第三話:夜の結晶

「恐らく……生みだされたのは、ごく最近」


 センリが小さな声で言った。


 古今東西、終焉騎士とアンデッドは敵対関係にあった。その趨勢が長らく終焉騎士に傾いていたのは、終焉騎士がアンデッドに対応する絶対の権能を持っていたからだ。

 その中の一つが探査能力である。終焉騎士はかなりの距離が開いていても、極僅かに力を使うだけでアンデッドの居場所を察知することができる。その能力故に終焉騎士が討伐対象のアンデッドを逃す事はほとんどない。

 センリがセーブルを逃してしまったのは、僕の救援を優先したからと、彼女が本来の終焉騎士団と異なり一人しかいなかったからだ。


 だから、終焉騎士団が気配遮断という厄介な能力を持つ『虚影の魔王』を警戒したのは当然と言える。


「貴方の使う『闇の徘徊者』の能力や『杭の王』の力も気配を抑制できるけど、完全じゃない」


 だが、『虚影の魔王』の気配遮断は完璧だった。そして、『夜の結晶ナイト・クリスタル』の力もまた。


 思い返せば、『夜の結晶ナイト・クリスタル』は広く認知されたアイテムではなかった。センリの先輩騎士――ネビラ達は気配を隠される事をほとんど警戒していないようだった。

 終焉騎士団がそのような常識を覆すアイテムを長く見逃すのは考えにくい。センリの言葉には理がある。


 そして、これまで終焉騎士団の探査を完全に遮断したのはその二つだけなのだから、関係性を疑うのもわかる。


 発見がごく最近だと言うのならば、あの結晶はただの鉱物ではないのだろう。そもそも、思い返せば鉱物だったかどうかも少し怪しい。

 本当にロードはどうやってあの結晶を手に入れたのか……最近、全く表に出てこないのがとても惜しい。


 街道を風のように駆ける。僕は毛皮があるし気温の変化にはめっぽう強いので問題はない。僕の背はふかふかなのできっとセンリも問題ないだろう。

 寂しくもない。背中に人を乗せるのが癖になりそうである。こういうの好きかも。


「誰かに見られたらまずいかな」


「今の貴方は……とても魔物には見えない」


 ただの常識外にでかい犬だからな。驚かれはするだろうが、今の僕の見た目には凶暴さの欠片もないのだ。

 犬の身体はとてもいい。屈強な四肢は一歩で十メートル近く走れるし、勢いをつければ小さな川くらいなら渡れる。流れる水は吸血鬼の力を奪うが、慣性まで奪われるわけではない。


 脚を動かしながら思考の海に埋没する。


 虚影の魔王の力は今の僕からすれば喉から手が出る程欲しいものだ。そして僕の『吸呪カース・スティール』ならばそれを奪える可能性がある。

 別に魔王本人からでなくてもいい。『始祖アンセスター』の力は眷属に伝達する。完璧に引き継がれるわけではないようだが、たとえ弱化してもその力は僕にとって心強いものだっただろう。


「…………虚影の魔王がまだ生きていたら、能力を奪えたかもしれないのに」


 思わず思考が口から漏れ出してしまい、すぐに失態を悟る。

 うかつなことは言うべきではなかった。センリからすれば吸血鬼の力は忌まわしいもののはずだ。たとえただの仮定だったとしても、僕がそれをみだりに行使する事を良く思ってはいないだろう。


 だが、しばらく沈黙してセンリの口から出てきた言葉には僕への失望は含まれていなかった。


「それは無理」


「…………なんで?」


 僕の疑問に、センリはぎゅっと僕の背中にしがみつき、そのぬくもりからは信じがたいぞくぞくするような冷たい声で言った。




「伝承によれば……虚影の魔王は――吸血鬼ヴァンパイアではなかった。骨人スケルトン系列の王だったから、血も流れていない」






§ § §






 とある小国の町。特に知名度が高いわけでもない中規模の町の通りを白銀の外套を羽織った男たちが歩いていた。

 人数は二人だが、その所作はこの町には余りにも似つかわしくなかった。見慣れないその姿を町民が注目しているがその視線を意に介する気配もない。

 その足は迷いなく、大通りから、ほとんど人の通らない細い路地に入っていく。


 二人が立ち止まったのは、古びた二階建てのアパートメントの前だった。鉄の階段はサビつき、体重を少しかけただけでぎしりと軋む。


「あぁ……本当にこんなとこに住んでんのか?」


「本部の調査の結果だ」


 青髪の油断ならない容貌をした男――ネビラの言葉に、先頭に立っていた茶髪の男――三級騎士、ルフリー・ラドハットは肩を竦めた。


 この場所を探り当てるまでに随分時間をかけてしまった。依頼結果が手紙で送られてきた事といい、長く戦ってきただけあってやり方を心得ているようだ。

 今回は話をしにきただけだが、油断はできない。


 二階の一番奥の部屋に向かう。

 扉の向こうからはまるで気配がしなかったが、少し祝福を使い感覚の網を展開すれば、向こうに二つの生命体がいることがわかる。

 報告通りだった。そしてどうやら、向こうもこちらの来訪を察しているらしい。


 軽くノックをするが、返事はない。扉は金属製だが、一般人向けだ。終焉騎士ならば容易く破れる。

 だが、まず暴力的な手段は避け、声をかける。


「リーノ・コロス。いるのはわかっている。終焉騎士団だ、話があってきた」


 返事はない。ただ、部屋の中で生き物が動く気配がした。ネビラが馬鹿にしたように言う。


「出てくるわけがねえだろッ! 逃げる前に押し入って捕らえるべきだ」


「ネビラ、お前は暴力的過ぎる。相手は人だぞ? ……ん?」


 取っ手を握り、ルフリーが眉を顰める。

 鍵が開いていた。眉を顰め、慎重に取っ手を回す。


 扉が開きかけたその時、内部の気配が動いた。内側からの体当たりに勢いよく扉が開く。



 ――そして、ルフリーの眼前を銀閃が通り過ぎた。


 現れたのは小さな影だった。いや――少女だ。年齢はまだ十代の前半だろう。黒のドレスから伸びた手脚は鍛えられているようだが、絶対的に細い。

 だが、その鋭い黒の双眸は手負いの獣を思わせた。


 持っているのは身長と同程度の大きさの斧だ。振り下ろされる刃を数歩後じさり回避する。

 体重が体重なので、一撃はそこまで重くはない。だが、勢いがあるので無防備に受ければ危険だろう。


 少女が体全体を回転させるように斧を振り回す。一見、重さに振り回されているようだが、わざとやっているのだろう。

 祝福なしの細腕で、身長も低目だ。力を込めるためには選択肢は少ない。だが、その動きは未だ慣れていないようだった。

 刃も抜かず、右足だけ一歩後ろにずらし斧を回避する。その分厚い刃が階段の手すりに当たりけたたましい音を立てる。


 刃が少しだけ欠けたのがわかる。よく見れば、斧の刃はそこかしこが欠けていた。

 どうやら、刃は銀製のようだ。銀という金属は柔らかい。合金にしても戦闘には適さないくらいに。


「やめろ。私達は話に来ただけだッ!」


 だが、少女の目の奥に煮えたぎる戦意は全く変わらない。明らかにセンリより若いが、その戦意はセンリよりもずっと強い。

 叩きのめすのは簡単だが、このような素人を制圧するのは気が引けた。

 と、その時、少女が斧を投げつけてくる。後ろのネビラが飛んでくるそれを悠々と片手で掴み取る。



 そして、少女は素手にも拘らず、躊躇いなく飛びかかってきた。



「!?」


 予想外の動きに目を見開く。少女は大きく口を開いていた。銀の尖った犬歯が光る。




 そして、少女はルフリーの右腕に噛み付いた。





 服の下に着込んでいた薄い帷子と牙がぶつかる。当然、勝ったのは帷子だった。子どもの噛みつきが終焉騎士に通じるわけがないのだ。



 だが、少女は顎を離さない。腕を振っても必死に噛み付いてくる。まるで鰐だ……と言いたい所だが、見た目が見た目なのですっぽんとでも言うべきだろう。

 さすがに歴戦の終焉騎士でも人間に噛みつかれるような経験はない。



 途方に暮れていると、部屋の奥からストップがかかった。地獄の底から響きわたるような低い声。


「アルバ、やめろ。彼らは……客だ。招かれざる客、だが……どうやら……くっくっく、私に用があるようだな」



 アルバと呼ばれた少女がその声にようやく口を離し、機敏な動作で後ろに下がる。警戒されているようだ。


 部屋の奥にいたのは全身黒尽くめの男だった。手脚と顔の半分は包帯で巻かれ、近くに銀の杖を立て掛けている。だが、その姿からは長きに亘りしぶとく生き延びてきた者独特の気配があった。


 リーノ・コロス。吸血鬼狩りの一人。この界隈では『カイヌシ』の異名で知られる男だ。

 強い薬草の臭いにルフリーは眉を顰める。



「怪我を、していたのか……だが、何故手紙一つで報告に来なかった?」


「依頼を失敗して追加報酬を求める程、私は恥知らずではなくてね。いいか、吸血鬼狩りのコツは――謙虚である事だ」


「負け犬が……よくもまあこんなところに隠れて、ふざけたことを抜かせるもんだ」


「お褒めに預かり光栄だ。だが、善良な市民の家に踏み込む騎士様程じゃない。おまけに名乗った覚えのない名で呼ばれるとは……君たちには感嘆を禁じえない」


 額に青筋を浮かせるネビラに、カイヌシが肩を竦める。アルバが殺意をむき出しにしてネビラを睨む。


 そして、カイヌシは大げさな身振りをして言った。濁った目がルフリーを見ている。








「ああ、用事は察している。『夜の結晶』の話だな? 商売柄、私は口が堅いが――知らない仲じゃない、格安で話してやろうではないか」


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