第十二話:意図

 ロードと共に夜の狩りに出かける。実力を隠す必要のなくなった僕にとって、森の魔獣など相手にならない。


 もともと、毎晩の食事目的の狩りで屍鬼の身体能力には慣れていた。鉈と爪、死肉人と比べて高い身体能力に加え、ロードのバックアップもあるとなれば、敵などいるわけがない。


 かつて、とても恐ろしい存在だった夜狼の群れを薙ぎ払い、その肉を食らう。


 肉は生だったが、生前の記憶にもない甘美な熱が喉元を通り過ぎ、身体のなかで炎となる。

 夜間の狩りは、服が汚れたらまずいので服を脱ぎ行っていたし、血で身体が汚れるのも極力注意する必要があったが、もうお構いなしだ。

 血みどろになりながら屍を食らう僕に、ロードが感心したように呟いた。


「よもや、たった三ヶ月で屍鬼グールに変異するとは……何たる、資質。そして、それをここまで……隠し通すとは」


「前任者は、何ヶ月で屍鬼グールになったんだ?」


「十ヶ月だ。だが、それも決して遅い方ではない。貴様が――早すぎるのだ。個体差があるのは間違いないが……やはり、貴族の血か」


 確かに、僕は生前、地方を治める小さな貴族の一員だった。


 だが、物語で出てくる貴族のような大きな家ではなかったし、家系図に特に大事を成した者がいたわけでもない。

 唯一、お金は平均よりはあったので、不治の病に侵された僕の延命を試みてくれた事については感謝しているが、生前、貴族の血が混じっている事で特別な物を感じた事はなかった。


 鋭く尖った牙で肉のこびりついた夜狼の骨を齧りながら、ロードを睨みつける。


「……貴族でも、平民でも、死んだらただの屍だ」


「…………違いあるまいな。まぁ、いい。貴様ならば、遠からぬ内に『闇の徘徊者ダーク・ストーカー』に変異するだろう。理由は後々、考えれば……いい」


 ロードの声には独り言のような響きが含まれていた。


 僕の決死の覚悟で反抗をした結果、得られたのは僅かな情報だけだった。

 その中でも、最も重要な情報は――今の僕ではロードには手も足も出ないという事だろう。


 攻撃行動や不利になるような行動を禁じられた今では何もできないが、それがなかったとしても、絶対命令を受ける間もなく百二十の命を削り切るなど不可能だ。不意打ちで何とか二つの命は削ったが、もしもあの後、命令で行動を止められなかったとしてもロードを殺す事はできなかっただろう。


 ロードには魔術がある。そして、僕にはそれへの対抗手段がない。不意打ちで仕留めれば関係ないと思っていたが、僕は魔術師を舐めすぎていた。あの時僕が反撃を受け殺されなかったのは、単純に僕がロードの敵たり得なかったからだろう。


 『闇の徘徊者ダーク・ストーカー』。


 それは、『屍鬼』の次に僕が変異する対象だ。図鑑によると、アンデッドの中ではかなり数が少ない存在らしいが、おそらくその変異を成した所で、僕はロードには敵わない。


「……『闇の徘徊者ダーク・ストーカー』になれば、終焉騎士団に勝てるのか?」


「勝てるわけがなかろう。余計な事を考えるな。忌々しい話だが、奴らは闇の眷属を狩るスペシャリストだ。三級騎士でも――正面から戦えば相手にならん。『生きる屍リビング・デッド』系で奴らに勝ち得るのは…………奴らの力でもそうそう埋めきれぬ奈落……『吸血鬼ヴァンパイア』からよ」


 ロードが、僕の変異の先――遥か高み、最も有名なアンデッドの一つの名前を出す。

 僕は屍鬼になって、この森の獣を倒せるようになり、かなりの力を得たつもりでいた。だが、やはりそれは傲慢だったらしい。


 終焉騎士団は人間のはずだ。僕のように、生き物を殺す事で大幅に強化されるアンデッドではない。

 果たして、どうやって人の身でそれほどの力を得たのか。ロード――死霊魔術師は、御伽噺で語られる以上の力を持っていたが、終焉騎士団もそれに対抗し得る力を持っているようだ。


 ただ死を待つだけの身体しか持っていなかった僕からすれば信じられない話だ。

 そして、だからこそ絶対にそんな奴らに殺されるわけにはいかない。


 殺されるのならば――殺してやる。たとえ相手がかつての憧憬の対象であったとしても、僕を殺そうとするのならば敵だ。


「安心せよ。森には監視を放ってある。目下の敵は奴らよ。如何に死者の王の素質を持っていても、今の貴様は弱い。貴様と私は、利害が一致している。そう易易とやられたりはせん」


 ロードが鼻を鳴らし、暗い感情を込めた声で言う。

 僕は心の中で舌打ちをすると、食事を終え、新たな獲物を探すべく立ち上がった。



§



 ロードは僕の敵だ。最大の敵だ。絶対命令権を持っている分、逃げればいいだけの終焉騎士団よりも余程厄介な敵である。


 いつもどおり、地下室に戻されると、『外出禁止』の命令を受ける。僕に与えられたのは、ルウが僕を告発するきっかけになった、さんざん読みつくしたアンデッドの図鑑だけだった。


 僕がロードの立場だったとしても、同じような命令をしただろう。絶対命令権は強力だが、無敵ではない。

 少なくとも、自分を恨んでいる配下のアンデッドが知恵をつけるのはロードにとって不都合に違いない。特にロードの蔵書は(僕は読めないが)魔術書がほとんどのようだったから、文字を読めるアンデッドに与えるには危険過ぎるものだ。


 だが、理屈ではそうするだろうと理解出来ても、感情が今の状況を許さない。

 僕の自由度は、こっそり外に出ることができた以前までと比べ、余りにも制限されていた。空気を奪われた気分だ。


 もちろん……殺されるよりは遥かにマシだが。


 食らう事を禁止された死体だけが並んだ地下室で、僕に許されたのは思考と体操くらいだった。


 現状で唯一幸いなのは、ロードが僕の持つ知性を、屍鬼への位階変異により得た物だと思い込んでいる事。

 最悪なのは――ロードが僕の反抗を封じた事……ではない。ロードが強すぎる事だ。


 強すぎる。命を百二十も持つ存在をどうやって倒せばいいのだろうか。

 あれでは事故死すらありえないし、寿命による死も……見込めないだろう。


 そして何よりも、ロードの目的がわからない。

 何故、僕の反抗を知って、夜の狩りを続け僕を育てようとしているのか? 何故育てようとしているのに、強さに不可欠な『知識』を与えようとはしないのか?


 そして、死者の王とは一体何なのか? この森で何をしようとしているのか? その辺りは尋ねてみたが、はぐらかされるばかりだった。


 死霊魔術師なのだ。どうせろくでもない事には違いないのだが、自由を制限している以上、僕と仲良くやっていこうというわけではないだろう。


 ロードの僕に向ける視線は極めて冷徹だった。おそらくは僕に見せる歓喜も、父がよくやった息子に向けるような物ではなく、自分の実験が成功している事実に対してのものだ。


 配下として僕を強化し、強力な手駒にするつもりか? 反抗した僕を?


 ありえない。ロードは僕を信頼していない。 


 部屋の片隅に置かれた使い魔の梟を見る。輝く瞳が無機質に僕をじっと見据えていた。ロードの監視だ。


 終焉騎士団も近づいている。何としてでも、ロードを殺さなくてはならない。百二十……僕が二つ潰したので、残り百十八の命を持つロードを、僕を命令で縛っているロードを、なんとかして出し抜かねばならない。


 膝を抱え、片隅に座りこみ顔を伏せる。がりがりと頭をかきむしる。目を見開き、思考を張り巡らせる。

 しかし、僕の脳裏に、これぞというアイディアが浮かぶ事はなかった。



§ 



 そして、三日程自由が全くない窮屈な生活を味わった辺りで、ロードが狩りの後にしかめっ面で言った。


「エンドよ。貴様には、ルウの護衛としてと共に――街に行ってもらう」


 予想外の言葉に、思わず自由なき現在に対する不満も忘れ、目を見開く。

 ロードはそんな表情をする僕に、額に皺を寄せ、杖を撫でた。


「街は危険だが――私が行くわけにもいかない。奴らから闇の気を隠す道具は用意してある、慎重に行動すれば問題ない。私を騙しきった貴様ならば、問題なかろう」


 そして、僕はそこで英雄を見ることになる。

 死霊魔術師の、アンデッドの、天敵。闇に対する圧倒的優位を誇る、古くから最強と称されてきた戦闘集団を。

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