第七話:魔性②

 小柄な身体が瞬く間に巨大化し、一匹の美しい獣に変わる。それは、物語に登場してもおかしくないおぞましい光景だった。


 周囲を取り囲む数十人の魔性から撃ち込まれる無数の魔法の弾丸をものともせず、一匹の獣が地面を蹴る。


 しなやかな四肢に、魔法、物理、銃火器なども含めほとんどの攻撃を寄せ付けない銀の毛皮。


 かつてセンリは教えてくれた。吸血鬼というのは、本来、終焉騎士でも一人では相手をしないような代物らしい。特に熟達した吸血鬼が相手の場合、騎士が数人集まっても危うい事もあるのだとか。


 数多弱点を持つ吸血鬼がその専門家である終焉騎士を圧倒する。僕が考える吸血鬼の最も強い点は――その圧倒的なフィジカルの強さだ。

 無限のスタミナに、数トンの瓦礫を軽々と持ち上げられる筋力。腹に穴が空いても平然と動ける耐久力に、再生力。そして、魔術や毒に対する耐性。代償を払っている分、吸血鬼の性能は大抵の魔族よりも純粋に高い。



 たった一人の血を分けた眷属。ミレーレ・ノアの記念すべき初陣を、僕は蝙蝠に姿を変え、遥か上空から見ていた。



 彼女にはきっと戦闘の才能がある。僕という先輩がいたとはいえ、最初から吸血鬼になれたとはいえ――彼女は最初から戦う事に戸惑っていなかった。最初に戦わせたのは獣に毛の生えたような魔物だったが、さも当然のように屠ってみせた。僕が戦闘に慣れたのはロードの命令で数回の戦いを経験してからだったが、彼女は違う。


 ミレーレは狼に変身するのがお気に入りだが、彼女が変身する狼は巨大で靭やかで、輝く白銀の毛皮を持っていて、とても美しい。僕が最初に変身したのは犬だったので多少の違いはあるだろうが、境遇は同じなのにギャップが大きすぎる。狼に変身してミレーレより格好悪かったら悲しいので最近は狼への変身を抑えているくらいだ。


 だが、それでも彼女はなりたての吸血鬼だった。


 ミレーレは強い。最初の頃の僕よりも遥かに強い。だが、この世界は僕達にそこまで甘くない。


 僕がこうして空からこっそり見守っているのは、いざという時のためだ。


 アンデッドになってから、僕は散々な目にあった。終焉騎士には首だけにされ、吸血鬼狩りヴァンパイア・ハンターには弱点を突かれまくり、呪われた炎で丸焼けにされたり、銀の爪を受けたり血の杭で攻撃されたり、今思い出しても一歩間違えたら普通に永遠の眠りについていた。

 僕がなんとか戦いを乗り切れたのはセンリという理解者がいたからだ。たとえその場にいなかったとしても、彼女の存在はずっと僕の支えだった。


 だから、次は僕がミレーレを見守るのだ。彼女は才能に疑いはないが吸血鬼は弱点が多すぎるし、吸血鬼の弱点は有名なので相手は大体そこを突いてくる。油断すると酷い目に遭うし、油断しなくても大体酷い目に遭う。


 ミレーレが大きな相手と戦うのはこれが初めてだ。今回は経験を積ませるために相性のいい勢力をターゲットにしているが、それでも相手は魔王、どんな手を使ってくるかわかったものではない。


 そして僕が心配した通り、初撃からして、ミレーレは素人丸出しだった。

 降伏勧告は既にオリヴァー経由で行い拒否されているのだから、こっそり襲って人数を減らすべきなのに、正面から姿を現してしまった。旗なんて最後に立てればいいんだよ!


 ひやひやしながら見守る僕の気持ちも知らず、銀の狼が雨あられと降り注ぐ魔法攻撃を正面から受けながら常夜の魔王の兵達に襲い掛かる。

 体当たりで相手を弾き飛ばし、前足で踏み潰し、首に噛みつき振り回す。確かに効果的だが、流れる水を受ければ一瞬で力を使えなくなって無力化されてしまうのに、サポートもいない初陣であれをやるのは相当肝が据わっている。


 相手の拠点の一つだけあって、街には大勢の兵士達がいた。事前の調査の通り、常夜の魔王の配下の多くは魔術師のようで、炎が、雷が、連続で撃ち込まれる。


 相手が吸血鬼で魔法の効きが悪い事はわかっているはずなのに攻撃せずにはいられないのだろう。人数的には圧倒的な差があるが、どちらが優位かは空から見ていても明らかだった。


 ミレーレは余りにも勇猛だった。そして、その殺意に、常夜の魔王の配下は気圧されていた。あれだけ人数差があれば吸血鬼一人くらいどうにでもなりそうなのに、及び腰になっている常夜の魔王の配下達を、銀の狼は易易と蹂躙していく。



 と、そこで僕は、ミレーレの暴れている広場から百メートル以上離れた屋根の上に、弓を持ったダークエルフが何人も集まっている事に気づいた。


 ダークエルフは弓と魔法の腕に秀でた魔族だ。夜目も利き、腕利きのダークエルフは数百メートル離れた場所にある林檎を弓で射抜けると言う。


 惚れ惚れするような動作でダークエルフ達が弓を引く。その鏃は銀特有の輝きを放っていた。


 祝福はされていないようなのでだいぶマシだが、銀は闇の眷属の弱点だ。吸血鬼もその例に漏れず、銀の武器は頑強な吸血鬼の肉体を容易く貫き、再生を阻害する。

 吸血鬼の痛覚は人間と比べればずっと鈍いが、銀の武器を受けた時は違う。中には初めての激痛に動けなくなってしまう吸血鬼もいるらしい。もしも脳や心臓などの重要な器官を貫かれれば、即死はしないにしてもそれ以上動けなくなってしまうだろう。


 とうとうミレーレにもピンチ到来か……死魂病で痛みには慣れているだろうから、動けなくなる心配はないはずだが――奇襲をしかけないからそうなるんだよ!

 助けに入っても良かったが、一度くらい痛い目は見ておいた方がいい。いつでも僕がいるわけではないのだ。



 ミレーレが至近から魔法を撃ち込んできていたダークエルフに囓りつき、一瞬動きが止まる。その隙を突くように、矢が放たれる。


 無数の銀の矢が闇夜に飛来する。銃火器と違い、その攻撃はほとんど音がしない。僕なら気づくだろうが、それはこれまで戦ってきた経験があってこそだ。


 卑怯極まりない銀の矢の雨が、背後からミレーレに迫る。


 そして、その鏃が美しい銀の毛皮に突き刺さる寸前――ミレーレは大きく身を翻し、咥えたダークエルフで銀の雨を振り払った。


 矢の雨の内、大半が振り払われ、残りが咥えたダークエルフの身体に連続で突き刺さる。少しでもダメージを与えようと、遠巻きに攻撃を放っていた兵達に動揺が奔る。



 偶然じゃ――ない。ミレーレは全く焦っていない。



 まさか、この攻撃を読んでいたのか!?



 ハリネズミのようになったダークエルフを捨て、ミレーレは強く地面を蹴った。数メートルの距離を一跳びで詰め、動揺に動きが止まっていたダークエルフの魔術師を引き倒し咥えると、弓が飛んできた方向に向かって疾風のように駆けだす。


 思わず目を見開く。矢が飛んできた方向まで正確に把握している。


 だが、百メートルの距離など吸血鬼にとって大した事はないが、敵だって黙って見ているわけがない。


 再び放たれる無数の銀の矢を、ミレーレは一切速度を落とす事なく、新たな盾を使って防ぐ。常々、銀の武器には気をつけるように言っているのだが、彼女の度胸はどうなっているのだろうか?

 狼への変化は身体の感覚も、視点も変わってうまく動くのが難しいはずなのに、咥えたもので飛んできた矢を防いだり払ったりするのも、地味にかなり凄い。僕にはできないかも…………。


 兵の一人が術を使い、地面から水を吹き上げ、ミレーレの数メートル先に小さな川をつくる。吸血鬼の弱点の一つ――流れる水だ。人間だったらどうという事もない勢いだが、吸血鬼だと致命的だ。


 生前の感性が残っていれば判断に迷うはずのそれを、ミレーレは地面をとんと踏み、横っ飛びに回避すると、屋根の上に向かって咥えた『盾』を投げつけた。


 弓兵達が勢いよく飛んできた仲間に対応しきれず、態勢を崩す。接近を許してしまうと、よほどの身体能力がなければ吸血鬼の相手にはならない。


 吸血鬼になってまだ数ヶ月しか経っていないとは思えない余りに鮮やかな戦いっぷりに僕は感心するやら呆然とするやらだった。

 あんなに大暴れしていたのに、視界が広い。警戒を怠っていない。普通、戦闘の最中は頭に血が上り視野が狭まるものなのだが……実際に僕も、毎回ピンチに陥ってたし。




 ………………もしやミレーレ、痛い目見ない?




 ピンチに陥った時に颯爽と助けに入る計画が――。




 敗北を悟ったのか、常夜の魔王の配下達が蜘蛛の子を散らすように逃げ出していく。まだ人数はいるのに――よほどミレーレが恐ろしかったのだろうか?

 ミレーレは追おうとしたが、数人の魔術師によって濁流のような水の流れで道を遮られ、足を止めた。




 結果、街に残ったのは激しい戦いの痕跡と、無数の常夜の魔王の配下の死骸だけだった。


 月も隠れ真の闇に近い夜、戦いの中あちこちに燃え移ったかがり火だけが照らす中、白銀の狼が勝利の遠吠えをあげる。かなり目立っている。


 僕は空の上でばさばさ翼を動かしながら、心の中で必死に警告した。


 駄目だよ……そんな事したら目立つし、危ないよ……危ないんだよ! 本当だよ!



 …………まずい、ミレーレのレベルが高すぎる。凄く冷静だ。このままではセンリに再会した時にセンリを取られてしまうかもしれない。



 結局登場の機会を貰えず、悲しい心配をし始める僕の前で、ミレーレが川を大きく迂回し回避する。


 そして、地面をくんくん嗅ぐと、常夜の魔王の配下が逃げ出して行った方向に駆けだした。




§






 板で完全に窓を目張りし、日光が入らないように改造した屋敷。その地下室で、僕は険しい表情で帰還したミレーレの報告を聞いていた。


 襲った拠点で手に入れたのか、ミレーレは足下近くまであるひらひらのドレスを着ていた。初陣かつ戦場を駆け抜けてきたはずなのに、その表情は少し頬が紅潮しているくらいで、疲労のようなものが見られない。



「つまり…………臭いがなくなる前に次の拠点を割り出そうとしたってことか」


「はい。少し恐怖を与えたところで降伏勧告しようと思っていたのですが……まだ大勢残っていたのに、全員逃げ出してしまったので……」


 念の為、ずっと空から様子を窺っていたが、ミレーレの暴れっぷりは目を見張るものだった。

 逃げ出した魔王の配下を追いかけ、次から次へと街を襲い、相手が可哀想になるレベルだ。僕でもそこまで執拗に相手を追いかけた事はない。


 小さく咳払いをして、眉を顰める。


「…………僕はそんな指示、出していないぞ」



 というか、僕達には日の出という明確な制約があるのに……一晩で幾つも街を落とすだなんて、信じられない。

 日の出が近づいた最後のあたりでは見ている僕の方がひやひやしたくらいだ。


 最後の方は反撃すらせずに皆逃げ出していたよ……多分僕が相手でもそうしていた。おてんばすぎる。


 僕の叱責に、ミレーレはしゅんとすると、昨晩あれほど大暴れしたとは思えない殊勝な表情で言う。



「ご、ごめんなさい、兄様…………で、でも、旗はしっかり立ててきました! 兄様の威光は、しっかり伝わるはずです!」



 いや、威光はとっくに伝わっていると思うよ。伝わりすぎて、このままでは白い子犬軍じゃなくて、白銀の狼軍になりそう。


 命令を反故にして危険を冒した事を叱りたい。叱りたいけど、ミレーレは無傷だし、戦闘風景を見ている分にはとても冷静で終始問題はなかった。同じ状況だったら僕はあそこまで冷静にはなれないかもしれないのを考えると、ここで叱ったら変な感じだ。

 忠誠心の厚さに文句をつけるのもおかしいし、まるでミレーレに嫉妬しているかのようじゃないか。



「…………き、危険だと思わなかった?」


「思いませんでした。兄様……彼等はほとんどが魔術師みたいです、兄様の敵ではありません!」



 はっきりと断言するミレーレ。油断……油断が大敵……なんだけど…………油断してた?


 先輩吸血鬼の顔を潰した刑で罰を与えたい。この間あげた王女の座を剥奪して切り込み隊長の座を与えたい。



「…………それじゃ、常夜の魔王攻略はミレーレに任せてみようかな」


「!! 本当ですか!?」



 ミレーレが目を見開き、相好を崩す。面倒ごとを押しつけられているようなものなのに、どうしてそんなに嬉しそうなのか。



「任せてください、兄様! 三日で兄様の威光を刻みつけてみせます!」


 感極まったように飛びついてくるミレーレ。やるせない気分でその頭を撫でながら、僕はため息をついた。


 僕はもしかしたらやばい娘を眷属にしてしまったのかもしれない。






§ § §






 この世界には、たった一体で一軍に匹敵する恐ろしい種族が存在する。


 例えば、天災と比喩される事もある竜。例えば、神に弓引く代表格でもある上位悪魔や、神の怒りの代行者とされる上位天使族。神話に語られることさえあるそれらの存在は、人間から魔族と呼ばれる者達にとっても警戒に値するものだ。



 そして今、人間の街を幾つも落とし勢力を増しつつあった『常夜の魔王』の陣営は、たった一体の魔性によって激しく攻められていた。



 不死種アンデッド吸血鬼ヴァンパイア。人でありながら魔でもある、忌まわしき存在によって。



 人族は魔族を恐れ忌み嫌っているが、魔族同士が仲がいいわけではない。だが、吸血鬼が魔族を襲うというのは本来あり得ない事だ。


 アンデッドは本能的に同種の魂を求めるものだし、高い知性を持つ吸血鬼達のほとんどは『杭の王』を始めとした、終焉騎士団に真っ向から戦いを挑んだ強大なアンデッドの魔王率いる軍に組み込まれている。


 よしんば、はぐれの吸血鬼がいたとしても、どうして狩りやすい人間ではなく、魔族の陣営に襲いかかるのか?


 既に、攻め落とし支配していた人間の街は奪い返されていた。


 常夜の魔王の軍は強力だ。科学技術の発展に追いやられ廃れつつある魔術を修めたダークエルフの魔術師を多数擁し、前衛に置いた屈強な妖魔やゴーレムが壁になっている間に遠くから相手を殲滅する戦術は幾つもの街をさしたる被害もなく落とした。攻めでも強力だが、防衛で発揮される威力はその比ではないはずだった。


 だが、それら次の侵攻の足がかりにすべく奪った街に敷かれた防衛網は何の意味もなさなかった。




 そして今、常夜の魔王の本拠地――切り立った崖を利用して作られた砦は、蜂の巣をつついたような騒ぎの中にあった。



 砦の最奥。玉座の間に、ダークエルフを中心とした軍の中核を成す妖魔達が集まっていた。

 オーガやホブゴブリンなどの鬼種や、インプなどの下級の悪魔。ゴーレムや人工精霊など、魔術で作られる魔法生物。そして――人間以上の知性と容姿を持ちながら、その身に宿す闇の魔力のせいで迫害されてきたダークエルフ達。


 無骨な石で組まれた玉座に、一人のダークエルフの男が身を預けていた。

 漆黒の長い髪に、鋭い切れ長の双眸。額に入った奇妙な模様の入れ墨は呪力を高めるための古の儀式の産物である。

 背丈は長身の者が多いダークエルフにしては随分小柄だが、その耳は種族を証明するようにぴんと尖っている。


 夜の魔法を自在に操り、多種多様な妖魔を率いるダークエルフの魔術師。

 常夜の魔王、ディセルは歯を食いしばり、集結した配下達を睨みつけた。


「ありえないッ……たった数日で、我々が何ヶ月もかけて削り取っていった街を全て奪い返された、だとッ!?」


「若、俺は吸血鬼と戦った事もあるが、あれは無理だ。あんなちっぽけな街じゃお話にならない。せめて吸血鬼対策の堀くらいないと――」


 古くから仕える腹心の言葉に、ディセルが興奮したように髪を掻きむしる。憤懣を隠さない王の姿に、妖魔達がどよめく。



「今が、チャンスなんだ。終焉騎士団がまだ耐えていて、そちらに注意が向かっている今がッ! 奴らが魔王連合に敗北すれば、今は様子見している者達が流れ込んでくるッ! そうなれば、簡単に街など取れないッ!」


 初動が遅れた。いや――初動が遅れたのは、他の妖魔達も同様だ。誰もが、終焉騎士団が敗退するなどとは考えていなかった。三年経った今でも慎重派は動いていない。

 そして同時に、この三年で痺れを切らして動きだした奴らもいる。その中には付近の人の街をあらかた滅ぼし、魔族同士で縄張り争いを始めている者たちすらいた。


 ディセルの本拠点の砦は、覇道の足がかりにするには立地が悪すぎる。



「まだ間に合う、なんとしてでもその吸血鬼を殺せ! 他の勢力にぶつけるとか、できないのか! 近くには僕達以外にも魔王はいるだろう!」


「それが…………何故か、我々の街だけを執拗に襲撃しているみたいで――」


「僕達が一体、何をやったと言うんだッ!」



 中途半端な塀しかなかった街とは異なる、本格的な砦。吸血鬼の変身した狼でも容易く越せない程高い壁の上には、ダークエルフの弓兵達が巡回している。

 砦の麓に広がる森には多様な妖魔が生息し、侵入者を生きて通さない。長く攻める者すらほとんどでなかったこの砦があったからこそ、人族が圧倒的に優勢な時代でも、常夜の魔王の一族達は生き延びる事ができたのだ。


 だが、その絶対的な信頼をおいていた砦まで撤退してきたにも関わらず、集まった配下達の表情は優れない。

 運良く逃げ帰ってきた者達が持ち込んだ恐怖が、砦を守っていた者達にまで蔓延していた。状況は余り良くない。


「若、ここならば近くに川が、湧水があります。流れる水は簡単に作れる。奴らは陽光に弱い、いくら強くても、おびき寄せて罠にかけ、動きさえ止めてしまえば時間稼ぎで倒せる」


「げぎゃ……ニンニクモ、アル。ジュウジカも……」


 配下の一人の子鬼がにんにくを連ねた首飾りを振り回すのを見て、ディセルは頭を抱えた。

 何という情けない話だ。同じ魔性に属するものなのに、人間のように弱点に頼らねばならないとは。



「狙われる心当たりは、本当にないのか!?」



 感情のままに叫ぶディセルに、不意に配下の一人が小さく声をあげた。

 即座にそちらを睨みつけるディセルに、最初に襲われていた街を守っていたダークエルフがしどろもどろに報告する。


「そ、そう言えば……他の魔王から、いきなり降伏勧告が来ていたという話が――『白き子犬の王』を名乗っていた、と」


「白き子犬の…………王……!?」


 そんな馬鹿な話があるか!


「我々も、耳を疑いました。四人しかいないと言っていて……何かの冗談だと……」


 緊張感が全くないその名に、睨み返す気力すらなかった。

 どうして報告があがってこなかったのかもわかる。そもそも、無名の魔王から突然降伏勧告が来て受け入れていたのでは、兵士は務まらない。


 だが、恐らく真実だった。襲ってきたのは犬じゃなくて狼だが――、



「罠かッ! くそ、生きる死者共が――脳が腐ってるんじゃないのか! 殺してやる――我々を舐めた事を、後悔させてやるぞッ!」



 これは――戦争なのだ。他の魔王を駆逐した者たちだけが次の時代のメインプレイヤーとなる。


 そして、そのトップに立つのはこの常夜の王だ。ダークエルフの時代がくる。すでに賽は投げられた。


 覇を競おうとするのならばいずれは吸血鬼共を相手にする事になる。今回の相手は少人数だ、予行練習と考えればいい。


 呼吸を落ち着け、必死に平静を保とうとするディセルに、腹心が言う。


「攻撃魔法は悪手です。銀も警戒しているようだ、子どもの姿だが、戦闘経験豊富な凄腕です。現時点での戦力では、不意をついて嵌める以外にどうにもならない」


「一騎当千という事か…………わかった。どんな手段を使ってでも、始末しろ! 寝床の棺桶を探し出せッ!」


 このようなところで邪魔されてたまるか! 



 そう指示を出したその時――壁が、床が、王の間が、細かに振動した。外から悲鳴があがり、とっさに立ち上がる。


 一体何が起こったのか、確認するまでもない。信じられない程、迅速だ。どうやってこの拠点を嗅ぎつけたのか!? 動揺する部下たちを叱責する。


「配置につけ、警戒しろ! この砦は相手が吸血鬼でもそう簡単に破れん! 朝が来るのを待てばこちらの勝ちだッ! 賊から目を逸らすな、なんとしても耐えきるんだッ!」


 この砦は幅の広い堀で囲まれ、吸血鬼の弱点である流れる水に囲まれている。

 背後は断崖絶壁で、獣でもまともに駆け上る事はできず、塀の上から四方を見張る事もできる。


 相手が吸血鬼ならば朝は休める、籠城は可能だ。


 配下達が、冷静な王の言葉に正気を取り戻し、配置につべく王座の間を飛び出す。ディセルは王座の間を出て足音荒く階段を駆け上ると、一際高い堀の上から麓に広がる森を見下ろした。



 ダークエルフは視力が良く、夜目も効く。すぐにターゲットは見つかった。




 その吸血鬼は――美しいプラチナブロンドの髪をしたこの世の者とは思えない雰囲気の少女だった。

 揺蕩うような白い薄いドレス。武器を持たず、仲間もいない。その腕も足も信じられない程細く、ディセルの配下をたった一人で追いやった恐るべき敵とは思えない。


 死霊魔術師に生み出された吸血鬼は基本的に魔法を使えない。武器もなく、一体どういう手段であの距離から攻撃を仕掛けてきたのだろうか?


 訝しげな顔をするディセルの前で、少女は隣に生えた大木に小さな手を添え――軽々と引き抜いた。




「ッ!?」



 それは、まるで冗談のような光景だった。ディセルの部下にいる鬼族でもそんな真似は出来ない。めちゃくちゃだ。

 外壁の上に集まった見張り達がどよめく。少女が大木を持ったまま、大きく振りかぶる。ディセルは理解した。



 何の意外性もない、馬鹿力に物を言わせた投擲。質量弾。見張り達が連続で魔法を、矢を解き放つが、その吸血鬼は一切意に介していない。


 ただ楽しそうに、吸血鬼の少女が大木を投擲する。



 飛んできた大木は分厚い外壁に突き刺さり、砦が大きく揺れる。まさか…………遠距離攻撃だけで城を落とすつもりか!?


 投げるものは数え切れないほどある。堀は深いが、投げ続ければいずれ水の流れはせき止められるだろう。

 ディセルは相手の余りにも豪快なやり口に戦慄し、子鬼が振り回していたにんにくのネックレスを奪い取ると、大声で叫んだ。



「殺せッ! あの女をこれ以上、好き勝手やらせるな!」





****おしらせ****


8/27、昏き宮殿の死者の王、コミック二巻が発売します。

Web版の現状と違いとにかく格好いいエンドとセンリの勇姿、是非ご確認ください!

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