第六話:魔性

「は、はぁ……? 白き子犬の王……? …………からかいに来たんですか?」


 いきなりやってきたオリヴァーを名乗る男の言葉に、小都市、フルノンの執政官は下に隈を張り付かせた目を瞬かせた。


 魔王同士が手を組んでの決起から数年、世界はすっかり変わってしまった。英雄と呼ばれる終焉騎士団がその対応に手一杯になり、多くの都市が自衛を余儀なくされた。

 終焉騎士団を狙った大きな勢力以外にも何人もの魔王が現れ、ここぞとばかりに町を狙った。長い間最盛を誇っていた人類にとって、それは青天の霹靂だった。


 まとまった武力を持たない町が幾つも滅び、それなりの武力を有していた都市も苦戦を余儀なくされた。人類はゆっくりと滅びの道を辿っている。

 蔓延する絶望の空気はさらなる闇を招く一因となる。フルノン周辺にも幾つもの魔王が現れていた。

 まだ町が滅んでいないのはフルノンにそれなりの戦力があったというのもあるが、魔王達が大きな目的を持っていなかったからだ。


 彼らは人類を支配することを望んでいない。まるでゲームのスコアを稼ぐように、競うように町を滅ぼす。実際に攻め入られた町の多くは秩序を失い、今は怪物が跋扈する遺跡さながらになっているらしい。


 この都市には既に活気はない。もう長くは戦えないし、他の町から戦力を送って貰う事もできない。他の町もそのような余力はないのだ。

 できる事はなんとか鋭敏な知覚を持つ魔族に見つからないよう、祈りながら町を出ることだけだ。だが、町を出たとして――どこに逃げようか。今やどこもかしこも戦乱の只中にあるというのに。


 市庁舎も既に荒んでいた。逃亡する先がある者は既に逃げ、真面目に仕事している者も減っている。


「魔王が町まで使者をよこすなんて初めてですよ。そもそも、本当に魔王? なんですか?」


「うーむ……だから、俺は言ったんだ。白き子犬の王は良くない、と」


 目の前の使者を名乗る男も、人相こそ悪いが小柄だ。戦えそうにないなどというつもりはないが、傭兵のようにも見えない。そもそも、魔族の中で人語が通じる者はいても協力関係を結べるような者はいない。感性が違うのだ。


 粗末な槍で武装した二人の警備兵を振り返っても、首を横に振っている。




「だがッ、このままではジリ貧のハズだ。助けは来ない、手を組むに越した事はない。そうだろう?」


「まぁ、それはそうですが…………仮にそちらが本当に魔王の使者だとしても、こちらに出せるものはありませんよ? こんな状況になってしまえば金なんて役に立たない」




 目的が全く見えない。男の言葉は的を得ている。フルノンの有する戦力は極僅かだ。食料供給も未だ辛うじて足りているが、このままではいずれ足りなくなるだろう。

 治安だって徐々に悪化しているし、住民だって減っている。本来忙しい執政官がアポもない使者にわざわざ会いに出てこれてしまう程、秩序が衰退しているのだ。





 そこで、オリヴァーは深々とため息をつくと、予想外の事を言った。




「まぁ、いい。我が王は――とりあえず全員ぶん殴ってから考えると言っている。それを見てから――考えるんだな」


「ぜ……全員、ぶん殴る?」



 どう反応していいのかわからない。からかわれているのか、本気で言っているのか、詐欺の可能性もあるがオリヴァーはフルノンに何も求めていないのだ。

 オリヴァーが低い、唸るような声で言う。


「我が王は…………どういうわけか――昔、『飼い犬』だったのだ。よく考えて、決めておけ」



 空気が変わっていた。得体の知れない気配に、疲れ果てていた執政官の肌が粟立ち反射的に一歩後ろに下がる。

 オリヴァーの肉体が音をたててきしみ、膨れ上がる。服が破け、頭頂から耳が伸び、フォルムが変わる。

 その変化に、誰もついていけていなかった。殺意を向けられているわけでもないのに、警備の腕が震え槍を取り落とす。




狼人ウェアウルフ……白き、子犬の王……?」


「う、ふぅ――なぜ、どうして俺が、こんな事をッ――答えは、後から、聞きに、来るぞ、ニンゲンッ!」


 魔性が吠え、その姿が消える。いや――地面を蹴り思い切り跳び上がったのだ。その速度はただの人の目に追えるものではなかった。


 オリヴァーがいなくなった後も、しばらく執政官と二人の警備兵は佇んだままだった。


 しばらくして、ようやく危険が去ったことを確認し、執政官がため息をつく。



「な、なるほど……全く、この町の警備はどうなってるんだ」


「狼人は人間と見分けが付かないと聞きますが――恐ろしい擬態能力ですね」



 あれは、どうしようもない。兵を置き入町を厳しくチェックすれば判別もつくかもしれないが、相手の身体能力が身体能力だ。小さな村の自警団に毛の生えた程度の戦力しか残っていないこの町ではどうにもならないだろう。かつてはこういう時のためにいた終焉騎士団も今はいない。



「念の為話をしておくか……信じて貰えるかわからないが。元飼い犬……?」



 もはや戦う余力はない。相手の力が本当に周囲の魔王を蹴散らす程ならば、従うしかないだろう。


 しかし使者を送ってくるとは、どんな王なのだろうか? まったく、話自体は重大なのに名前が名前のせいかいまいち緊張感がない。執政官はため息をつくと、呆れ半分諦め半分で市庁舎に戻っていった。





§ § §






 抗いきれない本能から来る忌避感。それが、彼らが相容れない理由だ。

 魔族と一括りにされる事もあるが、共に人類の敵対種とされているが、とんでもない話だ。


 この世の摂理を踏み越えた不死種アンデッド程、悍ましい存在はいない。もしも人間の勢力が最も大きくなかったら、人と手を取り合い戦っていた可能性すらあるほどに。


 魔族の五感は人間程鈍くない。その生物とはかけ離れた匂いは鼻の、目のいい種にとって、どれほど距離をおいてもはっきりわかるものだった。


 分厚い雲に月すら隠れる深夜。篝火に照らされ、一つの小柄な影が浮かんでいた。


 人間の集落を改造して作った拠点は数多の妖魔が詰めている。多種多様な魔族から成るその群れは混沌としていたが実力は確かだ。

 だが、無数の輝く目を向けられ、空飛ぶ目に見据えられ、闇に浮かぶその顔には緊張一つ見えない。


 否、緊張しているのは――自軍だ。その小柄な身体がまとう気配に、漂う匂いに、どうしようもない怖気が走る。



 慣れていない。このような場所にいるわけがない。その妖魔は人の少女の形をして、しかし絶対に人間ではなかった。


 どれだけ知性のない種でも理解できる。人と、生命と呼ぶには、その魂が余りに濁り過ぎている。



 ――単騎。たった一人でこの魔王軍に挑もうとする者など、ありえない。



 黒い外套を羽織った影は武器などは持っていないが、その手には一本の旗を持っていた。

 怖気が走る程美しい長い銀髪に、怪しく輝く真紅の瞳。異形の少女が、旗を強くその場に突き立て、唇のはしを少しだけ持ち上げ笑う。



「兄様が――人間を殺しちゃ駄目だけど、魔族は、ちょっとぐらい減らしてもいいって――」




 常夜の魔王の配下の一人。そのダークエルフの男が正体を看破できたのは、一度目で見たことがあったからだ。


 徒党をなし終焉騎士団を追い詰めた呪われた存在。



「ここは――今日から兄様のものです」


吸血鬼ヴァンパイアだ! 近づかせるなッ! 銀を持ってこいッ!」



 人間の軍ならば容易く焼き払える魔法の弾丸が連続で着弾する。だが、そのようなもの、強力な呪いを由来とする魔術耐性を持つ不死種にとってそよ風のようなものだ。

 煙が立ち込めている。もはや一刻の猶予もない。


「水を流せッ! にんにくと十字架だッ!」


 ただの生物が、準備なしで、それと戦ってはならない。あの終焉騎士団ですら、準備をして戦うのだ。



 そして、煙の中、小柄な影が一気に膨れ上がった。

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