閑話②
特別編①:エンドの本気
アンデッドとして新たなる生を受け随分長い時間が経ったような気がする。
もちろん、実際に経過した時間がそこまで長くない事はわかっている。だがその時間は、生前ずっと一人病床に伏していた僕にとって生前の全てに匹敵していたと言っても過言ではなかった。
初めは
センリという理解者を得て、その血を分けてもらい強くなった。戦闘技術を学んだ。僅かだが魔法も使えるようになった。アルバトスとの死闘を経て、犬に化ける能力を奪い取り、『
そして今、僕は魔王との激戦を通してさらなる力を得た。
血の力の使い方を知り、『呪炎』を奪い取り――まだ次の位階には変異していないが、今の僕の能力は下位吸血鬼に変異した当初の比ではない。
部屋の中央に立ち、人間形態で堂々と腕を組む僕に、センリが眉を顰めて言った。
「そう。…………何を言いたいの? エンド」
しかめっ面でもセンリは美しい。その白磁のような肌から香る素晴らしい血の芳香を抜きにしても――今の僕が犬の姿を取っていたらぶんぶん尻尾を振ってしまっていただろう。
センリは僕が尻尾を振るたびに呆れたような目をするのだが、止めようとしても止まらないのである。それは犬としての抗えない運命だった。
センリ・シルヴィスは今の僕にとって心の支えだ。
僕は彼女が味方である限り世界の全てを敵にしても平然としていられる自信があるし、彼女がいなくなれば――怪物にならない自信はない。
とても大切な存在に、僕は真剣な表情で言う。
「リベンジだ、センリ……」
血の力を四肢に集める。普段緩慢に流れている力を集中すれば僕のただでさえ化け物じみた身体能力はさらなるステージに到達する。
「リベ……ンジ……?」
終焉騎士には血の力の流れが見えるのか、センリの表情が強ばる。だが、今更失態を悟ってももう遅い。
僕はびしっと指を指して言った。
「センリ、勝負だッ! 以前やった、卑怯な手で僕の純情を弄んだあの鬼ごっこを――今ここでもう一度挑むッ!」
「!?」
「もしも捕まえる事ができたら、前回センリが言ったとおり、センリを僕の好きにさせてもらうよッ!」
あの時、僕は未熟だった。力の使い方もわからなかったし、吸血鬼の強みも弱点も理解していなかった。今の僕は違う。
結果はどうあれ、あの魔王ライネルとの死闘を切り抜けたのだ。センリには勝てないまでも、捕まえる事くらいできるはずだ。いや、絶対に捕まえる。そして、長かったお預けを終わらせるのだ。
堂々と宣戦布告する僕に、センリが呆れたような表情をする。そして実際に「呆れた」と言った。
だが、僕は本気だ。あの時のセンリは余りにも酷かった。いくら訓練のためとはいえ、吸血鬼の純情を弄ぶなんて、悪魔なモニカよりよほど魔性の女だ。
僕とセンリが向き合っているのは宿の一室。ツインルームとは言え、部屋の広さはそこまで広くない。
当然だが、前回のようにオアシスもない。多少の水なら魔法で蒸発させる事もできるし、センリは性格からして僕を傷つけないよう配慮するはずだから、逃げ場の少ないこの場所は僕にとってこの上なく有利だ。
虎視眈々とタイミングを見計らっていた。前にセンリから血を貰ってから一週間以上経っているので血の力にそこまで余裕があるわけではないが、このタイミングを選んだのは乾いている時に貰う血が最も美味しいからという、至極当然の判断である。
最高のタイミングで、最高の血を、最高の方法で貰うのだ。
センリが小さくため息を漏らす。
「……驚いて損した」
「そんな言葉を言えるのは今の内だ、センリ。僕はセンリから離れている間に成長した」
もちろん、呪炎は使わない。爪や牙を伸ばすのもなしだ。目的はセンリを傷つける事ではないので当然である。
だが、それを置いても僕にはセンリを捕まえる自信がある。
センリが突きつけた指に触れ、下に下げさせた。
「…………好きにしていいなんて、言った覚えはない」
「今更、怖気づいたか、センリ! ずるいよ!」
「……言ってない。それに、血が欲しいなら上げる。少し早いけど、そろそろ来るとは思っていた」
センリが少しだけ髪をかきあげてみせる。思わず唾を飲み込むが、僕は鋼鉄の意志で首を横に振った。
違う。僕が欲しいのはただの血ではない。勝利の美酒だ。僕はセンリの素晴らしい血を更に美味しく飲む方法を知っている。
「センリ、これは……吸血鬼の本能だ。僕はセンリを捕まえて血を貰いたいんだッ!」
「…………」
「センリを捕まえたら、まずは一緒にシャワーを浴びる。身を清めたらしっかり身体を拭いて、裸のままベッドに入って。そしてひと晩かけて、ゆっくり時間をかけて血を吸うんだッ! 柔らかくて華奢なセンリの身体を組み伏せて血を吸いたいんだッ! これは吸血鬼の本能だッ! 故に、僕は鬼ごっこで負けたあの日、いつかリベンジをすることを神に誓ったッ! それが今日だッ!」
僕の魂からの叫びに、センリは珍しい事に少しだけ頬を引きつらせる。首元が少しだけ赤く染まり、くらくらするような素晴らしい血の匂いが漂ってくる。
だが、吸血の快楽に身を捩り興奮したセンリの血の匂いはこの比ではない。大丈夫。今の僕はモニカで練習したのである程度加減が利く。
「……エンド、吸血鬼にそんな本能はない」
「じゃあこの僕の感情は何なんだ! ……もしかして、これが恋?」
考えるまでもなく、僕は最初から僕の味方をしてくれたセンリが大好きだ。だから、血を吸いたいのだ。
吸血とは僕にとって愛情表現の一つでもあるのだ。だからそんなに拒否されると少し悲しくなる。もう定期的に血をくれているのだから、どんなくれ方をしてもいいではないか。
「やめて、エンド。どんどん白くなるのは歓迎だけど、緊張感が続かないからやめて……」
「鬼ごっこするんだッ! もしも捕まえたら――センリには血を吸われている間、声を殺す代わりに『エンド、大好き』と言ってもらう。しかも、一回じゃない、何回もだ」
僕は愛に飢えているのだ。生前から割と酷い目に遭ってばかりなのだから当然である。きっとそんな状況で血を吸えたなら、一滴で一月は生きられるだろう。
センリが珍しい事に震えている。体幹が少しだけぶれ、足元もやや安定していない。
これも作戦の内だ。センリはどんな時でも冷静沈着な歴戦の猛者だが、逆に言えば冷静さを失わせる事ができれば僕の勝率は更に上がる。
これは覚悟だ。僕は、この悲願を叶えるためならば、あらゆるプライドを捨て全力を尽くす。
ライネルと戦った時に勝るとも劣らない覚悟で、センリに言う。
「だからセンリ、もしも『エンド大好き』と言いながら血を吸わせてもいいと思ったなら、大人しく僕に捕まって欲しい」
「ッ……」
僕は訓練の成果を見せたいわけではない。センリに勝ちたいわけでもない。センリの血を吸いたいのだ。大好きと言われながら、センリの血を吸いたいのだ。牙が疼いている。これは間違いなく、吸血鬼の本能である。
センリがまるで立ちくらみのように大きくふらつき、しかしなんとか立ち直る。そして、顔を上げた。
アメジストの瞳が僕を静かに睨みつけている。形容しがたい威圧に、僕は負けじとセンリを睨みつけた。
さすがは元終焉騎士。英雄の貫禄は健在だ。身体が天敵の存在に震えそうになるが、気合で負けては勝利は掴めない。
センリは万全ではない。センリは優しい。僕の言葉が効いている。絶好の勝機だった。そして、最後の勝機でもある。
センリ……やはり、終焉騎士と吸血鬼は争う運命にあるのか。
震える声でセンリが言う。
「……わか、った。エンドが、そこまで言うなら、鬼ごっこ、してあげる。でも……これが最後」
「わかった」
僕はわかっていなかったがとりあえずわかったと言った。未来の事は考えない。重要なのは今なのだ。
人生は短い。不思議な予感があった。今全力を出さねば僕はきっと一生後悔する。
「条件は公平にしよう。絶対に負けないけど、もしも僕が負けたら……僕の事を好きにしていいよ」
「……」
残念ながら、センリは僕に負けるつもりはないようだ。膨大な祝福がその華奢な四肢に漲るのが見える。
恐らく、血の力と同じ原理だ。もちろん、練度は僕の比ではない。
だが、僕には勝てる自信があった。力の使い方はセンリが上だが、素の身体能力は僕の方が遥かに上だ。そして、祝福による身体能力の強化を込みにしても終焉騎士の身体能力は吸血鬼に劣る。
ライネルの所で出会った吸血鬼、セーブルとの戦いは僕に様々な情報を与えてくれた。僕はまだ下級だが、僕の身体能力はきっと並の吸血鬼よりも高い。
センリが一瞬、腰に帯びた剣の柄に触れ、しかしすぐに離す。やはりセンリは優しい。
見える。センリの力の流れが見える。大河のように力強い祝福は、全身を満たし、しかし特に足に集中していた。
「エンド、貴方は冷静さを失っている。少し頭を冷やすべき」
「僕は冷静だ。僕は今日、センリを打ち倒し、更に先へ行くッ!」
僕は冷静だ。センリは逃げるつもりだ。
僕が勝っているのは身体能力のみ。建物が多く三次元の動きが可能な町中では追いつくのは難しい。そもそも、町中では力をセーブしなくては建物を壊してしまいかねないから、僕は全力を出せない。僕は建物を破壊したくない。僕はセンリに嫌われたくないのである。
その上、彼女には空を飛ぶ力もある。
宿から出る前に捕まえる。狭い宿の中ならば僕の優位は揺るがない。ごくりとつばを飲み込み、センリの思考をトレースする。
だが、歴戦のセンリならば僕がそう考える事を予想するはず。予想した上で、センリはどう逃げるか。
僕は刹那の瞬間でセンリの思考を読み切った。
――窓だ。
勇敢なセンリならば、死中に活を求める。窓は僕の後ろだが、センリは自分の後ろにある、廊下に繋がる扉ではなく、僕の後ろにある窓から逃げようとするだろう。いきなり突撃してくるセンリに僕が驚いた空隙を突き、窓を割って逃げる。
僕がセンリを理解している事を、センリが建物を壊したくないと知っている事を考慮に入れ、その上で裏を突いた恐ろしい作戦だ。
だが、その作戦は両刃の剣だ。その策を成立させるには僕の隣をすり抜けなくてはならない。僕がその作戦に気付いていない事が前提にあるのだ。
この勝負、勝った。
センリが横をすり抜けようとしたら、そのまま捕まえる。そして、もしも仮に扉から逃げ出そうとしても、全力で追えば宿から脱出する前に手が届くはずだ。
センリは祝福を体内に循環させていたが、鎧のように体表を覆ってはいなかった。
フェアだ。彼女はこの期に及んでこれ以上ないくらい公平だった。そして、だからこそプライドの全てを捨て去った僕に負けるのだ。
センリの弱点は出会った当初から今に至るまでずっとその『優しさ』だった。
「センリ、恥ずかしがる事はない。僕も、血を吸う時は『センリ大好き』と言いながら吸うよ」
「…………寝言は寝て言って、エンド。貴方は勝ったつもりかもしれないけど、私は吸血鬼の事を良く知ってる」
センリの言葉に嘘は感じられなかった。まさか、何か策があるのだろうか。
流れる水も対策があるし、そもそもこの部屋に水は無い。銀やにんにくもないし、もしもあったとしてもセンリは僕を傷つけるそれを使わないだろう。
ブラフだ。冷静になれ、エンド・バロン。冷静になれば、お前に負けはない。
血の力をこれ以上ないくらい慎重に操作し、力を溜める。
「センリ、合図はいらない。君が動いたら僕も動く」
「…………そう」
身を低くし、全身全霊でセンリの一挙一動を見る。極度の集中により時間が細切れになり、その一呼吸すら緩慢に見える。
そして、集中が極限まで高まったその時――センリが動いた。
それは、魅入る程に美しい動きだった。刹那の瞬間で身を翻し、駆けた跡には光の筋しか残らない。
センリが選んだのは僕の後ろにある窓ではなく自分の後方にある扉だった。意外だったが、もしかしたら僕がセンリの考えを読んだ事を更に読んだのかもしれない。
だが、無駄だ。床を踏み抜かない程度に全力で前に出る。
センリが風ならば僕は獣だ。一気にセンリの背中が近くなり、それに向かって手を伸ばす。
そして、その指先が背に届きそうになったその時――まるで煙のようにセンリの背中が消えた。ぱたんと小さな音が残る。
すぐに状況を把握する。
消えたのではない。センリは曲がったのだ。思わず目を見開く。
センリが選んだ退路。それは――廊下への扉ではなく、バスルームへの扉だった。考えもしなかった選択肢に、思わず足を止める。
バスルームへの扉は意識の外にあった。どうして考えもしなかったのか?
この部屋のバスルームには窓がないからである。それどころか、たとえ壁を破っても隣の部屋に出るだけで外には出られない。
もしかして水か? また前回のように水を使って僕を陥れるつもりなのか?
何という悪あがきだ。今の僕には乾かす魔法がある。ちょっと魔力を持った一般人が生活に役立てる程度の魔法だが、吸血鬼の有する膨大な魔力を使えば水を即座に蒸発させる事ができる。川を干上がらせる事はできなくても、バスルームの水くらいならば問題ない。
そもそも、シャワーは僕の弱点であって弱点ではない。僕は流れる水の上は歩けないが、上から降りかかる水については問題ないのである。まぁ、水はよほどの理由がない限り重力に従い落ちるだろうから、厄介な事には変わりないが。
勝ったな。僕は笑みを浮かべ、バスルームに隠れたセンリを捕まえるべく扉を開け――
――ようとして、手を止めた。
入れない。どうしても手を動かしたくない。ノブに触りたくない。
それは、吸血鬼の持つ無数の弱点の中でも、一際特異な弱点だった。
吸血鬼は……招かれない家には入れない。
状況を理解し、慌てて扉を叩き、立て籠もってしまったセンリに抗議する。
「センリ、ずるいッ! 卑怯だッ! あんまりだッ! それは鬼ごっこじゃないッ!」
『……うるさい。エンド……反省して』
うるさいとか初めて言われたよ。
押し殺したような、拗ねているような、低い声。センリが裏で強化しているのか、少し強めに力を入れても扉はびくともしない。本能を我慢してノブを握るが、鍵がかかっているのか回らない。
僕に出来るのは悲鳴のような声を上げ、センリの慈悲を乞うことだけだった。
「大好きって言うくらい、いいじゃないかッ! 酷いよ」
『エンド、大好きだから、いい子にして』
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