第八話:タイミング

 上位者の存在と、それにばれ自由を妨げられるリスクを除けば今の環境はベストだ。だが、僕は反乱『すべき』時が近づいている事を感じていた。


 一度ロードが抱いた疑念はこれからも少しずつ強くなっていく事だろう。ルウの言葉を嘘だと断じたロードだが、その心中にはその言葉が小さな棘のように突き刺さっているはずだ。


 必要なのは最適な状況を見極める事だった。


 僕は夜な夜な本を取りに行くのをやめにした。今のロード・ホロスが奴隷の言うことを聞くとは思えないし、ルウもいつも通り死んだ目で家事をしていたが、可能性は一つでも潰しておいた方がいいと思ったからだ。

 既に必要最低限の知識は得ている。ルウにとって僕はロードと同じくらいに厄介な存在に違いない。


 ロードの狩り時間が増えた。ロードは僕を連れて森に入ると、より一層、魔獣を狩るよう命令した。

 その命令は僕にとっても好都合だった。夜にひっそりと行っている食事で一晩で再生しきれないダメージを負ったらロードに違和感を抱かれるが、昼間ならばロードに治療してもらえる。ロードはいつか打倒しなくてはならない支配者だが、同時に、この上なく心強い仲間だった。


 目論見は成功しており、僕の力は日々高まっていったが、同時に焦燥感も湧いてきていた。


 明確な隙が見つからない。ロードの底が見えない。こんな森に引きこもっている理由がわからないのも不気味だが、調べている時間があるのかもわからない。

 できればさらなる力を手に入れ、勝てると確信してから挑みたいところだが。屍鬼から次の位階変異には数年近い時間がかかるらしい。いくらなんでも、それを待つのは現実的ではない。


 そもそも、どれだけの力をつけたとしても――ロードには僕に対する絶対的な命令権がある。

 攻撃するなと一言命令されればそれで終わりだ。唯一、僕がロードに勝つには、一撃で彼を命令出来ない状況に持っていく必要があった。


 アンデッドは強力だ。今の僕の再生能力や身体能力は成人男性のそれを遙かに上回っているし、ロードは僕に危害を加えないよう命令をしていないのでやろうと思えば後ろから襲いかかる事だってできる。

 如何に魔術師といはいえ、魔獣の頑丈な首の骨をかっ切れる僕の爪を受けて無傷でいられるとは思えない。


 だが、失敗は許されない。もしも一撃で殺しきれなければ、命令で縛られて二度目の生もまた使い潰されるだろう。それは、僕にとっては、病床に伏すよりも許しがたい話だ。


 必要なのは忍耐だ。強さだ。そう自分に言い聞かせ、焦燥感を押し込め、機を待つ。


 夜な夜な邪悪な魔術師の命令に従い狩りをする日々。奴隷の眼を避け、ロードの隙を探す日々。

 正常に動く身体を手に入れた当初はそれだけで満足していたが、今ではその二点が僕を苛つかせる。

 仮初の自由を知ったからこそ真の自由を手に入れたくなる。きっとこれを人は欲望と呼ぶのだろう。


 自由。その二文字は、噛みちぎる獣の肉の味よりも甘美に感じられる。


 ロードの元に来訪者がやってきたのは、丁度、僕がリスクとリターンの間で板挟みになり、行動を決めあぐねていた時のことだった。



§



 ロードには仲間がいる。

 いかに邪悪な死霊魔術師とは言え、人間社会と完全に離れて生きていくのは難しいという事だろう。月に一回か二回、護衛を従えて魔の森を超えてやってくるその男をハックという。

 薄汚れた緑のテンガロンハットを被った小柄な男だ。僕はその男を心の中で『死体運びのハック』と呼んでいた。


 その名の通り、男は棺桶を運んで森を踏破してくる。ロードが警戒のために放っているスケルトンもその男の一行だけは対象外にしていた。


 詳しい関係性は分からないが、ハックの役割は生活物資と死体の補給だ。ハックは食品を初めとした生活物資とどこから掘り起こしてきたのか新鮮な死体をロードに供給し、金銭や――スケルトンを受け取る。

 会話の内容からどうやら、戦闘要員としてスケルトンを買い取っているらしいというところまでわかっている。それも、ただのスケルトンではなく、死を集めかなり強力な力を得たスケルトンだ。

 アンデッドの利用は禁忌とされている。禄な人物ではない事は間違いない。


 大抵、僕は彼らの商談の場にはいないのだが、今回は珍しくロードから呼び出された。

 滅多に使われることのない応接室には、人の良さそうな顔をしたハックと完全武装した護衛が五人程揃っていた。

 ハックが目を丸くして興味深そうな表情で言う。


「へぇ……本当にまだ生き残ってたんですねい。病死の死体だったんですぐに死ぬと思ってたんですが」


「やはり貴族の死体はものが違うということか」


 ロードがぎょろりとした目で僕を見上げ、感心したように言う。


 恐らくその考えは誤りだ。僕が今まで生き延びることができたのは単に生への渇望故に他ならない。

 そして意識を取り戻してすぐに僕を支配したその渇望は、ある程度の力を得た今でも微塵も薄らいでいない。それどころか強くなっている気すらする。


 それは……そう、言葉で形容するのならば魂が燃えさかるかのような衝動だ。生きながらにして死んでいるも同然だった生前には決して感じることがなかった激しい情動だ。


 本来のアンデッドと僕の大きな違いを一つ述べるとするのならば、間違いなくそれになるはずだ。


 しかし、それを欠片も表に出さず、僕はただ静かにロードを見下ろす。

 ロードのどんより濁った目はまるで僕の知性を確かめようとしているかのように見えた。だが、おそらくはただの錯覚だろう。もしもロードが僕に知性があると確信したのならばもっと具体的な命令を下すはずだから。


「他にも貴族の肉体が手に入らぬか?」


「勘弁してくだせえ。死体とは言え、身内の身体を売ろうなんて物好き、早々出てくるはずもねえ」


「だが、一度手に入っている。エンドの元になった死体は――」


 短いロードの言葉に、ハックがその醜悪な顔を大きく歪めた。まるで非難するような口調で言う。


「死体の出自については、問わない約束だ。偶然、身内の遺体を売ろうとした者が出た。あっしはお得意様だったホロス様の元に話を持ちこみ、ホロス様がご自身でそれを買い取る決定をした。ただ、それだけです」


「……ああ、わかっている。……長く病床に伏していた……無関係、か。鍛えられていた気配もなかった」


 ロードがじろじろと僕の肉体を見る。


 その見立ては正しい。僕は長い間、ベッドの中から出られない生活をしていた。全身の筋肉は衰え、かろうじて定期的に訪れる白魔術師の癒やしの魔法により生きながらえていた存在だ。


 頻繁に走り回り魔獣狩りなどというかつての状態からは考えられない重労働をしている今も、肉体は貧相なままだ。

 健康的な肉体は――もちろん、あの全身を苛む激痛のない肉体だけでも僕にとっては非常にありがたい話だったが――僕にとって、生前からの憧憬の対象である。『変異』を繰り返しさらなる化物と化せば肉体的にも変化が訪れるというので、なんとしてでもそれまで生き延びたいものだ。


 しかし、そうか……僕の死体は売られたのか。


 その新たな情報を受けても、僕は驚くほどショックを受けなかった。

 恐らく、家族に対してそこまで強い感情を持っていなかったからだろう。生前の僕は苦痛に耐えるだけで精一杯で、それ以外に感情を向ける余裕はなかった。


 恨みも――ない。


 ここ数年、家族が見舞いにくることはなかったが、定期的な白魔導士による『介護』は恐らく大金がかかっていただろうし、その延命処置が僕の寿命を少しだけ伸ばしたのは事実だ。

 戦いで大切なのはリーチだ。貧相とはいえ、成人男性一歩手前程度の大きさの肉体になるまで死ななかったのは僥倖と言えた。

 たとえ介護の理由が僕を慮っての事ではなかったとしても、確かにそれは僕のためになったのだ。

 そして、ハックに死体を売り渡した件については言うまでもない。


 ふと、脳裏に書物に書いてあったアンデッドの基礎知識を思い出す。


 アンデッドは死体の無念を元に動くのだという。だが、僕をアンデッドたらしめた強烈な感情は、おそらく一般的なアンデッドが抱いているような生者への『怨嗟』ではなく『生存欲求』が根源だ。

 僕はベッドから一歩も出られなくなり、絶え間ない痛みに苛まされても自ら死を考えたことだけはなかった。なかった、と思う。

 僕は、死んでも生き続けたかった。自分を保ちたかった。もしかしたらその純粋な感情が、本来ありえない死肉人に生前の記憶を与えたのではないだろうか。


 僕のアンデッドに対する知識は酷く断片的な物なので確証は取れないが、確証などどうでもいい話だ。


 ロード・ホロスはどこからどう考えても僕の恩人である。彼には本当に申し訳なく思っている。

 だが、僕に対する『特権』を持つ彼を放っておく訳にはいかないのだ。


 実は、僕には一つだけ切り札がある。一度使ったら二度と使えない、そういう類の札だ。

 切れば勝てる類の札ではないが、タイミング次第ではロードを十分に倒し得る。


 生命を殺し、死のエネルギーを集めれば集める程、時間を引き伸ばせば引き伸ばせる程、僕は強力になる。奇襲の成功率が上がる。

 情報を集める。ロードの戦闘能力が不明だ。強力な魔導師の外見年齢は当てにはならない。僕が見たことがあるのは死霊魔術だけだ。いくら近距離が僕の間合いだと言っても、老獪な魔術師に対して警戒してしすぎる事はない。


 重要なのはタイミングだった。

 僕が表情に出さずに暗い闘志を燃やしていると、ふとハックがしかめっ面を作った。


「そう言えば……最近、エンゲイに終焉騎士団の連中がやってきたらしいです」


「何だと……? ……ヘマをしたのではあるまいな?」


「まさか。あっしの取引相手は皆、口の硬い方ばかりでさあ。しかし、連中の嗅覚は本物だ。念を入れるなら、ここにはもうしばらく来ない方がいいかもしれません」


 終焉騎士団。生前に読んだ本の中にもあったし、ロードの蔵書にもあった。


 国境なき騎士団。終わりなき闇に終焉を与える、世界最強の戦闘集団である。

 御伽話の中では度々勇者として登場し、あらゆる脅威や苦難をその光の剣で切り伏せるその存在は子供の憧れであり、事実僕も病床に伏す前はその姿に淡い憧憬を抱いていた。


 人の死体を弄び、アンデッドを生み出す死霊魔術師はその敵の最たるものだ。昔、まだ僕が子供の頃に読んでいた絵本の内、何割かは死霊魔術師と終焉騎士団の戦いで占められている。どちらが勝利したのかは言うまでもない。


 ロードの表情がこれまでにない怒りに歪んでいる。どうやら殺し合う間柄なのは本の中の話だけではないようだ。


 そして、その終焉騎士団は――本来ありえない生きる死者である僕の敵でもある。

 子供向けの絵本の中でも語られていた苛烈さを考えると、彼らが僕を許す事はありえない。


「我を追ってきたか……? 後数年もあれば研究がなったものを――猟犬共め、殺して我が永遠の奴隷としてくれる」


「ホロス様と終焉騎士団の戦いに巻き込まれちゃあ堪ったもんじゃない。あっしは一時退却とさせてもらいましょう」


「…………待て、ハック。いつもの死体以外に頼む物がある。エンド、いつもの死体安置所に戻れ」


 何を頼むつもりなのか……気になるが、命令を聞かないわけにもいかない。

 僕はなるべく緩慢な動作で部屋を出るが、結局その内容を聞くことはできなかった。


 ……まぁいい。嫌な話を聞いてしまったが、知らないままに進むよりはマシだ。

 リミットが大きく縮まった。生き残るためにはどうすべきか。


 僕は死体安置所に戻ると、壁に背を当て、腕を組んで考え始めた。

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