第3話 大阪杯

 曇天の下に咲きほこる桜の花びらは、ただ綺麗なだけでなく、何か力強さのようなものを感じさせる。

 毎年必ず花を咲かせ、必ず散ってゆく。その尊さへの感銘とともに、それにひきかえ我が存在は何とちっぽけで無価値なのかと思わず自嘲。僕の心は疲れ切っているようだった。


「この空前の買い手市場と言われる就活戦線で20連敗、勝率0割ですか。そこそこの大学に通っておきながらこの体たらくは目を瞠るものがありますね」


 そんな傷ついた心に塩を塗り込んでくる少女が一名。屈託のない表情でサンドウィッチ食べ食べ、隣で桜を眺めている。




 地元を流れる川沿いの桜並木は、ちょっとした花見スポットとなっており、個人やカップルで花を愛でている人々、集まって宴を催している人々で賑わいを見せていた。

 僕も帰り路を少し遠回りして、ああ綺麗だなあ日本人に生まれて良かったなあなどとそぞろ歩いていたところ、通算20通目のお祈りメールが携帯に届き、ガックリと遊歩道のベンチに腰を落としてしまった。


 いつになく割と好感触で面接を終えてきたというのに、家に辿り着くよりも前に通知が来るとか。ひどくね?

 ダメージは小さくなく、僕はなかなか立ち上がることができないでいた。


 そこにどこからともなく出現したのが我が妹の親友・護志田さんだった。

 弱っていた僕が問われるままに現在の状況を伝えたところ、やれやれとばかりに軽く息をつき、僕の隣に座ってきた。


「もう、あーちゃんのお兄さんは仕方ないですね。このまま放っておくとせっかく見頃を迎えた桜の木の下で首吊りでもしかねないので、こないだまでクラスメイトだった人たちとのお花見はキャンセルして、メンタルケアをしてさしあげましょう」


 先日卒業式を終えたばかりで、厳密にはまだ小学生である女の子にそんなことを言わせてしまうなど、こんな情けない話があるだろうか。


「いやいや、別に大丈夫だから。護志田さんにも、友だちの子たちにも申し訳ないし」

「大丈夫です。卒業式の後にみんなで集まる機会はちゃんとありましたし、むしろ卒業からまだ間もないのに集まって『同窓会だね〜』などと言い出してしまうノリはできれば勘弁してもらいたいと思っていたところなので。回避する理由ができてむしろ助かりました」

「そう……まあ気持ちは分からなくもない部分もあるけど」


 というわけで、中学校入学を控えた美少女と、しばしのお花見タイムを過ごすことに相成ったのだった。




 フリルのついた花柄のワンピースに身を包み、ふんわりしたライトブラウンの髪に黄色いリボンを付けている美少女は、見頃の桜以上に人の目を惹くらしく、護志田さんは往来する人々の視線を多く集めていた。

 彼女は、時にはチラ見、時には熱い眼差しを向けてくる通行人たちに頓着することもなく、その容姿からは想像もつかないであろう辛辣な言葉を降らせてくる。


「一度きちんと分析してみましょう。どんな企業だって学生時代何かに打ち込んでいた人と、そうではなく漫然と過ごしていた人となら、前者を欲しがるに決まっています。しかしあーちゃんのお兄さんは中高大と帰宅部で、サークルにすら入っておらず、アルバイトもしていなかった。かといって学業が際立って優秀というわけでもない。ババ抜きのババのごとき不良債権的な人材と判断されても無理のないところでしょう」

「……えーっと、たしかメンタルケアをしてくれるんじゃなかったのかな?」

「つまり選考で落とされるのはごく当然のことであって、取り立てて落ち込むようなことではないということです。元気を出してください」

「…………」


 肩にポンと手を置かれるも、これで浮上できる人間がどこの世界にいるだろうか。

 そのままガクッと肩を落としてしまう。


「むう。これだけ理を説いてもダメですか。仕方ありません……私特製のフルーツサンドでも食べて元気を出してください」


 護志田さんはそう言うと、膝に置いたバスケットから、一切れのサンドウィッチを取り出した。


「フルーツサンド?」


 もちろん知ってはいるが、個人的にそんなに馴染みのある食べ物ではなかった。


「ええ。イチゴや桃やキウイといった新鮮なフルーツを、生クリームと味噌を塗ったパンズで挟んだ逸品です」

「ああー、ひとつ余計な工程を加えちゃってるなあ、それ」


 謹んで遠慮しようとしたのだが、半ば無理やりに口に詰め込まれ、もぐもぐ咀嚼しているうちに、いつまでも落ち込んでいるのも馬鹿らしいという気持ちになってくるのだから、この少女も侮れない。


「まあ、焦らないことですね。いくら低スペックさに定評のあるあーちゃんのお兄さんといえど、まったく職に就けないなんてことはない筈です。そうですね、トラックドライバーぐらいにならなれるんじゃないですか? 聞くところによればジョッキーと比べたら夢がなくて、10000%容易にできる賤業らしいですし」

「……仕入れたばかりのネタぶっ込まなくていいから」

「今まで職業に貴賤はないものだと思っていましたが、そうではなかったようですね。目から鱗が落ちたような思いです」

「うん、その鱗は拾ってまた付けた方がいいだろうね」


 そんなこと喋りつつ、どういうわけか美味だったフルーツサンドを食べ終えた僕に、護志田さんはスマホの画面を向けてきた。

 画面には日曜日のGⅠレースの出走表が表示されている。


「こんな時は気分転換です。もう大阪杯の枠順はチェックしましたか? 今週こそあーちゃんのお兄さんみたいな社会不適合者には負けませんよ」

「発言に容赦がなさすぎる!」


 かくして、護志田さんとの競馬予想対決三回戦が始まるのだった。


「先日の高松宮記念は敗れこそしたものの、手ごたえを得ることができました。順位も後ろから5番目でしたので、後ろから2番目だったフェブラリーステークスのときより随分上がりました。伸びしろ抜群です」

「……そう」


 いくら初心者とはいえ、デビュー2戦で本命馬が13着、14着というのもなかなかの惨状かと思うが、傷つけてしまうかもしれないので、指摘は控えておく。


「ところでこの出走表を見て、或る異変に気づきませんか?」

「異変?」

「気づいていませんでしたか……あーちゃんのお兄さんは本当に愚鈍ですね。そんなことだから、就職もできず永世ニートとしての人生を送ることになるのですよ」

「あのさ、何言ってもいいってわけじゃないんだよ?」


 さすがに聞き咎めるものの、護志田さんは意に介さない。


「よく見てください。王道のGⅠだというのに年度代表馬のアーモンドアイ、昨年このレースで勝ったスワーヴリチャード、それにレイデオロといった強豪の姿がありません。私の情報網によると、どうやらアラブ首長国連邦まで出かけているそうです」

「……うん、競馬やってる人なら誰でも知ってると思うけど」

「すなわち、ドバイにも出走馬を出している陣営は、本気で勝ちたいのはそちらの方であって、この大阪杯は取れたらいいかなぐらいのスタンスで臨んでいるものと推察されます」

「うーん……どうだろうなあ」


 当然そんなことも無いとは思うのだが、一応理屈として成立していないことはない。


「現にマカヒキやワグネリアンの調教師のフレンドロードさんは大魔神佐々木と一緒に渡航したと聞いています。まずこの2頭は切って良いでしょう」

「友道さんね。まあ確かにGⅠの表彰式で調教師が不在ってのは珍しいのかなあ」


 或いはこの考え方も無しではないのだろうか。


「それと同じ理屈で、ブラストワンピースのオーナーのシルク姉さんもコリンズ監督と一緒にドバイに行っている筈なので、切って良いのではないでしょうか」

「その人がオーナーってわけじゃないけどね。あとコリンズ監督とはだいぶ前に破局してるし」


 特に指摘を聞いている様子はなく、ビシッとこちらに人差し指を向けてくる護志田さん。


「何が言いたいかというと、海外などに目をくれず、ここを本気で取りにきている馬こそが勝利を手にするのだということです」


 その人差し指で、そのまま手元のスマートフォンの画面を差す。


「サングレーザー?」


 有力馬の一角ではあるのだが、今回のメンバーではやや伏兵扱いになっている1頭である。


「ええ。マイラーのイメージがあったにも関わらず、昨年の秋は天皇賞の後マイルチャンピオンシップではなく香港カップを使ったあたり、2000mのGⅠ以外は眼中にないのではないかと。地元の関西で行われるここは大目標の筈です」

「なるほどねえ……」


 素直に感心する。なかなか良い目の付けどころかもしれない。


「すごいね護志田さん。色々調べてて、もうすっかりUMAJOさんって感じだね」

「んなっ……!」


 護志田さんは急に向こう側を向いてしまい、これまでよりも早口で言ってきた。


「ななな、何を言っているのですか! あーちゃんのお兄さんの子どもなんて産めるわけないじゃないですか! だってまだ私……」

「そっちこそ何言ってんの? 何言っちゃってんの!?」


 急に取り乱した護志田さんを宥める。辺りからの視線が突き刺さってくる。


 日も暮れてきた。夜桜を見ながら競馬の検討を続けるには、今日は寒すぎるし、隣にいる子は小さすぎる。

 僕の本命馬については、彼女を送っていく道々で話すことにしよう。



(つづく)



 ◆大阪杯


 護志田さんの本命 サングレーザー

 僕の本命 ペルシアンナイト

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