第二話:貴種②

 時計の針が動く音を聞いていると、精神が平穏になっていく気がする。


 貴種吸血鬼ノーブル・ヴァンパイアに変異して僕の能力は大きく向上した。そして、能力の向上に引っ張られ、やや戦意が高まっているのもきっと気の所為ではない。


 以前の僕は慎重だったはずだ。吸血鬼に変わりしばらくして自傷を躊躇わなくなったように、変化は確実にある。


 だが、それでいい。

 センリ達を追い詰めている相手は強大だ、吸血鬼の戦意なくして立ち向かえるのか、僕には少しだけ自信がなかった。



 テーブルに腰を下ろし、数を数える。貴種吸血鬼に変異して、僕の能力は一気に増えた。

 僕がそれら多すぎる特殊能力を速やかに使えるようになったのはごく最近である。


 長く吸血鬼をやっている者ならば、練度は更に上だろう。

 力の総量で言うのならば大抵の相手を上回っているはずだが、吸血鬼の能力はとびきり厄介だ。全く安心できない。

 

 生きている人間達は既に厨房の方に避難させていた。別に放置して死んでもセンリに露呈するとは思えないが、人死は少なければ少ないほどいいに違いない。


 しばらく待っていると、先ほどの襲撃で空いた穴から何かが飛び込んできた。


 右腕が噛みちぎられた大柄の男だ。血のように赤い目に唇の端から見える尖った犬歯。何より、匂いでその男が人間ではない事がわかる。

 全く、僕はあれほど長い時間、下位に甘んじていたというのに、吸血鬼という存在も安くなったものだ。


 男吸血鬼は地面をバウンドして床を滑るが、すぐさま立ち上がった。ちぎれた腕が数秒で再生する。

 筋骨隆々とした二の腕は僕の倍ほどもあったが、肌は真っ白だ。


「く、くそッ! 小娘――何故、こんな場所に、同類が――」



 天井をまるで紙切れのように突き破り、鈍い銀に輝く狼が降ってくる。ミレーレが変身したそれはそこまで大柄ではないが、吸血鬼が変身する狼はただの狼ではない。


 男が近くにあった一抱えもあるテーブルを片手で持ち上げ、飛び込んでくるミレーレに向かって軽々と投げつける。ミレーレが身を震わせただけでそれを弾き飛ばす。


 しかし、その一瞬の隙に男は変化していた。


 大柄な肉体が音を立てて裂け、膨張する。現れたのはミレーレの一・五倍ほどの大きさの焦げ茶色の狼だった。


 顎を大きく開き、巨狼とミレーレがぶつかり合う。獣と獣の喰らいあいを、僕は蚊帳の外にいる気分で見ていた。


 どうやら男は僕の存在に気づきすらしなかったようだ。虚影の王から吸収した力で死の気配が抑えられているせいだろう。



 虚影の王が持っていた呪い。それは、虚影などという二つ名とは裏腹に、『圧縮』する力だった。


 自然と放たれる負のオーラを吸収し、圧縮する。そして、石のように、骨のように圧縮され研ぎ澄まされた力は終焉騎士団の感知能力にも引っかからない。


 これこそが虚影の王の有する呪いだ。

 そして恐らく、虚影の王――骨人の呪いから派生したこの力はとても――希少性が高い。



 始祖アンセスターの持つ力は全て吸血鬼の特殊能力から派生しているが、これは違う。

 力の名前は聞けなかったが、名付けるならば――『極骨』とでも言おうか。



 といっても、その力が防いでくれるのは負のオーラの照射だけである。吸血鬼の五感ならば匂いから僕の存在に気づいてもおかしくはなかったが、ミレーレのものと混じってしまったのだろう。


 銀と焦げ茶の狼が真っ向から喰らい合う。身体の大きさは後者の方が大きいが、変異段階も恐らく同等だが、戦況は大きくミレーレに傾いていた。


 吸血鬼同士の戦いは基本的に泥臭い。吸血鬼は高い再生能力を持つし、疲労もほぼゼロのようなものなので、不意打ちで急所でも貫かない限りは長期戦だ。


 だが、その戦いは一方的だった。茶狼の巨大な牙を受けた銀狼はものともせず、逆にしなやかな腕から繰り出された爪の一撃が分厚い焦げ茶の毛皮を易々と貫く。


 血が飛散する。苦悶の咆哮が空気を震わす。今更状況に不自然さを感じ取ったのか、茶狼が後ろに下がろうとするが、ミレーレは躊躇わずに追撃をかけた。

 その戦意はつい先日まで夢も希望もない病人だったとは思えないほど、高い。


 男が、猛攻に翻弄されながら嗄れた声で言う。



「ばか、な――きさま、まさか、こうい、か……?」



 その頭部を、ミレーレの右前足が踏み潰した。




 吸血鬼の眷属化は『感染』ではない。力の譲渡だ。


 故に、眷属化によって出来上がる吸血鬼は、親が純粋であればあるほど強い。

 オリヴァーを狼人に変えたのは王の眷属の眷属のそのまた眷属――第三位の吸血鬼だったらしい。


 僕は始祖――第零位の吸血鬼だから、僕から直接血を受け、昏宮の王の力を受け継いだ彼女は第一位の『昏宮』の吸血鬼という事になる。

 

 脳にダメージを受け一瞬動きが止まる男の頭を、ミレーレが何度もばんばん叩きつける。床が割れ、酒場が地震のように揺れる。


 やがて、力の制御を失ったのか、狼の肉体が縮み、人型に還った。



 既に吸血鬼狩りを始めてしばらく経つが、ミレーレも随分慣れたらしい。

 地面に倒れ伏しぴくぴくと痙攣する半死半生の男を見下ろすと、ミレーレは一度小さく唸り声をあげ、僕の方に駆け寄ってきた。


 銀の毛皮が、細身とは言え人間とは比ぶべくもなく怪物然とした肉体が、一瞬で縮む。何度見ても不思議な光景だ。

 僕の元にたどり着いた時には、ミレーレには狼だった痕跡は欠片もない。


 変身の影響で服が切れ端すらなくなったミレーレは、しかし恥ずかしがる気配もなく、腰を下ろし観戦していた僕の首元に飛びついてくる。


「兄様、やりましたッ!」


 僕でさえ最初は服が破れる事が気になっていたというのに、この思い切りの良さはどうだろうか?


「何人いた?」


「二人殺しました」


 奇襲で仕留めたのか。うーん……非の打ち所がない。


 吸血鬼の証。血のように赤い双眸を輝かせ抱きついてくるミレーレの頭を撫で、労ってやると、僕の可愛い眷属は小さく身を震わせた。


 もしかしたら、センリにとって昔の僕はこんな風に見えていたのかもしれない。…………労い、足りなくなかった?



 倒れ伏す男の痙攣が徐々に収まっていく。脳みそを潰せば思考を制限できるが、再生能力まで消えるわけではない。

 だが、ミレーレがトドメを刺さなかったのは、事前に一人残すように命令していたからだ。


 情報収集のためというのもあるし……目撃者がいなければこちらの情報がスムーズに向こうに行かない。


 奇襲をかけるのならばこちらの情報は隠すべきだが、こうしている間もセンリ達は苦しい戦いを強いられている。ターゲットが分散すればセンリ達が楽になる。


 ミレーレが頭をずらし、白い首筋を目の前に差し出し、甘えるような声で言う。



「兄様、ご褒美をください。…………私の血をどうぞ」



 なるほど、僕に血を強請られるセンリもこういう気分だったのだろうか。血を吸う方は逆だが、吸われるのも気持ちいいみたいだからな……。


 生きていないせいか顔は赤くなっていないが、声が蕩けている。

 僕は最初から欲望に忠実だったミレーレを始祖の力でぽいっと投げ捨てると、脳の再生が終わりかけている吸血鬼の前に立った。




 僕ももう眷属持ちなのだ。できの良い眷属にしっかりしたところを見せてやらないと。




 再生した眼球。朦朧としていたその視線がしっかりと僕に合う。拘束などはいらない。それくらい隔絶した差が、僕とこの吸血鬼の間にはある。ミレーレに一方的にやられる程度なら問題などなく、そしてその事は本人も理解できるはずだ。


 吸血鬼は、そういう風に、出来ている。


 その髪を掴み顔を持ち上げると、しっかり眼と眼を合わせると、深い笑みを浮かべ恫喝するように言った。




「所属と目的を言え。ここは……僕のしまだ。素直に話せば、命だけは助けてあげるよ」




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