第十三話:腕試し②

 至近距離から見る鬼人は、凄まじい迫力だった。荒い吐息に、不思議な光沢を持つ鋼鉄の皮膚。強い熱気を感じる、もしかしたら体温が人よりも高いのかもしれない。


 だが、巨大な拳が上から落ちてきても僕は萎縮しなかった。


 屋台程巨大だった犬と比べれば、今更人型の生物がなんだろうか。

 みしりと肉が軋んだ。文字通り、鬼面が驚愕に歪む。


「馬鹿な……あり、えない……」


「なかなかやるじゃないか、チャンピオン」


 僕は拳を回避する事を選ばなかった。僕よりも一回り大きな鉄色の拳には凄まじい力が込められていた。

 だが、どうやら鬼人の力は凄まじいが――最高級の血をたっぷり吸って成長してきた吸血鬼程ではないようだ。


 手の平で受け止めた拳がみしみしと音を立てている。鋭い牙が見える鬼の顔には血管が浮き出て、強張っていた。だが、それほど力を込めても僕の身体は動かない。

 まだ平気だ。腕の太さも体重も体格も何もかもに差があるが、僕の方が強い。


 受け止めた拳を横に逸らす。その巨体が大きく体勢を崩す。開いた身体に一撃を叩き込もうとして、僕の身体は激しい衝撃と共に宙に吹き飛ばされた。骨が折れ、肉が歪む感触。

 宙を大きく舞い、床になんとか着地する。


 鳩尾に蹴りを受けたのだ。だが、痛みはそこまでないし、代わりに腹に一撃入れてやった。傷も、もう治っている。


「う、うおおおおおおおおおおおおおッ!」


 鬼人が咆哮し、地面を強く蹴る。だが、ボディに当てた一撃が効いているのか、その動きは先程よりも鈍く重心にもぶれがある。

 どうやら耐久や再生能力はこちらの方が上らしい。


 先程鬼人同士がやっていたように、真っ向から殴り合う。

 回避もできそうだったが、回避するまでもない。鬼人は爪や牙もあり、拳も骨ばっていて鈍器に近かったが、銀製ではないのだ。恐らくそれが彼らのやり方だから、同じようにやってやる。


 当てた数だけ、当てられる。視界がぶれ、肉が軋み、衝撃に身体が揺れる。頭に、肩に、腹に、足に、攻撃を受ける。

 だが、同じようなダメージを受けても、勢いが衰えていくのはチャンピオンだけだ。

 チャンピオンの気勢は勝利をもぎ取っただけあって激しかったが、肉体的な限界からは逃げられない。


 ついに顎に一撃を受け、頭を揺らされチャンピオンが膝をつく。

 脳を揺さぶられただけで動けなくなるとは、生体の何と不便な事か。


 もはや趨勢は決した。まぁ、ハンデはあったが、これで僕がチャンピオンだ。

 そして、まだ戦える。傷は癒えた、疲労もない。


 そして僕は、周りで固唾を呑んでこちらを見守っていた他の鬼人達に問いかけた。

 

「いい感じだ。次の挑戦者は?」 




§ § §



 強すぎる。目の前で繰り広げられた光景は事前知識のあったモニカにとっても信じられない物だった。


 優れた膂力で知られる鬼人オーガが、自分よりも頭二つ分小さい存在に力負けしていた。重力を味方につけ組み合わされた手の平は徐々に持ち上がり、鬼人側が顔が真っ赤になるまで力を込めても微塵も動かない。

 エンドの方は涼しい表情だ。当然である。その肉体は既に――死んでいるのだから。


 力量を測るつもりだった。だが、軽く確認しただけでもその力は魔王ライネル軍にとって天敵と成り得た。

 そもそも、優れた再生能力と怪力を誇るオリヴァーが恐れるような相手である。


 物事には相性がある。アンデッドと人間と魔王軍は三すくみの関係にある。

 優れた身体能力を持つ種が多い魔王軍は人間を圧しがちだ。たとえ相手が終焉騎士だったとしても、そう易易と敗北したりはしない。だが、その反面、この世ならざる存在――優れた身体能力と再生能力、疲労とは無縁な肉体を持つ高位のアンデッドには滅法、弱い。


 何故ならば、悪魔であるモニカは別だが、魔王軍を構成する大抵の種族にとって、力とは誇りだからだ。

 吸血鬼はその莫大な力の代償に多くの弱点を持つが、それをつくことを魔王は是としない。武器を銀に変える事くらいはやるだろうが、流れる水や十字架、にんにくを使うなどもってのほかだ。そんなものを使ってしまえば、自らが見下している人間と同じ存在に成り下がってしまうと考えているのだ。


 鬼人の戦士とエンドの戦いは一見拮抗しているように見えた。

 振り下ろした鬼人の拳はエンドの身体を穿ち、易易と吹き飛ばした。エンドの蹴りは鋼鉄並の硬さを誇る鬼人の身体を強く軋ませた。

 力だけならば吸血鬼の方が上のようだが、鬼人の強みは決して怪力だけではない。


 エンドの戦闘技術は素人目に見てもそこまで高くはなかった。だが、たとえ技術が稚拙でも、耐久が違い過ぎる。

 鬼人は人間を遥かに越えた再生能力を誇るが、吸血鬼の再生能力は更にその上を行く。相対した鬼人の戦士の動きが徐々に鈍っているのに反して、エンド・バロンの動きは最初と比べて一切変化がなかった。


 頭に一撃を受けても、身体を殴り飛ばされても痛痒の欠片も見せる事なく襲いかかってくる。


 これは…………勝負にならない。

 恐らく、この吸血鬼は連続で百体の鬼人を相手にしても全く問題ないに違いない。まさしく、一騎当千だ。おまけに、エンドはまだ吸血鬼の持つ異能を何一つ使っていないのだ。


 勇猛果敢で知られる鬼人の表情が畏怖に歪む。

 まだ、モニカにはエンドがどれほどの力を誇るのかわからない。だが、この魔王軍でもその存在に匹敵する者が果たして何人いるか。


 食われる。全てを戦いで決めるこの軍で、疲労やダメージとは無縁の吸血鬼は最悪だ。

 それに準じた力を持つオリヴァーが反抗する全てを力で黙らせたように、その存在は瞬く間に広まるだろう。そして、こういう時に限ってオリヴァーは使い物にならない。


 ライネルは強力な魔王だ。相手が吸血鬼だったとしても、そう簡単に負けたりはしないだろう。だが、反面、自らの決めた弱肉強食の掟を反故にするような性格ではない。


 ついに受けた拳に耐えきれず、鬼人の男が膝をつく。

 歓声はなかった。戦に誇りを持つ鬼人達が完全に呑まれていた。これは勝負と呼べるほどのものではない。


 幸いなことに、殺したりはしないようだ。吸血鬼が凶悪な事は有名だが、モニカが何度も強く言い聞かせたのが功を奏したのだろう。

 うまく立ち回れば味方になってもらえる可能性もある。エンドがいれば、他の魔王軍相手でもかなり有利に立ち回れるだろう。

 打算を張り巡らせるモニカの前で、エンドがやや能天気にも聞こえる声をあげた。




§ § §




 戦える。戦えるぞ。

 鬼人は力が強く、俊敏だった。だが、今の僕程ではない。

 耐久もあり、傷の治癒速度もかなり早いようだった。だが、今の僕程ではない。


 チャンピオンを叩きのめした後、挑んできた鬼人のチャレンジャーを迎撃する。

 五人程叩き伏せたところで、挑戦者がいなくなり、僕は手を止めた。


 どうやら吸血鬼の肉体というのは僕が考えていた以上に高性能なようだ。

 弱点に目をつぶればの話だが、鬼人程度ならば何体同時にかかってきても問題なさそうである。


 もちろん、相手は本気ではないだろう。

 相手は武器を持っていなかった。銀の武器を持っていたら僕にダメージを与えられるし、そうでなくてもばらばらにされれば行動不能になる。

 だから、そこまで余裕でいられるわけではないが、僕だってまだ本気ではない。


 ライネル軍は僕にとって格好の訓練の場になりそうだった。

 人型の生き物と戦った経験は余りないし、ここには多様な妖魔達がいる。人外の膂力を持つ鬼人達の戦闘技術は僕にも応用できるだろう。

 魔王軍の中には今の僕よりも強い者もいるはずだ。別に強さに重きを置くわけではないが、なるべく経験を積んでおきたい。

 思うに、僕はこれまで運が悪すぎたのだ。


「鬼人をあれだけ連続で叩きのめすとは、凄まじい力です。この軍でも……大抵の相手ならば、圧勝でしょう」


 遠巻きにこちらを観察していたモニカが称賛の声をあげる。だが、その内心は匂いから明らかだった。

 言葉を選んでいるのを感じる。こちらの悪感情を刺激しないようにしているのかも知れない。


「強い相手と戦いたいな。僕は戦闘経験があまりなくてね」


「…………一つ、心当たりがあります。生きた人間を欲するならば、絶対にぶつかる事になるでしょう」


 モニカがぞくりとその身を震わせ、真剣な表情を作る。そして、予想外の事を言った。




「今、この軍には貴重な――終焉騎士の捕虜が一人います。それを賭けた戦いに、幹部の一人……『人食い』が出るはずです。『人食い』を下した時、エンド様はこの軍でも一目置かれる事になるでしょう」

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