第十七話:帰郷
特に怪しまれる事なく街に侵入し、宿で作戦を練る。
既にフォメット男爵領に入っていたが、街並みに見覚えはなかった。
街は無意味に土地だけが広く建物はまばらで、全体的に牧歌的な雰囲気が漂っていた。特に警備の兵士が多いわけでもなく、観察すると住人のほとんどは農民と商人が占めているようだった。
強敵で知られるアンデッドが侵入するなどとは想像もしていないようだ。平和な証だろう。少し平和ボケしているとも言える。
話は一人でしに行くつもりだった。相手は地方とはいえ、領主である。警備もつけているだろうし、センリに僕の弱みを見せたくはない。
もちろん、僕がここに来た時点で彼女は知ろうと思えば、僕の生前の身の上を知る事ができる。僕には合計で七人の兄弟姉妹(姉はいなかったが)がいたが、最近死んだのは多分、僕だけだ。
生前の名前を隠しているわけではない。僕に対する絶対支配権を持つロードが消えた時点で、恐らく明かしても問題のない情報だ。
僕がエンドの名を使い続けているのはロードに対する一種の義理と、エペや吸血鬼狩りが家名を元に実家を襲う可能性があるからだ。無意味な事だ。実家を人質に取られても、僕は平気だ。せいぜいほんの少し嫌な思いをするくらいだろうか。
僕の肉体は吸血鬼になりかなり発達した。身長も少し伸びたし、筋肉もついた。だが、顔は変わっていない。親ならば――見分けられるだろう。見分けられなかったらその時はその時だ。
しっかりと身体を洗い、髪を梳かし、服装を最低限見咎められないレベルに整える。
『光喰らい』は持っていかない。ただの人間ならば腕力に物を言わせて撃退できるし、死んだ息子が武器を持って押し入ってきたら流石にゾッとするだろう。
「エンド……貴方は、とても……勇気がある」
「成功率は低いと思う?」
「…………思う。まず、成功しない。アンデッドは……人間の敵、だから」
センリはとても正直者だ。紫の瞳が真摯に僕を見上げて言う。
僕とて、諸手を挙げて歓迎されるなどとは思っていない。
その時は逃げるだけだ。今までとは何も変わらない。僕は、もう自由だ。
「でも、エンド……貴方ならば、受け入れられるかもしれない。貴方は、極めて高いレベルで自我を保っている。幸運を……祈ってる」
「ああ、ありがとう、センリ」
「…………血は……足りてる?」
センリが躊躇いを浮かべながら確認してくる。どうやら、センリは僕に対して哀れみを抱いているらしい。
不要な感情だ。僕は悲劇に慣れている。不治の病にかかり、そして死を乗り越えた僕に精神的な死角は存在しない。多分。
センリの顔色はここ一週間でだいぶ血の気が戻ってきた。失われた血が生成されたのだろう。
いくら身体能力や耐久に自信があっても、センリは人間だ。もっとシンプルに言うと、血を失い過ぎたら死ぬ。
この間たっぷり吸わせて貰ったので、僕はまだ大丈夫だった。飲みたくないわけではないが、病み上がりのセンリに無理をさせるべきではない。
しかし、こうしてみるとだいぶ精神的に距離が近づいている気がする。絶え間なく追われる立場だったのもあるかもしれないが……僕の作戦が功を奏しているな。
ペットみたいな扱いをされてる可能性もあるが……首筋を噛ませてくれるなら僕はそれでも何ら構わない。
「大丈夫。でも、抱きしめてくれる?」
僕の要望にセンリは目を丸くしたが、すぐに腕を差し出し受け入れてくれた。
§
明かりのほとんどない夜を、足音を立てないように走る。
少し力を入れるだけで凄まじい速度が出た。ただの人間ならば近くを通っても強い風が吹いただけだと勘違いするかもしれない。
屋根も容易く飛び移れるし、疲労もない。
「??」
「どうした?」
「いや、今何か……物音がしたような」
「? ……気の所為だろ。何も聞こえなかったぞ」
兵士の格好をした男達が顔を見合わせ、首を傾げる。街の巡回でもしているのか。僕は物陰に潜み、訝しげな表情をする二人組をやり過ごした。
位階変異する一つ前、僕が結局通り過ぎてしまった『
『
『
屍鬼の時に得た能力は今も使える。『
だが、今の所、どうやって使用すればいいのか見当もつかない。他の『
物陰を経由しながら、街で一番大きな領主の屋敷に向かう。
屋敷はぐるっと高い塀で囲まれていた。警備も緊張感こそ薄いが、複数人が巡回しているようだ。
僕は強い。多少鍛えられてはいても、弱点を突く武器を持たない警備兵など何人いても話にならないだろう。
天敵ばかりが絶え間なく襲いかかってくるので忘れそうになるが、僕は世間では広く怖れられている吸血鬼なのだ。まだ
強く地面を蹴ると、侵入者避けに棘がついている塀を軽々と越える。足音一つ立っていない、完璧な隠密性だった。
人の侵入しか想定していないのだろう。そもそも真性の吸血鬼は蝙蝠や霧に変化できるので、対策を練ってもキリがないというのもあるのかもしれない。
ともあれ、広い庭を駆ける。父であるフォメット男爵の書斎は一番奥にあるはずだ。
屋敷はとても懐かしかった。奇病にかかってからは本宅から別荘に移されたので死ぬ直前数年間は屋敷を見る事はなかったはずだが、こうして眺めてみると記憶に残っているものだ。
感傷に浸るのもほどほどにして、屋敷の近くまで来る。
屋敷の玄関、閉ざされた扉が目に入った瞬間、とても――嫌な感じがした。
家主が侵入を拒んでいる。吸血鬼の呪いが発動している。
予想はしていた。僕は既に死んだのだ。死んだはずの息子を迎え入れるなど、常軌を逸した行動だろう。
だが、その事実に少しだけショックを受ける。赤の他人のセンリが受け入れてくれていたのだから、尚更だ。
僕はまだ呪いが弱いので、無理をすれば押し入ることも出来るだろう。扉は鍵がかかっているだろうが、僕の膂力ならば無理やりぶち破る事もできる。
だが、僕は強盗をしにきたわけではない。騒ぎになるのは望むところではないし、僕はクレバーな怪物なので、拒絶されたからといって自棄になったりもしない。
少し考え、裏から回ることにする。書斎は三階だが、窓があったはずだ。この時間ならばまだ仕事をしているだろう。
早く宿に戻ってセンリに慰めて貰いたい。
果たして、書斎には明かりがついていた。暖かな光が窓から漏れている。手すりなどはないが、吸血鬼ならば張り付くのは造作もないことだ。
改めて覚悟を決める必要はなかった。既に覚悟は決めてきた。元家族とはいえ、今の僕は侵入者だ。時間はない。
兄弟に会いたい気がしないでもないが、まぁ潔く諦めよう。
爪を伸ばし、それを壁に突き刺し、音を立てないように登る。窓から覗いた書斎は、僕の記憶とほとんど変わっていなかった。
壁際に並んだ大きな本棚に、趣のある茶色の絨毯。天井には小さなシャンデリアが掛けられていて、広い部屋は暖かな光で満たされている。
そして、大きな机の前に座る人影も僕の記憶とほとんど変わらない。
少し髪に白が混じった気もするが、記憶にある父親――ルド―・フォメットそのものだ。
痩身だが肩幅は広くがっしりしており、黒髪黒目、少し冷徹に見える目つきはどこか僕のそれと面影がある。窓のあるこちらに背を向け、一度横を向いたが、背後から見つめる僕に全く気づく様子はない。
しばらく目を細めて観察する。
傍目から見るといかにも仕事ができそうな男だ。実際息子だった僕から見ても、決して悪い父親ではなかった。こうして眺めながら冷静に考えると、僕の死体を売るような男にはとても見えない。
さて、なんと挨拶したものか。
僕は首を傾げると、何も考えずに窓を軽くノックした。
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