第十一話:交渉

 夜も更け、人通りもなくなった頃、僕は一人で宿を出た。


 田舎の街だけあって、人通りはほとんどない。それでもなるべく目立たないように気をつけながら、手紙に書かれていた待ち合わせの場所に向かう。


 空には半月が浮かんでいた。月齢的には可もなく不可もなくといったところか。だが、今の僕の身体には力が溢れていた。

 もしかしたら、エペとの邂逅時よりも溢れているかも知れない。心地の良さに、鼻歌さえ出てくる。


 センリの血を貰ったのだ。この間飲ませて貰ったばかりだったが、今回は少しばかり多めに吸わせて貰った。少しばかり強引な説得になってしまったが、取引に臨むにはどうしても力が必要だった。

 吸血衝動を抑えるための吸血ではない。自分の力を高めるための吸血だ。得られた力も快感も、指先から僅かに血を貰っていた時の比ではない。


 手紙に書かれた待ち合わせ場所は、大きな酒場だった。深夜にも拘らず、大勢の客で賑わっている。

 恐らく、僕の警戒を少しでも緩めるためだろう。大勢の一般人の前だから攻撃を仕掛けたりする心配はないと、言外にそう言っているのだ。


 十字架を刻まれたこれみよがしに敵意に溢れた手紙はしかし、僕との交渉を求める物だった。


 差出人は終焉騎士ではなく、その騎士から依頼を受けたという吸血鬼狩りヴァンパイア・ハンター


 追われている事は予想していたが、追いつかれたことは予想外だった。

 随分引き離していたはずだが、どうやって追いついたのか、そして、これからどうすれば逃げ切れるのか。


 手紙にはセンリに知らせず一人で来る旨と、交渉の条件――負の気配を隠す宝石(夜の結晶ナイト・クリスタルというらしい)を持っている旨が記されていた。


 それを読み込んだ僕は、悩みに悩んだ結果、賭けに出ることにした。既に居場所がバレている時点で首元を抑えられている。

 とりあえず、会った瞬間殺されるような事はないと思う。殺すのならば、追跡をバラすような事もなく、奇襲で息の根を止めにかかってくるはずだ。

 何より、夜の結晶ナイト・クリスタルは今最も必要なものだった。センリ曰く、かなりの希少品らしい。


 相手が吸血鬼狩りだというのもいい。終焉騎士は闇の眷属を許したりはしないが、ただの金目当ての吸血鬼狩りならばまだ交渉も目がある。相手が何を要求してくるのかはわからないが、大体予想はついている。


 眩しい光の中を通り、店内に入って交渉相手を探す。


 交渉相手はすぐに見つかった。


 吸血鬼狩りは衆目の中にあってさえ、ひと目でわかる格好をしていた。

 全身黒尽くめの大柄な男と、同じく黒尽くめの女の子の二人組だ。胸元には大きな十字架のペンダントが下がっている。あまりにもあからさま過ぎて笑えてくる。


 十字架は弱点だ。だが、近づけば灰になるようなレベルではない。そして、下位である僕に対する影響はそこまで大きくない。

 僕は覚悟を決めると、ゆっくりとテーブルの前に行った。男の胡乱な黒の目と、女の獣のような野生を感じさせる目が僕を射抜く。


 人間だ。その二人には終焉騎士のようなエネルギーが感じられない。

 吸血鬼狩りは人の身で吸血鬼を狩る者と聞いていたが、なるほど……本当に素晴らしい勇気だ。下位吸血鬼の僕にだって、吸血鬼を狩る事など考えられないのに、たかが脆弱な人間でそれを成そうとするとは……。



 これは――油断ならないな。



 僕は久方ぶりの激しい吸血行為で猛る精神を鎮め、口元に笑みを浮かべた。

 嫌な感じがする二人組だ。多分、その印象は一般の人間から見ても同じなのだろう。先程から周囲の視線を独り占めしている。


「貴様が……エンドか」


 女の子の方が、身も震えるような憤怒の篭った声で言う。

 黒髪に黒目の女だ。年齢はセンリよりも下に見えるが、威圧感はその比ではない。まるで手負いの獣だ。僕に何か恨みでもあるのだろうか。


「お招きに預かり、光栄だ。しかも、僕のためにこんなに気を使ってくれて――」


「……座るといい。戦いに来たわけではない。依頼は……きちんと、遂行しなくては、な」


 男の方が目を細め、窘めるような視線を隣に向ける。

 クレバーな男だ。だが、その淀んだ目の奥にある光はおおよそ人間に向けるようなものではない。


 僕はその勧めに従い、慎重に前の席についた。


「約束通り、一人で来たようだな。話していないな?」


「誠意には誠意で答えたまでだ。それに、センリは今ちょっと疲れが溜まっていてね……」


 僕の言葉に、年齢不詳の男は眉をピクリと動かし、「事前の情報通りだ」と頷く。

 どうやら、調べられていたらしい。宿の部屋までバレていたのだ、それこそ想定通りである。


 力は漲っている。全ては想像通りだ。



「彼女はアルバトス。私は……この界隈では『カイヌシ』と呼ばれている」


「カイヌシ……? 何を飼ってるの?」



 カイヌシを名乗った男は、何も言わずに微笑みを浮かべ、懐から一枚の紙を取り出した。

 ペンを取り出し、一緒にすっとテーブルの上を滑らせる。そして、料理も頼まずに単刀直入に言った。




「私の受けた依頼は――要望はたった一つだ。お前の誑かしたエペの姫君を――返して欲しい」


「その代り、そちらは何を出す?」


 僕の問いに、カイヌシは笑みを深くし、囁くような声で言った。


「完全な、自由だ。代わりとして、お前には完全な自由を与えよう。負のエネルギーを隠す夜の結晶ナイト・クリスタルを渡し……終焉騎士団は、二度とお前の事を追わない。私は……ただの仲介役だ。彼らはアンデッドを見ると殺さずにはいられないからな。悪くない取引だと思うが?」



 なるほど……そう来るか。

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