第十五話:脅威

 魔王ライネル軍はいいところだ。

 何がいいって、戦いに勝てばどんなワガママも通るのがいい。居住環境はいまいちだが、それもまた住めば都だ。


 多様な亜人との戦闘経験がつめるのもいい。亜人は形が様々なだけあって、特徴も様々だ。中には剣技を使える者もいるし、何より殺しがなしなのが最高だ。後はセンリがいれば完璧だった。


 蓋が小さくノックされる。夜が、僕の時間がやってきたのだ。

 ゆっくりと身を起こし、力を込めて重い蓋をずらす。月明かりに照らされ視界に入ってきたのはモニカの顔だった。


「おはようございます、エンド様。よくお眠りになられましたか?」


「ああ、ありがとう。モニカ。とてもいい調子だ」


 完全に密閉できる黒い棺桶の中で上半身だけ起こし、大きく伸びをする。


 棺桶はモニカが用意してくれたものだった。もともと前提知識の中にあったことだが、どうやら吸血鬼は棺桶で眠るものらしい。

 一度死んだ身としては冗談ではないのだが、どうやら棺桶で眠ることにも意味はあるようで、体調はいつになく良好だ。

 なんというか、とても落ち着く。今回は敵地なので眠ってはいないのだが、血を吸った直後の次くらいにいいかもしれない。携帯棺桶があればいいのに。


「環境は改善した?」


「は、はい。何分場所が場所なのですぐに完璧にとはいきませんが、仰せの通りに……」


 モニカが瞳を伏せ、小さな声で言う。

 僕が要求したのは牢環境の改善だった。ろくに掃除もしない食べ物も与えられないような環境で美味しい血が育つわけがない。

 今更環境を改善してもセンリ並の血ができるとは思えないが、まあ捕虜に優しくすればセンリが後で美味しい方法で血を吸わせてくれるかもしれないのでいいのだ。


「しかし、その件で抗議が来ています。…………十五人です」


「わかった、受けるよ」


 モニカの恐る恐る出してきた言葉に、躊躇わずに頷く。

 環境改善には手間がかかる。それを行うのは、この魔王軍の下層だ。

 昨日も反対して来た者が何人も現れたが、全て拳で語り合って解決してやった。


 魔王軍での立ち位置を確固たるものにするのには力を示すのが一番らしく、挑戦に勝つ度に新たな挑戦者の数は減っていった。まだここに来て三日しか経っていないが、噂でも広がったのか今では怖れられている雰囲気もある。


 今日のモニカは珍しい事に、肌の大部分を隠した地味な服を着ていた。だがそのスタイルの良さは隠しきれていない。

 もっと偉くなればモニカも僕を見直して血をくれるかも知れないし、今日も頑張るとしよう。



 今日の挑戦者は鬼人オーガだった。この魔王軍では一大派閥を作っている種族で、僕が初日にチャンピオンをぶちのめしてから何度も挑戦に来ている種族である。

 恵まれた体格と硬質な皮膚、まさしく鬼と呼ばれるに相応しい凶相を持っていたが、その表情は今では顔をあわせた瞬間から緊張にこわばっていた。


 思わず目を見開く。いつもは拳だったが、今日の挑戦者は一振りの剣を持っていた。黒ずんだ剣で、明らかに長さが体格と比べて小さすぎる。

 黒ずんではいるが、本能でわかった。銀の剣だ。

 いつか来るとは思っていた。弱点を突かず、僕にまともにダメージを与えるにはアルバトスくらいの力が必要なのだ。


 その武器の正体に気づいたのか、モニカが慌てて唇を開きかける。僕はそれを制止した。

 

「構わないよ。でも死にかけてたら助けてね。…………まさか文句でも言うと思った?」


 対面していた鬼人の表情が歪み、その膨張と呼べる程に発達した腕が震える。牙の生えた口から熱い呼気が吹き出す。


 今の僕の身体にはほとんど痛覚がない。痛みがないというのは本当に素晴らしい。だが同時に、痛みは忘れてはいけないものだ。


 このまま何事もなく勝ち続けたらきっと僕は増長してしまう。


 センリ曰く、痛みは吸血鬼の弱点だ。いつも痛みなど感じないからいざという時に痛みを与えられると動きが止まるのだ。僕がこれまで生き延びられたのは生前の経験のおかげでそれがなかったという事もある。


 それに、ろくに手入もされていない黒ずんだ銀の剣が何の脅威になるだろうか。

 僕は、完璧な十字を形作った銀の剣を知っている。貴重な祝福された銀で作られた聖なる剣を知っている。それらはきっと僕を容易く殺す。

 ならば、次にそれらと出会うその前に弱点を克服する術を身に着けなくてはならない。死ぬ可能性が低い状態での銀の剣との交戦はそれを考えれば決して悪い事ではない。


「面倒だから全員纏めてかかってきていいよ」


「ッ……な、愚弄するかッ! 吸血鬼ッ!」


 と言っても、どうやら銀の剣は一振りしかないようだな。


 鬼人が一歩で距離をつめ、力いっぱい剣を振るう。空間を割るようなすさまじい一撃だ。だが剣のサイズが身体に合っていない。

 僕は大ぶりに落ちてくるそれを余裕をもって横に回避し、開いた脇腹にジャブを入れる。


 軽い攻撃のつもりだったが、鬼人の顔が苦痛に歪みその肉が軋む。振り下ろされた剣がそのままの勢いで切り返される。


 遅い。遅すぎる。鬼人は力自慢だが速度はそこまででもない。僕の動体視力で十分見切れる速度だ。回避の訓練にいいかもしれない。


 回避しながら精神を集中させ、『闇の徘徊者ダーク・ストーカー』の能力、『潜影せんえい』を発動する。

 音が消え、肌に黒が広がる。鬼人の表情に動揺が奔る。


 この能力は本来、影に潜むためのものだが、戦闘中に使っても効果はあるようだ。匂いはともかく音の大半が消えるのが強い。まだ吸血鬼の力を使えない僕にとって強い味方だ。使いこなさなくては。


 似たようなやり取りで三度ジャブを入れた所で、鬼人が膝をつく。僕より立派な肉体をしているくせにだらしない奴だ。

 だが、もしかしたら鬼人が吸血鬼になったら僕など比べ物にならないくらい強くなるのではないだろうか? 才能があるとは言え病弱だった僕がここまで戦えるようになったのだから十分ありえる話だろう。


 次は試しに爪で剣を受けてみよう。相手がカイヌシだったら絶対にやらない事だ。

 僕は鬼人から視線を外し、待機していた次のチャレンジャーを見る。


 それが終わったら次は拳だ。吸血鬼の膂力ならば銀の剣くらいへし折れてもおかしくはない。

 ライネル軍の幹部は彼らよりもずっと強いはずだ、少しでも差を埋めなくては。



§ § §



 最初は敵意だった。それは恐怖に変わり、徐々に尊敬に変わっていった。

 このライネル軍の中で力の強い者は尊ばれる。この状況の遷移にモニカは青ざめざるを得なかった。


 エンド・バロンはたった三日で魔王軍に馴染みつつあった。

 最初から薄々感じてはいたが、この吸血鬼は変わり者だ。なんというか、らしくない。始祖の吸血鬼はもっと傲岸不遜で、生者とは相容れないものなのだ。本来魔王軍にもそう簡単に馴染めるはずがなかった。

 だが、エンドにはそれがない。ワガママは言うが、まだモニカが血を吸われていない事から見てもその性質が一般的な吸血鬼と乖離しているのは明らかだった。


 しかしその力は本物だ。屍鬼の能力も『闇の徘徊者』の能力も使える。ここしばらくは血を吸っていないはずだが力が減じる気配もない。


 まだモニカはその本性を見透かす事ができていなかった。


 このままでは短時間に幹部クラスまで成り上がるだろう。

 新参者を幹部に据えるなど普通の魔王軍ではありえない事だが、このライネル軍では十分起こり得る事だ。


 今日もエンドに付き合い、夜明けの就寝まで見届け、無事一日が過ぎた事にほっと胸を撫で下ろす。


 牢環境の改善は急ピッチで進められている。食糧を与え、牢を掃除し、トイレに行く権利を与える。人間の健康管理など誰もやりたくない仕事だが、エンドがそれを望み、挑戦者に打ち勝ったのならばやらざるをえない。今では捕虜たちは下手な下位構成員よりもいい生活をしていた。


 環境は大きく変わりつつあった。これまでわけあっていた人間をエンドは独り占めしようとしているのだ。不満が出ないわけがない。モニカは食べないが、魔王軍の中には人間が大好物な者も少なくないのだ。


 いくら吸血鬼とてあれだけの人間の血を全て吸うなどということはないだろう。大多数の人間は予備なはずで、用済みになれば払い下げられるはずだ。

 モニカとしては一刻も早くこの厄介な吸血鬼が満足できる血を持つ者が現れるのを祈るのみだった。


 ふと激しい足音が上がり、大きく黒い影が朝日を背に跳び上がりモニカの目の前に着地する。

 オリヴァー・アルボル。この魔王軍でも屈指の実力を持つ狼人は、真っ赤な舌を出し、モニカを見ると開口一番に言った。


「か、帰ったぞ。どうだ、その……エンド様は」


「今の所は満足頂いているわ。ライネル様にも話は通した。でも、厄介な方を見つけてくれたわね」


 これまで何人もの歴戦の勇士を食い殺した男は尾を太くして身を縮める。まるで怯えた犬だ。


「ぜ、絶対に、怒らせるなよ。もしも決闘に挑む者がいたら、俺に回すんだ」


「……はぁ。もう遅い、百人やられたから」


「ッ……何だと!?」


 しかもただの百人ではない。力に自信があり、人間の傭兵ならばたとえ数対一でも圧倒できるような戦士が百人だ。

 魔王軍の一員としては頭が痛いことこの上ないが、殺されなかっただけマシだと思うしかない。


「クソッ、殺す、食い殺してやる。名を寄越せ、モニカ。俺の顔に泥を塗りやがって。ち、違う、違うんです、エンド様……私は、私は、決してそういうつもりでは――」


 オリヴァーは目をギラつかせる。

 既に日は出ていたが、オリヴァーが人間の姿に戻る気配はない。劣化した狼人は満月の夜にしか変身できないが、第三位のオリヴァーは違う。力の大小はともかく、日中でも自在に変身でき、理性も比較的残っている。

 だが、その瞳には強い恐怖と狂気が見えた。この男にここまで恐怖を刻みつけるとは、オリヴァーを狼人に変えた吸血鬼はどれほどの者だったのか。

 落ち着かせるように努めて平静な声で言う。


「落ち着いて、オリヴァー。エンド様は楽しんでおられたから」


「あ……ああ、あ、そ、そうか。なら、ならよかった。本当に、良かった」


 オリヴァーの声には強い感情が籠もっていた。


 だが、まずいことがある。モニカの見ている限り、エンド・バロンは自らの力を測っている。

 最初は力づくだった動きはまるで試しているかのように徐々に洗練されていき、今日は弱点である銀の剣とすら相対していた。


 どれほどの格上が相手でも引かない鬼人達は完全に萎縮していた。エンドはずっとこの魔王軍にいるつもりはないと言っていたが、このままでは彼はこの軍にとって毒にしかならない。


 忠実な魔王ライネルの下僕としては手を打たなくてはならなかった。


「……オリヴァー、エンド様は『人食い』と戦われるわ。あの終焉騎士を賭けて」


 オリヴァーが耳を立てて目を見開く。

 『人食い』はこの魔王軍でもライネル様に次ぐ実力者だ。性格はともかくとして、その戦闘能力はオリヴァーをすら越える。吸血鬼とはまた別の意味での化け物だ。

 少し様子を見るつもりだったが、早めにセッティングしたほうがいいだろう。


 驚くべき事に、エンドは学んでいる。さらなる力をつけ手に負えなくなる前に、この軍を喰らい尽くす前に土をつけるのだ。

 不思議な予感があった。さもなくばライネル軍は内から食い破られ、壊滅の憂き目に遭うだろう。

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