第三話:隊商③

 一瞬、僕とセンリの行為が覗かれていたのかと思った。だが、違った。


 身の毛もよだつような悲鳴に、僕の下で顔を真っ赤にしていたセンリが真顔に戻り、するりと下から抜け出すと、剣を取って天幕から駆け出す。

 僕は少しだけ情けない気分だったが、犬の姿になってその後に続いた。


 夜の荒野に生暖かい風が吹く。犬形態になり強化された僕の鼻はむせ返るような臭いを捉えていた。強い血の臭いだ。

 これまでの長旅で負傷者は何人も出ていたが、この臭いはそういうレベルではない。


 センリの後をついて駆ける。他にも休んでいた傭兵が悲鳴を聞きつけ、合流してくる。


 そして、臭いの元にたどり着いた。


「ッ……これはッ!?」


「ひ……ひでえ」


 

 そこに広がっていたのは惨状としか言いようのない光景だった。


 もはや何人いたのかもわからないくらいにばらばらに散乱した肉と骨。飛び散った血は水たまりをつくり、風で真紅のさざなみが立っている。


 集まってきた傭兵の一人が、その有様に一歩後退する。飛び散った血溜まりが僕の白い毛に付かないように注意して歩く。


 近くにはグスター商会の馬車が残されていた。十人ほどの従業員を持つ中堅の商会だ。


 ここは……グスター商会の休憩拠点だったのか。

 今回参加している商隊は十を越える商会から構成された大規模な物だ。互いにそこまで離れるわけではないが、商会によっては秘密もあるので、休憩時は大体、商家単位、商会単位で固まって休む。

 もしも万が一、襲われた場合は即座に助けを呼ぶはずだったのだが、どうやら意味はなかったようだ。


 生きているものはいなかった。見張りや護衛の傭兵もいたはずだが、ばらばらに散らかされた肉片から見るに全滅したのだろう。

 転がった半分かじられた男の首は記憶にある傭兵の一人のものだ。馬も殺され、略奪されていない馬車だけが残っていた。


 さすがの僕の嗅覚でも、めちゃくちゃに混じり合った肉片からは何人死んだのか把握することはできない。

 だが、僕は休憩中に全ての商家を回ったので、見知った顔もいたはずだ。それが判別がつかないのは幸運だろうか。

 僕は小さく鳴き声を出し、僕に色々恵んでくれていたであろう優しい商人の死を悼んだ。


「獣か……? 人ならば、荷物が略奪されているはずだ」


「だが、ただの獣にしては――悲鳴を上げたのは、お前か?」


 傭兵の一人が、惨劇の場の近くで腰を抜かしていた妙齢の女性に話しかける。


 質素な格好をしているが、整った目鼻立ちをした赤毛の女だ。その顔は化物でも見たかのように蒼白で、手足がかたかた震えている。

 息が詰まっているのか、そのほっそりとした体つきとは裏腹に豊満な胸元が激しい呼吸に大きく上下していた。


「商隊長を呼んでくる。まだそれをやった相手は近くにいるかもしれんッ! 警戒を怠るな!」


「大丈夫か? 何があった……?」


 一人の傭兵が他の商会の休憩地点に駆け出し、他の者たちが惨状の目撃者に近づく。


 死体を遠目に窺う。

 人間をばらばらにするなど、余りにも暴力的で……余りにも無駄だ。人間が人間を殺すのならばもっと効率的な方法がある。

 出来た傷跡は剣によるものではない。牙や爪によるものだ。アルバトス程の大きな獣だったらこのような光景が出来上がるだろうか。


 外の世界は危険でいっぱいだ。護衛も商人もそれを覚悟の上で行動しているのだろうが、こうしてみると命のなんと儚いことか。


 だが、ただ呆然とはしていられない。 


 僕は、前に立つ険しい表情をしたセンリの脚をちょいちょいと前足で叩いた。

 センリが僕を見下ろす。僕は第一発見者の女の方を見て、小さく鳴いた。今の僕は言葉をしゃべれないが、僕の言いたいことがわかったのか、センリの表情が変わる。


 強い血の臭いがした。

 血や肉が飛び散っているその場からは当然するが、何よりも――傭兵達に囲まれ、嗚咽を漏らす唯一の目撃者であるその女性からもする。


 目撃者の女性の衣類に血や肉は付着していない。本人の身体に流れる血の匂いではない。

 口と爪だ。人間の嗅覚ではわからなくても、犬の僕からすると明らかだ。


 何より、女性の演技は歴戦の傭兵でも気づかないくらいリアリティに溢れていたが…………『恐怖』の匂いがしない。

 僕にはわかる。恐怖の匂い、怒りの匂い、喜びの匂い、悲しみの匂い、快楽に身を震わせる時の匂いも。


 センリが前を見て、すらりと腰の剣を抜く。

 逡巡はほとんどなかった。他の傭兵数人に囲まれ、肩を取られて立ち上がりかけていた女性に向ける。


「…………貴方、何者?」


「!? な……何の話、ですか!?」


 女性がぶるりと身を震わせ、大きく目を見開き聖なる剣を凝視する。

 勝利の女神として知られつつあったセンリの鋭い声に、肩を貸していた傭兵が唖然とする。

 センリが無数の視線の中、いつも通りの平坦な声で言った。


「貴方からは、人間の臭いがしない。…………バロンの鼻は、ごまかせない」


「……きゅーん」


 センリが地味に僕のせいにしようとしていて、思わず悲しげな声で鳴く。

 人間の臭いがしないなんて言ってない。血の臭いがすると、僕は言ったのだ。どうやら心が通じていると思っていたのも気の所為のようだ。

 後でじっくり血を吸って心を通わせないと。


 肩を貸していた傭兵が腕を振りほどき、慌てて離れる。女はいきなり支えを失っても、倒れる事はなかった。

 センリの薄紫色の目を愕然と見返している。


「捕縛する。異議があるなら、身分証明書を出すといい。仮にグスター商会の人間なら、名簿に名前があるはず。誤りだったら……謝罪する」


「ッ……」


 女が息を飲む。今にも倒れそうな足取りで数歩後退った。


 何を言われているのかわからない、全ての希望を奪われたような表情。


 その余りにも弱々しい姿に、近くで様子を窺っていた傭兵の男がセンリの方を見て口を開きかける。


 その瞬間、女の腕が男の身体を貫いた。


 それは疾風のような速度だった。鈍い音がした。

 短いくぐもった声。傭兵の男が目を見開き、金属の鎧を貫き自らの身体から突き出た細い指先を呆然と見下ろす。


 僕でも回避できるかどうかわからない、凄まじい速度だ。


 センリが駆け出す。女は腕をすばやく抜くと、まだ状況が理解出来ずにいる近くの傭兵に回し蹴りを放つ。


 二回りも大きな身体がまるで紙切れか何かのように吹き飛ぶ。人体から聞こえてはいけない何かが弾けるような音がした。


 振り下ろされたセンリの剣を、女は数歩後退り回避する。

 表情が一変していた。先程まで浮かべていた弱々しげなものから残虐性を感じさせる深い笑みに。


「ッ……魔族だッ! 魔族が出たぞッ!!」


 今更我に返った他の傭兵たちが助けを求める声をあげる。だが、女が見ているのはセンリだけだ。

 女が唇を歪め、目を細めセンリを見る。先程までは茶色だったはずの目が、金色に変わっている。


「ふん。よく気づいたね。だが、私を追ったら――こいつらが死ぬよ?」


「ッ!?」


 センリが裂帛の気合を込めて剣を振るう。銀の線の如き鋭い斬撃が一秒で数本奔る。だが、女はその全てを軽やかな身のこなしで回避した。

 アルバトス程の運動能力ではなさそうだが、十分に人外じみた動きだ。


「まだ、ぎりぎりだが、生きてる。すぐに回復魔法をかければ、助かる、かも。どうする?」


 その言葉は正しかった。致命傷ではあるが、身体を貫かれた男も蹴り飛ばされた男もまだ生きている。

 いや、女はあえて、そうしたのだろう。センリの動きを止めるために。


 女が反転し駆け出す。大きく跳び、僅か一歩で数メートルを駆け抜ける。

 その小さな姿が瞬く間に闇の向こうに消える。


 回復魔法の使い手は少ない。この隊商でも一人か二人だろう。

 実力もセンリより遥かに下だ。待っていたら死者が出る。センリの性格を考えれば選択肢は一つだった。


 センリは追撃を選択しなかった。


 躊躇いなく剣を納め、血溜まりの中倒れる傭兵を助け起こし、回復魔法をかける。

 彼女の回復魔法は強力だ。己の正のエネルギーを注ぎ込むことで死んでなければ致命傷でも回復できる。例外的に自分には効きにくいようだし、原理的に僕に使われると死んでしまうが、今回はその力はしっかりと働いた。大きく開いていた傷穴がみるみる塞がり、顔色が回復する。


 傭兵に呼ばれ、商人たちが集まってくる。

 僕は鋭い目つきで女が逃げていったほうを一度睨みつけ、こっそり地面に飛び散った血をぺろりと舐めた。

 そしてその苦い血の味に手足をぷるぷる震わせた。


 やはり犬の姿では血を吸えないらしい。それに、勿体無いことにこの血は生命力が全て抜けてしまっているようだ。


 何者かは知らないが、あれは敵だ。


 臭いは覚えた。僕にお菓子やご飯をくれた商人を殺した。

 それに、せっかくいい雰囲気だったのに僕とセンリの逢瀬を邪魔するなんて……絶対に許せない。

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