第二十八話:奇策

 人間の肉体は脆弱だ。如何に祝福を操ろうと、生来の肉体の格差は埋めきれない。

 相手が優れた戦士であることは間違いない。その絶望的な状況にあって微塵も衰えぬ気迫も、その能力も、これまでライネルが出会ってきた人間の中ではトップクラスだ。


 だがそれでも、相手がただの魔獣ならば問題なくても、覇者となるべく生まれた獅子竜ライネルと比較するとその力は些か脆すぎた。


 鉄壁の毛皮の前に、デルの攻撃は一切通用しなかった。鋭い斬撃も迸るような光のエネルギーもライネルの身体に傷をつける事はできない。


 これが人間、か……。


「弱いな、弱すぎる。竜殺しの剣でも持ってくれば少しは楽しめたものを……」


 ライネルの言葉に対してデルは答えなかった。ただ必死にライネルの攻撃に食らいついてくる。

 武器ごとへし折る一撃を受け流し、死角に素早く回る。咆哮を耐え、果敢にライネルの目を狙う。


 その動きには一見、衰えはなかったが、身体に満ちていたまばゆいばかりの光には陰りが見えつつあった。


 終焉騎士の操る力――祝福は有限だという。体力にも差があるだろう、このまま戦いが続けば遠からずデルが倒れるのは目に見えている。

 だが、そんな戦いはライネルの望む所ではない。絶頂にある戦士を倒してこそ意味があるのだ。


 幾度目かの交差を経て、ライネルは初めて後ろに下がった。デルが無数に刃こぼれし、なまくら同然にまでなった剣を構え、ぎらぎらとした瞳で睨みつけてくる。


「終焉騎士、貴様の攻撃には――殺意がない。何故向かってこない?」


「はぁ、はぁッ……」


 デルは優れた戦士だ。技術も力も勇気も人間にしては類稀なものだろう。

 だが、つまらない。デルの攻撃には殺意が足りていない。だからこそ、一歩退いたライネルに対して踏み込んで来ない。意図があってのものなのだろうが、それではあまりにも退屈だ。


 あのエンド・バロンの攻撃にはなんとしてでもライネルを殺そうという意志があった。たとえ殺されてでも殺してやろうという呪いにも近い情念があった。

 弱点である聖銀を前に挑んでくるその様はたとえその身が未だライネルに至らなくても驚嘆すべきものだ。そして、その意志は壁の穴から逃げる直前にも変わらなかった。


 種族など関係ない。あれこそが怪物だ、怪物を殺すには怪物にならなくてはならない。


 時間稼ぎで消費させるには目の前の戦士はあまりにも惜しかった。


 力を溜める。身体の中に強い熱が生じた。大きく息を吸うと、金色のたてがみが逆立つ。


「受けてみよ、人の戦士。我が力を――」


 空気の変化を感じ取ったのかデルの表情が歪む。その身に流れる光の力が全て剣先に集まる。

 先程までとは違う、攻撃に集中した型。やはり、目の前の剣士は多くの修羅場をくぐっているようだ、とライネルは笑った。


 ライネルは獅子の魔獣と竜の混血だ。身に流れる竜の血が与えたのはその頑強な肉体だけではない。

 エネルギーが集中する。喉に焼け付くような痛みが奔る。毛皮が金色に輝く。


 《竜の吐息ドラゴン・ブレス》。

 それは、己の力を変換し放つドラゴンの奥義。ドラゴンが最強と呼ばれる理由の一つである。


 放つのは本当に久しぶりだった。これまで、ほとんどの戦いはそれを使うまでもなく決着がついた。魔王と呼ばれるようになってからは一度もないかもしれない。


 ライネルは純粋な竜ではないが、その鍛え上げられた肉体から放たれたブレスの威力は並の竜を凌駕する。


 合図はいらなかった。矮小な身でありながら、終焉騎士は『ブレス』を受けるつもりだ。


 鋼鉄の剣など竜のブレスの前で何の意味もないはずだが、その騎士に怖れはなかった。

 剣身を中心に静かな光が渦巻いている。疲労など関係ない。今、目の前の終焉騎士の力は絶頂にある。


 そして、これが最後だ。


 大きく息を吸い込み、ライネルが咆哮する。それに対して、デルが咆哮を返す。


 そして、金色の光が放たれた。





§ § §





 それはまさしく、最強の名に相応しい力だった。

 衝撃はなかった。音が消え、感覚が消えた。あまりに大きな力の波動に五感が一時的に麻痺したのだ。


 回避はできない。背中を向けたら一瞬で焼き尽くされる。打ち勝つには力を集中する必要があった。



「うおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!」



 魂を振り絞り全ての力を集めるべく、咆哮する。全祝福を剣に集中させ、その負荷で鋼鉄の剣にひびが入るのが見える。

 剣身に渦巻く螺旋の力は目の前の膨大なエネルギーに対してあまりにも無力に見えた。


 だが、デルに怖れはない。終焉騎士は長きに亘りあらゆるものと戦ってきた。

 その中には当然、この世界で最強と呼ばれる存在の一つ、竜も存在する。



 《穿竜閃フォトン・ブレイク》。


 その技は、そう呼ばれていた。



 終焉騎士は攻めの騎士だ。その技術も当然そちらに寄って研鑽されている。

 竜の息吹を防ぐ技など、とてもじゃないが三級騎士には使えない。


 ならば、切り開く。正面から死の運命を打ち破る。


 渦巻く光が破壊のエネルギーに正面から突き進む。空気が焼け、肌に強い熱を感じる。

 もはや感覚は一切なく、意志だけで力をコントロールする。


 純龍でないとは思えない凄まじいエネルギーだ。だが、《竜の吐息》は連続して撃てるものではない。



「――――――」


 もはや自分がなんと叫んでいるのかもわからない。

 鋼鉄の分厚い剣身の尖端が砕け、ひびが根本に向かって侵食してくる。鈍い衝撃が腕に伝わってくる。


 《穿竜閃フォトン・ブレイク》は《竜の吐息》をかき消す技ではない。受け流す技だ。正のエネルギーで力の流れを乱し左右に受け流す。

 放った力は確かに、遥かに膨大な力の中心を穿っていた。



 だが――。



 刹那の瞬間、引き伸ばされた思考の中、デル・ゴードンは敗北を悟った。


 ダメだ、ブレスがあまりにも強すぎるッ!


 一極に集中し研ぎ澄ました力が完全に押されていた。これでは流しきれない。そして、その余波を受けただけでデルは死ぬだろう。

 その力は間違いなく全力だった。まだブレスは続いている。長いブレスだ。ライネル本人にもかなりの負担があるはずだ。


 そのまま戦っていれば遠からず倒せていたであろうデルを相手に魔王は全力を出したのだ。


 技の性質上、左右に回避することはできない。前傾姿勢になり、踏ん張る。熱がむき出しになった肌を、顔を焼く。



 眼前に迫った世界を終わらせる金色の力は恐るべきもので、しかしとても美しい。



 あの逃げ出した吸血鬼の姿を思い出す。




 くそッ……ブレスは使わせた。後は、任せた……ぞ。



 まさか終焉騎士の自分が最後に思い出すのが殺し続けた吸血鬼の姿だとは、奇妙な事もあるもんだ。


 


 そんな事を考えた瞬間、不意に圧力が消えた。




 気がつくと、デルは床に転がっていた。

 身体の感覚がまったくない。だが、視界にあるのは確かに先程まで戦っていた城の天井だ。

 力は完全に空っぽだった。今のデルならば、最下級の魔獣にも為すすべもなく殺されるだろう。



 だが――生きてる。



 竜の息吹を受けきったのではない。途中で止められたのだ。

 全力を使い、少しだけ顔を傾ける。そこでようやく、音が戻ってきた。


 意味がわからなかった。次に、心臓が震えた。ライネルは既にデルに意識を向けていなかった。

 ライネルが視線を向けているのは、あの吸血鬼だった。



 だが、その身体は全身、禍々しい黒い炎に包まれている。

 四肢に頭、変形した刃まで黒い炎に焼かれながら、エンド・バロンが言う。



「間に合った。火花しか出ないなら、燃やしてからくればいい。これなら、これなら、殺せる。殺せるぞ。殺してやる……魔王ライネル」

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