第十三話:吸血鬼狩り

 僕の目的は生存だ。少しでもその可能性が高くなるのならば、あらゆる手段を使う。


 どうして、いくら喉から手が出るほど欲しい『夜の結晶』とはいえ、相手のフィールドにのこのこやってくるだろうか。

 ありえない。いくら周りに人を置き時間を僕に有利な夜に設定し、害意がないことを示していたとしても、相手は夜の眷属を狩るプロフェッショナルだ。


 これまで様々な強敵を見てきた。僕は――少し血を吸っただけでそいつらと渡り合えると思うほど、自惚れていない。


「……謀った、か」


 感情を声に出さず、カイヌシが眉を顰めて言う。

 アルバトスが振り向き、今にも飛びかかっていきそうな目で声の主を睨みつける。


 センリはカイヌシとアルバトスの後ろに立っていた。


 深いフードで髪を隠し、伊達メガネで変装している。だが、その抜き身の刃のような鋭い視線と、終焉騎士の証である剣の切っ先はピタリとカイヌシに向けられている。

 まだ万全ではないが、彼女には日が暮れないうちに酒場に潜入してもらっていた。恐らく、カイヌシやアルバトスよりも更に先である。


 僕と吸血鬼狩りの取引を見守ってもらうためだ。何事もなければ出てくる予定はなかった。


 だが、僕は最初から攻撃を仕掛けられることを確信していた。平和的交渉を仕掛けてきた時はどうしようと思ったが、恨みとはそう簡単に消える物ではない。


 センリの肌はゾッとするほど血の気がなかった。

 怒りのためか、あるいは僕がちょっとだけ甘えて血を吸いすぎてしまったためか。

 ついつい恥ずかしい台詞を言ってしまったが、どうやら気にしてはいないようだ。


 僕などとは比較にならない力を持つ二級騎士に刃を向けられ、しかし二人からは戦意は消えなかった。

 アルバトスが歯を剥き出しにして、センリに言う。


「誑かされたか……淫乱女め」


「アルバ、やめろ。彼女は我々の殲滅対象ではない」


 カイヌシが小さく肩を竦める。だが、その目つきは物騒な相方に負けず劣らず冷たい。その手も十字剣を握ったままだ。


 僕の知識の中で、吸血鬼狩りは終焉騎士に一歩劣る。だが、なんだろうか。この余裕は。

 センリが現れた時点で撤退すると思っていた。まさか、まだ策があるのか。


「だが……滅却の秘蔵っ子。少々……お遊びが過ぎる。理解しているのか? その吸血鬼はまだ下位だが……ホロス・カーメンにより生み出された特異個体――『始祖アンセスター』だと言うではないか。……わからんな。終焉騎士が、その危険性を理解できないわけでも、あるまい」


「…………」


 『始祖アンセスター』。聞いたことがない単語だ。図鑑にもなかった。

 だが、センリが口を挟まないということは、彼女たちの世界では常識なのだろうか。


 カイヌシは刃を指先で撫でながら、淡々と続ける。


「何が仕込まれているかわかったものではない。まだ、怪物になりきらない内に、殺さねばならない。くっくっく、新たな始祖が現れたら、大勢の、被害者が出る。私は別に、構わないが、な」


「…………まだ、彼は、私以外誰も噛んでいない。理性も残っている。もしかしたら、失わないかも知れない」


「それは――」


 カイヌシの表情が変わった。


 顰めっ面を作り、大きくため息をついて、吐き捨てるように言う。


「――とても、厄介な話だな。それが特性ならば、これまで確認された『始祖アンセスター』の中でも……最悪だ。世界を侵す毒になり得る。二級の死霊魔導師の考えそうなことだ。センリ・シルヴィス、その特性が伝播すれば一大勢力になる。お前は……最悪の吸血鬼でも、育てているのか?」


 センリの表情に一瞬、強い迷いが過る。


 目と目が合う。だが、僕は何も言わなかった。僕に言える事はない。

 始祖が何を指しているのかも、最悪の吸血鬼の意味もわからない。ただ、信じるだけだ。


 沈黙は数秒だった。センリが眉を顰め、押し殺すような声を上げる。




「…………帰って。彼は……私が見張る」


「……くっくっく、交渉決裂、か……残念だ。アルバ――」



 カイヌシはその答えを聞いても動揺の欠片も見せなかった。

 傍らのパートナーに短く指示を出す。


「そこの哀れな『吸血鬼の花嫁』を捕らえろ。なるべく傷つけたくはなかったが……半殺しにして構わん」


「ッ…………断る。私は、そこの吸血鬼を、殺すッ!!」


「…………冗談はやめろ。お前は、ただの人間の私に、終焉騎士と戦えと言っているのか? いいから行け。さっさと捕らえたら、狩りを手伝わせてやる」


 信じられない。こいつら、センリと戦うつもりか。


 完全に予想外だった。センリは制限有りでも僕よりも強い上に、僕のように明らかな弱点もないのだ。


 アルバトスが片手で巨大なテーブルを持ち上げ、それをセンリに向けて軽々と投げる。

 身体はそこまで大きくないのに、もしかしたら僕に匹敵し得る膂力だ。何かカラクリでもあるのだろうか。


 だが、考える暇はない。それとほぼ同時にカイヌシがこちらに向かって踏み込んでいた。

 握られた十字剣が大きく振り上げられる。


「もっとよそ見をしろ、吸血鬼」


「ッ!?」


 速度はそこまで速くはなかった。だが、凄く嫌な気分がする。

 大きく後ろに下がり、その一撃を余裕を持って回避する。水滴がぽたぽたと飛ぶ。僕には無色透明なそれが強力な毒液に見えた。


 吸血鬼にとって、十字架とはそこまで致命的な弱点ではない。だが、見れば気分は悪くなるし、触れれば力が抜ける。ましてや、カイヌシの剣は銀ででき、聖水が振りかけられている。

 受ければいつものように傷がすぐに再生するようなことはないだろう。もしかしたら一撃で戦えなくなるかも知れない。


 初めての吸血鬼狩りとの戦いだ。センリの方を気にしている余裕はない。


 後ろに下がりながら、アルバトスがやったように、すぐ近くのテーブルを持ち上げ、全力で投げる。


 力は漲っていた。体調は絶好調だ。カイヌシが小さく舌打ちをして滑るような動きで大きく横に回避する。

 どうやら耐久や筋力、再生力は僕よりもずっと低いらしい。こちらはその代償に大量の弱点を持っているのだ、そうあってもらわなくては困る。


 目的は達した。後は逃げるだけだ。攻撃を警戒しながら後ろに下がる。カイヌシの向こうではアルバトスが四肢をつき獣のような動きでセンリに襲いかかっている。


 心配はいらない。センリなら必ず撃退できるはずだ。


 今は――眼の前の男を引き離すのだ。後退する僕を、カイヌシは躊躇いなく追ってくる。


「悪いね、『夜の結晶ナイト・クリスタル』を届けて貰って」


「なに、代金は……お前の、命だッ!」


 十字剣が投擲される。よく見ると、その腰には同じものが後二振り下がっている。

 外套の裏側には用途のわからない、ただし嫌な予感のするものが大量に下がっていた。


 十字架を受けずに回避する。長い剣身は壁に突き刺さり、大きく震えた。だが、奪うことはできない。触れれば力が抜けてしまう。


 不利だ。眼の前の男は力づくでくるようなタイプではない。恐らくアルバトスが力技担当なのだろう。

 身体能力では圧倒している。だが、手口がわからない状態で近づくのは危険だ。


 酒場から出る。カイヌシも追ってくる。酒場の外には大量の野次馬が屯していた。飛び出してきた僕を見て、悲鳴を上げ蜘蛛の子を散らすように逃げ出していく。

 人質は――取るべきではない。こいつらに人質は通じないし、センリが許さない。


 四方から六つの小さな銀の十字架が回転しながら飛んでくる。まるでブーメランだ。

 本当にいろいろな事を考えるな……。呆れ半分、感心半分でそれを回避する。吸血鬼の五感と身体能力ならば回避は容易い。


「全く、大した芸だ……」


「…………そうだろう」


 十字剣が投擲される。何度やっても無意味だ。


 それを回避しようとした瞬間、不意に全身に激痛が奔った。

 手が止まりかけるが、なんとかぎりぎりで腰の鉈を抜き、十字剣を叩き落とす。カイヌシが迫ってくる。


 僕はそこで全身に黒い糸が緩やかに掛かっていたことに気づいた。痛みに耐え、身体を無理やり動かしそれから抜ける。

 銀の糸だ。夜目の利く吸血鬼でも見落とすような、黒く塗られた、銀の糸。いつ掛けられたのかは、考えるまでもない。


 カイヌシが手を引く。ぴんと糸が張り、先程投げた六つの十字架が後ろから迫ってくる。


「クソッ!」


 とっさに身体を回転させ、『光喰らい』で後方から迫る、糸に繋がった十字架を叩き落とす。

 その時には、十字剣を振りかぶったカイヌシが目の前まで迫っていた。


 強い。決定力はないが、戦い慣れている。アルバトスがいたら間違いなく勝てなかった。

 まだ痛む身体を無視し、咆哮する。


「舐めるなッ!」


「ッ!!」


 咆哮と共に、僕は全力で地面に足を振り下ろした。

 今の僕の膂力は訓練の時の比ではない。地面に巨大な亀裂が生まれ、大きく揺れる。カイヌシの体勢が大きく崩れる。


 唖然とした目と目が合う。濁った瞳の中に真っ赤な瞳孔の怪物が映っている。僕は嘲笑った。



 ――撤退だ。

 とてもじゃないが相手しきれない。冷静に考えると、彼らは吸血鬼を殺せる狩人なのだ。下位吸血鬼の僕が戦うべき相手ではない。



 一歩大きく下がったところで、カイヌシが呆れたような顔をする。その腕が懐に入り、拳大の球を取り出す。

 数歩下がった所で、それが地面に叩きつけられる。


 白い粉が空気中に飛散した。


 煙幕か? 好都合だ。

 そんなことを考えた瞬間、強烈な吐き気と痛みが僕を襲った。


 思わず膝が砕け尻もちをつき、慌てて立ち上がる。頭がくらくらした。背中を見せ、全力で駆け、白い粉の中を抜ける。

 剥き出しになった手の平が真っ赤に腫れていた。倒れて眠ってしまいたい気分だ。涙が止まらない。


 この刺激臭……にんにくの粉末か。おまけに、銀の粉まで混じっているようだ。

 いたいけな吸血鬼にこんな酷いことをするなんて、ひどすぎる。


 力は抜けていない。銀とにんにくは力を奪う類のものではないらしい。今すぐ洗い流したいが、うっかり川に飛び込んだら死ぬ。


 目指すは屋根だ。僕の脚力ならば屋根を伝って逃げられる。大きく跳ぼうとした瞬間、甲高い発砲音が響き渡った。

 脇腹に凄まじい熱が発生し、激痛が奔る。眼の前の壁に弾痕が残っている。


 傷口を手で抑える。白く細い煙が挙がっている。銀の弾丸だ。幸い、掠っただけのようだった。


 後ろを見る。カイヌシが大きなリボルバー式の銃を構えていた。このほとんど明かりのない闇の中、正確に僕に撃ち込むなんてどれほどの訓練を繰り返したのか。


「ぐぅッ……くそっ、お前なんてッ! 大嫌いだッ!」


「私も、嫌いだ」


 そりゃ奇遇だな。


 カイヌシがトリガーを引く。痛みに耐えながら、飛来する弾丸を回避する。

 弾丸の数は有限だし、吸血鬼の反射神経と動体視力なら回避は容易い。万全ならば鉈で切り落とすことだってできるだろう。


 まだ抵抗する力が残っている事を理解したのか、カイヌシがリボルバーを下ろし憮然としたように言う。


「姫を、花嫁を置いて、逃げるつもりか、吸血鬼」


「そりゃ……もちろんだよ」


 全力で逃げれば追ってはこれまい。

 センリは大丈夫だ。そもそも、元々戦いが発生したらすぐに逃げる計画だった。

 待ち合わせ場所も既に決めてある。


 大きく地面を蹴り、ふらつきながらも屋根の上に登る。粉の中を抜けたのに、まだ頭がくらくらした。こんなに痛みを感じたのは久しぶりだ。

 太陽刑よりはずっとマシだが、二度と勘弁して欲しい。


「もう二度と会う事はないだろ。さようならだ」


「エンド。名は覚えたぞ。次は……逃さない」


 投擲された剣が足元に突き刺さる。僕は尻尾を巻いて逃げ出した。


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