最終話 いつか、平和な未来で
――サイバックパークのヒーローショーを舞台に起きた、デザイアメダルの怪人によるテロ。その一件が公になることはなく、事件はあくまで「ショーの演出」として処理されることになった。
結果としてショーは大盛況のまま終わりを迎え、観客達は満足げに会場を後にした。ゴーサイバーがステージまで進入し、ヒーロー部に対する事情聴取を行なったのは、その後のことである。
事件が公にならなかったのは、自分達の基地でテロを起こされていながら、自力で対処できなかった防衛隊側としても好都合だった。おかげでステージに介入出来なかったゴーサイバーも、処分を免れている。
こうして事件をなかったことにできたのも、観客に負傷者が出なかったためだ。スペンサーに殴られた戦闘員も命に別状はなく、桜レヴァイザーやセイントフェアリーも至って軽傷。
唯一の民間人である炫も、グランタロトの鎧に守られ傷跡は残らなかった。
――こうして、事件はその日のうちに終息に向かい……夕暮れ時には、ヒーロー部も炫に対する聴取を終えていた。
劇場の外にある休憩所のテラスで、一連の話を聞き終えた猛は、思いもよらぬ縁があったものだと嘆息する。
「……そうか、それで炫さんが……」
「まさかこんなことになるなんて、思っても見なかったけど……猛君達がいてくれて、本当に良かったよ」
海の彼方に沈んでいく夕日を一瞥し、炫も深く息を吐く。肩の荷を下ろしたような、その横顔を見つめながら、春歌達は首を振った。
「そんな……私達だけでは、あのベルフェロイアを止めることは出来ませんでしたし……」
「まさか『DSO』の元プレイヤーが助けに来るなんて、私達も予想だにしなかったわ……ありがとうね、飛香君」
「ま……怪我の功名、ってヤツかしらね。おかげである意味、最高のショーになっちゃったわ」
黄昏の空を仰ぎ、凛は乾いた笑顔を浮かべる。思わぬアドリブの嵐となり、すっかり疲れ果てているようだ。
そんな彼女に苦笑を向けつつ、炫はこの場を去る準備をしていた。
「さすがに不安になってる人達もいたらしいけど、ゴーサイバーの人達が上手くまとめてくれたみたいだね」
「うん。……でも、伊犂江さんも蟻田さんも心配してるだろうし……オレ、そろそろ行かないと」
「そうね……事情聴取とはいえ、長く引き止め過ぎてしまったわ。ここまで付き合ってくれて、ありがとう」
「はい。――それじゃあ、ありがとうございました」
炫は舞達に一礼すると、踵を返す。そして、その先に待っていた猛と――固い握手を交わした。
「よかったら今度、学園島まで遊びに来てくださいね」
「あぁ、約束する。……また、な。猛君」
「……えぇ」
互いに、どこか名残惜しむように。ゆっくりと、2人の手が離れていく。
やがて炫は、猛と再会を約束すると――マフラーのように首に巻いた、白タオルを翻し。今度こそ、ヒーロー部の前から立ち去っていった。
「いつか――平和な未来で」
そして、炫の背が見えなくなるまで。その背に手を振り続けていた猛は……届くことのない言葉を、呟いていた。
――そう。ヒーロー部の物語はまだ、これからなのだ。
◇
「……で、良かったの? 彼のこと」
「ん? 何のこと?」
「飛香君のことよ。ゴーサイバーに教えなくて、良かったの?」
――そんな猛の後ろ姿を神妙に眺める凛に、舞が声を掛けてくる。
飛香炫……ことグランタロトの実態を、ゴーサイバーに報告していない件についてだ。ヒーロー部は防衛隊に、「甲冑勇者」のことを知らせていなかったのである。
「……彼は今回、デザイアメダルの力の余波で、たまたま変身したに過ぎない一般人よ。能動的に変身できる私達と一緒にはできない。でも、条件次第でレヴァイザーに匹敵する戦闘力を発揮できる彼の存在を、防衛隊が知れば……彼は、否応なしに民間人ではいられなくなる」
「……」
「もちろんゴーサイバーもそこのところは分かってるでしょうけど、彼らはあくまで防衛隊傘下の特殊部隊だからね。『グランタロトはショーのために作られた学園島製のヒーローだけど、今回の騒動で壊れてしまった』……そういうことにしてしまうのが、彼を守るには一番手っ取り早いのよ」
「……」
「そのために姫路家の権力まで使って、カバーストーリーを仕立て上げてゴーサイバーに報告したわけだけど……後で学園から、根掘り葉掘り聞かれるかも知れないわねぇ」
「……」
あくまで民間人でしかなく、本来なら戦う必要などなかった炫。
その人生を守るための、凛の策略を聞いた舞は……狐につままれたような表情で、彼女の顔を覗き込んでいた。
「ちょっと……どうしたのよ。さっきから押し黙っちゃって」
「……驚いたわ。まさかあなたにそんな人道的判断が出来るなんて」
「私のことなんだと思ってるわけ!?」
薄暗くなっていく空に、凛の怒号が響き渡る。だが、この場にいる誰もが……彼女の発言に対し、何も言えず微妙な表情を浮かべていた。
◇
――同時刻。伊犂江グループ本社ビル最上階。
その最奥にある、会長室の椅子に腰掛ける初老の男性――
ガラス壁から東京の夜景と、海原の彼方に聳える学園島を、静かに見下ろしていた。そんな彼の傍で、会長用デスクに腰掛ける金髪の青年が、薄ら笑いを浮かべている。
「サイバックパークでの一件で、随分と派手に暴れてくれたようだな」
「そいつを命じたのは、あんただろう。人のせいにしちゃあいけねぇよ、大将」
星の如き無数の光に照らされた、大都会の夜景。その景色を眺めながら、重々しく口を開いた芯に対して――金髪の青年、ことスペンサー・アーチボルドはさらに口角を上げ、下卑た笑みを浮かべる。
彼はあの戦いで消滅したと見せ掛け、ここまで逃げ延びていたのだ。
「しっかし、あんたもギルフォードに負けない悪魔になったもんだねぇ。娘の結婚相手決めるために、こんな真似するかい?」
「……あのゲームに関わった時点で、私はすでに悪魔だ。悪魔なら、悪魔らしいやり方というものがある」
――そう。スペンサーは、伊犂江グループの……伊犂江芯の差し金だったのである。
飛香炫が、愛娘を本当に守り抜いてくれる人物か否か。その人格を推し量るため、このショーとスペンサーの乱入を企てた。つまりショー自体も乱入事件も、芯の計画通りだったのである。
そして当の炫は、芯が望んだ通りの反応を示した。
彼ならば、例え伊犂江グループの悪事が暴かれ伊犂江家が離散したとしても、必ず優璃を守ってくれる……幸せにしてくれる。
全ては、芯がそれを確信するために仕組まれた戦いだったのだ。
「毒を食らわば皿まで……ってか。後戻りが出来なくなった人間、ってのはいつの世でも恐ろしいもんだな」
「君もそのうちの1人だろう? ――スペンサー」
デスクの上で足を組み、歪に嗤うスペンサーは東京の往来を見下ろしながら、手にしたメダルを弄ぶ。
「ハハハ、俺は違ぇよ。別に、俺は後戻り出来なくなったわけじゃねぇ。しようと思わねぇだけだ。言っただろ? 俺は楽しいゲームが出来りゃあ、それでいいのさ。そのために誰がどうなろうが、知ったこっちゃねぇんだよ」
「……」
「睨むなよ。依頼通り観客は誰も傷つけず……あいつの真意を、確かめてやったんだからよ」
濁り果てた眼差しで芯を見つめるスペンサーは、炫との戦いを思い起こしながら狂笑の声を上げていた。
「……そうだな。よくやってくれた」
「へっ。……しかしまぁ、あんたのお嬢さんも不憫なもんだな。自分が騒ぎの中心にいることも、いたことも……何一つ知らねぇまんまなんだからよ」
「あの子は、それでいいんだ。少なくとも、今はな。いずれは全てを知る日が来るのだろうが……それは、今ではない」
そんな、ヒトの姿を持った怪物から目を背けて。芯は学園島の方を見遣り、穏やかな笑みを浮かべる。
「……そう。そんな娘を、何があっても守ると言い切ってくれた彼こそ。娘を本当に幸せにしてくれる、ただ1人の男なのだろう。私は今日、それを確信した」
「……あんたの幸せ家族計画に付き合わされてる連中が、気の毒でならねぇなぁ。ま、どうでもいいけどよ」
その笑みに隠された家族への偏愛と、自分以上の狂気を垣間見て。スペンサーは嘲笑の貌のまま――学園島の方向へ、蒼い眼を向ける。
「……さぁて。次は、どんなゲームをしようかね」
刹那。
彼の眼が再び、紫紺の色を帯び始めた。
◇
その頃。閉門時間が迫ろうとしていたサイバックパークの中を、1人の少年が駆けていた。
辺りはすっかり薄暗くなっており、来客のほとんども帰路についている時間帯だ。昼間の賑やかさが嘘のような静けさの中、少年は息を切らせて必死に走る。
「……あっ!?」
「……むっ!」
すると。曲がり角から突然現れた人影に、思わず緊急停止。だが、それは見知った顔であり――この薄暗い中であっても、すぐにお互いに気づいた。
黒髪を短く切り揃えた長身の美男子――真殿大雅。その無愛想な顔と向き合った瞬間、炫はあからさまにげんなりとした表情を浮かべる。
「や、やぁ真殿君。早かったんだね」
「飛香炫! お前こんなところで何してる! 伊犂江さんと蟻田さんはどうした!」
「い、いやー……あはは。ちょっとはぐれちゃってさぁ。中央広場で待ってくれてるみたいだから、そこまで急いでたんだ」
炫を見つけるなり、眉を吊り上げ凄まじい剣幕で詰め寄ってくる。優璃に想いを寄せる男子達の1人である彼にとって、炫は正に憎き恋敵なのだ。
そんな大雅にとって、冬合宿の疲れなどさしたる問題ではないのである。合宿の荷物を抱えたまま、このサイバックパークまで、彼は己の足で走って来たのだ。サッカー部エースの名声は、伊達ではない。
「はぐれた!? ……全く、しょうがない奴だな。ほら、さっさと行くぞ! 中央広場だろう!?」
「あっ、ちょ、ちょっと真殿君!?」
だが、その一方で面倒見の良さもあるのか……彼は炫の手を引くと、中央広場を目指して早足で歩き始めた。寄り道など許さないと言わんばかりに、力強く炫の手を握り締めて。
(……なんだかんだ言ったって、やっぱり優しいんだなぁ。真殿君)
そんな彼の、厳しさの中に潜む優しさを感じて。炫は苦笑を浮かべ、彼の後ろをついて行った。
「あっ……飛香君っ!」
「飛香さん! もぉっ、どこに行ってたんですか!」
――それから、約数分。すっかり暗くなってしまった中央広場に辿り着いた炫達は、ようやく優璃達と対面した。
炫の顔を見るなり優璃は目を丸くして、利佐子は眉を吊り上げお説教モードに突入する。
「あぁ、うん……2人ともごめんね。ちょっと道に迷って――あだっ!?」
「伊犂江さん! 蟻田さんっ! よかった無事で! 俺が来たからにはもう安心――!」
そんな彼女達に頭を下げつつ、炫は苦笑を浮かべるが――大雅に肩をぶつけられ、よろめいてしまった。
一方。想い人を前にした大雅は、炫を突き飛ばしながら優璃に抱きつこうとする。そんな彼を、利佐子が腕ずくで阻止しようとした……のだが。
「ぼふっ!?」
「……飛香くぅんっ!」
「ヴェッ! い、伊犂江さん!?」
それよりも速く。優璃は飛びついて来た大雅をあっさりとかわし、炫の胸に飛び込んでしまった。
予想だにしなかった展開と、肌に伝わる巨峰の柔らかさに、炫の思考が混迷の時を迎える。
一方。渾身のランデブーを避けられた大雅はそのまま転倒し、地面に顔面からダイブ。そんな彼の哀れな末路を、利佐子は痛ましい表情で見下ろしていた。
「……馬鹿、馬鹿ぁ! 心配したんだからね! 急にいなくなったりしてっ!」
「伊犂江さん……」
「お嬢様……」
炫の胸で泣きじゃくる優璃は、あれから姿を消してしまっていた想い人を、取り戻そうとするかのように。その細腕からは想像もつかない力で、懸命にしがみついていた。
そんな彼女の姿に、炫と利佐子も切なげな表情を浮かべる。
「……ごめん、ごめんよ。もう、急にいなくなったりなんかしないから」
「うん、うん……」
――こんなにも、オレを心配してくれていたんだな。なのに、オレは――
そんな自責の念を、胸中に閉じ込めて。炫は幼子をあやすように、優璃の頭を撫でる。その感覚に酔いしれるように、優璃は涙を目尻に浮かべながら、恍惚の表情を浮かべていた。
「……そうですよ、飛香さん。もし今度、お嬢様を泣かせたら承知しないんですからね。その時は、私も一緒に泣いちゃいますから」
「そ、それは後が色々怖いな……わかった、肝に銘じておくよ」
そんな主人の背を、人知れず
「是非、そうしてください。……でも、どうしてあの時、急に何処かへ行ってしまわれたのですか?」
「えっ? ええと……それはその――!?」
そして、あのショーの最中になぜいきなり席を立ったのか、という疑問に炫が答えかねていた……その時。
躰の芯まで凍て付くような悪寒が迸り――炫は、その殺気を視線で辿る。その先では、うつ伏せに倒れたまま横目でこちらを睨み上げる、大雅の眼光が唸っていた。
「……飛香炫ゥ」
「ま、真殿君……!?」
修羅の形相で炫を凝視する彼は、やがてゆらりと立ち上がり――衝き上がるような憤怒に身を焦がす。その貌の禍々しさは、もはやスペンサーすらも超越していた。
「……貴様ぁあ! 許さん! 絶対に許さんぞ! じわじわと嬲り殺しにしてくれるーッ!」
「う、うわぁあぁあ!」
「ちょっと……真殿君っ!?」
「真殿さんー!?」
そして噴火の如き怒号を上げて、拳を振り上げるのだった。炫は、その身に覚えのない殺気を前に、涙目になりながら――背を向けて逃走し始める。
そんな彼を猛追する大雅に、優璃と利佐子は先ほどまでのムードも忘れて狼狽えていた。
だが、彼女達の戸惑いの表情など意に介さず。大雅の視界は、憎き飛香炫の背中だけを捉え続けるのだった。
「待てぇえー! 死ねぇえー! 死んで償えぇえー!」
「ひ、ひぃいぃい! 今日の真殿君、ベルフェロイアより怖いぃぃい!」
「ちょっともうどこに行くの2人ともー! 急にいなくならないって約束はー!?」
「飛香さーん! 契約不履行ですぅーっ!」
やがて、またしても約束を破りかけている炫を追うように、優璃と利佐子も駆け足になって行く。だが、男2人の全力疾走に追いつけるほどの速さではない。
「も、もうヒーローなんて懲り懲りだぁあぁ!」
そんな中。
戦いを終えた後も、このような修羅場が待ち構えている己の境遇を嘆いて。炫は噴き上がるような慟哭を、この夜空に轟かせるのだった。
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