第四話:対不死者の町

 『虚影の魔王』の居城。それは、ライネルの城のように山の頂きに存在するらしい。

 大抵の魔王は敵が多い。人間はもちろん、他の魔王と敵対関係にある事も少なくない。

 忌み嫌われるアンデッドの魔王となれば、生きとし生ける者全てが敵に回るはずだ。そんな魔王が守るに易い山の上に城を作るのは当然だったのだろう。滅んでしまったが。


 『虚影の魔王』は当時の終焉騎士団によって配下もろとも滅ぼされ、残されたのは頑丈な城だけだった。

 終焉騎士団は城を破壊しようとしたが、当時、終焉騎士団の魔王討伐をサポートしていた貴族がそれを制止したらしい。

 当時城を中心とした一帯は魔物の支配域であり、既に存在している頑丈な城は余りにも惜しかったのだろう。


 実際に、当時の貴族は『虚影の魔王』の城を有効活用し、周囲一帯を平定して国を興した。そしてその後、利便性の悪い城は放棄されたが、あえて破壊される事はなかった。『虚影の魔王』の居城が数百年経った今も未だ形を保っている理由だ。


 今では、古城となったその城はその国で人類勝利のシンボルとして知られている。


 僕は旅行が大好きだ。たとえ何も見つからなかったとしても肩透かしを食らったりはしないだろう。


 センリを背負うこと数日、僕たちは何事もなく付近の町に辿り着いた。

 その間、僕たちが怪しまれる事はなかった。どうやら数百年前までは最前線だったこの国は今ではかなり安全な国として知られているらしい。


 キャリーケースに入れられ、町に入る。太陽光の一切入らないバッグの中で大人しくする。

 力が一気に抜ける。流れる水に差し掛かったのだ。


 水の流れる音がした。音がするほどという事は、この町の吸血鬼対策は万全なのだろう。


 大抵の町では流れる水による吸血鬼対策がなされているが、その度合いは町による。例えばライネルの猛攻にさらされていたロンブルクの対策は深い堀に囲まれていて、ほぼ完璧だった。だが、この町の感触も、僕が入ってきた町の中ではトップクラスに強い。


 平和な町は吸血鬼対策がおざなりになりがちだが、ここは違うらしい。


「目的は…………観光」


「君も城を見に来たのか……最近多いなぁ。何かあるのか?」


 若い男の声がした。くそっ、僕が頭の上にいれば視線を奪えたのに……。

 どうやらセンリのような華奢な女性の一人旅は目立つらしい。旅の途中でも何かと声をかけられる事が多かった。警戒されないのはいいが、飼い犬としてはいい気はしない。

 逆に僕が頭の上にいると、センリは麗しの乙女から頭に犬を乗せた乙女になるので視線が全部こっちにくるのである。愛嬌を振りまけば餌をくれることもある。


 だが、今の僕は無力だ。いつまで経っても力が戻らない。尻尾一つ動かせない。

 これまで様々な町を訪れたが、水の上で入町審査を行う所は初めてだ。さすがアンデッドの魔王がいた場所と言えようか。骨人は流れる水は苦手ではないはずなのに、きっと吸血鬼対策もついでにしておこうみたいな感じで水路を掘ったに違いない。


「急いでいるので……」


 僕がしんどい思いをしているのを察したのか、センリが会話を切り上げてくれる。

 力が戻ると同時に、僕はキャリーバッグを尻尾でぺしぺし叩き早く出してくれるよう抗議するのだった。





§





 センリは長い間、僕をキャリーケースに入れたまま町の中を歩き回った。こんな事は初めてである。

 彼女は優しい。いつも僕の事を一番に考えてくれていて、町についたらすぐに光を遮断できる宿を探すのが通例だった。


 力は戻ったが、何故か今日の僕は少し調子が悪かった。たまににんにくの臭いが入ってくるのもそれに拍車をかけている。

 にんにくは吸血鬼の天敵だ。体内に入れるとそりゃもうやばいことになるが、臭いだけでも余りいい気はしない。その上、町には川が多いようだ。


 結局、センリが立ち止ったのは一時間以上経った後だった。僕は辛抱強く待った。

 宿の予約の声を聞き取り、部屋にはいる。キャリーケースの揺れが止まり、カーテンを閉めた音が続く。僕は手持ち無沙汰だったのでその間ずっと尻尾で抗議し続けた。


 バッグの外からセンリの声が聞こえる。


「バロン……この部屋、陽光を追い出しきれない」


「きゅーん」


「いや……しばらく探した宿、皆カーテンが薄かった。この町――【デセンド】は吸血鬼対策がほぼ完璧にできている」


「きゅーん……」


 なんという恐ろしい町に来てしまったのだ。僕は構わずキャリーケースから飛び出した。


 白いカーテンの隙間から入ってくる仄かな陽光に身体がひりつき、とっさにベッドの影に隠れる。センリが慌てて荷物から外套を取り出し、僕に被せてくれた。


「きゅーん」


 部屋は僕がこれまで見たことがないくらい酷い部屋だった。

 薄いカーテンから入ってくる陽光は下位吸血鬼の僕にとっても毒になるレベルだった。だが、問題はそこだけではない。

 僕はひと目で看破していた。


「この部屋、十字架が、多すぎるよ、センリ……十字架だらけだ」


 装飾のそこかしこに気づかれない程度に十字架の意匠が施されている。しかも、極めて吸血鬼の弱点に近い十字架だ。

 吸血鬼の弱点の一つは十字架だが、十字架全てが苦手というわけではない。比率というものが重要なのだ。だから町中で偶然十字になっているものを見つけても平気なのだが、この部屋のそこかしこにさりげなく施された十字の意匠は僕の弱点を的確に突いていた。


 十字架はあるだけで吸血鬼を殺すようなものではないし、力が抜けるようなものでもない。だが、近くにあれば少しは気分が悪くなるし、銀の十字剣の厄介さはカイヌシと戦った時によく知っている。


「なんでこんな宿にしたのさ……」


 外套の下でぷるぷる身を震わせ文句を言う僕に、センリが言う。


「ごめんなさい。でも、どの宿もこんな感じだった。門にも施されていたし、外に出せなかった」


「!? この街は吸血鬼に恨みでもあるのか!?」


「多分、ある。いや、昔はあったみたい。アンデッドと戦っていた街には度々見られる現象。この街の名産はにんにくと銀製品。葬儀は水の上で火葬。町中には沢山川が流れている」


 最低である。この国がアンデッドと戦っていたのはもう数百年前のはずなのに、文化として根付いてしまったのか。

 僕が真性の吸血鬼だったらもっと大変な目にあっていたところだ。ひどいよ……。


 僕は一抹の不安を抱き、恐る恐る確認した。


「まさか…………常時太陽が出たりしてる?」


「……そんな街はない」


 どうやら最悪の事態は避けられたようだ。僕は覚悟を決めて犬化を解除した。


 身体がひりつく。だが、血の力を操り体表を覆えば苦痛は和らいだ。余り長時間味わいたくない痛みではあるが、耐えられないレベルではない。十字架のせいで身体の震えは止まらないが、それも耐えられない事はない。


 僕は震える手で荷物をひっくり返し、服を着た。


「エンド、余り無理をしないで。城は町中にあるわけじゃない。すぐに出ればいい」


 センリの言葉はもっともだが、僕はまだこの街を堪能していない。

 吸血鬼で出歩くのは無理だろう。だが、まだ下位吸血鬼ならばなんとかなるはずだ。にんにくの臭いはマスクをつければある程度カットできるはずなのだ。

 僕は仰向けに転がったまま、センリに訴えかけた。


「センリ、浴室に行こう。血を少し欲しいよ」


 ぎゅっとセンリの身体を抱きしめながら血を貰いたい気分だ。力を多めに補充すれば外に出るのも耐えられるはずだ。

 弱々しい僕の要求を、センリはほとんど躊躇いなく切って捨てた。


「…………浴室にも窓がある。だから無理。それに、あちこちに銀があしらわれているみたいだから、気をつけて」

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