第5話 皐月賞

 ごく当たり前の話であるが、護志田もりしたさんは馬券を購入していない。


 競馬法において、未成年者は勝馬投票券を購入してはいけないと定められており、ついこないだ中学生になったばかりの彼女が馬券を買うことなんてあり得るはずがない。


「まさか四連敗を喫してしまうとは……これは素直に競馬の難しさを侮っていたと認めざるを得ないところですね」


 何も馬券だけが競馬にあらず。スポーツとして観戦したり、サラブレッドの駆ける姿の美しさを観賞したり、賭けはせずに予想と答え合わせをしたりだけでも十分に楽しめる。

 入学早々推薦多数により学級委員に就任したという彼女は、そんな風に健全な競馬ライフを送っているのである。


「おかげで、毎月のお小遣いはおろか、貯金していたお年玉まで底をつきそうな状況に陥ってしまいました」


 なるほど。馬券こそ買ってはいないが、予想が当たらない悔しさから、お菓子を大量に買ってやけ食いでもしてしまうのだろう。気持ちは大いにわかる。負けが込んだときの食欲は半端じゃない。


「桜花賞ではノーブルスコアが来なかったおかげで3万もやられてしまいました。これは正直大打撃です。ケツの毛までむしられるとはこういうことを言うのでしょうね」


 今の発言の問題点は、うら若き少女が使うには下品すぎる言葉が飛び出したことのみであり、他に指摘すべきところは特にない。

 ちなみに3万というのは当然金銭のことではなく、おそらく彼女のHPヒットポイントのことだろう。本命馬が二桁着順に沈んだことが、魂掛けのストナーサンシャインを喰らったのに匹敵するほどの大ダメージだったと言いたいに違いない。


 こちらが空間を超越した絶対者の皆さまに内心で弁解してあげてるのもつゆ知らず、護志田さんは腰のあたりを手で押さえ、何やら抗議がましい目を向けてきた。


「何いやらしい目で見ているのですか。慣用表現として言っただけであって、実際に毛が生えているわけではないですからね。女子中学生のヒップが中国の水彩画に描かれる亀のごとき状態になっているなんて想像しないでもらえますか」

「……誰もそんな想像してないけど」


 大人であっても眉をひそめられること請け合いのどん引き発言をしているのが、中学一年生としてもひときわ小柄な、道行く人が思わず振り返るほどに可愛らしい美少女だというのだから世も末である。いや逆に新時代の幕開けなのかもしれない。


「むしろ私はそのような不潔なものは有しておりません。前も後ろも麻雀のハクのようにツルツルのテカテカです」

「うん、わかったから公衆の面前でそういう話はやめようね。ツルツルはともかくテカテカってよくわからないし」


 護志田さんは、テーブルに置かれたパフェをスプーンで軽くかき混ぜながらなおも口を尖らせる。


「こう見えても中学校ではアイドル的存在で通そうと思っているので、イメージを崩すような発言は遠慮してください」

「僕は何も言ってないから。あと悪いけど護志田さんがアイドル的存在って無理があると思うよ」

「お手洗いではウンコではなくイ◯ゴをひり出してます」

「伏せ字にする方間違ってる!」


 周囲の目を気にしつつ、不適切発言をやめさせようとするこちらの気持ちがやっと通じたか、しばし護志田さんはスプーンを口に運ぶ作業に専念してくれた。

 てか、よくいちごパフェ食べながらあんなこと言えるな。



 本日は、先週ご馳走したパフェをまた食べたいという護志田さんの強いリクエストに折れる形で、ターミナル駅近くにあるパーラーまで出向いてきていた。

 赤字に白いドット柄のワンピースに身を包んだ、お人形さんのような美少女を連れてスイーツを食べに行くなんて、僕はそうでもないが、ある種の趣味の方には垂涎もののひと時なのではないだろうか。


 どういうわけかテーブル席の対面でなく、すぐ横に座っている護志田さんが、スプーンを持つ手を止め、こちらに顔を向けた。

 ふんわりしたライトブラウンの髪から、何やら良い香りがはじける。


「ところでロリ兄ィ」

「そのあだ名で呼ぶのはやめなさい」

「わかりました……私も学級委員になったわけですし、人の嫌がることは言わないと決めましたので、このあだ名は不採用にします」

「是非そうしてくれ」


 できれば委員会とか関係なく、そのように心がけてもらいたいものなのだが。


「ところで日曜日は皐月賞ですけど、ムッツリーニ総統はどう見てます?」

「それ僕のこと? そんなあだ名も付けられてるの!?」

「命名者はあーちゃんです」

「あんにゃろう……」


 我が妹へ怨嗟を向ける。

 護志田さんと絡むようになるまでは兄妹関係はごく良好なものだと思っていたのだが、どうやらそうでもないらしい。


「もしそれもお気に召さないのでしたら、ナナちゃんが付けた『副会長』というニックネームもありますが」

「副会長?」

「はい、正確には『全童連副会長』です」

「ぜんどうれん??」


 首を傾げる僕に、護志田さんは指を立てて説明してくれる。


「全童連とは、全日本童貞連盟の略称です」

「そんな組織に入会した覚えはない! まして役職になんて就いてない!」


 思わず変な否定の仕方をしてしまった僕に、護志田さんは薄笑いを見せてくる。


「おや。確か二十歳を過ぎても童貞の方は連盟の役職に就任すると聞いたことがありますが」

「どこからの情報だそれは!」


 僕はクールダウンのためにお冷やを一気に飲み、護志田さんの目は見ずに注意をした。


「だだ、第一、大の大人を捕まえて、ど、童貞とか決めつけるなんて、失敬だ!」

「えっ?」


 護志田さんは大きな目を丸くして、こちらの顔を覗き込んでくる。


「童貞じゃないんですか?」


 つぶらな、それだけ見たら邪気のかけらもない眼差しだった。

 僕はまた顔をそらしながら、何とか答える。


「い、一応、こないだまで彼女いたし。丸一年付き合ってたし」


 問いに対する答えにはなっていないのだが、このこと自体は嘘ではない。頼むからもうこれ以上追及しないでくれ。

 護志田さんの表情を見ると、しばし更に目をまん丸にしていたが、やがてその目を細め、こちらを憐れむような眼差しを向けてきた。


「かわいそうに……そんな妄想で自分を慰めることで、かろうじて自我を保っているなんて」

「ちっ、ちがわい!」


 しかし護志田さんは何も言うなとばかりに静かに首を横に振り、僕の肩をポンポンと叩いてきた。


「大丈夫です。そんな哀れな男性はあなただけではありません。こないだ私のパパも言っていました。昔お世話になったAV女優の作品を久々に見ると、元カノ感がハンパないと」

「……前々から思ってたけど、君のお父さん少し問題かもしれないな」


 この分では、どれだけ言葉を尽くしたところで、僕が大学内でもナンバーワンの呼び声の高い美女と交際していたなどと信じてもらえることはないだろう。

 ていうか、今となっては自分自身でさえあの日々が現実だったとは信じられないような気さえする。

 脳内でこしらえたバーチャル彼女に耽溺するぐらいなら、まだ競馬に没頭する方が健全と主張する護志田さんに抵抗することを諦めた僕は、ともに皐月賞の検討に入るのだった。


「やはりサートゥルナーリアには逆らえないのでしょうか。デバガメ軍曹の見解を聞かせてもらえますか?」

「……そのあだ名は誰が付けたものなのかな?」

「これは今私が思いついた呼び名です」

「ただの悪口!」


 手を前に出し、少し指を曲げながら叫ぶというM-1チャンピオンスタイルでツッコミを入れつつ、見解を話す。


「まあ圧倒的に強い可能性も高いんだろうなとは思うけど、絶大な信頼を置けるかと言われたらどうかなあと」

「やはり休み明けが気になりますか?」

「うーん、休み明けもそうだけど、どうしても本当の目標は日本ダービーで、ここは全力で取りにきてないんじゃないかって気がしちゃうんだよなあ」

「なるほど、レイデオロ、ワグネリアンと2年連続で皐月賞では馬券にならなかった馬がダービー馬になったとなると、そう疑いたくなるのも頷ける話ですね」

「まさしくそれなんだよ。近年では皐月賞が三冠の一つというより、ダービーを本気で取りたい陣営にとっては前哨戦扱いになってきてるように思えて」


 それにしてもつい数ヶ月前に競馬と出会った子が、よくこれだけ勉強しているものである。


「それにアドマイヤマーズやダノンキングリーとは初対決ですし、あまり一強ムードと思いすぎるのは危険そうですね」


 腕を組んで、考え深げな表情を浮かべている護志田さんを見やり、競馬を愛するものとして嬉しさと、未来ある女の子をこういう道に引っ張りこんでしまった疚しさとで、僕は小さく葛藤していた。


「何しろ今度のレースには虎の子の5万がかかっていますから。負けるわけにはいかないのです」


 とか言い出した護志田さん。僕は小さくではなく、大いに葛藤しなければならないのかもしれない。

 まあ彼女が言っているのは、的中したら京都の有名な和菓子屋さんで売られている商品『ごまん餅』をお父さんに買ってもらえるということに違いないので、彼女がギャンブルに手を染めてしまってるとかそういうことでは断じてないのだが。


「それで、不審者さんは結局のところどの馬を本命にするのですか?」

「それあだ名? それとも僕の属性をそう位置付けてる?」

「わかりきったことを聞いていないで、早く本命馬を教えてください」


 何故か軽く注意されたことは腑に落ちないものの、僕は素直に本命馬の名前を口にした。


「なるほど、同じ無敗馬なら少しでも人気しなさそうな方というわけですか。いかにも童貞の考えそうなことですね」

「なんてこと言うんだ! 撤回しなさい!」


 さすがに聞き咎めたが、護志田さんは気にも留めずに自らの見解を自信満々に披露してきた。


「近年の傾向から見るに、ダービーを見据えた陣営はトリッキーな中山競馬場で無理な仕掛けをすることもなく、先行したもの勝ちのレースになるはずです。となると今回ハナを切ること濃厚なランスオブプラーナがマークされることもなく行ききってしまうことでしょう」


 また随分と伏兵を指名してきたものだ。とはいえ、もちろんノーチャンスと言い切れる馬でもない。


「波乱は常に前にいる馬が起こすものと聞きました。是非大番狂わせを起こして、私のフトコロを少しでも暖めてもらいたいものです」


 予想が当たれば勝利の喜びで体温が上がり、物理的に懐の中が温かくなるということなのだろう。


 拳を握りしめ、決意に満ちた目をしている美少女を横目に、馬券を購入せずとも楽しめる競馬という娯楽は何て素晴らしいのかと、僕は改めて実感するのだった。


(つづく)



 ◆皐月賞


 護志田さんの本命 ランスオブプラーナ

 僕の本命 ダノンキングリー

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