第九話:滅びし街

 やっぱり吸血鬼は弱点が多いなぁ。僕は蝙蝠を介して入ってくる情報に、ため息をついた。



 ミレーレはこれまでの活躍が嘘のような醜態を晒していた。『常夜の魔王』の力で見えないが、音と気配で状況はわかる。



 そうだよね……初めてのにんにく、つらいよね。



 手に入りやすく、加工が簡単で、吸血鬼にのみ有効。流れる水もそうだが、闇の眷属が吸血鬼を相手にする上でこんなに突きやすい弱点もない。

 おまけにこの時代、にんにくは割とどこでも手に入るときている。


 あいにく、にんにくを克服する術はない。慣れる事もないが……まぁ、それは仕方ない。代償があるからこその力だ。

 滅びと比べたら、くしゃみなどどうという事も――初めてのにんにく、つらいよね……。



 一見、戦況はミレーレに不利に見えた。相手は吸血鬼対策を打ってきているし、人数だって向こうの方が多い。常夜の魔王の能力も想像以上に強力だ。まさか吸血鬼の目で見通せない闇が存在するとは思わなかった。

 だが、それは逆に言うのならば、そこまでやってもミレーレを殺しきれないという事を意味している。


 くぐもったうめき声、くしゃみ、悲鳴、罵声、怒声。

 最初はミレーレの声が多かったが、徐々にその中にダークエルフの悲鳴が混じり始めた。



「ぐ、くしゅ……し……んっ……んっ、じゃえぇッ!」




 にんにくは吸血鬼にとって強力な武器だが、致命的ではない。吸血鬼を確実に殺すには聖銀の武器を使うか心臓に杭を打ち込むか、終焉騎士の力が必要だ。

 地面を穿つ轟音と湿ったものを潰す音が連続で聞こえた。ミレーレがその怪力をやたらめったら振るい始めたのだ。


 恐らく、狙いを正確につける程ミレーレは立ち直っていない。だが、ただそれだけで、敵はミレーレに迂闊に近づけなくなる。


 それでいい。投げつけられたにんにくなど、土塊を巻き上げても防げる。結局のところ、僕達が戦う上で一番有効なのはパワーなのだ。


 蝙蝠に空を飛び交うにんにくを回避させながらミレーレに声をかける。



「ミレーレ、助けは必要かい?」


「ッ!! い、いらにゃい!」


 かみかみで叫ぶミレーレ。そういうのならば、助けはいるまい。

 戦闘の技能は戦いの中でしか培われない。ミレーレには苦戦の経験が足りていないので、今回の戦いはちょうどいいのかもしれなかった。



 しかし、砦攻めは吸血鬼にとっては永遠の命題かもしれないな。特に、魅了の魔眼を使えない貴種吸血鬼未満にとっては。



 ミレーレが再び樹木を引き抜き、投擲を始める。弱点を突かれているというのに、攻め手を変えないという完全なる脳筋。

 別に悪手というわけでもないが――やはり、僕達には協力者が必要だな。手引をしてくれる協力者が。



 力による砦攻めはこれで最後にしたいものだね。






 僕は視界の重きをミレーレにつけていた蝙蝠から自分に戻した。




 僕が本体を置いていたのは、常夜の魔王が攻め落とし、先日まで支配していた街の一つだった。


 ミレーレが奪還し魔王の配下達は全員追い出したのだが、まだ街は静まり返ったままだった。

 常夜の魔王の配下達がやり放題にやっていたせいで、住民達も生きる気力を失っていた。

 街全体から死臭がした。転がっている死体の数は思ったよりも少なかったが――まぁ、可哀想だけど仕方がない。終焉騎士団が動けないこの時代に命があるだけマシだと思ってもらおう。



 そこで、街の様子を確認しにいっていたモニカが戻ってきた。



「エンド様、街の様子を確認してきました。ダメですね……この街も死に体です。人手も足りないし、戦える人間もほとんどいません。今はまだ備蓄がいくらかありますが、全滅は時間の問題でしょう」


「そうか……面倒な事をしてくれたな」


 どうやら常夜の魔王は街を占領したが、運用しようとはしていなかったらしい。有能な人間は軒並み殺していたようだ。

 まぁ、人間が魔族の支配を――しかも常夜の魔王のように中途半端な力の魔王の支配を唯唯諾諾と受けるとは思えないので、面倒事を起こす前に粛清したのだろう。恨みもあったのかもしれない。


 問題なのは、そんな街や村が五つもある事だった。


 残念ながら僕に政治家としての力はない。貴族としての教育もまともに受けていないのだ。死魂病のせいでずっと寝たきりだったからね……。

 このままでは、せっかく解放した街が死んでしまう。



「一応、町長の子が二人だけ、残っていました。まだ子どもですが、連れてきますか?」


「………………そうだな。連れてきて」


「……わかりました」


 町長は基本的に世襲のはず。その子ならば最低限の教育は受けているだろう。子どもだというのも…………まぁ、メリットになる事もあるかもしれない。今は猫の手でも借りたいのだ。


 モニカが連れてきたのは、薄汚れた子どもだった。棺桶に腰を掛けたまま、二人を観察する。

 性別は女と男で、年齢は両方ともに十代前半だろうか。頬は痩け、目は窪み、ボロボロの布切れを纏った子ども。焦げ茶色の髪は乱れ、唇も乾いている。元々の容貌はそれなりに整っていそうだが、この有様を見て領主の一族だと思う者は余りいないだろう。外傷はないようだが、生気というものが感じられない。


 僕を見ると一瞬だけその双眸に怯えを浮かべるが、そのまま唇を強く結んだ。


「どうやら町長は兵達を率いて率先して魔王を迎撃しようとして惨殺されたようで――その町長の子です。エンド様の事は話してあります」


 まぁ、常夜の魔王の勢力にこんな小さな街で立ち向かうのは難しいだろうね。戦える人数が違いすぎる。

 

 そして、話してあるのにこの反応か。まぁ、モニカがどんな言葉を使ったのかは知らないけど、余計な事を言うつもりはない。


 今、僕が求めているのは実利だけだった。


 これから僕達は魔王を倒しながらセンリを探す。その道程で今回のように魔王に支配された人間の街を解放する事もあるだろう。

 だが、解放した街が滅んでしまえば意味はないのだ。そんな事になったらセンリに何を言われるかわからないし、うまく街を救ってあげればセンリも大いに褒めて血をくれる事だろう。


 僕は街の支配には興味はない。それをどうにかする能力の持ち主が必要だった。最悪、能力がなかったとしても、やる気は欲しい。

 余り急ぎで探しているわけではないが、いつかは必要になるものだ。


 僕は二人の目をしっかり見つめると、笑みを浮かべて言った。



「僕は正義の吸血鬼、エンド・バロンだ。魔王に襲撃を受け、占領された街を解放している。それで、君達にこの街の運営と復興を任せたいんだけど、大丈夫かな?」



「!?」


「え!?」


「エンド様!?」


 何も聞いていないのか、目を見開く三人。連れてこられた二人はともかく、モニカまで目を見開いているのは如何なものか。



「無理そうなら、任せられる人を教えて欲しいんだ。足りないものがあれば揃える。僕は余りここにいてあげられない。他の街も助けてあげないといけないからね」



 それとも、所属する国に助けを求めれば執政官を送ってくれるだろうか? いや、そんな余裕はないだろうな。


 突然の要請に混乱する二人を元気づけるために、能力を行使する。


 人の精神を操る『魅了視ファシネイト・アイ』――本来ならば人間を操り一時的に手下にするための能力だが、どんな能力も使いようだ。

 意思に反する事をさせたのならば能力が切れた後に影響が出るだろうが、ちょっと後押しするくらいならば何も問題あるまい。


 精神力の強い傭兵でもかかる、即効性と強制力に秀でた魔眼を受け、二人の目の色が変わる。



「死にたくなければ、最善を尽くすんだ。武器を取れ。大切なモノを守るためには戦わなければならない。これは君達の事だよ」


「…………は、はい」


「わかり、ました……」


 よし、言質とった。これでこの街は大丈夫だ。


 そうだ、他の街の人をここに集めるのはどうだろうか? マシな人材が残っているかもしれないし、人口も減っていてキャパシティにもある程度余裕があるはずだ。

 どうせ死にかけている街だ、資材を集めて街を一つにまとめた方が守りやすかろう。もちろん、吸血鬼の対策は万全に、ね。




「モニカ、二人の世話を頼むよ。酷い状態だ、お風呂に入れて、いい服を着せて、ご飯を食べさせて、休ませて、落ち着いたらまた連れてくるんだ」


「…………うまくいきますかね?」


「それは…………モニカ次第だよ」



 モニカの使う魅了の術は僕程強力ではないが、長く続く。一丸となって問題に取り組めばどんな問題だって解決するはずだ。


 王というのも、なかなか大変だな。













§ § §










 夜が、街を滅ぼした。襲撃は突然だった。警告も宣戦布告もなかった。

 かかった時間は僅か半日。半日で、数百年の歴史があるファガニの街は滅ぼされた。


 妖魔がなだれ込んできて、多くの人々が殺された。長くファガニの町長を努め尊敬を集めていた父も、それを公私共に支えていた母も、気づいた時には物言わぬ躯になっていた。

 戻らぬ両親に耐え兼ね、屋敷の地下――隠し部屋から受けだしたコーディと双子の妹のエッタが見たのは、死体に溢れる、妖魔に占領された街の光景だった。


 正直、そこから先の事はよく覚えていない。ただ、命がけの生活が始まった。


 子どもの目から見ても、街は完全に機能を失っていた。人口よりも死体の数の方が多かった。

 ファガニを襲った妖魔達は街をうまく支配しようとする気はないようだった。


 既に戦える者はなく、生き延びたのは子どもや老人など脅威にならない、妖魔にとって殺す価値もないと判断された者だけ。それも、気分一つで殺される程度の存在でしかない。


 僅か一晩で変わってしまった世界を、ただ遮二無二生き延びた。街には既に法はなく、周りを気にかける余裕もなかった。そして、それはコーディ達以外も同様だった。

 一週間経っても、一月経っても、助けはこなかった。街を占領していた妖魔の数も減っていったが、状況は何も変わらなかった。


 まだ十三になったばかりのコーディとエッタにできる事は何もなかった。戦う術を知らず、街を逃げ出したとしても野垂れ死ぬ事は明らかだ。そもそも助けが来ないという事は国も助けを出すような余裕がないという事である。


 人外魔境を生き延びた。最初の襲撃を生き延びた住民達も何人も倒れていった。

 元町長の子とはいえ、まだ子どものコーディとヘンリエッタがここまで生き延びる事ができたのは、幸運もあったが、それ以上に――墓を掘ったのが功を奏したのだろう。

 時間だけはあったから、毎日墓を掘り、その辺に放置されていた死体を埋葬していった。

 どうやら、人間の死体はそれを食べない妖魔にとって目障りなものだったらしい。墓を掘り、死体を苦労して埋葬するコーディとエッタを、妖魔達は見逃したのだ。

 いつしか、かろうじて生き延びていた他の人々も、コーディとエッタの真似をするようになっていた。


 だが、このままでは問題になるのは明らかだった。都市には既に生産者はいなくなっている。備蓄がなくなればそう遠くない内に全員餓死するだろう。

 挽回の方法は何も思いつかなかった。生き残り達は肉体精神共に疲弊しきっている。そして、滅びた街に固執する事なく妖魔の軍勢はいなくなるに違いない。



 妖魔の目に止まれば暇つぶしに潰される。彼らは住民を蹂躙する理由を探している。感情を殺し、隠れるようにして生活する毎日。




 しかし、その日もまた、街が滅んだ日と同様に、唐突に終わった。






 常夜の軍勢を歯牙にもかけない、さらなる強者の襲来によって。







 科学が発達し、終焉騎士団の尽力で妖魔の脅威は大きく減少した。

 妖魔達の結束により抵抗力を失っていた人族の街は次々と滅ぼされていった。


 盛者必衰。街は滅びに瀕し、家族もたった一人しか残っていない。


 大切なモノを守るためには、戦わなければならない。


 怪しく輝く血のように赤い双眸。その言葉はコーディの頭に、不思議なくらいしっくりと染み込んでいった。



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