第二十三話:亡霊

 ありえない。ホロス・カーメンはセンリの手によって滅んだのだ。

 あらゆる手を尽くし、邪竜まで生み出し抵抗し、そしてあっさり光に消えた。


 だが、宙に浮いているのは確かにホロス・カーメンだった。全体的に青白く、輪郭が仄かに輝いているが、その姿は、折られ聖なる力に焼かれたはずの杖から、肉体と共に消えたローブまで、全てが生前のホロスそのものだ。


 ただ、その気配は生前の彼を知っている身からすれば、信じられないくらい希薄だった。

 そもそも生前の彼は宙を浮いたりしない。


 ロードは腕を組み、もったいぶったように言う。声は実際の音ではなく、しかし僕はそれを明瞭に聞き取ることができた。


『よもや、我が、肉体が滅ぶとは……だが、こうして仕込んでおいた魂の欠片が、役に立った……』


「…………」


 死にかけている。冷静さを取り戻し、鉈を強く握り直して、今の状況を確認する。


 これは、ロードの最後の備えだ。センリと戦っていた時のロードの様子は間違いなく全力だった。

 魂なのか、それとも霊として蘇ったのかは知らないが、今のロードは残滓に過ぎない。


 死霊魔術師ネクロマンサーのなんと用心深い事か。経験豊かなセンリや終焉騎士団すら騙し切る恐ろしい術者だ。


 勝てる……のか? 問題は、僕に対する特権が残っているのかどうかだ。あれが残されていたら僕は――。


 いや、勝つのだ。

 僕はロードを冷静に観察しながら、心の中で決意を固める。

 でなければ、何のために、終焉騎士団を利用してまでロードを滅ぼしたのだ。


 自分で手を下さず、うまいこと立ち回った。最後くらい自分でやれという事だろう。


 いいだろう、やってやる。


 目を見開き、ロードを見上げる。頭の中にあるのは、先程センリが言っていた『死者の王』の情報だ。


 これまでのロードの言動。彼は僕を『死者の王』の器と呼んだ。そう、器だ! 


 馬鹿でもわかる。センリの言葉が正しければロードの目的は――。


「ロード……無事だったのか」


『エンド、我が最後の魂は――貴様に仕込んでいた。儀式には、それが必要だった。貴様が生き延びたのは、幸運だ』

 

 僕に……仕込んだ。それで、まだ生きているのか。


 ロードの言葉には僕を疑っている様子はなかった。どうやら僕とセンリの会話は聞いていなかったらしい。

 もしかして、夜になるまで、その力が高まるまで、眠っていたのかもしれない。ならば、まだチャンスはある。


「ちょっと待て……ならば、どうして終焉騎士団との戦いに僕を使おうとした? 僕が死んだら困るだろう?」


『? どうやら、思い違いが、あるようだな。私は、貴様を、死者の王の器を、戦いで使おうとなど、しておらん』


「…………」


 それは……予想外だったな。

 確かに、思い起こせば、ロードが僕に対してそのような指示を出したことはなかった。最後の瞬間に出された指示もホールに戻ってくる事だったし、もしかしたらあの後に何か僕を隠すための命令を出すつもりだったのかもしれない。


 だが、いい。どちらにせよ、僕の決定は変わらない。


 ロードには――今度こそ、死んでもらう。


『儀式を行う。死者の王の誕生……ふん……懸念点は残る、本来の計画とは違うが、やむをえん……私の、命は、もはや残り滓のようなものだ。くっくっく……』


 ロードは、ここに至って、まだ不敵に笑う。僕は呼吸を整えた。チャンスは恐らく一度だ。

 夜闇に堂々と浮かび、ロードが傲岸不遜に命令する。


『エンド、貴様の肉体は――最高傑作だ。我が魂こそが最後の鍵……我が悲願が成就したその時、貴様はあらゆる光に連なるものを圧倒する王となる。エンド、抵抗は許さん。動きを止めろ』


 ロードの命令によって、僕は動きを止める。

 ホロス・カーメンの動きは緩やかだ。彼は霊魂系のアンデッドを使わなかったので僕は悪霊レイスを見たことがないが、図鑑の記述が正しければ、こんな感じだろう。


 ホロスは青白い光を放ちながら、僕の近くに降りてくる。彼が僕に触れた瞬間、僕は果たしてどうなってしまうのか。

 恐ろしい話だ。だが、僕は怯えていなかった。手も震えていない。


 そんな時は――永遠に来ない。


 ホロスが僕の近く一メートルまで近づく。攻撃射程に入る。

 鉈を握る手に力を入れる。相手は僕を警戒していない。容易い事だ。


 そして、僕は渾身の力を込め、これまでの経験をすべて乗せ、全身を使ってその首を鉈で薙ぎ払った。




「ッ!?」




 抵抗はなかった。余りにも抵抗がなかった。勢い余り一回転して、たたらを踏む。

 鉈はロードの首を確かに貫通した。しかし、ロードはそこにいる。僕が確かに切断したはずの首はつながっていて、ロードが不服そうな表情でさすっている。


『ふん……力が、弱くなりすぎたか。命令が効かぬとは……私の、命令が通じている振りをするとは、油断ならない男だ』


 僕の一撃は強力だ。魔獣の強固な頭蓋骨を容易く叩き割り、骨ごと肉を断つ。

 銀の矢のダメージも既に癒えている。躊躇いもない。


 平然としたロードに、息もつかさず連続で鉈を振る。ロードは抵抗すらしない。

 袈裟懸け、逆袈裟、唐竹割り。あらゆる方向から致死の一撃を繰り出す。だが、その全てに抵抗がない。


 まるで存在しないものに攻撃を仕掛けているかのようだ。攻撃により、ロードの身体は一瞬だけ散るが、すぐに元に戻ってしまう。


『無駄だ。無駄なのだ、エンドよ。貴様は頭がいい。度胸もあるし用心深さもあるが……知識が足らん。今の私に攻撃は……効かん』


 その顔面を散らすが、ロードの声は止まらなかった。表情にも何の痛痒も見られない。


 頭がいい。度胸もある。用心深さもある。知識が足りない。

 まったくもって、ロードの言葉は正鵠を射ている。強く踏み込み、遮二無二ロードを攻撃する。呼吸を必要とせず疲労もしない僕の攻撃に切れ目はほとんどない。


 一撃目で攻撃が通じない事はわかっていた。連続で攻撃を仕掛けているのは少しでも考える時間を稼ぐためだ。


 僕の知識は確かに少ないが、アンデッド図鑑は見た。

 物理攻撃に高い耐性を持つアンデッド。悪霊レイス。肉体を持たず、魂だけで人を害する存在。今のロードは……最初に思った通り、それに近いのだろう。


 まさか物理攻撃がここまで効かないのは想定外だが、まだ勝負は終わっていない。


 記憶を掘り起こす。

 悪霊レイスは強力な耐性を持つが、反面、肉体がない分、他のアンデッドと比較しても極めて正のエネルギーに弱く、魔術的な攻撃にも弱い。

 ロードが終焉騎士団を相手に肉や骨をけしかけたのに魂を使わなかったのは、それが終焉騎士団にとって苦戦する相手にはなりえなかったからだろう。


 だが、僕は魔法を使えないし、正のエネルギーだって使えない。

 センリに助けを求める? 不可能だ。街まで距離があるし、そこには一級騎士もいる。自殺行為にも程がある。


 全力で放つ連続攻撃に、骨が軋み、肉が苦痛を訴える。だが、問題ない。疲労はないし、この程度ならば再生能力が追いつく。

 少しずつ後ろに下がりながら、死んだ後も僕を支配しようとするロードを散らす。


『無駄な抵抗はやめろ、エンド。貴様は――そのために生み出された』


 最後まで勝手な男だ。やはり、ロードとはわかり合えない。

 命令権の時点でダメだったのだ。器などという言葉を使うのだ、十中八九僕の意識はなくなるのだろう。思えば、ロードが僕に知識をつけさせなかったのも、その必要がなかったからだったのか。


 僕は――器であり、中身ではないのだ。

 必要なのは、才能に溢れた頑丈な器であって、中身はロードが担うつもりだったのだ。


 もしかしたら、僕の本能はロードの目的を、『死者の王』の真実を、察していたのかもしれない。

 ヒントはあった。ロードにとって、僕の意思は眼中にない存在だった。


 だが、負けない。生存本能が燃え上がるのが感じる。恐怖はない。あるのは――怒りだ。


 殺す。絶対に、完膚なきまでに、殺す。二級騎士でも倒せなかった存在を、僕が殺す。


 ホロス・カーメン、貴様の悲願は今ここで潰える。貴様は――器に殺されるのだ。


 斬撃の嵐の中、ロードは切り尽くされながらも前に進んでくる。

 僕の攻撃は物理的には、一瞬の時間も稼ぐことはできないらしい。ロードがまだ飛び込んでこないのは、彼の死霊魔術師としての探究心が僕を観察する事を選んだからだろうか。


『恐怖に、狂ったか……まぁいい。必要なのは、その死の力に対して常識外の適性を見せる器よ。私こそが、最強の『死者の王』、だ』


 目を切っても鼻を切っても、ロードは僕を認識している。喉を切ってもその声は僕に届く。あらゆる場所を切り裂くが、ロードには焦りが見えない。

 最強だ。まさしく、最強。狡猾で不遜で、この世界に存在を許されない、闇の魔術師だ。センリに殺されて当然だ。




 だが、僕とて何も考えずにがむしゃらに攻撃を仕掛けていたわけではない。もちろん、狂ってもいない。


 ――考えるのは得意だった。考える事と苦痛に耐える事は、生前の、寝たきりだった頃の僕に許された唯一の行為だった。


 ついに観察するのにも飽きたのか、ロードが素早く舞い降りてくる。月がその色の悪い容貌を照らしている。

 僕は大きく横に飛び、それを回避して、今まで振っていた鉈を落とした。ロードが目を見開く。


「ホロス・カーメン。貴方の弱点は――視野の狭さだ」


「何ッ!?」


 だから、僕に騙された。だから、ルウが僕と契約したことに気づかなかった。だから、センリに負けた。

 ホロス・カーメンの世界にいるのは彼だけだ。


 ここがどこだかわかっていないのか? 僕が、何も考えずに後ろに下がっていると思っていたのか?


 ルウの名前が刻まれた大きな石。一度掘り起こし、固められた地面。


 ここは――貴方の奴隷の墓だ。


 確かに僕に正のエネルギーを使う術はない。魔法も使えない。


 だが――ここにはアンデッドの弱点がある。


 十字架代わりに突き刺した、本体から鏃まで銀で出来た矢を強く握りしめ、引き抜く。ようやく癒えた手の平に再び凄まじい痛みが奔り、何かが溶ける音が夜闇に響く。

 銀の武器は悪霊にも効くアンデッド全般の弱点だ。そして、僕を殺し切る程の物ではないそれも、肉体を持たない悪霊レイスには効果が高い。


 僕の手の中にある物の正体を知ったのだろう。ロードが大きく目を見開き、風のような速度でこちらに飛び込んでくる。

 だがもう遅い。


 かなりの速度だが、生前の僕ならば何かを成す間もなかっただろうが、屍鬼グールになった僕にとっては大した障害でもない。


 突き出した銀の矢が、頭から飛び込んできたロードの眉間を貫通する。

 センリに攻撃されても漏らさなかったロードの絶叫が夜闇に響き渡った。





「ぐわあああああああああああああああああああああああああッ――」







「――などと、言うと思ったか?」


「ッ!?」


 ロードは何も変わっていなかった。消える事もなければ、痛痒の欠片も見せなかった。

 破魔の力を持つ矢を眉間に半ばまで埋めながら、ロードがどこか哀れみを込めた声で言う。


 その骨ばった指先が近づいてくる。濁った漆黒の眼が僕を覗き込んでいる。それを止める術はない。


「だから、貴様には、魔術の知識がないというのだ。私は、ただの悪霊レイスではない。その根源は、貴様の中に組み込まれているのだ。それを壊されぬ限り、私は不死身だ。悪霊レイス系の物理に対する耐性は完璧ではない。その『光喰らいブラッド・ルーラー』で影響を与えられない時点で、気づくべきだったな」


「……」


「哀れな。だが、安心するがいい。貴様の器は、最強の『死者の王』となるのだ」


「……死ね」


 殺意を込めた言葉に、ホロスが下らない冗談でも聞いたかのように眉を顰める。


「もう、死んでいる。貴様も、この私もな」


 ホロス・カーメンにジョークセンスがあるとは思わなかったな。


 僕の身体に、ホロスの霊体が重なる。

 視界が明滅し、僕の意識の中に濁流に似た漆黒の何かが流れ込んできた。

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