第十八話:帰郷②

 『父さん』の表情の変化は激的だった。そして、僕は今更、自分の予想が少し感情的で、歪んでいた事を自覚した。


 感動的な再会になるとは思っていなかった。だが、冷静に考えると――先日死んだはずの息子が帰ってくるというのはどういう気分だろうか?

 おまけに、その息子は奇病で長年の苦しみの果てに亡くなっており、自分は死ぬ前数年間、見舞いにすら行っていなかったのだ。僕はその事実に大して何ら恨みを抱いてはいないが、向こうはその事を知らない。


 そして、この世界の死者というのは――時に、生者への深い怨嗟に突き動かされ襲いかかってくる者なのである。


 突然、夜中に死んだ息子が来訪してきたら、たとえ男爵バロンの位を預かっている男でも正気ではいられまい。


 父さんは最初、暗い窓の外から覗く僕を見て目を見開き、呆然として、次にさっとその顔から血の気が引いた。

 そこに、僕の考えていた厳格な男はいなかった。その表情に僅かな恐怖を感じ取り、僕はすとんと腑に落ちたような心地になった。

 ショックはなかった。もしかしたら、アンデッドの身体は僕の精神に少しの変質を与えていたのかもしれない。痛みに鈍感になっているのだから、精神的な衝撃に鈍感になっていてもおかしくはない。


 慌てふためき悲鳴を上げないだけ、フォメット男爵はマシだったと言える。そんな事を考えてしまえるほど、僕は落ち着いていた。


 数度窓をノックすると、少し冷静になったのか、ルドー・フォメットは恐る恐る窓の近くによってきた。

 悪夢でも見ているかのような表情だった。身を縮め窓に張り付く僕を見て、僕の顔をまじまじと観察して、震える声で僕の名を呼ぶ。


「ば、馬鹿な…………ありえない。リエル――お前は、死んだはずだ」



 久しぶりに呼ばれた気がする。死ぬしばらく前から僕の名を呼ぶものなどいなかったので、数年ぶりかも知れない。

 リエル・フォメット。それが僕の生前の名だ。そして、恐らく今後使われる事のない名でもある。


 確認するように、ルドーが言う。


「荼毘に付し弔いも終えた。リエル……お前は、一年前に死んでいる」


「……ああ、父さん。死に気づいていないわけじゃない。お願いが、あってきたんだ。入れて欲しい」


 眼の前にしてもやはり恨みの感情は出てこなかった。それを、僕は喜ぶべきなのだろう。

 もしかしたら、センリのおかげかも知れない。僕はもう既に新たに大切なものが出来ているのだ。


 感情を露わにしない僕に落ち着きを取り戻したのか、少しだけその顔色が戻る。


「お前は……私を、恨んでいるのか」


 低い押し殺したような声。それは、この父の中にある不安と後悔を示していた。

 何度も言うが、恨みなどない。期間は短かったが、僕は確かに目の前の男に様々な物を与えられたのだ。


 彼は見舞いには来なかったが、治る見込みのなかった僕を見捨てる事はなかった。

 看護を止める事もなかったし、望めば沢山の本を用意してくれた。きっと七人いる子供の中でも特別大金がかかっていたはずだ。


 だからこそ、僕は死んだ後も平静を保っていられる。僕が怨嗟の感情に突き動かされていないのは僕が優しいのではなく、彼が僕をそういう風に育てたからなのだ。


 そして、彼が僕を荼毘に付したというのならば……僕の死体をどこかで差し替えて売り飛ばした者がいるみたいだな。

 まぁ、今更どうでもいいことだけど。


 僕の頭は生存のために回転を始めていた。


 境遇を恨むな。それは、父さんの教えの一つだ。

 恨むより先に考え行動しろ。まだ十にも満たなかった、奇病に侵された子供に与えるにしてはやや難しい言葉な気もするが、こうして僕を生かしているのだから年長者の言葉は聞いておくものだ。


 昔の僕にそっくりな黒の目を、血のような赤に変わってしまった目で見上げる。


「恨んでなんかいない。父さん、怖いなら部屋に入れなくてもいいから、話を聞いて欲しい」


「……ああ、今日は……なんて夜だ…………入るといい」


 父さんはまだ青ざめていたが、小さく嘆息すると、窓を開けて招き入れてくれた。




§ § §



「……行った、か」


 窓から飛び降り、闇に消える息子を見送り、ルドーはどさりと椅子に腰を下ろした。

 強い虚脱感と疲労が全身を襲う。


 末恐ろしい息子だった。

 リエルという息子に対するルドー・フォメットの評価は、そうなる。


 ようやく十になるかどうかというところで発症した病は息子から全てを奪った。

 原因不明。魔法を使っても、いかなる名医を呼んでも決して快癒することがない病。発症者が少ないため研究も進んでおらず、そして発症者は数年の内に衰弱し命を落とす。例外は――ゼロだった。


 純粋に肉体が、魂が死に向かって落ちていっているような有様からつけられた病名が――死魂病。


 感染はせず、遺伝の可能性も低い。運が悪かったと思うしかなかった。何故息子にそのような苦難が訪れるのか、苦悩した事もある。


 だが、息子は泣き言一つ言わなかった。すぐに歩けなくなり、全身に痛みが奔っているはずなのに、恨み言の一つも漏らさなかった。恐らく内心は様々な感情が巡っていたはずだが、ほとんど表に出すことはなかった。

 介護を担当する医師から称賛される程に精神が強かった。


 そして、しかしその本来褒められるべき気質が不気味に映るようになるまで時間はかからなかった。

 その瞳は死を前にして決して諦めていなかった。死ぬと聞いて、一年が経ち、二年が経ち、三年が経ってもまだ死ななかった。


 介護のための金銭が惜しかったわけではない。フォメット男爵家は特別裕福なわけではなかったし、定期的に大都市から魔導師を呼んで回復魔法をかけて貰うのには大金が掛かったが、そんな物はどうでも良かった。


 ただ、病に抗う息子の様子が怪物に見えた。そして、恐らくそれはルドーだけでなく、息子を看護し長く見ている者たち全員の見解だった。生き続ける息子を奇跡だと称した医師はすぐに言葉を翻した。見舞いの足は遠のいた。


 あり得なかった。濃厚な死の気配に包まれそれでも抗うその姿は常人には見ていられない程凄惨で、異常だった。


 死んだと聞いた時にルドーが真っ先に得た感情は強い安堵だった。

 ようやく息子は安らかに眠れたのだと安堵し、弔った。息子を嫌っていたわけではない。他の子どもたちと同じように愛していた。だが、そういう感情を抱き続けるにはその息子は、あまりにも強すぎた。



 そして、しかし何者かの陰謀によって、リエルは再び死から蘇ってしまった。今度は――真性の怪物として。


 窓から顔を覗かせた息子は、生前の姿と何一つ変わらなかった。身体は少し成長していたが、それだけだ。


 見捨てたと取られても仕方のないルドーに対して恨み言一つ言わず、穏やかな気質に変わりもなかった。だからこそ、その異常性がはっきりわかった。


 弔ったつもりだった。フォメット領では――それ以外の場所でも同様だが、余程の理由がない限り、死者は荼毘に付し弔うのが通例になっている。

 当然、ルドーもそうした。荼毘に付し灰と骨となった息子が墓に納められるのをこの目で確かに確認した。だが、リエルの言葉が真実ならば――死体を途中ですり替えた者がいるのだろう。死体が運ばれ焼かれるところまでずっと確認していたわけではないから、不可能な話ではない。


 とんでもない大罪である。絶対に下手人を探し出さなくてはならない。


 だが、それ以前にリエルからの要求にどう答えたものか……答えを保留にし、息子の出ていった部屋で、ルドーは頭を抱える。


 数奇な運命だ。死魂病に侵されるだけでも滅多に起こる事ではないのに、よもや記憶を保ったままアンデッドとなるなど、話せば馬鹿な事をと笑われるような内容だ。

 だが、アンデッドは生前の気質を色濃く反映するという。記憶が残ったまま復活するなど創作でしか聞いたことがないが、リエルが抱いていた生への執着は記憶を保っていてもおかしくない程尋常ではなかった。


 そして、実際に現れた少年は息子そのものだった。


 たとえ死んだとしても、リエルは息子である。親として思うところはある。

 息子の要求は内容としては決して難しい事ではなかった。地方とはいえ、ルドーは領主だ。隠れ家を内密に用意することなど造作もないし、生活用の物資を届ける事も可能だろう。完璧ではなくても、箝口令を敷くこともできる。


 だが、問題は――アンデッドの隠蔽が大罪であるという点だ。

 アンデッドは浄化すべき対象である。死の力を集め飛躍的に強くなる性質から、放置すれば取り返しのつかないことになる可能性もある。

 その隠蔽がバレればたとえ貴族でもただでは済まない。ましてや、息子には既に追跡者がいるらしい。


 ルドー・フォメットがフォメット男爵家の当主として第一に考えるべきは、家の存続だ。先祖代々引き継がれてきたフォメット家を当代で絶やすわけにはいかない。その双肩には一族の命運がかかっている。


 一晩悩み、太陽が顔を出しても結論は出なかった。


 常識で考えるならば、すぐさま終焉騎士団に連絡するべきだ。

 いくら息子でもアンデッドはアンデッドなのだから、連絡しても誰もルドーを咎めはしないだろう。憐憫を抱かれるかも知れない。息子さんが死霊魔術師の手にかかるとは、なんとお気の毒に、と。


 だが、あれは確かに息子だった。一度はその恐るべき生への執着に恐怖を抱いたこともあったが、一人の父親としてわかる。あれは間違いなく自分の子供だった。一度救えなかった息子が救いを求めてやってきたのだ。


 馬鹿な事だ。リスクが高すぎる。だが、あの息子もそれは理解しているはずだ。それでも、頼ってきたのだ。


 果たして――それを見捨てて、胸を張って父親だと言えるだろうか。

 貴族の一員として胸を張って生きていくことができるのだろうか。


 深い身も焦がすような葛藤の末、ルドーは決めた。


 やはり、領内に置いておく事はできない。あまりにも危険過ぎる。

 だが、資金や物資を融通することくらいならばできるだろう。消極的だが、それも息子の助けにはなるはずだ。


 後は、知らなかった振りをすればいい。アンデッドが人に交渉を持ちかけるなど、本来ありえないことだ。

 下手人は、息子の魂の安息を阻んだ者は男爵の名に掛けて始末する。死体の売買は重罪だが、特に貴族の子息の死体を売り払うなど決して許されないことだ。


 決断を下し、人を呼ぼうと声をあげようとした瞬間、ノックもなく扉が開いた。


 現れたのは大きな黒い犬を連れた黒尽くめの男だった。



「心中、お察しする、フォメット男爵。墓に刻まれた名からもしやと思ったが――まさか、貴き血を引くアンデッドだったとは……くっくっく、貴族の死体が良い素材になるというのは、あながちただの迷信でもないという事、か……」



 何者だ!? どうやってここまで入ってきた!?

 叫び声を上げる前に、胡乱な目つきをしたその男が深い笑みを浮かべる。




「卿の悩みの解決、私が請け負おう。もちろん報酬は頂くが――私はカイヌシ。この犬はアルバトス。諦めの悪い追跡者という奴だ」


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