第二十一話:弱者

 陽光すら掻き消すような凄まじい光が幾度も瞬く。耳に入っただけで身体が震え本能が死を感じる怒りの咆哮が森中を震わせる。

 光が屋敷を吹き飛ばし、溢れ出た闇が世界を蹂躙する。


 それは、まさしく神話に謳われる類の戦いだった。


 僕はその様子を屋敷の裏の森の中、極浅い所に生えていた大きな樹の上で身を潜め、観察していた。


 死霊魔術師ネクロマンサーは配下のアンデッドの場所を察知できる。

 精度はそこまで高くないらしいが、遠く離れたらロードに気づかれるかもしれないので、屋敷から離れるわけにはいかなかった。


 ロードが――死ぬまでは。


 ロードが生み出したのは漆黒の巨竜だった。


 恐らく、あの牙が触媒だったのだろう。闇そのものを想起させる黒い肉体に、全身に血管のように走った筋。

 尾は影のように伸び屋敷を容易く破壊し、口腔から放たれた黒き炎は波のように周囲を飲み込み焼き尽くす。


 その怪物は、これまで僕が見てきたロードの操るアンデッドとは一線を画していた。魂は黒く燃え上がり、光をも飲み込む程深い奈落を示し、何もかもが格が違う。

 もしもロードがあんな切り札を持っていると事前に知っていたら、僕はもう少し慎重に事を進めていただろう。


 だが、黒く染まった巨体を、身震いするような量の光が容易く消し飛ばした。

 僕ならば掠っただけで百回死ぬ。そう確信できてしまうくらいの、膨大な正のエネルギーが闇のブレスをかき消し、竜の巨体の大部分を焼き尽くし、その後ろのロードを飲み込み、それでも止まらず僕の隠れている樹の数メートル隣を貫通する。


 それを成したのは、たった一人の小柄な少女だ。


 センリ。二級の終焉騎士は、世界をさえ飲み込みかねない巨大な竜を前に、一步も引かず、剣を振る。


 センリの纏う正のエネルギーは射出の度に目減りし、しかしすぐにまるで補充されているかのように元に戻る。

 ロードも底知れないが、センリも底知れない。そして、二級騎士でこれならば、一級騎士はどれほどの存在なのだろうか。


 身体の大半を吹き飛ばされた邪竜はしかし、一瞬で再生し元に戻る。光の中に消えたはずのロードも平然としている。

 ロードの怒声と、センリの仲間たちの咆哮が重なる。


 優勢、劣勢。僕には判断がつかない。


 僕は弱い。この場にいるメンバーの中で飛び抜けて弱い。

 竜の尾を受けても光の一撃を受けても、塵芥と消えるだろう。屍鬼グールになって得た再生能力も、身体能力も、役には立つまい。


 だが、それを見ても、僕は冷静だった。自分の弱さはとっくに理解している。

 こうする、しかなかった。そして、その判断は正解だった。


 強襲を誘った今でも戦況は拮抗しているのだ。更に準備に時間を与えていたら、ロードはあっさりセンリを下していたかもしれない。


 終焉騎士は最強だ。病床の中、御伽噺の中でその活躍を何度も読んだ僕にはそんな認識があった。

 僕の計画では、センリ達はもっとあっさりロードを殺せているはずだった。ロードが百二十の命を持っていたとしても、彼女たちはそんな死霊魔術師との戦いに慣れているはずなのだ。


 日除けの外套の襟元を締め、影のアミュレットを握りしめる。


 僕はロードに賭けたのではない。センリに賭けたのだ。


 狡猾で絶対命令権を始めとした僕に対する数々の特権を持つロードよりも、終焉騎士が相手の方が逃げやすいと、そう判断した。

 屍鬼の僕ならば、まだ陽光の下でも動ける僕ならば、理性がある僕ならば、アミュレットで負の気配を隠せる僕ならば、終焉騎士団を撒ける、と。


 全てを賭けた。もしもロードが勝ったとしたら――ロードは命令通りすぐに戻ってこなかった僕に違和感を抱く事だろう。

 命令が通じていない事に思い当たる前に、消耗している事を信じて攻撃を仕掛けるしかない。


 音は止むことはなかった。僕がアンデッドになって、一年弱を過ごした屋敷が崩れていく。

 炎に。光に。剣に。竜の一撃に打ち崩されていく。


 僕は声一つ上げずそれを眺めながら、ルウの事を思い出していた。



§



 太陽が真上に登っている。そして、ついにその時が来た。

 じっと身を潜める僕の前で声が響き渡る。


「はあああああああああああああああああああッ!」


「ッ!?」


 センリが初めて咆哮を上げた。


 その白銀の剣から放たれた、もう一つの太陽を思わせる一際巨大な光が、邪竜を焼き尽くす。

 それは奇跡だった。その声には命が乗っていた。あれほど連続でエネルギーを射出したセンリが、そこまで巨大な力を操れるはずがなかった。だが、センリはそれをやった。


 ロードを庇おうとしたのか、大きく翼を広げた邪竜が為す術もなく塵と消える。

 光が消える。瓦礫の山で残ったのは、膝をつくセンリと、ぼろぼろの仲間たち。


 そして――。


「馬鹿なッ……何故、これほどまでの力を……ッ、あり、えん」


 引きつった表情でロードが呻く。邪竜が復活する気配はない。


 その肉体が、足の先から塵に変わっていく。

 百二十の命を全て使い尽くしたのか。その手から杖が落ち、消えていく自らの手を呆然と見る。


 その表情に恐怖はなかった。泣きも喚きもせず、ロードは最後まで僕のイメージする死霊魔術師ネクロマンサーだった。

 センリが荒々しく呼吸をしながら、鋭い視線で消えゆく敵を見る。


 額に汗で銀の髪の毛が張り付いていた。さすがに力を使い切ったのか、今のセンリからは正の力を感じない。


「これで……終わり」


「口惜しい。我が悲願さえ叶えば、貴様など――今が……夜ならば……ああ――」


 そして、ロードはセンリを、己を滅ぼした相手に呪詛を吐くこともなく、まともにその顔を見ることさえなく、驚くほどあっさり消失した。

 まるで全てが幻だったかのように、何も残らなかった。ローブは肉体ごと塵と化し、ロードの存在を証明するのは地面に落ちていた杖だけだ。


 勝った。賭けに勝った。ロードは恩人であり、天敵だった。僕にはとても滅ぼせない偉大なる敵だった。

 達成感はない。大きな恨みはなかった。だからだろうか、今の僕が安堵と同時に僅かな寂しさを感じているのは。


 生き残ったのは僕だ。僕を縛れる者はもういない。

 センリ達は、終焉騎士団達は消耗している。だが、攻撃を仕掛けるつもりはない。


 消耗が激しかったのか、不意に糸が切れたようにセンリが倒れる。それを仲間の一人が支え、呆れたような笑みを浮かべる。

 仲間の有無。ロードとセンリ達の大きな違いはそれだろう。


 ロードには配下はいても仲間はいなかった。もしもロードに仲間がいたら、戦局はどう変わっていたか――。

 いや、何も言うまい。ロードは全力を尽くし、自らの信念を突き通し、そして負けたのだ。僕が言えた口でもない。


 終焉騎士の一人がロードの残した杖を取り上げ、躊躇いなく真っ二つに折り、光で焼く。


 仲間に支えられ、センリ達一行が屋敷跡地を去っていく。僕はその場で身動き一つせず、それを見送った。

 彼女たちの気配が消えるまで、ずっと。




§




 誰もいなくなった事を確認して、樹を飛び降りる。


 数時間、じっと木の上にいたので、少しばかり身体が硬まっている気がする。大きく背筋を伸ばしながら、僕は屋敷の跡地に向かった。


 屋敷は完全に破壊されていた。屋根や壁は瓦礫と化し、アンデッドの気配も生者の気配もない。


 いや、万が一壊されていなかったとしても、ここにずっといるわけにはいかなかった。

 ここは死霊魔術師ネクロマンサーの拠点だ。

 終焉騎士達は一旦退いたが、体力を取り戻したら、明日にでも屋敷の後始末にやってくるだろう。御伽噺では死霊魔術師ネクロマンサーのアジトはよく、火にかけられている。


 さて、これからどうすべきか。

 僕は屍鬼グールだ。贅沢を知らないし、どんな生活でも生前よりはマシなので、生肉さえアレば生きていける自信がある。

 一般的なアンデッドと違って人を襲うつもりはない。だが、人の目に止まらぬように生きていく必要があるだろう。


 唯一決まっているのは、すぐにこの森を抜ける事だ。終焉騎士達に容赦という言葉はない。万が一に見つかってしまえば、死は免れ得ない。

 だが、逃亡する前に僕には残された約束があった。






 ルウの死体は、元廊下があった場所の瓦礫の下に埋まっていた。

 奇跡的に死体に大きな損傷はなかった。胸に突き刺さった、闇を浄化する銀の矢が死因だろう。

 唇から漏れた血を拭ってやる。その顔は穏やかで、まるでただ眠っているようにも見えた。


 生前の彼女は、果たしてこんなに安らかな表情をしたことがあっただろうか。

 少なくとも、彼女が僕に向けていたのは怒っているような、怯えているような、そんな表情ばかりだった。


 屍からは食欲をそそる、芳しいとてもいい香りがした。屍鬼グールにとって人の屍はごちそうである。

 だが、食べるつもりはない。僕が人間を食べた事はない。


「僕は……これでも、約束は守る男なんだ。心配はいらない」


 銀の矢を握る。手から白い煙が上がり、アンデッドになってからは久しく感じていなかった鋭い痛みが奔るが、力づくで引き抜き捨てると、ルウの死体を担ぎ上げる。


 ルウの肉体はとても軽かった。それが人として何かが抜けた結果なのか、それとも僕の腕力が強いからなのかはわからない。


 その魂も、きっと、もうここにはいないだろう。


 ルウは死ぬ運命だった。彼女自身もそれを予感していたし、きっとここで死ななくてもどこかであっさり死んでいただろう。

 彼女には生きる元気がなかった。だが、自ら死ぬ勇気もなかった。


 彼女は余りにも弱かった。だから、僕には彼女が求める物がわかった。


 僕の提案を聞き、ルウは涙を流した。彼女は弱者の、自分の隠された望みを当てた僕を化物と呼んだ。


 チャンスはあった。救い出すことも提案したし、もしかしたら助けてあげる道もあったかもしれない。

 実際にはロードは最後の瞬間までルウを手元に置いていたのでどうしようもなかったが、僕がルウに街まで送ることを提案した時点では、ルウには頷くという選択肢があったのだ。


 だが、その程度の強さも、彼女にはなかった。


 ああ、一度死んだ僕が、墓から舞い戻ってしまう程、生に焦がれていたのに、生きている彼女がその気力を失うとはなんとこの世はままならないことか。


 僕は命を失い、どこか安堵したような表情で眠るルウに話しかけた。






「約束通り――墓を作ってあげるよ。ついでに安らかに眠れるように祈ってあげよう。僕と契約してよかっただろ?」




§




 申し訳ないが、墓にもってこいの場所を探す時間はなかった。


 屋敷の囲いから出すのが精一杯だった。まぁ、場所の約束はしていなかったので構わないだろう。

 僕が墓に頓着するような性格ではないことは、ルウにもわかっていたはずだ。僕は弱者である彼女の気持ちはわかったが、決して共感していたわけではない。


 囲いから出た場所。せめて日当たりのいい場所を選び、穴を掘る。

 ルウの身体が余り大きくなかったのは幸いだった。

 屋敷の残骸の木片を使い、うまいこと身体が余裕を持って入れる程度の穴を掘ると、ルウの死体を中に入れる。その胸元に、その辺でむしってきた花を持たせる。


 申し訳ないが、荼毘に付すような時間はない。

 まぁ、邪悪な死霊魔術師ネクロマンサーはもういないのでアンデッドにされる心配はないだろう。


「悪いね。僕は埋葬の方法をよく知らなくて……埋葬された事はあるんだけど、覚えてないし」


 言い訳をしながら、ルウの身体に丁寧に土をかけていく。

 まぁ、ロードにアンデッドにされて死後に働かされるよりはずっとマシだろう。足が、身体が埋まり、最後に顔だけが残る。


 僕は最後にどう挨拶したものか迷い、結局、いつも通り言葉をかけた。


「ルウはロードよりも幸せ者だよ。墓を立ててもらえるんだから。まぁ、ロードは自業自得だと思うけど……」


 顔をしっかり土で埋め、固める。そこで立ち上がるが、これだけでは少し寂しい気もする。

 何より、もしも未来の僕が何かの拍子に墓参りをしようと思い当たっても、これではどこに埋めたのかわからない。


 早くこの場を去るべきだが、これではこんなものは墓ではないと、死んだルウから怒られてしまうかもしれない。ここまでやったのに約束を破ったなどと言われたら、目も当てられない。


 僕はちょっと迷ったが、良いものがあることを思い出し、屋敷の跡地に戻った。銀の矢だ。

 先程抜いた銀の矢を痛みを我慢しながら運び、ルウを埋めた場所に突き刺す。銀は邪なる者を遠ざけると言う。

 十字架ではないが、十字架にしてしまうと、後々、変異して弱点に十字架が追加された僕が墓参りに来れなくなる可能性がある。


 ついでに、屋敷の残骸から比較的綺麗で大きな石の塊を持ってきて、爪を伸ばしてそこにルウの名前を刻む。

 セカンドネームがわからず、少し寂しかったので、仕方なく僕の生前のセカンドネームをつけておく。カーメンにするよりはマシだろう。

 ルウの名前のスペルが合っているか怪しいが、まぁその辺りはご了承願いたい。


 そして、僕は自分の仕事に満足すると、最後に、手を合わせて祈った。

 アンデッドに祈ってもらった死者など、きっと彼女が初めてだろう。



 どうか――ルウが安らかに眠れますように。






「何を…………やって、いるの?」


「!?」



 その時、後ろから、絶対に聞こえてはならない声が聞こえた。

 祈りを切り上げ、ゆっくり立ち上がる。手の指先が震えていた。喉元にナイフを突きつけられているかのような錯覚。


 ルウのためではなく、自分のために神に祈りながら後ろを振り向く。


 そこには、つい先程、仲間と共に立ち去ったはずのセンリが、怜悧な瞳で僕を見ていた。

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