つって言ってたし」

「事実をねじ曲げないでくださいっ!」


 12歳の女の子に怒鳴られ、身をすくめる澤多莉さん。

 これが、かつては自分が死ぬこととバクチの出た目はねじ曲げられないとクールに言っていた彼女の姿であるのかと思うと、もの悲しさは禁じ得ない。


 再び持ち直すのに少しの時間を要し、澤多莉さんは立ち上がった。


「フン、一回勝ったぐらいでいい気にならないでもらいたいものね」

「おや、NHKマイルカップのことをお忘れですか?」

「忘れたわね」

「どこまで卑怯なんですか!」


 護志田さんも立ち上がり、二人は強い視線をぶつけ合う。

 そういえば確かにマイルカップのときも三人で予想を出し合い、護志田さんの指名したカテドラルが見事に入着した。

 ダービーといい、澤多莉さんと対決するときだけ的中するのは、何か闘争心とかが良い方向に作用するのかもしれない。


「いいわ、この宝塚記念であなたが勝ったなら、潔く負けを認めて頭を下げてあげようじゃない。ついでに、この食い倒れの街で何でも好きなものご馳走してあげる」


 この期に及んで潔くもないものだとは思うが、そんなことを言い出す澤多莉さん。


「ほう、それは素晴らしい提案ですね。では万一私が負けた場合は?」

「そうね……ペットの犬、親戚、家族、あなたの順番で死んでもらおうかしら」

「罰がつり合ってない!」

「その勝負、乗りました」

「乗るな! 自分だけならともかく、家族や犬まで!!」


 何とか馬鹿げた勝負は思いとどまらせ、負けた方が串カツとタコ焼きとハイボール(護志田さんにはコーラ)を奢ることに落ち着き、二人の女性と僕は通天閣の麓の地べたに腰を下ろし、それぞれ検討を進めた。


「で、ダービーでもう少しで単勝万馬券だった馬を見事に的中させた天才少女は、今回はどんな大穴を持ってきてくれるのかしら? タツゴウゲキ? ショウナンバッハ?」

「ふふ、そんな挑発しても無駄ですよ。今回の宝塚記念は単勝一桁台になるであろう6頭の人気馬のうち4頭も飛ぶことはあり得ません。それなりに固く決まるレースです」


 それには僕も同意見だった。昨年は大荒れだったが、今年の人気上位は昨年ほど危うくはないと見ている。


「その中でも昨秋以降のキセキの安定感は抜けています。大阪杯ではつかまってしまいクビ差の2着でしたが、距離が2200に伸びて馬場が悪くなることはこの馬にとってはアドバンテージになります。まずキセキを買っておけば間違いありません」

「ほうほうなかなかのご高説ね。あなたはどう思うの?」


 僕に水を向けてくる。


「うん、たしかにキセキの3着以内は固そうな気はするけど、僕が買いたいのはリスグラシューかな」


 そう言った途端、二人ともがジト目になる。


「唯一の紅一点をご指名ね……」

「どこまでもエロな人間ですね……」

「違う、そういうんじゃない! あと唯一の紅一点って日本語的に重複してるから!」


 宝塚記念は牝馬の成績が良く、暑い時期は牝馬が強いという格言は満更デタラメでもないと踏んでいることや、リスグラシューは三年前のマリアライトを彷彿させるうえにそれ以上に強いといった根拠を力説するも、二人の不信の目は晴れてはくれなかった。


 澤多莉さんは大きく溜息をつく。


「やれやれ、ああだこうだと御託を並べているけど、結局のところ二人とも何の冒険もない、つまらない馬券を買うってことね」

「なんですとう」


 馬鹿にしたように言われ、食ってかかる護志田さん。

 どうやら余裕を取り戻したか、澤多莉さんはそれを受け流す涼しい目をしている。


「固く決まる? 牝馬が強い? そんなこと言って人気どころに逃げてるだけじゃない。そんな何の面白みもない馬券を買うぐらいなら、競馬なんてやらない方がマシだわ!」


 ビシッと指をさす澤多莉さんを、唇をかんで睨みつける護志田さんであったが、僕はもう長い付き合いである。同じリアクションにはならない。


 このパターンは……


 胸を張りふんぞり返る澤多莉さんに、一応聞いてみる。


「それじゃ、澤多莉さんの本命はどの馬なの?」


(つづく)



 ◆宝塚記念


 護志田さんの本命 キセキ

 澤多莉さんの本命 レイデオロ

 僕の本命 リスグラシュー

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