Epilogue:旅の終わり

 そして、一夜が明け、【デセンド】に平和が戻った。


 街の住人は一人としてひっそりと続けられた恐ろしい目論見にも、迫りかけた世界の終わりにも、それが阻止された事にも気づかなかった。


 今は市長が殺された事で大騒ぎしているが、すぐに代わりが充てがわれるだろう。


 かつて【デセンド】は魔王との前線基地だった事があった。だが、そこで刻まれた恐怖も流れた血も、長き年月の末、ただの物語になった。


 人の一生は短い。どれだけ恐怖し備えても記憶はいずれ風化する。それは、寿命なきアンデッドと戦う上で最も注意せねばならない点である。


 状況から考えて、市長が虚影の王の手の者に騙され、王の復活に寄与していたのは間違いないが、それだって戦争直後だったらありえなかったはずだ。


 市庁舎の一室。事の顛末をルフリーから聞かされたカイヌシは声を殺したような笑い声をあげた。


「くくく……この吸血鬼ヴァンパイア対策も、率先して行った市長がいなければ、いずれなくなるだろうな……」


 吸血鬼対策には金がかかる。水を流すのにも金がかかるし、銀細工にも、吸血鬼に有効な正しき十字架を揃えるのもなかなか難しい。故に、大抵の街の吸血鬼対策は万全ではない。


 そもそも、万全にしても手を尽くせば侵入する手はいくらでもあるのだが――そう、今回のように。


 カイヌシはルフリー達が戦闘している間、市長の屋敷や市庁舎を探索し証拠集めをしていたらしい。

 終焉騎士団の威光を使えば、この街で起こった出来事を正確に伝えるのは難しくない。

 記憶や恐怖は風化するが、一歩一歩伝えていくのは短命である人の得意分野だ。


 センリと共に城を訪れたらしい傭兵達も、無事だった。

 怪物の出現を見て逃げ出していたらしいが、彼らもアンデッドの恐怖を伝えてくれる事だろう。


 死者の王がどれほどの化け物で、どんな手口を使ったのか、も。


「本当に、あの男は、滅んだのか?」


 カイヌシの近くでじっと立っていた目つきの鋭い少女――アルバがルフリーを睨む。

 鋭い目つきだ。かつては呪いで力を得ていたらしいが、それが解かれた後も戦意は変わらないらしい。


「間違いない、奴は――センリを街まで運び、陽光を浴び、灰になった。街の見張り達の目の前で、だ」


「……チッ」


 ネビラが苛立たしげに、大きく舌打ちをする。その鋭い双眸は血走っていたが、罵声は出ない。


 出せるわけがない。相手がたとえアンデッドだったとしても、センリを助け滅んだとなれば、どうして肝心な時に動けなかった身でその死を愚弄できようか。


 センリが祝福の力を失っていないのは、虚影の王との戦いを見ても明らかである。

 エンド・バロン――元、リエル・フォメットは、アンデッドでありながら最後まで人間としての生を貫いたのだ。


 異質なアンデッドだった。そして、恐ろしいアンデッドだった。終焉騎士団の中であの青年は長く語り継がれる事になるだろう。


「不服そうだな」


「……例外は、いらねえんだッ! くそッ! これじゃ、あいつは――センリの心に残り続ける」


 ネビラの表情にあったのは行き場のない憤りだった。


 ルフリー達が助けられたのも、あの吸血鬼が最後に残した言葉を聞き、兵が見回りにやってきたからだ。

 センリ程ではなかったが、ルフリー達も限界まで力を絞りだしていた。虚影の王が撒き散らした瘴気が渦巻くあの地に長時間放置されていたら、どうなっていたかわからない。


 吸血鬼が出たならば殺せばいい。だが、滅んでしまった吸血鬼をこれ以上滅ぼす事はできない。

 たとえ人の心を保っていても、終焉騎士団が殺したのならばそれは敵だ。だが、人を守るために自ら死を選んだのならば、一体、終焉騎士団に何が出来るだろうか?


 それは、完全な敗北を意味していた。


 例外は作れない。吸血鬼は狡猾だ、人の振りをした吸血鬼に騙され殺された終焉騎士は何人もいる。

 千人の吸血鬼の内一人が人の心を持っていたとしても、ルフリー達にできるのは浄化する事だけだ。


 カイヌシが顎に手を当て、目を細めて言う。


「ふむ……ならば、尚更、姫の側にいた方がいいのではないのかね? 折れるには、あの女の資質は惜しい」


「彼女には、時間が必要だ」


 治療を受け、なんとか九死に一生を得たセンリは、その持ち前の祝福の力で短期間で完全に力を回復していた。だが、心は別だ。

 ルフリーから事情を聞いたセンリは一言「そう」と言ったまま、ずっと呆けたような表情をしていた。


 どうやら、センリとエンドはルフリー達の予想以上にうまくやっていたらしい。

 何を言っても心ここにあらずな様子のセンリも、ネビラを苛立たせている理由の一つだろう。だが、心配はいらない。



「それに、これだけははっきり言っておこう。センリは――折れないよ」



 センリ・シルヴィスは強く、慈悲深い。


 彼女は戦う。力がある故に、たとえ傷だらけになっても。それ故に、滅却のエペは彼女を一級に推薦した。


 エンドの死はセンリに大きな衝撃を与えただろう。自分を助け、戦いの外で死んでいった青年の事を、彼女はずっと忘れないはずだ。

 だが、如何なる悲劇に見舞われようとも戦い続けられるだけの強さを彼女は既に持っている。


 センリ・シルヴィスは生粋の終焉騎士なのだ。それは、余りにも尊く、余りに憐れな事だった。




 そして、悲しいことに彼女が戦わずに済む程、この世界は平和ではない。



 そこで、ルフリーは表情を変えた。真剣な目でカイヌシを見る。



「闇の時代が来る…………今は、節目だ。カイヌシ、貴方も忙しくなるだろう」


「くくく……私は、戦争屋ではないのだよ」



 得てして、時代には盛衰が、闇との戦いには節目がある。


 かつて滅んだはずの虚影の王が不完全ながらも復活を果たした。杭の王は未だ終焉騎士団の猛攻を受けつつも、ジリジリと勢力を拡大している。

 人の心を持っていた稀有な吸血鬼が死んだ。


 そして――かつて最強の終焉騎士の名をほしいままにしてきた師匠――滅却のエペは遠からず死ぬだろう。


 彼は元々、死を予感していたらしい。故に、弟子の育成をしていた。


 否が応でも、変遷を感じざるを得ない。

 エペは抑止力だった。彼の死が近づく時を、強力な知性あるアンデッド達は待ち望んでいた。


 大きな戦いが起こるだろう。


 そして、その場にあの誰よりも優しい少女が立っていないなどありえないのだ。



 


「本部に戻ろう。いつまでも、悲しんでいる時間はやれない」


「鍛え直す。次は、吸血鬼の助けなんざ借りねえ」


 ルフリーの言葉に、鈍く輝く目でネビラが強く宣言した。





§ § §





 つい十日前まで古城の聳えていた場所からは、何もかもが失われていた。


 建っていた丘ごと崩され、周囲の森を巻き込み、そこにあったのは災害の跡のような荒れ果てた土地だけだ。


 新月の夜。

 強力な瘴気により、虫の声すら聞こえないその荒れ果てた地に、ふと空から黒いものが複数舞い降りてきた。


 それは――蝙蝠だった。

 全長三十センチはあろうかという巨大な蝙蝠が複数、まるで何者かの意志に導かれるように集まり、固まり、変化する。



「まさか、こんな事になるとはな――」



 冷たい声が、静寂の中、響き渡った。


 現れたのは血のように赤い髪をした少女だった。

 漆黒のマントを身に纏い、どこか超常的な雰囲気をまとっているが、その表情は酷く忌々しそうだ。


 セーブル・ブラッドペイン。杭の王に仕える吸血鬼が、荒れ地を進む。


 その先にあったのは――剣だ。


 荒れ地の中心に、一振りの剣がまるで墓標のように突き刺さっていた。

 柄も鍔も、そして刃も、巨大な結晶から削り出したように黒一色の刃からは、得体の知れない凄みが伝わってくる。


 明らかにただの剣ではなかった。


 だが、その地面に突き刺さった剣を、誰も持っていかなかった。

 戦いの後に調査に来た兵士も、城が崩れたと聞き見に来た野次馬も。そして終焉騎士でさえ――。


 剣から放たれているのは、強烈な呪いだった。知識がなかったとしても、生き物ならばその危険性は本能でわかるだろう。


 呪いとは、想いだ。世界のルールに割り込む程の強烈な情念だ。


 そして、その剣が有する呪いは――死者の王の掛けたものである。


 同じく強力な呪いの産物であり、呪いに強力な耐性のあるセーブルでも、その剣に触ろうとは思えなかった。


 戦いの瞬間をセーブルは見ていない。力の回復が間に合っていなかったのだ。

 だが、何が起こったのかは予想がつく。【デセンド】の街での情報収集も済んでいる。


「太古の王と相打ちとは、恐ろしい男だ、エンド・バロン」


 状況はセーブルの予想を遥かに超えていた。


 セーブルとしては、エンドとあの終焉騎士を引き離せればそれで良かったのだ。そのために、現れた新たな終焉騎士を使った。

 【デセンド】で何かが起こっていたのには気づいていたが、そんな事はどうでもよかった。


 まさか、行われていた儀式の目的が虚影の王の復活で、あれほどの生存本能を見せたエンドが消滅するとは――。


 


「スカウトは失敗か。だが、幸運だったと、思うべきだろうな」


 エンド・バロンは手に余る。恐らく、セーブルの主人にも操れまい。


 ましてや、エンドは徹底的に終焉騎士に惚れていた。

 場合によっては、終焉騎士団側について戦う事になっていたかもしれない。


 まだ未熟でありながらもセーブルの分身を破ったのだ。敵になるくらいならば、死んでしまった方がいい。


 剣の前に、花束が置かれていた。あの女の終焉騎士が、置いたのだろう。

 灰しか残らぬ吸血鬼。戦いの証が墓標という事だ。


 恐らく、何年、何十年か後、剣に掛けられた呪いが多少は薄まった頃に、呪いを専門に扱う者たちが回収に来るはずだった。


 花を見下ろし、セーブルはため息をつく。


「やれやれ、命令は失敗だ。主人に折檻されてしまうな……」


 大きな戦いの予兆は既に現れていた。少しでも勢力を増やす必要がある。

 手段を選ばず戦い続ける本能に、生存欲求。強い味方になり得た。共に戦っていたのならば、もしかしたら友にもなれていたかもしれない。


 最後にセーブルは剣を見ると、ぽつりと呟いた。


「悠久の生を得て、定命の者に恋をするとは、馬鹿なやつだ。あれほどの力を持っていながら……王よ。私達は…………先にいくぞ」



 身体を蝙蝠に変化させる。骨を、肉を、血で出来たマントを。一瞬で存在を蝙蝠に変えると、セーブルは月の出ていない空に消えていった。





















§ § §












 闇に包まれた森を、二つの人影が静かに進んでいた。

 二メートルを優に超える大柄な影と、それよりも頭一つ分小さな影だ。空には月もなく、周囲は真に近い闇だがその足運びは危うげない。


「で、どうなの?」


「まあ、待てよ。何年前の匂いだと、思ってんだ」


 急かすような女の声に、嗄れた男の声が呆れたように答える。

 大柄な影は地面に鼻を近づけ、這うように進んでいく。


 そして――唐突に、道が開けた。


 広がっていたのは、荒れ地だった。先程までは少なからず聞こえていた虫の、鳥の鳴き声が消える。

 中央には一振りの剣が突き刺さり、その周辺をロープで作られた柵――簡易的な結界が幾重も取り囲んでいる。


 地面には雑草の一本も生えておらず、【デセンド】の街で聞いた情報によると、それは剣の呪いによるものらしい。


 周囲を注意深く見回し、最後に剣の方を向いて、大きな影がびくりと身を震わせた。


「……マジかよ……」


「ほら、さっさと行って――」

 

 一目見るだけでわかる強力な呪いは、興味本位に触れる者すら出ないだろう。

 現に、剣は強力な呪いを纏っているが、被害者はいないらしい。誰も、触れようとしなかったからだ。

 囲いはただの備えで、見張りすらいないのもそのためだろう。


 だが、臭いは剣の方に続いている。

 小柄な影が、大柄な影の腰を軽く蹴りつける。



「なッ……なんで、俺に行かせるんだよッ!」


「でかい図体して、そんなに怯える事ないでしょ? 狼人に、並大抵の呪いなんて効かないんだから――」


「それを言うなら、悪魔にだって効かないだろッ! 今日は、月が出てないから、力が入らないんだよ!」


 その巨体に似合わず悲壮な声を出す男に、女がため息をついた。


「私だって、力を吸われて、全然戻らないんだから――」


「わかったよ……くそッ、臭いが、濃くなってきやがった――まさか――――ああ、感じるぞ…………」



 地面を這うように進む。幾重も重ねられた縄の囲いを力づくで引っこ抜き、その鼻先を剣の刺さった地面に近づけると、恐る恐る太い腕を伸ばす。

 熱に浮かされたような声で言う。


「いる……いるぞ、臭いがする、モニカ。三年も、かかった。とうとう、辿り着いた。辿り着いて、しまった」



 声が、震えていた、闇の中、輝く瞳が恐怖と興奮に窄まる。

 剛毛の生えた獣の手が、土を強く掻く。


「オ、オリヴァー、丁寧に、丁寧に掘るのよ――」


「あぁ、わかってるよ。くそッ、変身を、解かねえと――」


 荒い、風のような呼吸。一メートルも掘った所で、その手が止まった。



「見つけた、ぞ――」



 穴から丁寧にそれを持ち上げる。

 それは、拳大の大きさだった。色は闇を思わせる黒。冷たく柔らかく、そして――確かに、オリヴァーの手の中で、脈打っている。


 それは、心臓だった。切り離されても生き続ける、不死の心臓。


「三年、だ。消滅の噂が、流れたのは、三年前だぞ? ありえ、ない」


 見つかるとは、思っていなかった。見つけてしまった。

 奇跡だ。確かに吸血鬼は高い不死性を持つが、棺桶でもない地面の下でずっと生き続けるなど、ありえない。


 だが、力は全く感じないが、心臓は確かにまだ生きていた。一歩も動けず、再生も出来ず、幼子でも殺せるような状態だが――恐らく、オリヴァー達が来なければ、いつまでも悠久の時を地の底で過ごしていただろう。


 手が、腕が震える。かつて出会った時の冷酷な眼差し。オリヴァーの主を殺し、ライネル軍を一人で壊滅まで追いやった若き始祖アンセスター

 その恐怖は、吸血鬼の力で狼人となったオリヴァーにしっかりと刻みつけられている。


「お、おい、これは――本当に――」


「ッ――」


 モニカが、かつてその青年に血を吸われ、力を失い放置された悪魔が、躊躇いなく自らの腕をナイフで斬りつける。



 人よりも少しだけ黒い血が心臓に降り注いだ。














=====あとがき=====


ここまでお付き合い頂き、本当にありがとうございました。槻影です。


これにて、昏き宮殿の死者の王。四章、完結になります。如何でしたでしょうか。

第三章までとは違い、第四章はエンドの成長やこれまでの変化について焦点を当ててみました。

まあ変化といっても、基本お気楽思考なのは変わりませんでしたが、少しでも成長が伝わり楽しんで頂けたら嬉しいです!




書籍についても一巻が発売し、コミカライズも開始しました!

コミカライズについては、唐崎先生の手によりとにかく格好良く、ダークファンタジー感満載で、昔を懐かしんで読んで頂けると思います! まだ未読の方は是非ご確認ください!

また、コミック一巻の発売も来月に決まっているそうです。


そちらは随時情報お伝えしていこうと考えておりますが……ご期待ください



また、書籍版一巻についても、細かい点が加筆修正されている他、

書き下ろし短編が二本入っております。

続刊ひいてはWeb版更新速度にも繋がりますので、興味がありましたら是非!


あれ……もしや四部、だいぶ時間かかった? ( ´ー`;)






さて、一段落つきタイトルもうっすら回収した本作ですが、内容的にターニングポイントであり、まだまだ続きます。

区切りが割と良い気もしますが、書籍版もコミカライズ版もありますし、少し期間を開けて、五部も書こうかなーと思っています。


内容についても大体考えてあるので、ご期待ください!

最後の方のは次話に回そうかなとも思いましたが、そこで止めるのもあれかなーと思ったので書いちゃいました。






最後に、

ここまで楽しんで頂けた方、まぁ五部も引き続き読んでやるかと思った方、センリのいちゃいちゃは? と思った方おられましたら、

評価、ブックマーク、感想などなど、応援宜しくお願いします。












~~~~~五部予告~~~~~

寿命も痛みも感じないアンデッドに対して、苦戦を強いられる終焉騎士団。

無限にも等しいアンデッドを前に一人、また一人倒れる終焉騎士達の前に、予想外の姿が立ち上がる。




「確かに死んだはずだ、だと? 死者の復活は貴様らだけの専売特許じゃないと、教えてやろう――このアンデッド・エペがね」




果たして作品をいつまで続けるのか! シリアスなのかコメディなのか! そろそろ読者さんも飽きているのではないのか! お楽しみに!

※予告は実際の内容とは異なる場合があります


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